(1) ライチの相対整列1
ライチを悩ませているのは、継続的に甘いものが確保できないということだった。
道中である。
今は、商人に会うために、街にむかっている。その商人に会いたがっているのは父親のファターで、ライチは、その人物がどんな人間かはしらない。
ファターについて、村をでた。戻らないとは言っていなかったので、ライチは旅だと解釈している。人に会う旅。
ついてきたのは、ファターが会おうとしている人物に興味があったからではない。父親のそば以外では、ライチの仕事ができないからだ。祖母も、兄弟も、村人も、ライチは、ただのなまけものか、気がちがっていると思っている。ライチの仕事は、食べものも生まず、金も生まない。ただ、考えるだけである。それは、自分で決めたというより、物心ついてしばらくしてから、ライチは、自分がそれ以外できないことに気づいた、といったほうが正しかった。父親は、その点についてゆいいつ理解をしめしてくれていて、ライチは、だから、ファターと一緒にいるときのみ、落ちついて、考えるがことに集中できた。
しかし今日は、朝から半日ほどファターについて、ただぼんやりしている。
どこかの家の居間で、だれかと話しているファターの隣に、ただすわっていた。大きな家だ。敷地が、防風林でおおわれていて、庭の草が、ていねいに、短く刈られている。家も、赤いレンガ積みが、見上げるのに首がいたくなるほど高い。話し相手は、赤い顔で、神父のような格好をしていた。頭頂部がはげあがり、白いひげが胸元までおおっている。
だがライチは、ファターにも、赤ら顔の神父にも、家にも、興味はなかった。
頭が働かない。
体のなかから、甘いものがきれている。考えるのに、甘いものが必要だった。
ファターが、なにか言った。ライチにとってとても重要なことである。それが意識を呼びもどした。赤ら顔の神父が、だれかをよび、やってきた女性が、すぐにまたいなくなった。
「父、いまなんと」
赤ら顔の神父が、すこし驚いた表情でライチを見た。ファターが顔をよせてきて、父さんと呼ぶか、だまっているか、どちらかにしなさい、と小声で言った。
切り株のようなものがでてきた。
菓子である。
体が、かっと熱くなった。喜びが全身をめぐり、意識がすこし遠のいた。ライチはそれをこらえると、2人に向きなおり、甘いものに感謝いたしますと、できるだけ丁寧に告げた。
フォークでちいさく切って、口に入れた。
甘さが、全身をうるおす。
体のなかで、思考の粒たちが激しくまわりはじめた。
教師。村をつくる。資金源。
2人の会話の一部がはじめて単語として認識されたが、やはり、ライチの頭は、なんの反応もしなかった。
そんなことより、割りこみ、である。
ライチは立ち上がった。自分では気付いていない。神父が、説明をもとめるようにファターを見て、ファターが、ライチの考えるときのくせについて説明し、非礼をわびた。
ここに、なにかがある。これをAとする。いや、小麦粉とする。そしてこちらに乳がある。牛の乳でもやぎの乳でもいい。いや、やぎの乳のほうが、くせがあっていい。
状態としては、砂浜と海。小麦粉が無造作にひろがり、こちらがわに乳の海。
小麦粉と乳がふれている境い目は、すこしだけ粉がとけている。乳がまじった小麦粉のラインは、とろとろとした防波堤になり、逆に乳がはいってくるのを防ぐ。小麦粉のほとんどは、ただ小麦粉のままだ。
これがAとBの関係。
ここにウィスクが登場する。水滴を骨組みにしたような、まぜる器具。
AとBの境い目に、ウィスクが割りこみ、激しくまわりだす。
ウィスクは、針金でできた、ただの骨組みである。しかし、ウィスクの割りこみで、そこにホワイトソースの元ができあがる。Cとして卵、Dとして砂糖をいれ、E以下、もろもろ割りこませれば、ケーキ生地にもなる。生地を焼き、バターや、楓の樹液を煮つめたものをかければ、最高である。
菓子の話になってしまった、と思った。甘いものが、体にまわりきっていないときによく起きる、思考事故だった。ライチは椅子に戻り、切り株の菓子に集中することにした。
「さきを案ずるには、まだはやいでしょう。我々は、我々のできることをしましょう」
神父がなにか言っている。ふと思い立って、ライチは顔をあげた。
「神父様」
「神父じゃないよ」
「この菓子は、なんという名なのですか」
「木の菓子、という名だよ」
そのままか、と思った。甘いものは奥がふかい。ライチは感服した。