case3〜依頼者:丹波誠一〜(後編)
昼食を食べ終えた千輝と丹波、町田と社長の四人は再び会長の部屋へと戻った。部屋につくとすぐに、町田はさっきの手紙箱のほうへと歩いて行った。
「社長、この手紙箱、少し触ってもいいですか? あと、ほかの手紙も少し確認したいのですが」
「ええ。どうぞ。手紙の中身のほうは、あまり読み込まないようお願いいたします」
「わかりました」
町田はゆっくりと手紙箱に手をかざした。そして何かを確認した後、手袋をはめ、一つ一つの手紙の宛名を丁寧に確認した。すべて見終得ると、町田はまたゆっくりと手紙を元に戻して蓋をした。
「なにか、わかりました?」
丹波が町田の顔を覗き込むようにして聞く。
「全部、ではないけど、ほとんどわかった」
「そうなんですか? 犯人は誰なんですか?」
丹波は驚きながら町田の答えを待った。そんな丹波を見ながら、町田は淡々と答えた。
「そもそも、これは事件じゃないよ。だから、犯人もいない」
社長と丹波はぽかんと口を開けて固まった。
「事件じゃないって、どういうことですか?」
千輝は、丹波や社長も思ったであろうことを素直に聞いた。
「そのままの意味だよ。もともと、この箱の中に遺言書はなかった。遺言書があるのはたぶんもっと別の場所だと思う」
「ちょっと待ってください。では、どうして白い封筒と紙が、そもそもあれはいったい何なのですか?」
丹波は予想外の推理に動揺した様子で、町田に説明を求めた。
「手紙だよ。文字はすべて消えてしまったけどね」
「誰のですか?」
「愛奈ちゃんの。社長、彼女の持っているペンの中に、文字が消えるペンはありませんか?」
「鉛筆、ということでしょうか」
「いえ、サインペンです。こするとインクが消えるタイプの」
「ああ、それなら持ってます。最近落書きがひどいので、愛奈に渡しました」
「そのペンは、温度によって透明になるインクを使っているんですよ。そして、この手紙箱は黒く、日の当たる場所においてあるので、中が高温になることがある。おそらく、そのせいでインクが消えてしまったんでしょう。そう考えれば、紙の折り目が傾いていたのも納得できます。あと、消えてしまったインクは冷凍庫に入れると復活するので、それでも確かめられますよ」
「そういえば、愛奈には紙と封筒について聞いていませんでした。確かに、あれが愛奈のものなら、全部辻褄が合います。冷凍庫に入れると戻るんですね。後でやってみます。では、父の遺言書は、本当はどこにあるんでしょうか」
「この部屋に、耐火金庫はありますか? あったらたぶんそこに」
「確かにありますが、父はもう何年もその金庫を使ってないはずですよ。それに父自身が、遺言書は手紙箱に入れておく、と言っていたので」
「前会長の家、前に火事になったことはないですか? 具体的には一九六〇年ごろ」
「そういえば昔、聞いたことがあります。家が火事になって全焼したことがあるって。でも、どうして」
「手紙箱の中に、何通か焦げた手紙が入っていたんですよ。消印を確認したらどれも一九六〇年よりも前だったので。おそらく、その手紙たちこそ、以前火事になったときに、金庫に入れてあったものなんでしょうね。宛名が会長の奥さんあてだったので、内容はきっとラブレターでしょうか」
「たとえ、以前そんなことがあったとしても、それは昔の話です。今、この家では最新鋭の防火設備を取りそろえているので、万が一火事になっても全焼したりするはずがない。それは父もよくわかっていることかと」
「確かに、前会長はこの家の防火設備を信用していました。だからこそ、木製の手紙箱に何通も大事な手紙を入れていたんでしょう。ですが、心のどこかで、不合理にも不安に思っている部分もあったんだと思います。でなければ、もう何年も使っていない耐火金庫がこの部屋にあるはずがありません。きっと、とっさに思いついて入れたんでしょう。金庫の番号はわかりますか?」
「直接聞いたことはないですが、八桁の数字なのでたぶん生年月日です。入れますね」
社長は会長の生年月日にダイヤルを合わせた。しかし、扉はあかなかった。今度は社長自身の生年月日で合わせてみる。これもあかなかった。会長夫人、社長夫人、愛奈ちゃん、会長に関係のある人間全員の生年月日で合わせたが、どれも扉が開くことはなかった。
「だめだ。どれも開かない。生年月日じゃないのか」
少し焦りながら、社長がつぶやく。
「会社の創立記念日は? 1963年12月29日」
隣で見ていた丹波が社長に助言を出した。
「それかもしれない。やってみよう」
社長は創立記念日にダイヤルを合わせる。しかし、これも正しい番号ではなかった。
「どういうことだ。なんで開かない」
社長は、両手をあげ、お手上げだというポーズをして金庫から離れた。
