第4話 お坊ちゃまな刑事さん
病院から出たところで寿々菜は足を止め、
和彦が入院している特別病棟の最上階を見上げた。
武上の話だと、安全面を考えて和彦はしばらく入院することになるらしい。
前を歩く武上・山崎・斉藤に気付かれないよう、
学校指定の鞄をそっと覗くと、赤い紙袋が見えた。
この袋は今日、寿々菜の鞄の中から無くなるはずだったが、
残念ながらその予定はお流れになりそうである。
あーあ・・・
寿々菜は小さくため息をつくと、その紙袋の代わりに一枚のカードを取り出した。
プラスチック製のカードで、寿々菜の顔写真が貼られている。
他にも寿々菜の名前と連絡先が印字されており、
病院名と和彦の担当医である坂井医師の印鑑、それに何やらよく分からないバーコードも入っている。
和彦に会うための許可証である。
特別病棟に入るのにも、和彦の部屋に入るのにも、
これを壁に取り付けられたカードリーダーにかざさないと鍵が解除されないのだ。
だが許可証があれば、面会時間を気にすることなくいつでも和彦に会いに行くことができる。
今のところこの許可証を持っているのは、寿々菜の他は山崎だけだ。
許可証を持っている人数は少ない方がいいということで、斉藤は持っていない。
武上は警察なので手帳を見せれば入れるが、
今のところ武上が和彦を見舞う予定は当然のごとく無い。
・・・これは和彦さんに会うためのパスポートみたいな物だから、
大切にしなきゃ。
「スゥ、行くぞ」
山崎がタクシーに乗りながら寿々菜に呼びかけた。
「あ、はい」
寿々菜は許可証を鞄に丁寧にしまうと、
もう一度和彦の病室の方を見てからタクシーに向かって走り出した。
「武上さん」
2日後。
武上は昼休みの警視庁の食堂で、声をかけられた。
武上の一年後輩の、和田という新米刑事だ。
武上は、175ちょっとの身長に刑事らしく程良い筋肉質だが、男臭いというところまで行かない。
だが、このお坊ちゃま刑事の和田に比べると、自分が随分おっさんに思える。
和田は警視庁内の女性の間で「かわいい」と評判の笑顔で、
武上の前の席に腰を下ろした。
持っているお盆の上には、
いかにも和田らしくサンドイッチと紙パックのコーヒー牛乳がちょこんと乗っている。
「和田。お前、昼飯それだけで足りるのか?」
「はい。充分です」
「張り込み中に腹減るだろ」
「減りませんよ」
どこまでもお坊ちゃまな男である。
「ところで武上さん。一昨日のKAZUが毒入りチョコレートを食べたって事件ですけど」
「おい!声がでかい!」
武上は慌てて和田の口を塞いだ。
被害者が有名人のKAZUということで、この事件は庁内でも限られた人間しか知らないのだ。
事務所もマスコミに対して「KAZUはインフルエンザのため自宅で休養中」と公表している。
「すみません」
「そう言えば、和田が担当だったな。何か進展でもあったのか?」
「どちらかと言えば、後退がありました」
「は?」
「寄付予定のチョコレート、事務所内で食べるはずだったチョコレート、破棄予定のチョコレート、
全て鑑識でチェックしてもらいましたが、毒は出ませんでした」
「え?」
武上は、うどんを食べる手を止めた。
「大変だったんですよ!何万個もあったんですから!」
「ちょっと待て。毒が出なかった?一つも?」
「はい」
そんな馬鹿な。
バレンタインのチョコレートは、大きなもの以外は普通何個か入りになっている。
和彦が食べたのは小さなチョコレートだということだったので、
武上はてっきり同封のチョコレートには全て毒が仕込んであると思っていたのだ。
しかし、和田の話だと毒が入っていたのは和彦が食べた一つだけ。
つまり同封の他のチョコレートには毒が入ってなかったということになる。
何万分の1の確立を引き当てたのか、和彦は・・・。
なんて運の無いやつなんだ。
和田は紙パックにストローを刺しながら愚痴った。
「僕も鑑識につきあいましたけどね、あんな大量のチョコレート初めて見ましたよ。
匂いで気持ち悪くなりました。お陰で先輩達に貰ったチョコレート、全然食べれてません。
あ、武上さん、いりませんか?どうせ誰からももらってないでしょ?」
「・・・いらん」
嫌味でなくさらっとこういうことを言うのが和田である。
そして更に追い討ちをかける。
「そう言えば、武上さんが片思いしてるっていう女子高生からは貰ったんですか?」
「・・・」
武上は無言でうどんをすすった。
「あれ。じゃあ本当に一個も貰ってないんですね」
「・・・」
「そうそう、女子高生と言えば。昨日、事情聴取のためにKAZUに会ってきたんですけど・・・
あ、KAZUって優しくていい人ですよね。体調崩してるのに、嫌な顔一つせず対応してくれました」
「・・・」
「その時、KAZUのお見舞いに事務所の後輩の女子高生が来てました。確かスゥとかいう子ですよ。
テレビじゃあんまり見ないけど、なかなか可愛い子ですよね。僕、結構タイプです」
「・・・」
いちいち地雷を踏む男である。
和彦の奴、警察の前でもKAZUモードでやってんのか。
よくやるよ。
毎度のことながら、和彦の二重人格には驚かされるというか、呆れさせられるというか。
それにしても寿々菜さん。どうしてチョコレートをくれなかったんだろう・・・
寿々菜さんなら、義理でもくれそうなものだけど・・・
武上はここ2日間ずっと引き摺っている謎(落ち込み?)をそのままに、
その後無言でうどんを食べ続け、
箸を置いたところで和田が武上に二つ折りにした紙を一枚差し出した。
「なんだ、これ?」
「KAZUのサインみたいな物です」
「みたいな物?」
武上にとってはそんなもの珍しくもなんともない。
というか、どうでもいい。
しかし、何故か和田も少し眉をひそめた。
「でも、ちょっと驚きました」
和田が武上に渡した紙を指差す。
「何が?」
「見てください、それ」
和田に言われた通り、紙を開いて見てみる。
そして・・・
武上は目を見開いたのだった。