第五話 保健室の密談
結末は決まっていた。
だから当然、覚悟もできていた。
しかし実際には、覚悟ができていたとしても環境や心境が変われば誰だって揺らぐことはあると思っている。
例えば、医者から長生きはできないと宣告されたとしよう。
それが本当に治る見込みのない病気だったとしたら、死を覚悟をするというか、せざるを得ないと思う。
そして、その覚悟を貫き通す人ももちろんいるだろう。
しかしもし仮に、想像以上に長生きしてしまった場合、もしかしたら――という希望を見出してしまうかもしれない。
別にそれが悪いという話ではないが、少なくとも当時決めた覚悟が揺らぐには十分な要因と言える。
死がふたりを分かつまでと誓った男女も、必ずまた会おうと誓った友も、絶対に忘れないと誓った約束も、きっと世界中で数えきれないほど破り破られている。
それを不誠実だと嫌悪する者もいるだろうし、守れないなら無責任に誓いなどたてるなと批判する者もいるだろう。
しかし、そもそもこの世に絶対などないのだから、むしろそれが守られると思う方が甘いというか、楽観的な考えなのだ。
絶対守る! 覚悟を決めた! 必ず助ける!
そんな理想を貫けるほど、人間は完璧にはできていない。
つまり俺の覚悟も、所詮は感情で揺らぐ程度のものに過ぎないということだ。
……いや、違うな。
感情で揺らぐ程度という表現は、まだまだ感情を甘く見ている証拠だ。
感情とは、それほどに御しがたく厄介なものだと思うべきである。
俺は特殊な環境で育ちはしたものの、特殊な訓練を受けたワケではないので、ロボットのように感情を殺すなんて真似はできなかった。
(つれぇ……、マジで過去イチつれぇ……)
覚悟が揺らいだことを正当化するためにグダグダと色々考えていたが、仮に揺らがなかったとしても、恐らくツラいという気持ちは変わらなかったハズだ。
トロッコ問題で両親と恋人のどちらを選ぶか迫られた際、覚悟があれば躊躇わずに選択できるのかもしれないが、選んだあとは結局罪悪感や後悔に苛まれることになる。
というか、そうじゃなきゃ覚悟や葛藤をする意味がなくなるため、トロッコ問題自体が成立しない。
要するに覚悟というのは、「実行する」「決定する」ことの後押しにはなるが、その後のメンタルをケアしてくれるほどの効果は発揮してくれないということだ。
だからそれを正当化したところで俺のメンタルが回復するワケもなく、ほぼほぼ無意味というか、むしろメンタルに悪いという……
それでもやってしまうのは、恐らく正常性バイアスのようなものが働いているのだろう。
自分のことも制御できないとは、俺もまだまだだな……
「おい、どうしたんだ信之助! 今日は一段と顔色が悪いぞ!?」
「……恵か」
どう見ても近付きがたい今の俺に声をかけるとは、さすが我が親友である。
しかし、その原因の一端を自分が担っているとは、全く思っていないらしい。
別にそれを恨むつもりもないし、恵が悪いなどとは一切思わないが、それでもモヤモヤした気持ちはどうしても込み上げてくる。
「流石にその状態はヤバいって! 保健室行こう!」
「っ!? いや、ちょ、待てよ!」
と止めてみたが、恵はそのまま俺のことをお姫様抱っこして走り出してしまう。
こうなってしまうと抵抗は無駄だ。
何故ならば、恵は文字通りの文部両道で身体能力も圧倒的に俺を上回っているからである。
そして、そんな無力な俺と恵に対し、無慈悲なスマホカメラが向けられる。
「と、撮るなぁぁぁぁぁぁ!!!!」
俺の悲痛な叫びが聞こえたかは不明だが、教室を出る瞬間、キャーキャーと黄色い声を上げてる女子の中に南野さんが混ざっていたのを見てしまい、俺の心はへし折れた。
◇
「で、本当にどうしたの?」
「……複雑な事情だ」
「話せない内容?」
「……あまり話したくはない内容だな」
「そう、なら話してよ」
「いや、話したくないって言ってるだろ……」
何故今の話の流れで話せとなるのか全くわからん。
まさか恵のヤツ、ドSにでも目覚めたのか?
既に無自覚に俺を攻めてるというのに、そこに本人の意思まで加わったらどうなってしまうのか……
「いやん! 壊れちゃう!」
「っ!? ほ、本当に大丈夫!? 壊れちゃう!?」
「いや、流石に壊れはしないが、それくらい不安定なんだよ……」
恵は本気で心配そうな顔をしている。
最近演技スキルを身に付けたとはいえ、根は素直なヤツなので恐らくガチの反応なのだろう。
子どもは純粋だからこそときに残酷だと言うが、これもその類に近いものがある。
……しかし、そうか。
俺も恵も、お互いに悩みがあれば二人で話し合って解決してきた仲だ。
事情が事情とはいえ、話さないのも不誠実に思える。
ここは南野さんのことは伏せつつ、要点だけ上手く伝えてみるか……
「オーケー、わかった、話すよ。ただ、その前に――折笠先生、聞き耳立ててないで仕事に戻ってください」
「え~、いいじゃないか! 緒方君がここに残ること許可してあげたんだから、少しくらい青春のおすそ分けしてくれても~!」
俺が声をかけると、カーテンの裏で聞き耳を立てていた養護教諭――折笠 哀先生が恨めしそうな声を出しながらカーテンの隙間から顔を覗かせる。
「駄目です。机の中に例のブツを隠し持ってること、教頭先生に言いつけますよ?」
「二人とも、話すならくれぐれも静かにね? それじゃあ私は戻るから、何かあったら声をかけてちょうだい」
相変わらずの切り替えの早さに、思わず苦笑いを浮かべてしまう。
「二人とも、本当に仲がいいね」
「そう見えるなら、恵の目は節穴だな」
この折笠先生、実は隠れ腐女子(29歳)で、保健室に例のブツを持ち込んで暇なときに読んでいるという中々に破天荒で破廉恥な教師だったりする。
見た目は美人でしっかりしたお姉さんなのだが、中身は腐女子でありオッサンという……
そんな人間がよくこの学校の養護教諭になどなれたと思うが、どうやら過去に演劇をかじっていたらしく、演技は得意なのだそうだ。
実際俺も含め、男子のほとんどはそれに騙されているので、確かな演技力を持っていることは間違いない。
俺だって、折笠先生から打ち明けられなければ卒業まで知ることはなかっただろう。
というか、ぶっちゃけ最後まで知らないでいたかった……
「いや、僕にはわかる。絶対二人は仲がいい!」
「……恵がそう思うなら、そうなのかもな。……さて、邪魔者もいなくなったし、簡単に説明を始めるぞ」
はぁ……、気が重いぜ……