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《8》星彩が煌めく ٤

 「行く」と言い切って飛び出したものの、ベガは寮の部屋の前で扉を開ける勇気が足りず、立ちすくんでいた。放課後、学院の敷地内は時間を潰せる場所は多くあり就寝時間近くにならなければ寮に人の姿は疎だ。


 寮の談話室では上級生が下級生達の勉強を見る自主的な勉強会が開かれており、部屋に来るまでに誰かとすれ違うことはなかった。勉強会に参加していない者も学院内に点在する談話室で自習したり、学生同士のちょっとした社交的な集まりに参加していたりするのだろう。


 そもそも部屋にスピカやミラはいるだろうかという不安が立ち込めていた。勢いに任せなければきっと成し得ないだろうとベガは思っていた。時間を置いてしまうと、一瞬の興奮状態である今のベガを包む熱は冷め悪い方向ばかりに想像が膨らんでしまう。


 「入らないの?なら、邪魔なんだけど」


 声の主は長い頭部の纏布をひらりと解く。砂漠の地域は直射熱もさる事ながら地表からの副射熱も相応で、砂からの反射は直射と変わらない。彼女の肌は日に焼けたら赤くなり、痛いだろう。

 

 露わになった燃えるような赤毛は炎のように彼女の白く細い首に緩く波打って纏わりついていた。身に纏っている服装はスィン・アル・アサド学院の制服ではなかった。


 「あっ…えっとクラー…さん?」


 ベガが寮にいた期間は短いが、その間クラーの姿を確認したことはほぼ無かった。


 「入るの?入らないの?」


 もう全生徒にベガの噂は広まっているはずだがクラーは初めて会った時と変わらず、何処か気怠そうな様子だった。


 「入りま─」


 その時、螺旋階段を誰かが上がってくる音が廊下に響いた。その音を聞いた瞬間、クラーの表情が変わる。


 「この足音…絶対にツィーだ」


 クラーはそう判断したあと迷いもなくベガの手を掴み、廊下を走り出した。ベガは廊下を走ってはいけないなんてことを忘れ「なんで私も!?」と叫ぶしか無かった。

 

 たどり着いたのは寄宿舎からは離れた鐘楼。生徒は立ち入り禁止のはずがクラーは当たり前のように鍵がかかっているはずの扉を開けた。鐘楼内の螺旋階段を登ると巨大な歯車が無数に噛み合う機械室がある。鐘は時計の同じく歯車によって動かされ決まった時刻になると鳴る。昔は手動で鐘を鳴らしていたらしい。


 「な…なんで、私まで」


 息を切らしながらベガはクラーにそう尋ねた。クラーは息を切らすどころか汗一つかいていない。


 「あの場に残したら、絶対私がいたこと告げ口しただろ。それじゃ困るの。特にツィーには」


 クラーはどうやら嫌なことがあると、ここでよくさぼっているらしい。口うるさくクラーを制御しようとするツィーのことをあまりよく思っていなかった。秩序の番人のようなツィーと自由人のクラーは相入れないだろうなとベガでも思った。


 「今から、ベガ。あなたを脅す。絶対にツィーや教師に告げ口しないこと」


 クラーはベガを壁に追い詰め、長い足で壁を蹴った。この誰もいない空間で逆らえるほどベガは豪胆では無かった。


 「あれ?私、名乗ったことありましたか?」


 初対面の時、クラーは名乗るだけ名乗ってあとは話を切り上げベガ達は顔を見合わせたような気がする。


 「学院内なら誰でも知ってると思うよ。有名人さん」


 クラーは口を片方だけ上げて笑った。その様子からベガを馬鹿にしたり非難するような素振りは全く見られない。


 「知ってるのに、私に普通に接してくださってるのですか?」


 クラーは一瞬だけ呆けたような表情をした後、わかったかのように一人頷いた。


 「個人的には同情してる。…いや、同情とは違うかもしれない。羨ましいって思ってる」


 今度はベガが一瞬呆ける番だった。どんな非難の言葉も覚悟していたのに。完全に想像でしかないが、彼女は低俗な罵詈雑言を並べ立てるより、ただ一言ベガの心を抉るような鋭利な言葉一つを置いていくように思えた。


