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《2》砂漠鉄道 ٢

 真っ青な空から日の光が大地に降り注いでいた。変わり映えのしない死の大地、砂漠が車窓から広がっている。


 車両の廊下。天井から垂れ下がる硝子やビーズが付いたランプがチカリと瞬いた気がした。鈍い金色──銅色にも見える手押し車を押して、清潔な白いエプロンを身につけた女性乗務員の後を追いやっと追いついた所だった。ベガの他にも客がおり、手押し車の車輪は止まっている。


 女性乗務員に財布を出しながら近づいたベガが異変に気づいたのはアルタイルより少し遅かった。ベガはアルタイルに腕を掴まれ後ろに引かれた拍子に財布を落とした。床に硬貨が落ちる音を聞きながら、やっとベガは異変に気がついたのだ。


 客だと思っていた男は覆面を被り、手には銃器を持っていた。


 「おとナしくシロ!」


 覆面の男は下手な帝国語でそう言った。だがベガも…おそらくアルタイルも男の持つ銃器から目が離せなかった。男は銃器で女性乗務員に向け胸をぐりぐりと抉る様に押し付けている。


 乱暴に客室の扉が開く。種類が定まっていない銃器を持った粗野な覆面の男たちが客を廊下に出す。怒っている様に吐き出される言葉は帝国語ではなかった。


 覆面から覗く僅かな肌、その目元を見てベガは気づいた。忘れるはずもない。憎き男、花押スタンプの仇。


 その他大勢の客と同じ様にベガとアルタイルは後ろ手に腕を縛られ、長い列車の端のほうまで連れていかれた。背中を蹴られ倒れる様に押し込まれのは操縦室とおぼしき場所だった。


 「ベガ、大丈夫?」

 

 誰もが不安そうにする中、自然とベガとアルタイルはくっつく様に隣り合った。知らない人の中で少しでも知っている人の傍に居たいのかもしれない。あたりを見渡すが、シリウスやポラリスの姿はなかった。


 「平気よ。これくらい痛くないもの」


 ベガの言葉をアルタイルは心配させないための強がりと思ったらしい。蹴られた背中をさすろうとして、後ろに縛られた手ではうまくいかなかった。


 「僕に寄りかかっていいよ」


 「本当に平気だってば」


 ベガの声には不安が滲み、少し震えている様に見えた。そして何よりベガはそっぽを向いてアルタイルの方に顔を向けてくれない。アルタイルは落ち着かせる様にベガの耳元でベガがやっと聞き取れるほどの声で囁いた。


 「あの人達、列車強取トレインジャックの犯人達は属領系の人だと思うよ。早口だったからあまり聞き取れなかったけど、シュハラントの言葉を喋っていたと思う」


 大陸の北に位置する大国。山脈に囲まれており、国土も三分の一が山岳地帯という厳しい土地柄で寒さも相まって農耕に適した土地では無い、帝国の属領下に置かれているシュハラント神聖国のことだ。


 彼の国を飲み込んだことでシャペリエは大陸の覇者となった。しかし広大な国を飲み込むということは帝国にとっていいことばかりではなかった。

 

 シュハラントも帝国に飲み込まれる前は属領を抱える大国だった。属領の君主の任命権を帝国中央が掌握しているのみで原則自治に委ねられ、固有の宗教や生活が許されているシャペリエとは違い、シュハラントの統治は属領の信仰や文化を徹底的に踏み潰し自国の唯一神を崇める信仰を強制し徹底的に改宗させた。


 同じ神の元に集う人々の団結力は強く、近年独立の気運を高めている。様々な宗教が混在する帝国という大きな枠組みではなし得ないことだった。


 「僕達のことが知られていた…?でも母上はお忍びだって…」


 アルタイルはベガが聞いていることを一瞬忘れて自分の思考を整理するように呟いていた。


 「あっ、でも大丈夫。列車は給水作業中で止まってるから走行中よりまだ状況はいい方だと思う」


 慌ててアルタイルはベガを安心させようと言葉を紡いだ。その時耳を裂く様な赤子の泣き声が響く。赤子は母親の胸に落ちない様に布と紐でしっかり固定されていたが母親らしき女性も腕を後ろに縛られているためうまく上手くあやせず、泣き止ませれなかった。


