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《9》希望への前進 ١

 「素晴らしいです、リリーさん。皆さん拍手!」


 魔術実技の授業が行われる実験室。医務室と似たような雰囲気を持つ白を基調とした小ざっぱりとした空間には腐食に耐性のある合金鋼で加工された作業机が並んでいた。


 実験室中から拍手がスピカに注がれる。教師も満足そうに手に持っていた紙の束に評価を書き込んでいく。

 実験室は磯の香りが充満していて瓶の中から天井を突き刺すほどの巨大なタコの足が出現していた。瓶の中に収まっている足の付け根の方は窮屈そうに今にも瓶を割って飛び出してきてしまいそうなほど吸盤を押し付けながら収まっている。


 波が押し寄せては引き摺り込むように海水に溺れてしまうような感覚が体を包んでいた。潮の香りが蒸せ返る花の芳香に似ているようにも感じた。


 それほどまでにスピカが遺伝情報で編み上げた蛸の足は実験室にいた全員を海の真ん中に浮かんでいるかのような感覚にさせるほど濃い。優秀な大人が何時間も集中して編み上げたようにも見えるが、実際の術者であるスピカの顔に疲労はあまり見られない。


 せいぜい、学院の中庭を一周散歩してきたかのような程よい疲労という程度だった。これは彼女の体内にある魔力が膨大だったというのも理由の一つだろうが、蛸の足より何倍も小さい花を咲かせた時スピカは椅子に座り込むほどには疲労していた。


 「先生、私一人の力じゃないんです。だから拍手はベガにも向けてください」


 スピカはそう言うと実験室の隅に座っていたベガに視線を向けた。教師や他の生徒達は何を言っているんだと驚いたようにベガを見る。


 「えー…あー。ワルドゥさんと何の関係が?」


 教師はスピカとベガの顔を交互に見ながら尋ねた。


 「ベガが今回の魔術理論を構築したんです。少ない力で巨大な蛸を作る無駄のない最小限の美しい理論」


 ベガは腕に抱えていたノートをスピカの隣まで来ると作業机の上に広げた。スピカは四元素の風・火・水・土の内、水─特に海洋生物の遺伝情報を編み上げることが得意な魔力配列を持つのだろう。


 スピカ一人では瓶から少し蛸の足を出す程度の大きさで限界がきただろう。彼女は教科書に少し目を通しただけであとは感覚でこなしてしまう。ある程度は出来る器用な性格だが、深く追求していくことは本人の性格もあり不得意だった。


 教師は信じられないものを見たかのような顔をした。ベガが協力していると分かった途端に拍手は疎になって今はもう止まっていた。ノートに書き込まれた理論の厚みに誰も声を出せなくなっている。


 結局、教師は「今は実技の授業です」と言いベガを評価することはなかったが大きな波紋が学級内外に広がった。



******



 「お隣よろしいですか?」


 天井が高い石造りの食堂には大人数が一度に食事を取れるよう長机と長椅子が幾つも置かれていた。帝国の伝統的な食べ方は絨毯の上に直に座る物だが、今や生徒が外国出身者も多いので数代前の学院長の代から机と椅子が導入されたようだ。


 ベガの左隣にはスピカ、スピカの向かいにミラが座り食堂で昼食を取っているところだった。配膳台から貰ってきた雛豆のスープとトマトがたっぷりと入ったタマネギとパセリやミントをレモンやオリーブオイルで和えたサラダ、白身魚の蒸し焼きと全粒粉の麵麭パンを盆の上に載せて席に着いた所だった。


 ミラは麵麭パンをちぎって食べ始めており、スピカはサラダを食べてはミントを「歯磨き粉!」と過剰に反応するのを繰り返していた。


 「どうぞ」


 ベガはお腹が空いていて雛豆のスープに気を取られていたので隣に座る人物が誰かよく見ずに返事をしてしまったが、ミラが固まったまま麵麭パンを落としたことによりベガは自身の右隣りに座る人物に目を向けた。