 「魔法が使えないのが羨ましい」


 「嫌味ですか?」


 クラーが溢すように言った言葉に噛み付くようにベガは答えていた。もしかしたら自分は思っていたより劣等感が染み付いているのかもしれない。


 「嫌味じゃない。本当に。ここは才能が化け物ばかり集まるから感覚がおかしくなるけど、世界のほとんどは魔法なんて使えないほどの微弱な力しか持たない人で溢れてる。庶民の中で生きるなら、その体質も気にせず生きていける」


 クラーは息を吐いて、髪をかきあげた。どうやらそれが癖らしいということをベガは感じ始めていた。


 「でも、ここだと私の病気の治療法の研究が進むんです」


 正確には進むなんて確証はなく、可能性が高まるだけだが知識のない人の中に埋もれていれば助かる可能性は低くなる。


 「ああ…。研究対象?だっけ」


 クラーの問いにベガは黙って頷いた。なんだか自分がモルモットになったようで嫌な言い方だったがそれ以外にベガを表す言葉がない。学院は普通の生徒としてベガを受け入れたわけではないのだから。


 「魔法が使えないのが羨ましい?ふざけないでください。恵まれてるのに、なんて贅沢な考えなんですか!」


 今まで押し込めていたものが濁流のようにベガから溢れてくるのを感じていた。クラーの無遠慮な物言いがベガの逆鱗に触れたのかもしれなかった。


 「私がどれだけ痛いか知らないでしょう!気を失うような痛みなんです。末端から肉が粉々になるみたいなんですよ。魔法が使えないって痛いんです!生きてるだけで痛いんです!」


 その痛みを代償に魔法が使えるのだったらまだましだったかもしれない。しかしベガの痛みは生きる代償なのだ。「息をするだけで痛い」は比喩ではないかもしれない。


 「それを羨ましいなんて」


 発作の痛みで泣き叫んだり、のたうち回ったりしたことはあるが自分の辛さを話したことはシリウスにさえなかった。そんなことしたらシリウスは自分の無力さに打ちひしがれるだろうと分かっていたから。


 どれだけ自分が痛くて辛いと話したところで可哀想だと思ってもらいたいだけに受け取られてしまう。

 

 ベガの悲痛な叫びが響いていた。クラーは大人しそうなベガが感情を剥き出しにして噛み付くように叫んだのがよっぽど予想外だったのか目を開いて固まっていた。


 そしてしばらくしてから絞り出すように掠れた声をクラーは出した。


 「…ごめん」


 クラーの魔法が使えないことが羨ましいと言ったことは決して軽々しい冗談などではないことは表情から何となく察しはついていた。これはベガの八つ当たりだった。それに気がついたベガは申し訳なさからクラーから顔を逸らした。


 クラーはベガから少し離れて床に座り込む。張り詰めていた緊張を解くように。それから自分の言動を反省するかのように言い訳──理由を語り始めた。


 「いきなり感情剥き出して言葉で殴ってくるような相手、久しぶりだからちょっと興奮で震えてる」


 そう言ってクラーは手をベガの前に突き出した。少し震えているようにも見えるが恐怖からではないだろう。「殴ってません」とすかさずベガは否定した。同年代の中でも特に小柄なベガが身長が高い方に属するクラーを威嚇できるほどの力を持ち合わせていない。


 「この学院、属領出身者でもその国のやんごとなき家柄ばっかりだからさ。いつも本音を隠してばっかりで話しても楽しくないことばっかりだったんだよね。結局はさ、魔力が強いって人殺しの力が強いみたいなものじゃん?」


 「そんなことはないと思いますけど…」


 ベガは瓶の中に花を咲かせる授業を思い出す。魔法は綺麗なものだ。しかし歴史学で習ったように魔法を軍事転用する話ばかりが盛んだったのも事実。


 「時々、就学前の子供で魔力を暴走させることがある。何の目的もない、行き場のない魔力はただの暴力で周りに牙を剥く」


 クラーは昔を懐かしむような遠い目をしていた。寂しそうというよりは悲しそうな声を出して。


 「私は幼い時にそれを起こした。家はどこにでもいる普通の家庭だったから、父親が母親の浮気を疑って家を捨てた。私と母の二人暮らしになった。感情が昂ると私は暴走した。何度目かの暴走で、私はついに母を殺してしまった。事故ということで処理されて私は母の兄と名乗る人に引き取られた」


