case3〜依頼者:丹波誠一〜(中編)
社長はひと際大きな部屋に案内した。
「ここが、父の書斎だった部屋です。父が亡くなった時から全部、物はそのままに残してあります」
扉には、古くて大きな鍵穴が一つついている。社長が鍵を開け、扉を開くとまた一段とひんやりとした重い空気が四人を包んだ。絨毯、椅子、机、ソファ、視界に入ったものすべてが一目で高級品だとわかるような部屋だった。それもただギラギラと豪華なのではなく、落ち着いていて歴史が感じられる、どこか目を離せない存在感がそれぞれにあった。その圧倒的な迫力に千輝は息をのんだ。
「すごいお部屋ですね。威厳があって、大企業の経営者らしい素敵なお部屋ですね。絨毯から机から家具の一つに至るまで、こだわりを感じます」
迫力に飲まれて言葉を失っている千輝や丹波とは違い、町田の口からはすらすらと感想が出てくる。
「そうなんですよ。父は、ああ見えて格好つけなところがありまして、どうやったら立派な会長らしくなるかを追求して、ここにある家具を一つ一つ見定めていったそうです。そんなことをしなくても、父は十分立派だったと思うんですけどね。見栄というか、虚栄というか、譲れないところだったんだと思います」
社長は小恥ずかしそうに笑った。
「確か、隼人の話によると、遺言書がなくなったのはこの部屋だっけ?」
きょろきょろとあたりを見渡していた丹波が、ふと社長に問いかけた。
「そうだよ。この部屋の手紙箱の中に入ってるはずだったんだけど……」
しゃべりながら社長は机の上に置かれていた黒い箱へと手を伸ばす。ふたを開けるとそこには何百通という手紙が入っており、さらにその一番上には白い封筒が置かれていた。
「遺言書はなくなっていて、代わりに白紙の入った白い封筒が入っていたんだ」
社長は封筒をすっと開けると、中から三つ折りにされた白紙を取り出した。広げるとサイズはちょうどA4サイズで、確かにそれは文字どころかインクの汚れすら一つもない真っ白な紙だった。
「これです。町田さんもぜひご覧になってください」
社長は町田に白紙を差し出した。町田は素早く手袋をはめて、白紙の両面を確認した。
「確かに、何の仕掛けもない真っ白な紙ですね。ただ、折り目が少し汚いのは気になります」
そう言うと、町田は封筒に入っていたように折り目に沿って紙を畳んだ。よく見ると、端がずれており、紙の折り目が若干傾いているのがわかる。町田は一通り確認し終えると社長に紙を返した。
「隼人、そういえばこの部屋、鍵がかかってたけど、鍵持ってるのって隼人だけか?」
丹波が思い出したように社長に問いかけた。
「そうだよ。でも、鍵をかけるようになったのは父さんが入院してからの1か月だけで、その前は鍵がかかってなかったから誰でも入れたんだよね。まあ誰でも、といってもさすがに家の外から入るのは無理だと思うけど、鍵がかかる前ならこの家の関係者ならだれでも入れたよ」
「なるほど。鍵はどこに保管してたんだ?」
「ずっと僕の財布の中。だから、鍵を使えるのも僕だけのはず」
「そうか。じゃあ、さっき言ってたこの家の関係者っていうのは具体的には誰と誰なんだ?」
「僕と妻と僕の娘、あとは使用人が二人だな」
「うーん、それなら、怪しい人物はいないかな……しいて言うなら使用人の二人のうちのどちらか……かな?」
「やめろよ、誠ちゃん。使用人って、誠ちゃんも子供のころから知ってるあの二人だよ。あの二人に限ってそんなこと……あるはずない」
「そ、そうか。ごめん」
少し、沈黙が流れ、部屋の空気が険悪になった。それを切り裂くように、今度は町田が口を開いた。
「そういえば、娘さんがいらっしゃるんですね。今、おいくつなんですか?」
「5歳です。最近ひらがなを覚えたかばかりで、うれしいのか毎日家じゅうのいろんなところに書いて回るんですよね……。掃除が大変です」