 そこでベガは思わずミラが固まってしまった理由がわかった。白金色の髪に、菫色の瞳の少年──リゲルが隣に座っていたからである。


 「リゲル…」


 ベガの噂が広まってから初めてベガはリゲルと顔を合わせた。リゲルが積極的にベガを貶めようとした人物ではないことは知っていたが、それは家名を背負っているから言えなかっただけでリゲル個人が心の中でどう思っているかは分からなかったし、リゲルと出会ってベガは距離を測りかねている相手でもあった。


 端的に言えばよくわからない。その端正な容姿から同級生だけでなく上級生からも人気が高いとは聞いていたが、交友関係が広そうな割には誰も正確な彼の情報を持っていなかった。なので顔が良いやらかっこいいなど表面的な情報しか流れてこなかった。


 「久しぶり〜ベガ。最近見なかったから心配した」


 「心配かけてごめんなさい。最近は食堂とか…人が集まる場所は避けてたのよ」


 今日はスピカとミラが傍から離れないと言うので勇気を振り絞って食堂へ来てみたのだ。それでも周りの視線は時々厳しいものがあり、食堂の真ん中の席を堂々と利用できるほど図太くはなかったので出入り口に近い後方の席を利用していた。


 「リゲル、置いていくなんて酷いじゃないか」


 その時、リゲルの後ろから盆を抱えたアルタイルが現れた。またしてもミラはやっと口に運ぶのを再開していた麵麭パンを落とした。

 

 「前に誰かさんが急に走っていって置いてかれたから、仕返し」


 小さく舌を出すリゲルにアルタイルは呆れたような表情になった。そしてじっとリゲルが座っている場所を見た。それを見てリゲルの唇は弧を描いた。


 「ベガの隣は俺で埋まってます〜」


 揶揄うように茶目っ気たっぷりにリゲルは言った。それを見てスピカも「反対も私で埋まってます〜」と得意顔になっていた。そこまでベガの隣の席に価値はないとベガは思うのだが…。


 「いいよ。正面に座るから。バルセィーム嬢、隣座っても?」


 「えっ、あ、はい!いくらでもどうぞ!」


 ちょっとだけアルタイルが拗ねたように見えたのは気のせいだろうか。本来の年齢よりずっと大人っぽく見えるアルタイルだが先程は年相応の少年に見えた。

 貴族出身者に共通する印象は子供でも大人でいなくてはならないのだろうかと疑問を抱くほどに落ち着いた雰囲気だ。


 アルタイルが座るとベガは食事を始める。雛豆のスープはとろみが付いていて口の中に入れると香辛料が複雑に絡み合った。

 サラダはミントがいいアクセントになってさっぱりと食べられる。口の中に残る清涼感が癖になりそうだ。スピカが歯磨き粉だと言う理由はわかるがミントティーを普段からそれなりに飲むベガにはあまり抵抗はない。


 白身魚の蒸し焼きはふっくらとした魚と掛かっていたトマトソースの酸味と甘みがちょうど良かった。リゲルも美味しそうに頬張っている。その姿は少し幼く見えた。


 「リゲルはお魚好きなの?」


 ベガが尋ねると、リゲルは咀嚼していた魚を飲み込んだ。


 「うーん…肉か魚だったらどちらかと言うと魚派かも」


 前に夕食が羊肉の肉団子ミートボールだったことをベガの代わりに惜しんでくれたのを見て、食べ盛りの男の子ということもありどちらかといえば肉を好むように思っていたので意外だった。


