図書室の夕暮れ
夕日に包まれた図書室。オレンジの光が彼女の頬を照らしていた。
誰もいないその空間で、彼女は一人窓の外に目をやり続けていた。
別に視線の先に何かがある訳ではなかった。
彼女が視線を向ける先の窓は20cmほど空いていて、そこから吹く風が肩につく髪をなびかせていた。
目を細める。まぶしい光を放つ円がだんだんと地に沈んでいくのがよく分かる。
校舎の本館4Fに位置する図書室が、お気に入りの場所だった。
紺の無地のシンプルなブレザーにスカートという格好の彼女は高校3年生である。
前髪は顔の半分くらいまであり、センターで分けた黒髪。
微妙につり目なのでたまに目つきが悪いと言われるのを気にしていた。
知人曰く「かわいい系というよりキレイ系」らしい。
本を読むのも好きだが、図書室の空気が好きでよく入り浸っていた。今では司書さんとも顔なじみだ。
暗めの赤の紐リボンを指で調整しながら、そろそろ帰ろうと鞄を肩にかけたところだった。
ふとカウンターに目をやる。
「あ、あの子だ。」
口には出さないけどそう思った。
最近、図書室でよく見かけるようになった男の子。
色白で長めの黒髪、背は低めだけど細い子。何となく大人しそうな雰囲気だった。
年は多分そんなに変わらないけど、私は年下の人を「子」と呼んでしまう癖がある。
初めて見たときは制服の白いシャツがよく似合うなと思った。
多分、図書委員なのだろう
彼は今も淡々と生徒たちの図書カードを両手でとんとんと揃えていた。
常連の延滞者な私はちょっとした焦燥を覚えながら、彼を見ていた。
図書室の奥の端っこのテーブルから眺めているので、多分気づかれてはいない。と思う。
頭がさっき窓の外を眺めていた時のように、ボーっとしてきたのを感じて即座に我に返った。
「早く帰ろう。」
頭の中で呟いて、出口に向かう。出口はカウンターのすぐ隣だ。
私のいるテーブルからだと、一度カウンターを横切る形になる。
今日の夕ご飯は一体何だろうか。大して期待はしてないけれど。彼女(母)も働いているのだから。
出口を出る一歩手前で一度だけ振り返ってみた。
柔らかそうな髪が夕焼けで茶色く輝いた。品良く切り揃えられた後ろ髪は、細くて白い首を強調しているようで美容師グッジョブとしか言いようがなかった。
そんな風に急遽私の人生に登場した彼を眺めては愛でることが、私の放課後の一つの楽しみだった。
人によるだろうが恋というよりは軽い好意だったと思う。
私は年上の優しい男が好きだった。
駐輪場に着くと日はもう沈み切っていた。
校舎の隙間からサッカー部の練習が見える。良く焼けた肌が遠くからでも分かる。
スポーツマンが好きという女子は多いと思うが、それがよく分からなかった。
スポーツで輝いているように見えるのは大抵一瞬で、日常生活には大して筋肉は必要ないのにと思ってしまう。
ならば屋内で本でも読んで、白い肌とちょっと細すぎな身体を保持している人が好きだった。
家まではそう遠くない。たまにレンタルビデオで映画を借りることもある。
ハッピーエンドが多すぎるなんて声も聴くが、純日本人の私は邦画派だった。
あの切なくてゆるりとした空気感が何とも日本らしくて良いと思う。
「そういえば図書室の彼は映画を見るのだろうか」
私は彼が図書委員であること以外何も知らない。
そんなとき電話が鳴った。一気に頭のスイッチが入れ替わる。
電話というのは変な緊張があって、対人意識を強く持ってしまうところがあった。
電話の主は分かっていた。
「何?恭ちゃん。」こっちから先手を切った。
「理穂。今、何してるとこ?」いきなり何?とか聞く失礼な彼女にも恭ちゃんは優しい。大人の余裕ってやつだろうか。
「学校から帰るところだよ」
「一緒にご飯食べようよ。俺が何か作るから」
「うーん。どうしようかなー。」正直、今はさっきの彼のことが頭をちらついていた。
「なんだよ。揺さぶりかけるなんて、100年早いぞ。前見たいって言ってたDVDも借りてきたし。」
恭ちゃんはちょっと笑ってそう言う。私は恭ちゃんのその仕草に極めて弱かった。
嬉しい?って訊く声が聞こえてきそうだった。そんなセリフが一ミリもいやらしく聞こえないのは、恭ちゃんの魅力のせいだ。彼はいい奴なのだ。
褒めてもらいたいとか感謝してもらいたい訳じゃなく、私が喜ぶことを恭ちゃんは喜んでくれる。
恭ちゃんは社会人で身長も高い。どこからみても大人なのに、どこか可愛い。そしてそこを見せられると私はいつも断れなくなる。
「ありがとう。じゃお母さんに連絡したら家行くね。」
「おぅ。気を付けてな。」
慣れた付き合いなので、お互い気を遣うこともなく手短に通話を切った。