 母親は恐怖で今にも死んでしまいそうなほど青褪めている。操縦室の前で見張りをしていた犯人の一派の武装した男が苛立たしげに扉を蹴って中に入ってくる。


 「クソッ」


 男は操縦室を見渡し、泣いている赤子を見つける。母親は目があった男を見て小さく悲鳴を漏らした。


 「ハヤク、泣き止まセろ!」


 男は苛立たしげに銃を向ける。ざわめきの様な悲鳴が小さく波紋のように広がった。


 『連中がこんな早く追いつくなんて』


 男が漏らしたシュハラントの言葉の呟きをアルタイルは聴き逃さなかった。


 「もしかしたらもう、軍か自治警察が辿り着いているのかも。列車は止まっているし、何なら包囲してるのかも」


 アルタイルはそっとベガに耳打ちする。


 「じゃあ、人質の私達が中にいると思うように突入できないのかしら」


 布で隠された車窓の外に人がいる様な気がしてならない。もしかしたら助けはすぐ近くに来ているかもしれないのに。その時、ベガの手に動物の毛の様なものが当たった。ベガが少し体を捩るとそこには見慣れた砂漠狐エステルがいた。


 「エステル?」


 そんなはずがないとベガが目を瞬いてもエステルは変わらずそこにちょこんと座ってベガを見上げていた。エステルはベガ達の二等車の客室からよくわからないが脱出し、先程犯人一派の男が操縦室の扉を開けた隙に入ってきたのだろう。


 犯人一派の男は忌々しくシュハラントの言葉で悪態をついた様だった。意味はわからなかったがよくない言葉であることはベガにもわかった。アルタイルは聞き取れたらしいが、わざわざベガに翻訳しなかったところを見るに、相当酷い言葉だったのだろう。


 「エステル、縄を噛みちぎることはできる?」


 砂漠狐の牙は鋭く、甘噛みでも痛い。細い縄くらいなら噛み切ってくれるだろう。問題はエステルがベガの意思を汲み取ってくれるかである。


 (お願いエステル。あなたは賢いこよ)


 するとエステルはベガの指の匂いを嗅ぎ始め、徐々に縄へと近づくと縄に噛み付いた。同時にベガの手首の皮膚にも牙が当たったがこれくらいの痛みならベガは気にも留めなかった。


 「わあ…!可愛いこだね」


 アルタイルはベガにぴったりとくっつき共に背中でエステルを隠しながらそう言った。エステルが縄を齧る音は赤子の泣き声にかき消されていた。あと苛立った男の靴が床に打ち付ける音も。


 男が操縦室を見渡す。ベガ達は後ろにエステルを隠しているため体がこわばった。男はそれを見逃さなかったらしい。


 「おイ、お前。随分いい身なりをしてるじゃないか」


 男はアルタイルを見て苛立たしげに言った。赤子の声が彼を苛立たせ、思考を鈍らせているのかもしれない。


 「ムカつくんだよなぁ。俺たちから搾取してふんぞり返ってる金持ちが」


 アルタイルの身なりは一目で上流階級の出身だとわかるものだった。身に纏う雰囲気が他とは一線を画す。

 帝国は様々な宗教、民族を擁する巨大な国家だがその頂点に君臨する支配階級は古くから帝国の土地に根ざす「帝国人」だ。属領の信仰や民は帝国にとって庇護民の様に扱われてはいるが、帝国人と属領人には大きな隔たりがある。


 一つ、人頭税。属領人が帝国に納める税は帝国人より高い。そして賃金は低く設定されている。存続を許された信仰は基本的に帝国人に布教は許されていない。属領の王家などは「国王」の称号を認められ、統治権こそないものの存続している。


 一つ、軍役。属領人は帝国の法で成人となる17歳になると五年の軍役が強制される。それは男も女も関係はない。属領人兵士は危険な地や戦地の最前線に投じられ、その命は帝国人兵士より軽んじられる傾向がある。


