case3〜依頼者:丹波誠一〜(前編)
前回更新よりおよそ一年以上かかってしまいました。お待たせしてすみません。
七月、海の日とともに来た三連休は、例年では考えられないほど暑く、またじめじめと蒸すような空気だった。
「暑い~」
だらしない声をあげながら千輝はうぐいす探偵事務所を目指す。事務所の中は涼しくて、町田の入れる冷たい麦茶は染み渡るほどおいしいのできっと快適なはずだ。事務所が見えるところまで来たとき、一台の黒い車が止まっているのに気付いた。
「お客さんかな。それにしてもあの車、高そう……」
ぼそっと独り言が飛び出す。しばらくすると、車の中からスーツを着た男が出てきて、事務所の中へ入っていった。
千輝が中に入ると、男は応接用のソファに座って町田と話しているのが見えた。依頼者のようだ。
「……まったく、なんでそんな面倒くさい案件を持ってくるんだよ」
「しょうがないじゃないですか。『警察には内密にしてほしい』って言われたら、もうあなたしか頼る相手がいないんですよ」
二人の話す口ぶりから察するに知り合い同士なのだろうか。あのソファに座って敬語じゃない町田を見るのは初めてのような気がした。すっかり話に熱が入っているので、しばらく様子を伺おうかと思ったその時、町田は千輝に気付いた。
「あ、望月、ちょうどよかった。今、依頼の話をしているところなんだ。丹波、今の話をもう一回」
「えぇ……なるべく内密にしておきたい案件なんですけど……」
「大丈夫。この子はさっき話した私の助手だから、外に漏れる心配はない」
「あ、この子がそうなんですか」
「助手の望月千輝です。高校生で、町田さんのところでアルバイトさせてもらっています」
千輝はぺこりと頭を下げた。
「こんにちは。警視庁捜査一課強行犯係の丹波誠一です。高校生の助手がいたとは……。町田さんの下でバイトするの大変じゃない?」
「ま、まあ、大変なのは否定できないかもしれないですが、それでも、探偵という職業に憧れがあったので、大丈夫です。ところで、どんな依頼だったんですか?」
「ああ、そうだね、まずはその話をしないと。実はあまり大きな声では言えないんだけど、秀弘重工の会長さんって知ってる?」
「テレビにも出てましたよね。確か、秀島 弘光さんでしたっけ?」
「そう。その人。なんだけど、二日前に肺がんで亡くなってね……」
「え? 亡くなったんですか? それは……悲しいです」
「彼は非常に人気のある経営者だったからね。ただまあ、病気の進行から言って正直なところ、よく持ったほうだと思う。問題は、遺産相続のための遺言書が見つからないということなんだ」
「遺言書がですか。なくしてしまったとかでしょうか」
「いや、僕は盗まれた可能性も視野に入れるべきだと思ってる。何せ、あの人が残したのは時価総額何十億という会社だ。まともな人間だって魔が差すなんてこともあるからね。そこで僕が町田さんに話した依頼の内容は、なくなった遺言書を発見し、それが盗まれたものだった場合、犯人を突き止めることだね」
「なるほど。どうして警察には内密にしてほしいと言われたんですか? 相談できない理由でもあるんでしょうか」
「さっきも言った通り、秀弘重工は日本でもトップクラスの大企業だ。もしもそんな会社の経営者が亡くなり、さらには遺言書も紛失したとなれば会社の信用も株価も暴落する。従業員と会社の株主、合わせて何千人、何万人という人の生活に影響が出るんだ」
「そういうことですか……あれ? でも、丹波さんも警察関係者ですよね? 警察には内緒にしてほしい依頼じゃなかったんですか?」
「僕の父さんが秀島会長と知り合いでね、家族ぐるみで仲良くしてもらったから、内密にできそうな警察関係者ということで秀島会長の息子さんから依頼を受けたんだ」
「なるほど、お知り合いだったんですね」
「そうそう。これで一通り、説明すべきことは説明し終えたと思うけど、ほかに何か質問はあるかな」
「私は、特にもうないですね。町田さんは何かありますか?」
「私もない。ひとまずは現場に行こうか。丹波、案内を頼む」
「ええ。では、外に僕の車を停めてありますので、そちらに」