 クラーは淡々と語った。何でもないことのように。同じ部屋が嫌だと部屋を変わってしまった人達のことを言っていたように。


 「兄──正確には異母兄で、母は妾の子だった。その貴族の家の魔力が私に隔世遺伝した。伯父夫婦のところの子供はあまり才能に恵まれていないみたいだった」


 クラーの魔力暴走を公的機関に頼るという選択肢は彼女の母親には存在しなかったらしい。夫に捨てられ精神的に不安定になった母親は元から自分一人で抱え込む気質だった。


 「私はいきなり現れた親族を信じられなかったし、それは向こうも同じだった。私はスィン・アル・アサド学院になんて通いたくなかった。そもそも魔力さえなければ、今も家族で幸せに暮らせていたと思う」


 ベガはクラーから淡々と語られた壮絶な過去に言葉を失っていた。特に母親を自分のせいで失ってしまったところなど感情が溢れても仕方がないのにクラーは何処か他人事のように語った。


 母親の死の場面はクラーの中で鮮烈に焼き付いているだろうし、伯父一家に引き取られたところも出された僅かな情報からクラーの扱いがあまり良くないものだったと想像できる。


 彼女が学院の規則を片っ端から破るのは、伯父達に対する反抗なのかもしれない。


 「無神経なこと言った。だから私もあんたに弱点を晒す」


 クラーは掌で頬を包むようにして赤い唇を怪しく弧を描くようにした。ベガのことはもう周知の事実と言っていいが、クラーの話は誰にも話したことがないものだった。


 そんなことが公になれば、幼かったから、事故だったからと許されようとも周りからの好奇の目に晒されることになるだろう。心無い言葉をかけられるかもしれない。子供は残酷だ。傷ついているクラーになんの躊躇いもなく人殺しと叫ぶかもしれない。

 

 「私がそのことを言いふらすとは考えなかったんですか?」


 「別に。私の評判は元から最低だし、退学になってもいい。この学院に未練なんてないし、元から入りたいなんて思ってなかった」


 ベガも元々入りたかったわけではない。それなのに現状を辛く感じるのはまだ未練があって、学院に期待しているのかもしれない。ここでなら、自分が助かるかもしれないという期待が。


 体全体がびりびりと震えるかのような大きな音に包まれた。晩鐘が鳴っているのだ。こんなにも体全体で音を感じるのは今ベガたちが鐘楼の内側にいるからだった。


 「あー…ここ、滅多に人が来ないし口うるさい寮長や番犬の副寮長が居ないのはいいけどこの音はびっくりするよね」


 クラーはベガを見て笑った。そんなにベガが面白い顔をしていたのかもしれないが鏡がないこの場所ではベガはなんで笑われたのかがわからなかった。「何がおかしいんですか」とベガは眉間に皺を寄せる。クラーは「驚きすぎ」と目尻に涙を浮かべるほど笑っていた。失礼な、とベガは思いながらも先ほど自分の過去を語った時のような深刻な顔をされるよりずっといいと思った。


「この時間なら、あの二人帰ってきてるんじゃない」


 クラーの言うあの二人がスピカとミラを指していることがわかった。どうやらベガはシリウスだけではなく付き合いが短いクラーにすら考えていることはお見通しだったらしい。私ってそんなにわかりやすいかしら…とベガは心配になった。


 「私はもう少しここにいる。急に連れてきて悪かったな」


 クラーは座ったまま動こうとしないので、本当にこのまま居る気なのだとベガは悟った。「じゃあ、私はこれで」ベガはクラーに背をむけ螺旋階段を降りていく。少し降りたところで、ベガはもう一度駆け上がると「就寝時間までには戻ってきてくださいね」と言うとまた階段を駆け降りた。


 後ろからは「考えとく」とやる気のない言葉が返ってくるだけだった。



******



 寄宿舎の長い廊下を歩きながら、クラーと話したのは結果的に良かったかもしれないとベガは思った。少なくともクラーは積極的にベガを害そうとする意思はないし、むしろ味方に近いと言ってもいいかも知れない。


 そしてクラーは部屋にスピカとミラがいないことを知っていた。あのまま一人、部屋で二人を待っていても心細くなって途中で逃げ帰ってしまったかもしれない。


 一度、扉の前で深呼吸した後ベガは扉を開けた。着替えなどは寝台のカーテンを閉めて見えないようにするのが暗黙の了解となっている。


 部屋には机に向かっていたミラと寝台に腰掛けていたスピカが驚いたようにこちらを見ていた。その瞬間、血の気が引いていくような感覚がベガを襲った。発作のようにも思えたがこれはきっと精神的なものだ。


