グレイス《中》
それから私は学園に入学した。ノア様と毎日会えるなんて夢のようだったが、学園にはノア様以外の攻略対象たちもいて、私は幸せな日々の終わりを予感していた。
しかし、驚くこともあった。なんとノア様の友達のジェームズ・ガルシアという侯爵令息が、絵を描くというのだった。ジェームズはゲームには出てこなかったので知らなかったが、この世界で絵を描く友達ができて、とても嬉しかった。
ジェームズの腕前は天才的だった。もしノア様に会う以前の私がその絵をみたら、圧倒的な才能に絶望して、また絵を描くのをやめてしまったかもしれないと思ったくらいだ。でも、私は絵を描くのが好きだと、ノア様が思い出させてくれた。ノア様がいたから今の私があるのだ。
だから私は、これから運命がどうなろうとも……ノア様に出会えて本当によかった。
私は心からそう思ってノア様に伝えた。
「僕もグレイスに会えてよかった」
ノア様がそう言ってくれて、私は泣きそうになった。その言葉だけで、これから生きていけると思った。
そして、ついに私は2年生になり、ゲームの主人公であるエレナ・ウォーカーが転入してきた。エレナは金髪碧眼のヒロインにふさわしい愛らしい容姿と天真爛漫な性格で、多くの男を虜にしていた。そして……ノア様もエレナに恋をしているらしいという噂を聞いてしまった。
予想はしていたはずなのに…… 『ノア〜!』と呼んで親しげにノア様に話しかけるエレナを見て、胸が張り裂けそうになる。見たくない、やっぱり婚約破棄なんて嫌……そう思ってノア様に話しかけられても避けてしまうようになった。
エレナに嫉妬して、本当に悪役令嬢になってしまいそうで、私はエレナに近づかないようにしていた。なのに、エレナは私がノア様の婚約者にふさわしくないとか、私に嫌がらせをされているとか言っているらしい。ノア様がそれを信じていたらと思うと、とても怖い。
やはりこうなってしまうのね……もう私は疲れてしまっていた。
そんな中、ジェームズ様は私を気にかけてくれて、気分転換に絵を描くのに誘ってくれたり、一緒に絵の話をしたりして、その時だけは辛いことを忘れられた。
ある日、私はいつもお守りのように持ち歩いていた翡翠色の絵の具がないことに気がついた。ノア様にいただいたとても大切な絵の具で、悲しいときはいつもそれを眺めていたのに……どこにいってしまったのだろう。必死で探して、ジェームズ様にも相談したが見つからなかった。
そうしてとても落ち込んでいたとき、エレナに話しかけられたのだ。
「グレイス・ローランド。やっとあんたが動揺する姿が見れたわ」
「エレナ……さん。私に何か用ですか?」
「ねえ、あんた私が憎くないの? ノアは私に夢中なのよ?」
憎くないと言えば嘘になる。でも私はなんとか平静を装った。
「私はノア様の幸せを願っているだけです」
「何よ、それ…………悪役令嬢のくせに」
最後の方はボソッと言っていて聞こえなかったが、エレナが私をきつくにらみつけた。
私からノア様を奪って、これ以上何が気に食わないというのだろう。
「まあ、いいわ。今日の放課後、教室に来て。良いもの見せてあげるわ」
エレナはそう言って行ってしまった。正直もう関わりたくなかったのだが……
放課後になって仕方がなく、教室に行くと……ノア様とエレナが抱き合っていた。私からはエレナの涙を流している顔しか見えなかったが、エレナがこっちを見て笑った気がした。
気がついたらその場から逃げ出していた。どこへ行こうとしているのかもわからずに走っていると、廊下で誰かにぶつかった。
「ごめん、ってグレイス!? どうしたんだよ」
顔を上げるとジェームズ様が心配そうな顔で私を見ていた。自分でも気づいていなかったが、私は泣いていた。
「ジェ、ムズさまっ、なんでも、ありませっ」
泣いていては心配をかけるだけだとわかっているのに、涙が止まらない。
「なんでもなくねえだろ。頼ってくれよ」
優しいジェームズ様の言葉にさらに泣けてくる。その後ジェームズ様が人目につかないように学園の裏庭に連れて行ってくれた。花壇があって、私がたまにスケッチをする場所だった。
『嫌だったら、何も話さなくていいから』と言ってジェームズ様は私が泣き止むまでそばにいてくれた。
「ありがとうございました、ジェームズ様。心配かけてすみませんでした」
「気にすんなよ。でも、ノアに見つかったら怒られるな」
そう言ってジェームズ様は冗談っぽく笑ったけれど……
「そんなことありません……ノア様はエレナが好きなのです」
「は? そんなわけ……」
「本当なのです。私、ノア様とエレナが抱き合っていたのを見てしまって……」
「……きっと、何かの勘違いだよ」
ジェームズ様が慰めてくれたけど、悲しみは消えなかった。
「それで泣いてたのか…………グレイスはノアのことが本当に好きなんだな」
ああ、私はノア様のことが……
「……好き、好きなの……」
思わず声に出ていた。ノア様の幸せを願っているだけなんて、もう言えない。悪役令嬢でもいい、ノア様が好きなだけなの。
次の日、ノア様とすれ違ったけれど目を見れなかった。あの翡翠色の瞳に見つめられたいと、どうしようもなく思っているのに。
授業が終わると、ノア様に呼ばれてしまった。
「グレイス、大事な話があるんだ」
ついに来てしまったのね……ノア様と目があって、こんなときなのに胸が高鳴る。
「わかりました。ずっと避けていてごめんなさい」
私は覚悟を決めうなずいた。