 「ジェミニ侯爵領は海に面してるから、その影響じゃない?」


 アルタイルは流麗な手つきでスープを口に運んでいた。その口ぶりからアルタイルはリゲルが魚が好きなことを知っているようだった。

 表面的な情報しか流れてこないのは誰も深く踏み込まなかったからだとベガは思った。聞いたら答えてくれるのに。


 ジェミニ侯爵領の領都は港湾都市である。領都は貿易の玄関口であり造船・鉄鋼・真珠加工などを中心に発展した。最近は真珠の養殖業が軌道に乗っていると新聞で見たことがある。

 領地の南部には火薬の原料となる硝石の鉱床が豊富に眠っており、貴重な財源である。ジェミニ侯爵家は貴金属を扱う工房をいくつか所有しているらしい。


 「私は魚、苦手よ。骨が抜いてあるなら大丈夫なんだけど」


 ミラは白身魚を見て苦そうな顔をした。ぎょろっとした瞳に見つめられるのも怖いらしい。スピカは「骨までばりばり食べる」と答えてミラから「野蛮…!」と引かれていた。


 「そう言えばスピカはベガと組んで実験室の蛸の足で天井に穴を開けたって?」


 リゲルが興味深そうに訪ねてきたのでベガは目を見開いた。


 「天井に穴なんて開けてないわ!せいぜい天井を撫でるくらいの大きさよ。ね、スピカ」

 

 ベガはスピカに同意を求めたが、スピカは口いっぱいに麵麭パンを頬張っていて答えることはなかった。


 「僕は窓から飛び出したって聞いたけど」


 アルタイルも面白そうに笑っていた。


 「そんなに巨大じゃないわ!」


 噂話はどこまでも大きくなっているようだった。


 「で、その蛸どうしたの?」


 リゲルの輝く瞳には「蛸、食べたい」と書かれているようだった。


 「消えちゃったのよ。無駄を極力省いて、巨大なものってなると顕現時間が短かったのよね。そこは要改良だわ」


 何でもかんでも削ればいいというものではないことをベガは知った。現在基本となっている魔術理論は先人達が積み重ねてきた究極の形体、それをただの小娘が超えられるわけがなかった。

 あの魔術理論を考えノートに書き記した後、自分達は偉大なことを成し遂げたのだとスピカと二人で得意になっていたのが恥ずかしい。


 あの時はあれが今までの魔術理論に取って代わるものだと信じて疑わなかったのに。


 「そっかぁ。食べたかったな〜蛸」


 「今、魚食べてるだろ」


 リゲルは残念そうに口を尖らせ、アルタイルは冷静に言葉を返した。

 

 「蛸を食べる」という言葉に絶句していたのはスピカだった。スピカが顕現させるものに何故蛸を選んだのかというとスピカの故郷で蛸は海の怪物と呼ばれ恐れられていたため、強いという印象があったらしい。 

 顕現させて圧倒させてやろうというのがスピカの考えだった。勿論、蛸を食べる習慣はない。しかしここは帝国で、しっかり蛸を食べる。


 絶句しているスピカにミラは「蛸?普通に食べるじゃない」と言い「野蛮…!」とスピカに引かれていた。


 リゲルとアルタイルが普通に会話してくれることにベガは安堵していた。もし、内心でベガをよく思っていないなら近づいてこないはずだ。

 今もベガたちが利用している隅の長机には誰も近づいてこようとはしない。ただ遠巻きにされているだけだった。

 

 その時、ベガたちの耳にうっとりとしている女子生徒達のため息が聞こえてきた。上級生が集まった長机から聞こえてきたものだった。その視線の先には教職員用の机があり、そこにはシリウスが座っていた。


 周りには他の教授たちがおり、難しそうな顔で何かを議論している。議論に夢中でその合間に素早く食べてはまた口を開くのを繰り返していた。

 

 「バナフサジュなんて家名聞いたこともなかったから、もっと野生的な…荒々しい方だと思っていたのだけれど。食事の作法なんかは繊細な手付きをされるのね」


 一人の女子生徒がうっとりとした溜息と共にそう零した。ベガもミラにワルドゥなんて家名は聞いたことがないと同じようなことを言われていた。貴族出身者はまず家名でその人物を推し測ろうとするようだ。