「まあ、これだけ広いお宅ですもんね……。と、すみません、関係ないことを聞いてしまって。ところで、さっきおっしゃっていた、この部屋に入れる方たちへの事情聴取はもうされましたか?」
「ええ。妻も二人の使用人も、この封筒のことは知らない、と言ってました。特に噓をついているような素振りもなかったです」
「そうですか。ところで、遺言書はいつ頃書かれて、いつごろ無くなったのか、とかわかりますか?」
「はい、遺言書が書かれたのはちょうど3か月ほど前ですね。で、遺言書がなくなったのを確認したのは昨日です」
「なるほど、つまり3か月のうち、いつ無くなったのかはわからないということですね」
「そうですね、そもそも、使用人も僕たち家族も父の部屋に勝手に入るということはしないので」
社長がそう言い終えたとき、部屋の柱時計がボーン、と鐘を鳴らした。見ると昼の十二時指していた。
「あ、もう、お昼ですね。とりあえず、休憩にして何か食べませんか」
社長の提案に乗り、ひとまず千輝たちは会長の部屋を後にした。
秀弘重工社長宅のダイニングは、某魔法学校を想起させる雰囲気で、ホールのように天井が高く、さらにその天井からは豪華なシャンデリアが釣り下がっていた。二人の使用人は仕事が早く、四人がダイニングに到着した時にはすでに、昼食のそうめんがテーブルの上に用意されていた。
「今日は暑いですからね。どうぞたくさん食べて涼んでいってください」
社長はにっこりと微笑んだ。
「わー、そうめんだ!」
ひと際可愛らしい声が、ダイニングに響く。見るとダイニングの入り口から女の子が走ってくる。
「こら、愛奈、ダイニングでは走らない。お客さんにもちゃんとあいさつしなさい」
「はーい」
女の子は減速して、千輝たちの前まで歩いてきた。その様子は、なんだかとても微笑ましかった。
「こんにちは。秀島愛奈です。五歳です」
ぺこりお辞儀をすると、女の子はすぐに母親の後ろへ隠れてしまった。
「ごめんなさい。まだ人見知りが激しくて、気にしないでくださいね。私は秀島隼人の妻の秀島香と申します。今日は皆さん、暑い中、遠いところからお越しくださってありがとうございます。つまらない場所ですが、ゆっくりしていってください」
「いえいえ、ご丁寧にありがとうございます。今日は、隼人社長からのご依頼で参りました。私立探偵をやってます、町田美羽です。お邪魔しております」
「町田さん。そう、あなたがあの町田さんですか。お話は主人や誠一さんからお聞きしております。今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ、一刻も早く解決できるよう頑張ります」
「こちらのお嬢さんは? 随分とお若いけれど、お友達ですか?」
怪訝そうに夫人は聞いた。
「いえ、私の助手の望月です」
町田は素早く答えると、千輝に挨拶するよう目線で合図を送った。
「こ、こんにちは。望月千輝です。高校生で、町田さんの助手をさせてもらっています。今日はよろしくお願いします」
「あら、高校生なんですか。お若いのにすごいですね。こちらこそ、よろしくお願いします」「奥様、お食事の準備ができましたので、そろそろお席のほうへ」
使用人の一人が夫人を呼ぶ。夫人は軽く礼をしてテーブルの向かい、社長の隣へと座った。千輝たちもすぐにそれぞれの席に座る。全員が席に着いたのを確認すると、社長が音頭を取った。
「それでは、いただきます」
各々がそうめんに箸を伸ばす。ふと愛奈ちゃんのほうを見ると、この上ないほどの満面の笑みを浮かべて、そうめんを食べていた。きっと好物なのだろう。千輝も少し、箸にとって食べてみる。冷たい麵がのどをするりと通っていくと、体の内側からひんやりと涼しさを感じられるのが分かった。おいしい。小さくつぶやく。ほとんど無意識に一口、また一口と箸がどんどん進んで止まらなくなった。気が付くと、自分用の皿に盛られたひと盛のそうめんはあっという間になくなっていた。
「ごちそうさまでした」
食べ終えると、千輝はゆっくりと手を合わせた。