 他にも様々な規制があるが大きく二つが属領人の義務と言われている。そんな属領人は帝国臣民権と呼ばれる帝国のために功績を上げたものに与えられるという曖昧な基準の権利を得て初めて、帝国籍を手に入れ帝国人と同等の権利が与えられる。

 

 帝国臣民権を得る近道はやはり戦場で功績を上げる事であり、近年の帝国では帝国人の血を流さず領土を拡大している。これを人々は「喜びの戦争」「無血の戦争」などと称し、属領人ならいくら死んでも構わないという帝国軍の上層部の意識が透けて見える。


 これが近年、属領が独立の気運を高めているなどと騒がれる原因だ。


 「綺麗な顔がぐちゃぐちゃにならナいト気が済まねぇナ」


 ベガにはこの男がアルタイルに何をするのかわかってしまった。いや、ベガの貧弱な発想よりもっと酷い事をされるかもしれない。アルタイルも自分の行く末が酷いことになると想像がついているのか美しい顔を歪めている。


 「やめて!」


 ベガは思わず口を開いていた。アルタイルが驚いた様にベガを見ている。アルタイルは手が自由だったらすかさずベガの口を押さえただろう。


 「酷いことしないで!」


 「ああ?」


 男は低い唸り声の様な声を出した。アルタイルは男が銃をゆらゆらと揺らしているのを見る。今はまだ銃を使う気はないのかもしれないが、変わらず手に握られているうちはいつ撃たれてもおかしくなかった。


 「私、持病があるの。もしこの子に酷いことしたら私はびっくりして心臓が止まっちゃうわ。本当よ!医術師おいしゃさまにもそう言われているの。貴方は大切な人質が死んで…可哀想な女の子の死体を外に運び出す作業をしなくちゃいけないわよ」


 ベガの一世一代の大勝負と言っていい訴えを男は鼻で笑う。ベガの声と足が震えているのに気がついたのかもしれないし、ただの虚勢だと思ったのかもしれない。


 「別ニ窓から捨てるだけだ」


 「本当に?窓を開けられる?」


 窓は黒い布で覆われて隠されている。


 「窓を開けたら眉間に一発!よ。だってもうこの列車は軍だが自治警察だか知らないけど包囲されてるわ。列車が止まってたのが良くなかったわね」


 随分、無茶苦茶で馬鹿なことをやっているという自覚があった。願うならばこの男もベガ並みの馬鹿であって欲しい。


 「人質の後始末は人質にやらせたら解決だ」


 「あら?貴方ってちょっと頭が弱いのね。私達は手を縛られてるのよ?私の死体を処理したいなら相当な力仕事だから男の人が適任よね。でもそれには縄を解かなきゃいけない。そうすると縄を解いた隙に貴方は反撃されちゃうわ」


 ベガの手から縄の圧迫感が消える。エステルが噛みちぎってくれたのだろう。しかし縄が切れたのを悟られない様にベガは腕を後ろにしたままだった。 

 もし犯人の男が反撃を恐れ、ベガの死体を捨てるのを女性や子供に任せたら。きっと非力なため窓の高さまで冷たく重くなったベガを持ち上げるのは一苦労…無理だろう。

 そうなると列車の出入り口から転がす様にベガを外に捨てるしかなくなるのではないだろうか。しかし窓はおろか列車の出入り口の扉を開けて仕舞えば犯人達の首を自ら絞めることになる。


 「貴方は人質わたしを殺せないわ」


 もし、男が死体を列車内に残すことを選んだら。しかしそれはない様に思える。ここは灼熱の砂漠のど真ん中。死体は干からびるだけでずっとそこにいる。そんな不気味な空間にこの男も居たいと思うはずがない。普通なら。


 男は殺せないなら、苛立ちをぶつけるため痛めつけるという選択をとった様だ。当初からその予定だったのだ。痛めつける相手が金持ちのいけすかない子供から生意気な子供に変わるだけだった。