 ワルドゥは孤児院を出る時に適当に付けてもらった苗字であるのでその名前が貴族にあるわけがない。里親に引き取られることなく孤児院を出る子供は、出る際に苗字を貰うのだ。


 ベガの場合はシリウスが養子縁組として引き取りたいというわけではなかったからだ。


 「何処か妖艶で、美しいけれど…。この前すれ違った時、女物の香水の匂いがしたの!もー、これ絶対恋人が居るわ」


 女子生徒達は悔しそうな声を上げた。最近、「バナフサジュ教授を眺める会」という上級生の女子生徒を中心に非公式なクラブ活動が存在するという噂が流れていた。


 彼女達は花などを育てているシリウスを眺め、肌から流れ落ちる珠の汗に歓喜の悲鳴を上げているらしい。それは鑑賞会という隠語で週に何度も行われているらしい。


 シリウスから「植物を熱心に眺めている子達がいたから興味があるのかと種や苗を分けてあげた」とベガは聞いていた。その人達が興味があるのは植物じゃなくて貴方よ…とは言えなかった。


 「バナフサジュ教授、すごい人気だよね。この前教授の授業を聴講したんだけど、とても興味深い内容だったよ。進歩的な考えの持ち主だね」


 アルタイルにシリウスのことを褒められ、ベガも悪い気はしなかった。スィン・アル・アサド学院では許可されれば外部から聴講生を受け入れており教室の後方で聴講することが可能だ。

 著名な教授の講義となると、学者が聴講するために大勢集まることもあった。


 「なにそれ、アル…まさか行ったの?一年生は目立たない?」

 

 「そんなことを気にしているのか?リゲル」


 「なんで誘ってくれなかったのって言ってるの。好奇心の前ではそんなことは些細なことだ」


 一年生一人でも十分目立つだろうが二人だと余計に目立つのではないだろうかとベガは思った。

 

 「ベガも行く?」


 アルタイルに誘われてベガは少し考え込む。一年生三人は絶対に目立つ。ベガはあまり目立ちたくはないが、シリウスの授業は気になる。ちなみにスピカは勢いよく首を振って拒否し、ミラはきっとまだ理解出来ないだろうからと断った。


 「興味あるわ」


 そう答えると隣のスピカが信じられない…という顔をした。スピカにとってわざわざ必修科目以外を受けに行くのは相当なもの好きに見えるようだ。


 「バナフサジュ教授の講義は聴講生が多いから早めに行かないと見えないかもね」


 「次、いつ講義がある?俺たちの授業に被らない時が…。あっ、満月学級セレーネ三日月学級アルテミスは時間割違うから合わせるとなるとかなり限られて来る?」


 素早く予定が纏まっていくが、ここで大きな壁が立ちはだかった。ベガは空き時間があり、かつシリウスの講義がある日を朧げながらに提案していくが満月学級セレーネと空き時間が被る日はシリウスの講義が無かったりなど、丁度重なる奇跡の日は少し先の落照の月(じゅういちがつ)だった。

 

 落照の月(じゅういちがつ)の第二週目の芽ノ日(かようび)に一緒にシリウスの講義を見に行く約束を取り付けた。友達同士の約束というのはベガには初めての事だったのでその日が待ちきれなかった。


 「楽しみにしてるわ。約束よ」


 もちろん、シリウスを見に行くのも楽しみである。内緒で行って教室でベガの姿を見つけたシリウスが驚いてくれるのを思い浮かべると自然と笑みが溢れた。



******


 

 大勢の人間がいる教室に教壇に立つ人間の声がよく響く。誰もが真剣に講義に耳を傾けている空間で「何て言ってるの?」と耳打ちできる状況ではないことだけがベガにもわかっていた。