「12月29日。なんでそんな中途半端な日を創立記念日にしたんだ? あと四日待てば、オリンピックイヤーの元旦を創立記念日にできたのに、どうしてわざわざ、12月29日なんだ?」
町田はふと浮かんだ疑問を、小声でつぶやいた。
「ああ、それなら、父の古い友人の誕生日に合わせたそうなんですよ。昔、聞いたことがあります」
町田のつぶやきを拾った社長が答える。
「そのご友人のお名前は?」
「わかりません。父からも『古い友達』としか聞いていなかったので」
「それでは誰の誕生日なのかわかりませんね。他に手掛かりになりそうなこと、何か言っていませんでした?」
「さあ……。その話を聞いたのも何年も前の話ですし、ちょっと思い出せないです」
「そうですか。困りましたね」
初めて、町田が本気で困るところを見たような気がした。そして、ふともう一度秀島社長のほうを見たとき、千輝の中にも一つの疑問が浮かび上がった。
「社長、そういえば、この会社の名前『秀弘重工』ですけど、どうして『秀島重工』じゃないんですか?」
「確か、さっき言った『古い友達』から名前を取ったって父さんが言ってたような気がする。一緒に会社を建てる予定だったけど、直前に事故で亡くなったって」
何かに気付いた町田が、もう一度手紙箱の中身を確かめだした。そして、何通かの手紙を取り出した。
「この方ですか。『弘田 満』さん。手紙箱の中に、宛先の住所がなく郵便に投函されていない封筒がいくつかありました。おそらく、あて先のご友人が亡くなってから書かれたものでしょう」
「そう。その人です。思い出しました。父の高校の同級生で、よく一緒に遊んだと懐かしそうに語ってくれました」
「高校の同級生、ということは同い年ですね。前会長は1942年生まれだったはず。暗証番号は1942年12月29日です」
社長がダイヤルを合わせると、ガコン、という音がして金庫が開いた。中には「遺言書」と書かれた白い封筒だけが一つ、置かれている。
「あった!」
丹波と社長が声をそろえて叫んだ。
その後、町田たちは依頼解決の報酬を受け取った。帰りの車の運転は道中言ってた通り、丹波が担当している。揺れが少ない快適な車内だ。
「そういえば、黒い手紙箱が日向で高温になる話を聞いたときに思ったんですけど、町田さんが来るときに丹波さんの車を使おうとしなかったのって、丹波さんの車が黒くて日向に停めてあったからですよね」
千輝がそういうと、町田は少し驚いたような顔をした。
「そうなんですか? 町田さん」
丹波はこちらを見ずに聞いてくる。町田はゆっくりと息を吸って答えた。
「そうだよ。あんなのに乗ったら、着く前に熱中症で倒れる。でも、そこに気付くとは思っていなかった」
千輝は少しだけ、自分の成長を感じられた気がしてうれしかった。ほどなくして、事務所につく。車から降りて、千輝は運転してくれた丹波にお礼を言った。
「ありがとうございました。おかげさまで帰りはとてもリラックスできました」
「いやいや、あの運転を体感したら、いやでも自分で運転する気になるよ。こちらこそ今日はありがとう。君のおかげで事件が解決できたよ」
「『事件』ではなかったですけどね。それに私は何もしてないです。全部町田さんが謎を解いてくれました。やっぱり、あの人はすごいです」
「まあ、確かに『事件』ではなかったね。でも、それでよかった。それに、君は何もしてないことないよ。会社名に初めて違和感を持ったのも君だし、あの疑問がなければ解決できなかった。君はちゃんと立派な助手だよ」
「そ、そうですか。ありがとうございます。これからももっと頑張ります。では、そろそろ帰りますね」
千輝は自宅のほうに向かって歩き出した。日は西に傾きかけているが、それでも照り付けるようで暑かった。丹波も自分の車のほうへと歩き出す。それを見て、町田が声をかけた。
「あ、丹波、私宛の追加の報酬を忘れないでよ。後で送ってもらうから」
「わかりました。帰ったら送ります」
追加の報酬とはいったい何だろう。疑問には思ったが、聞かないことにした。多分聞いても答えてはもらえないと思った。またしばらく歩くと、丹波の悲鳴が聞こえてきた。
「あー! 駐禁切られてる!」
その日の夜、町田のもとに丹波からメールが届いた。
「あなたが追っている事故の運転手はおそらく嫌疑不十分で不起訴になります。薬物反応、アルコール反応ともに陰性、ドライブレコーダーからも、被害者が車道に飛び出してくる様子が映っていました。やはり、あれは事件ではなく自殺の可能性が高いです」
添付資料にはそれぞれの検査の数値がまとめられた表が載っていた。確かに、異常値を示している部分はない。町田は悔しそうな表情で天を仰いだ。あの男は自殺などするはずがない。そう思いながらも、自殺を決定づける証拠だけがそろっていくむなしさがじんわりと町田を包み込んでいった。