「あの黒い車?」
窓から町田が指をさす。黒い車が日の光を反射して輝いているのが見えた。
「ええ。あれです」
「……そうか。だったら、私の車で出よう。もしかしたら、尾行がついていないとも限らないし」
「え、確認はしましたけど、そんな車はありませんでしたよ」
「いいから、私の車で出よう。用心するのに越したことはないから」
町田の白いミニバンが颯爽と探偵事務所を出た。法定速度ぎりぎりの町田の荒い運転は、街中を走るだけの運転のはずなのに、まるで舗装されていない田舎道を飛ばしているかのように揺れた。目的地に着いたころには、千輝も丹波も車酔いでダウンする寸前だった。
「ついた。ここで合ってる?」
町田が後部座席でぐったりしてる丹波に声をかけた。
「はい。ここで大丈夫です。あと、帰りは僕が運転しますね。それと、五分ほど休ませてください」
「運転もしてないのに休憩するのか。まあ、私は構わないけど。ごゆっくり」
きっかり五分休んだ後、千輝たちは秀島氏の邸宅へ向かった。そこはまるで、ドイツにあるお城のような豪邸だった。バスが二台、すれ違えそうなほど大きな入り口の門についたインターホンは、一般的な大きさのはずなのにとても小さいように感じられた。
「こんにちは 丹波です。例の件で、とても信頼できる助っ人を連れてきました。きっとこの人なら解決してくれると思います」
丹波がインターホンに向かって話しかけると、ガラガラガラ、と音を立ててゆっくりと門が開いた。そして三人が門の内へはいると、また迫力のある音を立てて門が閉まった。
「すごいですね、こんな豪邸初めて見ました」
このような大きな邸宅にはゲーム以外で馴染みがない千輝は目をキラキラと輝かせる。
「確かに、あの秀島重工の社長の家とはいえ、これはすごいな……」
町田もきょろきょろとあたりに目をやった。普段、あまり驚いたりしない町田にとっても、さすがに珍しいものらしい。
「広いでしょう。ビリヤード、ダーツ、カジノテーブル、いろんなものがそろってるんですよ。僕も小さいころ、よく遊ばせてもらったなぁ」
丹波はちょっと誇らしげに思い出を語った。口ぶりから察するに本当に楽しい、いい思い出だったらしい。門からしばらく歩くとようやく豪邸そのものへの入り口にたどり着く。玄関のドアは開いており、ワイシャツにサスペンダーのお坊ちゃん風の男が立っていた。見覚えがある。この人は、社長だ。よく見るとテレビで見た秀島会長に似ている気がする。
「待ってたよ、誠ちゃん。この人が言ってたすごい人?」
社長が、ラフに話しかけている。いつも記者会見で敬語を使っているところしか見たことがない千輝にとってはかなりの衝撃だった。
「そうそう。そしてこの子がその助っ人の助手。高校生なんだって」
「へぇ、じゃあ将来は高校生探偵ってやつになるのかな」
「あ、あの、私、望月千輝って言います。町田さんのところで探偵助手をさせてもらってます。きょ、今日は、よろしくお願いします」
思わず緊張して早口になった。
「あはは、緊張しなくても大丈夫だよ。今日は社長じゃなくてただのおじさんだから。肩の力を抜いて、そう、深呼吸」
社長に言われるがまま、千輝は大きく息を吸って吐き出した。少し落ち着いた気がする。
「どうも、私立探偵をしております、町田美羽と申します。今回はこちらの、丹波さんのご依頼を受けてお伺いいたしました」
千輝と社長が話し終えたのを見て町田がようやく口を開いた。
「ああ、ご丁寧にどうも。秀弘重工の社長をしております、秀島隼人です。あなたのことはいつも誠一くんから聞いております。とても優秀な探偵さんだそうで。今回は、よろしくお願いします。それで、具体的な状況とかももうお聞きになりましたか?」
「一応、簡単には聞いておりますが、詳細はまだですね。もしよろしければ、聞かせていただいてもいいですか?」
「わかりました。ここではなんですし、現場の様子も見ていただきたので、どうぞ三人とも中へ入ってください。父の書斎でお話ししますね」
社長に連れられて、三人は屋敷の中へと入った。廊下は広く、ひんやりとしていて、それなりに年季の入った高級感が漂っていた。