 男は銃で撃つのではなく銃で殴る事にした様だった。銃を振り上げ、ベガの顔──特に左目の上の辺り目がけて振り下ろされる。


 「ベガ!」


 アルタイルは体がベガを庇う様に飛び出しそうになった。しかし腕に牙が刺さった様な激痛と強い力で後ろに引き戻され、なす術もなくベガが痛みつけられるのを眺めるしかなかった。アルタイルを引き戻したのはエステルだった。アルタイルを引き戻そうとしたのか縄を齧ってくれようとしたのかはわからなかったが。


 ベガの瞼は切れ、血の滴が滴り落ちる。元々目の周りの皮膚は薄いのに硬い銃で殴られたなら血が出るのも当然だった。もしかしたら眼球も損傷しているかもしれない。


 その時、荒々しく扉が開く。覆面を被った犯人一派の仲間らしき男が入ってきた。男は仲間がきたので張り詰めていた緊張が解けた様に見えた。しかしベガは新しく入って来た男の胸元に見慣れたターコイズの徽章を見つけた。


 「その子に触るな!!」


 入って来たかと思えばすぐさま銃を叩き落とし蹴り飛ばすと腕を捻り上げ、男の頭蓋を掴むと容赦なく床に叩き込んだ。骨が折れる様な鈍い音と顔が床にめり込んだかの様に見えた。


 「シリウス!」


 ベガは顔は見えずとも覆面の男をシリウスだと確信した。シリウスは暑い…と言わんばかりに覆面を脱いだ。首筋には汗が伝っている。

 ベガは後ろに回して縛られたふりをしていた手を解き、シリウスに駆け寄った。その状況から、シリウスが犯人一派の仲間ではなく人質の味方であることを理解したのか歓声が徐々に大きく広がり始めた。

 

 「ベガ、怪我をしている」


 シリウスが苦しげにベガを見つめた。流れる血の珠に触れようと手を伸ばし、触れると痛みが走ると思ったのかシリウスの手は不自然に宙で止まった後引っ込められた。


 「ちょっと血が出ただけよ。それよりシリウス、みんなの縄を解いてあげなきゃいけないわ」


 痛々しく血が流れる様をベガは気にした素振りも見せなかった。その時、アルタイルの縄もエステルによって噛みちぎられていた。アルタイルは近くにいた人の縄を解き出す。


 「若い兄さんや、わしらのことは後でいいからまずはそこの勇敢なお嬢さんの手当てをしてからにしてくれないか」


 上品な服装の──おそらく特等寝台車の客の一人であろう老紳士がそう言うと、周りの客達も同じように頷いた。泣き叫んでいた赤子すらも泣き止んでいる。やはり周りの感情を感じ取ったからなのだろう。


 「大丈夫。痛くないから」


 シリウスはベガにハンカチを渡し、傷口を押さえておく様に指示すると他の人の縄を小刀で切り始めた。あれは解剖刀メスではなかろうか。シリウスは専門は外科じゃない…とかなんとかいつも言っているが、鞄の中には解剖刀メス、鉗子といった類のもの、酒精アルコールや麻酔薬なんかを入れている。


 シリウスやアルタイルが手分けして縄を解いていく。解かれた人がまた近くの人の縄を解いていく。傷口を抑えていなければならないベガは片手では手伝いができなかったので、その光景を眺めていた。


 犯人一派の男はあまりの衝撃だったのか失神している様で倒れたまま動かなかった。脳震盪というやつだろうかとベガはぼんやり考えていた。


 その時、ぴくりと床に倒れ伏す男の指が動いた様に思われた。周りの人達は解放された安心感で気づいていない様だった。解いた縄で男を縛った方がいいだろう。そう思いベガが男に近づいた時、男は隠し持っていたナイフをベガに向かって振り上げた。


 小さな半月刀の様な形をしたそれは鮮血の飛沫と脂を刃に受けた。ベガが思わず庇った右手の小指が吹き飛んだ様に見えた。その瞬間、皆が息を呑んだ様に思われた。ベガは痛みを抑える様に自身の左の瞼から左頬に当てていたハンカチを小指に当て体を丸め込む様に蹲み込んだ。体全体で右手を庇う様にして濁点のついた呻き声