 何を言われるのだろうかと、目を瞑りそうになる衝動を抑えて身構えた。


 「ベガ、帰ってきた…」

 

 ミラがそう零した時、スピカが寝台から跳ねるように立ち上がりそのまま突進する様にベガに飛び付いた。


 「よかったぁ!帰ってきてくれたんだよね、ね!絶対そうだよね。荷物取りに来ただけとか言わないよね」


 子犬が戯れているような感覚にベガは陥った。スピカは子犬の様な態度と顔、あとはお日様みたいな匂いがする。何故だがベガは鼻の奥がツンとしてきた。


 「スピカ、急に飛びつかないの!ベガの服で涙拭かない…ってベガも泣いてる?」


 机に向かっていたミラがスピカを引き剥がすためにため息を吐きながら近寄ってくる。少し見ない間に本人は不本意だろうがスピカのおもり役が板についてきている様に見えた。


 「泣いてないわ」


 ベガはミラに顔を見られない様に顔を逸らした。掛けられる言葉が罵詈雑言ではなかったことに安堵したらしい。開口一番「魔法も使えないくせして、どの面下げて帰ってきたのよ」くらいは覚悟していたというのに。


 ベガはスピカに一方的に抱きつかれている形からおずおずと自分もスピカの背に腕を回した。友人間での抱擁は初めての経験だった。


 「──いつまで、抱き合ってるのよ!長すぎよ」


 ベガとスピカの周りをちょっと気まずそうにミラがうろうろとする。スピカはミラをじっと見つめると、ベガの背に回していた腕を片方解いてミラへと向けた。


 「ミラだけ仲間はずれにしてごめんね。さぁ!」


 「さぁ!…じゃないのよ。何を求めているのよ私に」


 顔を少し赤らめもじもじしているミラにこの時だけはベガとスピカの心は通じた様な気がした。空いた片腕でミラも巻き込んで三人で抱き締め合う。

 

 「スピカ!私の服で涙を拭かないでよ」


 ミラは口では嫌々と言った様子だったが、表情では仕方がないと言った様子だった。抵抗もせず、なんならベガとスピカの背に腕を回していた。


 しばらくそうしていた。誰からとも言わずに離れて抱擁は終わったが胸に残る少しの照れは全然終わってはくれなかった。

 

 「二人に言わなきゃいけないことがあるの」


 ベガはそう口にしていた。騙していた罪悪感に押しつぶされそうだったのだと口にして初めて自分は色々と限界に近づいていたことに気づいた。


 自分の病気についてベガは話した。二人がそれを仮病だったり可哀想な自分を演出しているなどと悪く言うことはなかった。噂は真実に近いものから全くの出鱈目のものまで飛び交っていたが、二人はベガから聞いたことしか信じないと言ってくれた。


 ベガは噂が流れ始めてから人を避け、シリウスの部屋に入り浸るようになっていたので知らなかったが今、学院では「学院側が許可したのだから我々生徒が何か言うことではない」という意見が主流になっている様だった。


 その意見の中心にはとある一年生の男子生徒二人がいると言う。二人の実家は高貴な地位であり発言力も高くそれに連なる家の生徒は表向き不満は飲み込んでいるらしい。


 「それって、もしかしてアルタイルとリゲル?」


 「()を付ける。様を!まあ、そうね。馬鹿な人達がベガを悪く言ってあの二人に意見を仰いだのよ。そしたらすぱっと言ってくれたのよ。私見ていてすっきりしたわ」


 ミラは誇らしげに教えてくれた。横でスピカも何故か誇らしげにしている。特別扱いされている、贔屓だ、などの意見はこれからも流れるだろうが表向き声高に語る者達は居なくなるだろうというのがミラの見解だ。


 「ベガって稀な症状なんでしょう?きっとこれからの医学や魔術を発展させるために生まれてきた特別な…選ばれた人なんだよ」


 スピカがそう励ましてくれた。そんな考え方をしたことがなかったベガはスピカの言葉に心が軽くなるのを感じていた。すれ違っていた時間を埋める様に話し込めば、就寝時間はあっという間にやってきた。クラーはいつも通り帰ってこなかった。


