第5話 陰気な看護婦さん
「ふざけるのもいい加減にしろ」
武上が心底うんざりした声でそう言うと、
ベッドの上の和彦は珍しく少し顔を赤らめて不機嫌になった。
「何のことだよ」
「分かってるだろ。これだ」
和田から借りてきた紙を和彦の顔の前につきつける。
「和彦。なんだ、これは。ウサギの糞か?それにしちゃ四角いよな」
「・・・」
「幼稚園児でももうちょっと上手に描けるぞ」
紙に描かれている、和田曰く「KAZUのサインみたいな物」・・・
それは、和彦が食べた毒入りチョコレートの絵だった。
和田が「覚えている範囲でいいので、描いて下さい」と頼んで和彦に描かせたのだが、
どこをどう見てもチョコレートには見えない。
武上の言うとおり、どちらかといえば「四角いウサギの糞」である。
これでは全く手がかりにならない。
「御園英志は絵が得意なんだろ」
「絵じゃない。モンタージュだ」
「似たようなもんだ。あれって和彦が描いてるんじゃないのか?」
和彦がますます不機嫌になり、口を尖らせた。
「んな訳ねーだろ。プロに描いてもらってるんだよ」
なんとも身も蓋もない話である。
だが、実際はそんなものだろう。
女好きで、甘い物嫌いで、絵が苦手な和彦が、
女嫌いで、甘党で、絵が得意な御園英志を演じてるのか。
武上は思わず吹き出した。
が。
照れ隠しのためか、むすっとした顔で窓の外を睨んでいる和彦の顔に陽が当たるのを見て、
武上は首をかしげた。
「お前、ちょっと痩せたか?」
「ちょっとどころじゃねーよ。思いのほか胃がやられてて、全然食えねえんだよ。
点滴でしか栄養とってない。安全面云々の前に、普通に1週間は入院だ」
「・・・」
武上は紙を胸ポケットにしまうと、
病室の椅子に腰を下ろした。
さすがに特別病棟だけあって、
椅子もパイプ椅子などではなくきちんとしたソファだ。
「寿々菜さんは?」
「さっき帰った。律儀に毎日来てる」
「・・・そうか」
今更そんなことでヤキモチを妬くでもない。
だが、普段は憎まれ口を叩きまくりの和彦がベッドの上で痩せているのを見ていると、
武上でさえ少し憐れに思うのだから、寿々菜はたまらないだろう。
「武上」
「なんだよ」
「一昨日の夜・・・俺が入院した日の夜も、見舞いに来たみたいだぜ」
「?寿々菜さんが?」
一昨日は見舞いというか、寿々菜も倒れて和彦と一緒にここに運ばれ、
和彦の意識が戻るのを待って武上たちと一緒に帰ったはずである。
しかし和彦は首を振った。
「寿々菜じゃない。いや、誰だかわかんねーけど、夜中に病室に誰か来たんだ」
「なんだって?」
「扉が開く音がして目が覚めて、見たら扉のとこに誰か立ってた。
でも廊下の光が逆光になって、シルエットしか見えなかった」
武上は顔をしかめた。
「医者か看護婦じゃないのか?」
和彦が敢えて武上にこんな話をするということは、
そうじゃないことは分かっているが、一応確認してみる。
しかし案の定、和彦は「いや」と言った。
「寝てる振りして見てたけど、扉の辺りから動く様子がなくて、
なんか部屋に入っていいのかどうか悩んでるみたいだった。
で、思い切って、誰だ、って声かけたら、逃げるようにして出て行ったから、医者とかじゃないと思う」
「でも、ここに入れるのは病院関係者と、許可証を持ってる寿々菜さんと山崎さんだけだろ」
「あと、警察もな」
和彦はチラッと武上を睨んだ。
武上が本当に驚く。
「おいおい。なんで俺が逃げるんだよ。そもそも用もないのに俺がお前に会いに来る訳ないだろ」
今日だって和彦の絵の下手さをおちょくりに来たのだ。
・・・まあ、少しくらい見舞ってやらないでもない、というのもあるが。
「俺が弱ってるのをいい事に、俺の息の根を止めて寿々菜を自分の物にしようとしたんだろ?」
なるほど。その手があったか。
武上はまた本気で納得した。
が、一応武上も刑事である。
そんな卑劣な真似はしない。多分。
「その話、和田に・・・昨日、事情聴取志に来た刑事に話したか?」
「あんなお坊ちゃま、アテにできるか」
「・・・」
「あいつといい、武上といい、ろくな刑事がいねーな。三山を寄こせ、三山を」
「三山さんは俺と一緒で殺人の担当だ。お前が死んだら来てくれるよ」
と、その時、病室の扉が開いた。
ちょうど今「扉の所に人がいた」という話をしていたので、二人ともドキッとしたが、
扉の向こうから姿を現したのは坂井医師と看護婦の森下と、
和彦も見たことのない中年の看護婦だった。
黒い髪を前髪ごと後ろでひっつめてるせいか、眼鏡の奥の目が釣りあがっていて、
いかにも「ベテラン看護婦」という感じだ。
ただ、髪を止めている黒いバレッタが妙にごつくて、
チグハグな印象を与える。
これが以前坂井の言ってた、高井戸という看護婦なのだろう。
若い森下など、この高井戸にかかれば一吹きで吹っ飛ぶに違いない。
「こんにちは」
坂井がにこやかに和彦と武上に挨拶をする。
森下は和彦を見て目を輝かせたが、高井戸の鋭い視線に身を縮めた。
「顔色は良さそうですね。あ、こっちが前にお話した看護婦の高井戸です。
さっき学会から帰ってきたばかりですが、岩城さんの病状はもう把握してくれています」
和彦はテレビでお馴染みのKAZUスマイルで「よろしく」と言ったが、
高井戸は表情一つ変えず、無言でお辞儀をしただけだった。
武上は、高井戸がいるとなんだか息苦しいな、と思った。
だが、坂井はさすがに慣れていて、高井戸の態度を気にすることなく和彦に言った。
「今日から岩城さん担当の看護婦は高井戸と森下の二人になります。
困ったことがあったら、二人になんでもおっしゃって下さい」
「はい」
その後、坂井は和彦の身体をチェックし、
看護婦二人と出て行った。
扉が閉まる前に森下が和彦にウインクを飛ばし、
また高井戸に睨まれるというオマケは付いたが・・・。
和彦と武上は扉が閉まると同時に、
緊張の糸が切れたかのように、ほっと息をついた。