を上げ、額には脂汗が滲んでいた。


 「「ベガ!!」」


 シリウスとアルタイルは同時に名前を叫んでいた。犯人一派の男は縄を解いた他の乗客達によって取り押さえられている。シリウスはベガに駆け寄って素早く止血していた。



******

 


 その後、列車には軍が突入して来た。犯人一派は属領系の犯罪集団で盗品である武器の密輸途中で軍に追われて列車強取トレインジャックに至ったというわけだ。彼らの不運は列車が給水・給炭作業中で止まっていたこと、それによりすぐに発車して逃げれなかったこと、列車の大勢いる乗客を全員人質にとったため犯人達には手に余る人数になったこと。


 彼らは人質を取るという事に慣れていない様で──殆どが初犯の素人集団で、人質は出来るだけ殺さずにいた方がいいというのを忠実に守り、これだけ大勢の人質がいたにも関わらず脅しで何人か殺すということはしなかった。そのため、この事件で死者は出なかった。


 乗客は全員軍に保護され簡単な事情聴取が行われた後、代わりの列車に乗る様に指示された。給水・給炭作業の途中駅に止まっていたため乗客らは比較的円滑に代わりの列車に乗れた様に思う。


 アルタイルはあの後、別の車両で捕まっていたというポラリスとクララと合流した。軍は他の乗客より、丁重にアルタイルらを保護した。


 「ご無事で何よりです。殿下」


 堅苦しい軍装の者たちが一斉に頭を下げる様子はアルタイルにはむず痒いものがあった。


 「お忍びでしたので、十分な護衛をつけてらっしゃらなかったのですね。今後この様なことはお控えください!大公殿下になんと報告して良いか…」


 この地に派遣されている中で最も階級の高い者が死にそうな顔で頭を抱えた。アルタイルらは軍から十分な護衛をつけてもらい、列車には乗らず軍の車両で帝都まで帰ることになった。


 「大公妃殿下、アルタイル殿下!申し訳ありません、クララがぁ…クララめがしっかりしていないばっかりに」


 クララは泣きながら地に頭を擦り付けていた。


 「あら、クララ。クララのせいではないわ。それに眼福なあの医術師おいしゃさまが敵を薙ぎ倒して行くところを見れたのだからある意味、幸運ラッキー──」

 

 「母上!今回は偶然助かっただけです!もう僕は二度とお忍びだと言って護衛を撒く様なことには協力しません」


 ポラリス達はアルタイルより早く解放されていた。軍は後処理を粛々とこなし、列車内で伸びている武装集団達に首を傾げていた。ベガ達とは軍に保護される際に別れてしまった。駅の歩廊ホームで姿を探したが、人々の雑踏の中に黒髪と青い瞳は見つけられなかった。


 「わたくし反省したわ、アル。自分の身分が周りにどれだけの影響を与えるのかを、どれほど大事なのかを。でも時々息苦しくなってしまうのよね。お母様が浅慮だったわ」


 ポラリスはアルタイルを引き寄せると抱き締めた。花の様な穏やかな香りがする。


 「貴方が死んでしまうかもしれないと思ったら怖かったの」


 ポラリスの声が震えていることに気づいたアルタイルはそっと母親の背に腕を回した。


 「無事でよかったです」

 

 なかなかポラリスが離してくれなかったが親子の抱擁が終わって離れるとアルタイルはあの機関室での一幕を思い返していた。足が震えている小さな背中を見て、アルタイルは自分の無力さを痛感していた。


 だが同時にその光景を見た時に広がる感情が砂漠の花畑を見た時に近いものであると気づいていた。


 美しい。


 砂漠の花のようにとても逞しく強かな美しさ。気高く、強く美しく、揺るぎない。そこに立っているだけで誰もがひれ伏すような存在感があった。


 アルタイルはベガが帝都に行くということを知っていた。もしかしたらまた会えるかもしれない。そんな期待を胸に抱き、アルタイルの中でベガは伝承上の妖精や幻のように強烈な存在感を持って心に住み着くことになる。