 慣れてしまった三人はさしてそれが重大なことでもない様に寝台に入ると部屋の明かりを消した。窓から入ってくる月明かりが、天蓋に縫われた銀糸を光らせていた。


 その様子にベガは砂漠の夜を思い出す。帝都の中にある学院からでは街の灯りで星は霞んでしまうが、灯りのない砂漠はよく星が見えた。そんな夜をベガは蒸気機関【ファム・ファタール】の寝台車の窓から目にしていた。遠くには砂漠を渡り歩く遊牧民族の砂漠の民や駱駝の黒い影が見えた。


 ただの星を象った銀糸だが、星彩が煌めいている様に見える。気持ちの持ち様でこうも目に見える光景が違うのだとベガは実感していた。


 「ベガ、眠れないの?」


 「眠れないのはスピカの方なんじゃない?」


 ミラを起こさない様に小声でスピカがベガに話しかけてくる。確かに目が冴えてはいるが、受け入れられた安堵でじきに眠りに落ちるだろうとベガは考えていた。


 いつのまにかスピカは寝台を抜け出してベガの寝台の近くに来ていた。


 「うん。私眠れないの。ベガがまだ起きてるならお喋りに付き合ってよ」


 スピカと話すのも久々なので「ミラを起こさない程度なら」とベガは頷いた。スピカの碧眼が星彩のようにベガの瞳に映った。

 

 「わたし、言ったんだ。ベガが温室からいなくなっちゃった後に三日月学級アルテミスの人達に」


 それはとっておきの秘密を打ち明けるような独特の雰囲気に満ちていた。

 

 「ベガは学級で一番綺麗な魔術理論を構築するよって」


 古代の魔法は現代から見れば時代錯誤な理論構成をしている。勿論、魔術理論には時代によって流行り廃りもあるが現在は古代から連綿と続く魔術理論は時代を経て無駄なものを削ぎ落とし単純化したものが採用されている。


 優秀な者とは魔法を発動する際の工程をいかに素早く無駄なく行えるかということに尽きる。「我、希う」から始まる詠唱も何人もの学者達が研究に研究を重ねた結果、生み出された究極の形体と言っていい。


 「あの人達、実技はできるのに頭は馬鹿だったよ。きっと座学じゃ誰もベガに敵わないよ」


 ベガはその慰めに少し頬が緩むのを感じたが現実は痛いほどわかっている。


 「実際に出来なきゃ意味ないのよ」


 ベガの頭の中にシリウスの声が蘇る。昔、シリウスが語った話だ。真剣な顔をして「怖がらせるつもりはないが、言っておかなければならない」と前置きをしていた。

 

 細胞が死んでいき、その度に蘇るベガの身体だが寿命に影響をきたす。細胞の分裂限界を迎えると、そこで終わり。だからシリウスは焦っている。ベガにはもう時間が残されていないから。


 もしかしたら一番諦めているのはベガかも知れない。きっと自分が治ることはない。治って痛みに耐える日々が終わることも自身が魔法を使える日も来ない。


 シリウスを信じていないわけではない。きっと彼なら自分を治してくれると信じている。しかし矛盾した思いを抱えている。信じているのではなく縋っているのかもしれない。信じていないと怖くて怖くて堪らないから。


 死んだらどうなるの?


 死ぬのは痛い?


 それとも寒い?


 暑い?


 死後に救いは訪れる?


 いつか復活する?


 審判にかけられる?


 生まれ変わる?


 楽園で暮らす?


 地獄に落ちる?


 もしかしたら死後の世界なんてなくて何もないのかもしれない。

 

 意識も何もかも無くなって、ベガという存在が無くなって。そこで終わりなのかもしれない。それを考えるととても怖い。いつか忘れられて、ベガという存在が最初からなかったことと同じになって。誰もベガがいたことを覚えていないなんて。


 発作の度にいつも死がベガを手招きしているように思える。死が身近にあっていつそちら側に転げ落ちてもおかしくない。影のようについてきてはいつもぴったりベガにくっ付いている。