 教室後方に大勢に紛れているベガをシリウスは見つけていないようだった。左隣にいるアルタイルは興味深そうに講義に耳を傾けているし、右隣りのリゲルも内容を理解しているような表情だった。


 この教室の中で話が理解出来ないのはベガだけではないかと思えるほど置いてけぼりのような感覚になっていた。シリウスが話している内容は遺伝情報の編集技術の話だ。


 これは植物の品種改良などで既に実践されているが、それを人体に用いることで薬剤では治療困難だった先天的疾患の治療が期待されている。しかし人工的に遺伝子を壊すという認識から「生命への冒涜」として宮廷派の最高位である大宰相が忌避感を示していることから実用には至っていない。


 「遺伝子が壊れるという現象はごく頻繁に起こっているのです。例えば紫外線を浴びたりなどという刺激でデオキシリボ核酸は簡単に切れます」


 教壇からシリウスの声が響く。ベガも密かにこの遺伝情報の編集技術は自分の病気の完治に役立つのではないかと期待していたのだが、魔力配列は他の遺伝情報とは違い不明な部分が多い。治療は難しいというのが今の学院の考えだ。


 「通常、生物はそれを修復して元通りにします。しかしごく稀に一部の配列が欠けてしまったり別の配列に置き換わったり、いくつかの配列が入ってしまったりということが起こるのです。これが所謂、突然変異といわれるものです。遺伝情報の編集技術は同じ現象をデオキシリボ核酸の狙った部位で起こさせる方法です」

 

 シリウスは名称はよくわからないが血が止まらなくなる遺伝病を具体例に出し解説していた。

 

 「ベガ、わからないって顔してる」


 小声でも話すことが躊躇われる空間で口を開いたのはリゲルだった。それも隣のベガがようやく聞き取れるくらいの声量だ。


 「り…理解したいとは思うのよ。シリウスが考えていること、少しでも解りたい」


 自分が場違いであることはベガにもよく分かっていた。少し空気が冷えたように感じだがリゲルはいつものように面白げに目を細めて口角を上げた。


 「分かり易く教えてあげようか?」


 「お願いするわ」


 ベガが頷くとリゲルはより笑顔になったような気がした。


 「実は俺は突然変異です」

 

 先程シリウスからも出てきた突然変異という言葉にベガは目を見開いた。菫色の瞳が揺れてベガを見つめた。薄い唇は愉快げに弧を描いている。


 「ア、ル、ビ、ノ」


 リゲルはとっておきの秘密を教えたかのような、悪戯が成功したかのような顔をしていた。


 「アルビノの方は紫外線に弱いと聞いたけど。リゲルは…」


 リゲルは日の元が似合う活発な少年だと思っていた。実際に彼はよく休み時間に中庭でボールを蹴って遊んでいるのを見かけた。


 「魔法で身体を保護しているんだ。弱視も魔法でかなり良く見えるようにしているけど、やっぱり見えない方かな」


 そしてリゲルはベガの方へ顔を近づける。二人の瞳は縫い付けられたようにお互いを見つめ続けた。ベガはただ純粋にその菫色の瞳を美しいと思った。


 その時、横から腕が伸びてリゲルの額を押し退けた。


 「近い。何してる」


 アルタイルが眉を顰めてリゲルを睨みつけた。美しい人の怒った表情は迫力がありベガが怒られているわけではないのに申し訳ない気持ちになってくる。


 「アルも知ってるでしょ。見えにくいから近くで見ようとしただけ」


 「いつもはそんなに近づかないよね?」


 リゲルは飄々と人好きのする笑顔を浮かべている。


 「ベガ、わからないなら後で僕が纏めたノート見せてあげる」


 アルタイルは先程の会話から仲間外れにされたことを怒っているのだろうかとベガは思った。リゲルは「男の嫉妬は見苦しいよ〜」と揶揄っている。


 「ありがとう。リゲルもありがとう、身近に感じて分かりやすかったわ」


 クラーのような先祖返りも、リゲルのようなアルビノも。()()は身近にいるようだった。ベガは自分の病気が特別でいて孤独であるかのように感じていたが、仲間意識のようなものが芽生え始めていることに気づいた。