******



 「自分から危険に身を晒すなんて、何を考えているんだ!運が…運が良かっただけなんだ。死んでしまうかもしれなかったのに!」


 代わりの列車を待つ駅舎の中、長椅子ベンチに座らず屈んでベガと視線を合わせるシリウスはしっかりとベガの肩を掴んで体を…視線を逸らせないようにした。


 「もっと自分を大切にしてくれ。君が死んだら私は耐えられない。君は私の最後の希望なんだ…」


 最初は怒気を孕んだ強い声だったが後の方になるにつれ縋るような声になっていった。眉を下げて見上げる自分より大きな男の悲しそうな顔にベガは弱いのを知っていた。


 「私、痛いのもへっちゃらよ。慣れてるもの」


 「そういうことじゃない!そうじゃ…ないんだ…。君には痛い思いも苦しい思いも怖い思いもさせたくない。本来なら経験しなくてもいいことだった。他の人を守るためだったとはいえ、自分だけ犠牲になろうとしないでくれ。誰を犠牲にしようとも自分だけは生き残る…くらいの気持ちで」


 「シリウスも…?」


 「ああ。私を犠牲にしてでも生きてくれ」


 ベガは首を傾げた。長椅子ベンチに座っているエステルも同じように首を傾げていた。


 「()()がいないと、私生きていけないわ」


 ベガはまだ大人の庇護を必要とする年齢だ。そして生きていけないというのは身体的にも精神的にも…そして金銭的にもだ。


 「誰が私を治してくれるの?」


 シリウスは困ったように…しかし愛おしいものを見つめるように微笑んだ。


 「私だ」


 シリウスはベガの肩から手を離し、ベガの両手を包み込むように握る。男らしく筋張った手が柔らかい少女の手に触れる。ベガの小指は可愛らしく丸い桜貝の爪が付いている。


 「痛かっただろう」


 「ちょっと派手に血が出ちゃっただけよ」


 ベガは目の前の大型犬の様な男の頭を撫でた。少し癖のあるブルネットの髪がベガの指に絡まる。


 「それにね、何も無鉄砲に飛び出したわけじゃないのよ。きっとシリウスが助けに来てくれると思ったからなの。だってエステルが来たんですもの。エステルは私の後についてくるけど脱走したことなんて一度もないのよ。だからエステルが来たってことは近くに信頼している人がいたからだと思ったの。エステルが信頼してるなんて私かシリウスだわ」


 ベガはにっこりと笑うとシリウスの頭から手を離した。歩廊ホームには代わりの列車が入ってくるところだった。列車を待っていた人々は次々と立ち上がり乗り込む準備をする。

 歩廊ホームには被害に遭った客達が代わりの列車に乗れる様見届ける軍服姿の人間がちらほらと確認できた。


 「結局、私チョコレート買えなかったの。次の列車の車内販売でも買えるかしら?」


 「あの熊のやつかい?あれは【ファム・ファタール】だけの限定品だったと思うよ」


 それを聞いたベガはガックリと肩を落とした。長椅子ベンチに座っていたエステルは自ら籠の中へと入りベガは籠の扉を閉める。


 「一度は食べれたからいいじゃないか」


 「シリウスは無残にも頭から食べちゃったのよね」


 悲しげに頭から崩れるチョコレートのくまを思い出して、ベガは揶揄うように言った。シリウスは微笑ましそうな顔をする。


 「ベガだって腕を捥いで食べるから拷問みたいだったじゃないか」


 シリウスは傍に置いてあった自身の鞄とベガの子供用の鞄を抱える。ベガはエステルの入った籠を持った。籠の中から斜めだから水平に持てと抗議の鳴き声が聞こえて来たためベガは慌てて持ち直し、しっかりと平に持った。


 「帝都に着いたら色んなものがあるさ。勿論、可愛いチョコレートも」


 「そうね。楽しみだわ」


 二人は顔を見合わせて微笑むと新たな列車に乗り込んだ。

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