 「じゃあ、ベガの代わりに私がやるよ。私座学は全然駄目でさ。理論も全然わからない。実技はいつも感覚でやってる!」


 誇る事ではないはずなのにスピカの顔は自信に満ちていた。スピカは意外と天才肌なのかもしれないとベガは感じていた。


 「ベガが理論を構築してさ、私が実際にやるの。どう?完璧じゃない?」


 何がどう完璧なのかはベガには全然わからなかったがスピカがそう言うのなら何故だが出来てしまいそうに感じていた。


 「ありがとう、スピカ」


 「ね!いい考えでしょ」


 スピカは満足そうに笑っていた。それにつられてベガも嬉しくなる。スピカやミラがベガを悪く言うに違いないなんていう想像は二人に対して失礼だった。どうしても今までの経験から周りを敵と認識して自分を守ろうとする癖があるようだった。


 本当に心を許した存在であるシリウスが世界で唯一の味方だと思い込んでいたような気がした。シリウスが味方がいると言ったのはスピカやミラのことだったのかもしれない。好意的に解釈すればアルタイルやリゲルもベガの敵ではないかもしれない。


 「やっぱりベガは特別だね」


 スピカはそうしみじみと言った。彼女はベガの事を選ばれた人と表現したが、今までベガは自分のことをどちらかと言えば選ばれなかった人だと考えていた。幸福になるのに選ばれなかった人だと。


 周りが当たり前にしていることがベガだけできない。親から捨てられたのは選ばれなかったと同義だ。ベガを育てると言う選択肢が選ばれなかった結果だ。

 シリウスだけがベガを選んでくれた。何にも選ばれなかったベガをシリウスだけが。


 「そう言ってくれたのスピカが初めてよ。私にとってはスピカやミラ…周りの皆んなの方が特別に見えるわ」


 スィン・アル・アサド学院にいると言うだけで世間一般から見れば特別だろう。魔術実技が優秀なスピカは実技の授業が始まってから一気に学級の中心になっていた。その様子はベガの目にスピカが才能に恵まれた人の中でも頭ひとつ飛び抜けた特別な存在に映った。


 「私も特別って言われたの初めてだよ、ベガ」


 スピカの色素の薄い金髪が月明かりに照らされてきらきらと光っているように見えた。瞳も髪も照らされて光るなんて妖精みたいだとベガは思った。儚い雰囲気に映るのが羨ましい。


 「パーパもマーマも私を特別って言ってくれなかったんだぁ。言われるのはいつも妹ばっかりでさ。私はパーパにもマーマにも似なくてさ、似てる妹ばっかり可愛がられてるんだぁ。勿論、妹が生まれるまでは私も愛情を注がれてた自覚はあったんだけど、やっぱり年下で自分に似てる子の方が可愛いよね」


 若いって羨ましいね、と歳に似合わない年寄りのようにスピカは呟いた。しかし直ぐに愚痴っぽくなっちゃったねと笑って誤魔化そうとする。スピカの寂しそうな表情がベガの胸に刺さった。


 乾いた砂漠のような悲しみをベガは知っている。ずっと孤児院でベガは待っていた。そしてシリウスが現れて今はベガは満たされているが、スピカはどうだろうか。


 最初から両親という愛情を与えてくれるはずの存在がいても与えられない悲しみはどれほど深いのだろう。ベガのようにまだ見ぬ存在を夢想して待ち続けるより目の前で与えられない苦しみは幼い心にどれだけ傷を負わせるのだろうか。


 「ねぇ、スピカの家は外国にあるわよね?」


 その色素の薄い儚げな容姿は帝国の原住民にはあまり見かけない。混血が進んでいるとしても金髪は劣性遺伝子、太陽に愛された褐色の肌と黒髪が多い帝国人にしては珍しい容姿だ。


 「うん。ラト・イスリア」


 帝国からは遠い異国だ。そんな中、齢十歳の少女が親元を離れ異国の全寮制の学院に入る。長期休暇には帰れるだろうが頻繁には帰れない。外泊許可を取って週末だけ家に帰ることは。


 「帝国臣民権を獲得するためにっていうのは建前なんだ。本当はあの家にいても居心地悪いだけだから逃げるように出てきた。だから寮が家みたいなんだ。仲良くなってくれてありがと」


 スピカは照れ臭そうに言った。部屋はもう灯を消しているからわからないがきっと少しは赤くなっているとベガは思った。


 「おやすみ」


 言い逃げするようにスピカはそれだけ口早に言うと自分の寝台へと戻り勢いよく潜り込んだようだった。

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