 クラーは仲間と言われると苦い顔をしそうだが。


 「ベガ」


 囁くように名前を呼ばれてベガは左を向いた。アルタイルの灰色の瞳がベガを写していた。目があってベガは心臓が跳ねたような気がした。


 「仲間はずれにしないでね?」


 その表情が雨に濡れた子犬のように見えてベガは何かとても酷いことをしてしまったかのような心地になった。やっぱりアルタイルは自分だけ蚊帳の外だったのが気に食わなかったようだ。


 「しないわ」

 

 アルタイルはベガにとって他の友人よりも特別だ。ファム・ファタールで先に知り合っているため、僅かな差ではあるがベガの交友関係の中で一番長い付き合いであるし、犯人に立ち向かった時ベガに勇気を与えてくれる存在だった。


 本人は気づいていないだろうがあの時ベガはアルタイルのために必死だった。アルタイルの冷静さにベガは心が落ち着いたのだ。ずっと傍にいてくれて──傍にいなければならない状況ではあったがとても安心したのだ。


 きっとアルタイルの瞳を見て心が騒めくのは、あの事件の恐怖と安堵がごちゃ混ぜになって氷の掌で心臓を鷲掴みにされたような心地になっているのだろう。ベガはアルタイルにクラーやリゲルに対して感じている仲間意識とは別の仲間意識を感じていた。


 あの事件を共に経験し、切り抜けた仲間として。仲間はずれにできるはずもない。もうベガを形作る一部になっていて切っても切り離せない。


 講義が終わると教室から出る者や残って余韻に浸りながら生徒同士で議論を始める者など様々だった。ただの聴講生、しかも他学年のベガ達は残るようなことはせず、素早く教室を出た。


 アルタイルの表情は知的好奇心に満ちていて、すぐにでも先程の講義の内容を語り合いたい、できることならば朝までというような熱意が浮かんでいた。そして恐ろしいのはそのアルタイルの勢いに着いていけてしまいそうなリゲルだった。


 「とっても面白い内容だったね。早くこういった授業が多くなる日が楽しみだよ」


 「アル、気が早すぎ。でも楽しみってのはわかるかな」


 ベガはちょっとついていけないと感じながらも毎日授業でシリウスと会えるのはいいかもしれないと思った。授業中、ずっと眺めていても不審に思われないところがいい。


 「遺伝子の編集技術はもう動物なんかで行われているよね。研究資金を出す保守派が嫌悪感を露わにして、そういった研究は日を浴びてないけれど」


 アルタイルの言葉にベガは保守派と呼ばれる人たちを老獪なお爺さん達を想像した。きっと学院長のような人たちが顔を突き合わせて会議しているに違いない。貴族達は血統至上主義や外部から血を受け入れたがらない純血思想、魔力の強さが全てと言った印象を抱いていたがアルタイルやリゲルのような若い世代は柔軟な思考をするのかも知れない。


 「その技術を人間に使われたらって怖いんだろ。それにしてもバナフサジュ教授、保守派の爺共が聞いたら卒倒しそうな内容話してたな。余談で人間に使ったら…みたいな話してたし」


 シリウスは空想小説のような話だがと前置きしていた。遺伝子を自由に編集できる技術でデザイナーベビーができると話した。目や髪の色、容姿や能力まで好きに作ることができるという技術だ。 

 

 「俺みたいな容姿を偶然の産物ではなく、意図的に作り出せる」


 リゲルのような容姿は珍しいこともあって様々な偏見に晒されてきた。地域によっては呪術の道具とされたり、酷い迫害を受けたりすることもある。


 「青い目もいっぱい作り出せるね」


 そう言ってリゲルはベガの青い瞳を見つめた。青い瞳は邪視と呼ばれ、目を向けたものに不幸を与えるといわれる。魔女である女性が持つ特徴ともされてきた。ベガは迷信だと信じている。──魔女ならば魔法が使えてもいいのにと思うからだ。


