プロローグ
九月某日。とある高級料亭の一室。
テーブルの前に少年――鳴上蒼太は両親と並んで座っていた。
胸に手を当てて深呼吸。さっきから何度もそうやっているのだけど、心臓の音はまったく落ち着いてくれない。
「それにしても……十六歳でAIが選んだ相手と結婚だなんて、時代は変わったなぁ」
「あなた、結婚じゃなくて“仮婚”よ」
「おっと、そうだったな」
両親の気の抜けた会話を聞き流しつつ蒼太は落ち着きなくそわそわしている。
胸の奥では、もうすぐ自分と相性最高の女の子が現れるのだという期待と不安がせめぎ合っていた。
――仮婚制度。政府が打ち出した少子化対策のひとつで、AIが判定した相性ぴったりの相手と新婚生活を体験するというものだ。
これからAIが太鼓判を押した相性抜群の女の子と、しばらくの間同棲生活を送ることになる。
あまり女の子との付き合いに慣れているとは言えない蒼太はもう緊張しっぱなしだ。
遠くから、いくつもの人の気配が近づいてくる。
やがて仲居さんが音もなく障子戸を開いた。相手側の家族と、制度担当の職員が静々と部屋に入ってくる。
その列の中で、ひときわ目を引く存在がいた。
長い黒髪の、着物に身を包んだ細身の女の子。
どこか儚げな雰囲気で、まったく日に焼けていない真っ白な肌に艶やかな黒髪。
緊張しているのか、担当職員に促されるままこちらを見もせずに静々と座布団の上に腰を下ろす。
その仕草に思わず深窓のお嬢さまというイメージが頭に浮かんだ。
「こちらが今回のお相手、雪代ましろさんです」
職員の紹介が耳に届く。蒼太の心臓は、もう痛いぐらいに高鳴っていた。
(こ、こんな綺麗な子と……仮とはいえ結婚できるなんて……!)
率直に言うと、蒼太はましろに一目惚れしてしまったのであった。
蒼太も思春期の男子高校生。こんなに可愛い女の子と同棲だと思うとついドキドキしてしまうし、あわよくばそのまま本当の恋人に……なんてことも考えてしまう。
そうしてこれからの仮婚生活を妄想していると、気づけば職員の説明は終わっていた。
「それでは本日付で仮婚を成立といたします。双方、ご署名をお願いします」
差し出されたのは一枚の証書。仮婚に同意するというもの。
震える指先を必死に抑え込み、ペンを走らせる。
――鳴上蒼太。
自分の名前を書き込み、相手に渡す。ましろも淡々と筆を走らせて『雪代ましろ』と署名する。
(これで、仮とはいえ僕たちは夫婦なんだ……)
胸がぎゅっと締めつけられる。ましろも緊張しているのか、物憂げな表情で目を伏せたまま微動だにしない。
「それでは、あとは若いお二人でご歓談でも……」
職員と両親が立ち上がり、静かに閉めて退室していく。
静かになった部屋で、高鳴る心臓の音が相手に聞こえないかと心配なぐらいドキドキしている。
何から話せばいいだろう? 趣味とか、学校での様子とか……仮婚に応募したということは向こうも恋愛とかには乗り気なわけで、場合によってはこのまま結婚する未来も……。
必死に頭を働かせ、口を開こうとしたその時だった。
「あ~、つっかれた~」
ましろが大きく息を吐き、正座を崩して足を投げ出した。
さっきまでの儚げな雰囲気は跡形もなく、一気に気の抜けた態度に変わっている。正座して痺れたのか、足を揉んで顔をしかめている
「へ?」
思わず声が漏れる。ましろのあまりの豹変ぶりに、頭が真っ白になった。
呆然とする蒼太を、ましろはジトッとした眼で睨む。
「何よ。なんか文句あるの?」
「あ、いや、ない、です」
「……もう仮婚、決まったんでしょ? んじゃ、帰っていいわよね?」
ましろは面倒くさそうに呟く。これから同棲するというのに、蒼太にまったく興味を示す気配がない。
明らかに乗り気ではない様子を前に、蒼太はすっかり固まってしまったのであった。
西暦二〇××年。
日本の出生率は、もはや崖を転げ落ちるように下がり続けていた。
出生率はついに〇・五を切り、次の世代では国の存続すら危ぶまれる段階。
前与党は積極的な移民政策を掲げたが、国内からの反発と批判はあまりに大きく支持率は急降下。結果的に新興の党が政権を取ることになった。
そうしてできた新政府は、かつてないほど大胆な少子化対策を打ち出す。
――子どもを産んだ家庭への多額の現金給付。
――AIを最大限活用した子育ての全面的サポート。
――妊娠した若年層への支援および、あらゆる批判や差別の禁止。
――結婚可能年齢を十八歳から十六歳へと引き下げ。
それらの政策は、瞬く間に国内外で激しい議論を巻き起こした。
「金で釣って子どもを作らせるのか」
「AIに子育てさせるなんてどうかしてる」
「妊娠した学生を支援する制度なんて狂気の沙汰だ」
「子どもに子どもを産ませる気か」
などなど。
批判の声は大きかった。だが、先行的に導入された地域で実際に出生率が上向き、さらに支援金による消費拡大や人口流入で地域経済まで活性化してしまったのだ。
そんな成功例が出てしまえば、後はドミノ倒しのように全国に広がっていく。数字が改善している以上、強く反論もできない。
「こんなのディストピアだ」と叫ぶ声もあったが、その声は成果の前に次第に小さくなっていった。
そして最近、新たな試みが試験導入された。
AIによって選ばれた相性の良い高校生同士で一定期間、新婚生活を体験させるという前代未聞の制度。通称、仮婚制度。
――この物語は、その試験運用に参加した鳴上蒼太と雪代ましろ、その二人のお話。




