煙草とまどろみ
恭ちゃん家の二人分のソファーを占領するように寝ころんだ。うつ伏せになる。
手すりに両手を組んだ状態で顎を乗せた。
テレビ画面には大して面白くもないバラエティが映っていた。
いつも笑顔の某有名司会者は、出演者の中で飛びぬけてテンションが高い。
ここで本当はどこまでこの人は楽しいんだろうと考えてしまう私は、やはりこの類の番組を見る資格は無いのだろう。
チャンネルを変えたところで、ゴールデンタイムはどの局も同じような番組ばかりだ。
わたしは「んー・・」と呻きながら右手を伸ばして、ソファの前にあるテーブルに置いてあるリモコンで電源の赤いボタンを押した。
恭ちゃんに断って、CDの置いてある棚を探ってみた。適当に洋楽のアルバムを手に取る。
名前だけは聴いたことがあったので、それなりに有名なのだろう。
すぐ近くのラジカセで早速、再生してみた。
「こういうの好きなの?」そう言いながら出来立てのパスタを二皿、両手に持って恭ちゃんがやってくる。
それはこっちの台詞なんだけどなーと思いつつ答える。
「何か良さそうだったから。恭ちゃんは?」
「いや実はこれ友達が忘れてったやつなんだよね。まだ取りに来てなくて。」
それはまたかなりのうっかり屋だなと思いながら、今度は会社であったことを話し始める恭ちゃんの表情を窺う。
オチを言った後に自分で笑ってしまう恭ちゃんは、とても優しい顔をする。
この表情が見れるのは私が彼の恋人だからなのだろうか。
向かい合うと肩幅が広いのがよく分かる。
恭ちゃんは灰色のスウェットでくつろいでいるのがよく似合う。
恭ちゃんは黒髪短髪でちょっと色が黒い。学生時代はテニスをやっていたらしい。
男子は大抵運動部に入るものだし、世の中の男性は肌が黒めな人の方が実際多いと思う。
私は白い人のほうが好みだが、そうで無かったところでさほど気になることでもなかった。
「放課後、何してたの?」
急に聞かれて思わずびくっとした。やってからしまったと思った。恭ちゃんはこういう瞬間を見逃さない。
「何で放課後なの?」
「だって学校出るって言ってたの6時半くらいだったし。理穂、帰宅部じゃん。」
「あぁ図書室にいた。」
「そっか。」
「理穂って図書委員とかやらないの?」
「一年のときやったんだけど、書架整理の面倒さに負けて。」
ちょっと茶化して言ってみたけど、恭ちゃんの目の奥の真意は分からない。
「なるほどね。理穂って面倒くさがりなとこ確かにあるもんな。」
恭ちゃんがわざとらしく意地悪な微笑みを浮かべる。
全くこの人は。呆れたようにため息をつくと、視線を戻したときには恭ちゃんはいなかった。
台所の方を見ると、二人分のプリンを持ってスプーンを出そうとしていた。
プリンは確かに好物だがそれ以上に、得体の知れない幸せな気持ちがこみあげる。
これがおそらく私が彼のそばに居ようとする理由なのだろう。
でもだとしたら、私は代わりに彼に何を与えているのだろうか。
あぁ何かこのままだと考えが悪い方に行きそうな気がしてきた。何度も経験してきた予感。
一人でいるとこの予感はほぼ100%現実となる。
視界にシルバーの物体が差し込まれる。スプーンだった。
考える間もなく条件反射的にそれを掴むと、次の瞬間にはプリンが配置された。
間抜けな表情のまま、見上げると恭ちゃんがそんな私の顔を見てくすっと笑った。
「なんて顔してんだよ」
そう言って彼は自分の剥がしたプリンの蓋を捨てようと立ち上がった。
私はそこにすかさず、今日一番の軽い身のこなしで近づき後ろから腰にすっと腕を回した。
「おわっ。なに。急に。」
そこで大して驚かない彼も素敵だと思った。問いには答えなかった。生温かさも心地良い。
次の瞬間、視界が不安定になる。小さく声を漏らすが、気づけば抱きかかえられていた。
ソファで押し倒されて、蛍光灯で陰になった恭ちゃんの顔をまじまじと見た。
「良いの?」そう聞かれてる気がした。
やめてと言ったらきっとやめてくれる。そういう人。別にそのあと変な空気にもならない。
でもそれが分かるから、私はノーと言えない。そういう奴。
相性がいいような、悪いような。私は気配りのできるやさしい人ほど逆らえないところがある。
もし恭ちゃんに別の顔があってこんな私を利用していても、それは構わない。
人のずるいところは嫌いじゃなかった。そこまで欲しいと望んでくれるならば良いと思ってしまう。
私にとって優しさは本音に関係なく、優しく振る舞えることだ。それは実用性のある優しさだから。
答えを待ち続けて、彼もまた私の目の奥を覗く。
しっかりと成人して完成されたその肩に両手を這わせ、ゆっくり押し戻した。
それにあわせて私も上半身を起こす。優しく目を細めていく恭ちゃん。
「いいんだよ。」って感じだろうか。でも私はその片隅に潜んだ一抹の寂しさを見逃さない。
ソファに座り直した恭ちゃんの横顔。
油断した表情を確認して、私は飛びかかるようにして再び彼の両肩に両手を当てそのまま全体重をかけた。
驚いたまま下敷きにされた彼にまたがって、勝ち誇った笑みを浮かべた。目を見開いていた恭ちゃんもつられて笑う。
「降参?」そう訊いてみた。
でもその時には既に首筋に彼の両手が巻き付いていて、そのままキスをした。
彼には多分他の顔なんてない。こういう瞬間はそう思えてしまう。
翌日、恭ちゃんの歯磨きの音で目が覚めた。
早めに出て、家に荷物を取りに戻る必要がある。
分かってはいたが、ベッドでごろごろするばかりだったところに仄かな香りが漂った。
「あ。」
ベランダに目をやる。歯磨きを終えて、一服しているらしい。
立ち上がって横に並んだ。
「美味しいですか、お兄さん。」ふざけた調子で訊いてみた。
「まぁまぁかな。」煙草を吸っているときの恭ちゃんはなかなか目を合わせようとしない。
ぼーっとしたまま、無表情なのに安らいでるのが伝わってくる。
意識も煙と一緒に空へ吸い込まれようとしてるのかもしれない。
私は煙草を吸う人が好きだ。煙草を持っている手もカッコいいと思う。
あのちょっと神経質で自分の世界に入ってるように見える感じが好きだ。
でも副流煙とやらで、今もじわじわと自分の寿命が減っているのかと考えるとちょっと腰が引ける部分もある。
実際彼も気を遣って、こうやって外で吸ってくれてるのだが。
そうやってしばらく組んだ両手に顎を乗せ、風を浴びた。朝なのだ。
私は今まで何度恭ちゃんの隣でベランダを旅立つ煙の行方を追っただろうか。
遅刻するかもと思ったけど、何かそれでも良い気がしてくる。この場所の雰囲気には妙な離れがたさがあるのだ。