 「なんだか人工的に…ってなると受け入れにくいわ。きっと神様の領域よ。人間が手を出すべきではない気がする」


 リゲルは少し噴き出すように笑った。


 「ベガ、保守派の爺さんみたいなこと言ってる。…でもまあ、デザイナーベビーが罷り通ったら親子の絆とかは希薄になると思うし、今の自然なままでいいと思うよ」


 ベガはよくわからないが、顔が似るというのは家族の絆を感じるのに必要なものなのだろうか。リゲルの言葉にアルタイルも頷いた。


 「僕もそう思う。倫理的に駄目だと思うよ。バナフサジュ教授はあくまで可能性の話をして、何故話したのかっていうとそれを避けるために言ったと思う」


 きっと過ちを犯さないように。そういう意図が含まれていたのだろう。シリウスはただ技術の進化を話しただけかもしれないが。

 

 廊下には聴講を終えて教室から出た外部の者が多かった。同じく制服を纏った者達も見かけるが、中には見慣れない異国の装束まで見える。ベガは長く暮らしていた交易都市アリエス伯領の空気に近いものを感じてきょろきょろと辺りを見回した。


 街中では雑多で砂煙が舞い上がるような印象だったが、学院内では見慣れない異国の装束も街中で見る者より洗練された印象を受けた。


 「外国からもシリウスの話を聞きにきてくれたのかしら。ねえ、アルタイル──きゃっ」


 隣を歩いてたはずのアルタイルの名前を読んだ時、ベガは誰かとぶつかった。そして廊下に転げてしまった。少しの衝撃でも吹っ飛んでしまうほど小さくて軽い自分の体をベガは恨めしく思った。


 「失礼、お嬢さん。大丈夫ですか?」


 ぶつかった青年は心配そうに眉を下げてベガに手を差し出していた。手には白手袋をしていた。暖かみのある濃い灰色のジャケット、ジャケットに合わせるような淡い灰色のベストとズボン、糊のきいた襯衣シャツの袖には黒瑪瑙と純金製のカフスボタン。その格好から出身階層は高く、清潔感溢れる人物だとベガは思った。


 明るいミルクティー色の髪は後ろに撫で付けられていてポマードを使ったかのように濡れていた。胸元に光るワインレッドのタイを留めるのもやはり金色のピン。

 体に散らばる小物は金で統一されていて、ミルクティー色に見える髪は光にあたれば砂色のような金髪に見えるかもしれなかった。

 

 「ごめんなさい。前をよく見ていなくて」


 ベガは差し出された手を掴んだが、その白い手袋に鮮血が滲みぎょっとして思わず手を離してしまった。よく見れば血を出しているのはベガの方で転げた時に擦りむいてしまった手から玉のようにふつふつと血が溢れていた。


 「血が出てる。私がぶつかったばっかりに」


 青年は手袋が汚れるのも構わずに離れたベガの手を掴むと、手巾ハンカチで傷口を包むように結んだ。


 「すぐ治るので!手巾ハンカチが汚れちゃう…」


 ベガの場合若いからすぐ治るという意味ではない。文字通りすぐに治るので、その場面さえ見られなければ大丈夫なのだ。手巾からも青年からもふわりと龍涎香の香りがした。


 ベガから手元から目線を上げると、透き通るような青と目が合った。先程、邪視の話を思い浮かべていたからかベガはどきりと胸が高鳴って唾を飲み込んだ。


 「大丈夫だよお嬢さん。怪我をさせてしまった私が悪いのだから。傷が残ったりしたら大変だ」


 傷口を痛ましそうに眺めた青年にベガはここまで心配してもらって申し訳ない気持ちが生まれた。ちょっと派手に血が出ているが傷口自体は少し擦りむいただけで大したものではないのだ。


 ベガは傷跡一つなく綺麗に治ってしまうがたとえ傷が残ったとしても小さなものだし薄くなると思う。どうやらこの青年はシリウスと同じく、過保護の気があるらしい。

 

 シリウスはベガが腕を馬車で引き裂かれた光景を覚えているから過敏になるのもわからなくはないが、この青年は見ず知らずの少女の少しの怪我に対しても過剰に反応しすぎている気がする。


 「あの…手巾ハンカチ洗ってお返ししますね。でも貴方は学院の生徒ではないようだから…どうお返ししたらいいでしょう?」


 ベガは手巾が巻かれた右手を摩りながらそう尋ねた。


 「返さなくていいよ」


 青年は微笑んでくれたが、ベガは申し訳ない気持ちで押しつぶされそうだった。手巾ハンカチは手触りからして高級品。お金持ちになると手巾ハンカチは簡単に手放せるものになるのだろうか。ベガにはわからない。


 「えっと…貰っちゃうのは申し訳ないです。そこまでしていただくのは…」


 貰っても扱いに困るというのがベガの本音だ。もしかしたら相手は洗ったとしても一度血が染み込んだ手巾ハンカチなど要らないのかもしれないが。

 

 「迷惑…ですか。ごめんなさい。妹に似ているものだから…つい」


 寂しそうに青年が眉を下げたのでベガは慌てて首を振った。


 「あっ、違います。ありがたいです。でもこれは高価な品物だし貰うのは気が引けるんです」


 返して相手が捨てるなら仕方がない。ただベガの手元には置いておけなかった。

 

 「スィン・アル・アサド学院は私の母校でして、今日は新しい教授の講義が気になって来たのです。しばらくは帝都に滞在しますから茎ノ日(すいようび)には図書館にいると思います」


 学院の図書館は一般公開されている。生徒だけでなく、地域の住民やわざわざ遠方からやってくる学者の姿を見かけることもある。生徒以外は貸出が利用できないので一般の外部から来た者の方が図書館の滞在時間が長かったりする。


 「返さなくてもいいですけど、どうしても返したいなら茎ノ日(すいようび)図書館で」


 そう言って青年は去って行ってしまった。廊下の先からアルタイルとリゲルが慌てて引き返して来ているのが見える。どうやらベガは周りを見渡した時に無意識に立ち止まってしまっていたらしく、それに気づかず二人はベガが付いてきていると思ったらしい。


 ベガの方を見たら姿がなく、しかもかなり離れていて転けていたのを見て慌てて駆け寄って来ていた。


 「ベガ大丈夫?転けてたけど…って手どうしたの!?」


 まるで包帯のように巻かれた手巾ハンカチはアルタイルの目には痛々しく写ったようだった。ベガ「全然、大丈夫なのよ」と言っても信じてもらえなかった。


 「アル…。心配だからベガの両端を俺とアルで固めて歩こう」


 リゲルは険しい顔つきで言った。まるで結論を告げるかのような口ぶりで。


 「大丈夫よ、私そんなことしなくても──」


 「ベガ。転けている君を見たときのリゲルと僕の気持ちがわかる?また発作で倒れたのかと思ったんだから」


 左右からベガを固めていれば倒れても支えられるというのがアルタイルとリゲルの考えらしい。二人はいつの間にかベガの左右に居てしっかり腕を組んでいた。まるでベガが連行されているかの様な形になる。


 「せめて、手を繋ぐとかにしましょうよ」


 この今まさに連行されてますという状態は周りに誤解を与える。ベガは妥協案として提案した手を繋ぐ案だが、ベガは両手が塞がるしこれはこれで周りに誤解を与えるため何の解決にもなってないと気づいたのは少し後のことだった。

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