6. 悪役は
「ノア様、私……あなたを愛しています」
グレイスは花咲くような美しい笑顔でそう告げた。
………………………………え?
「では、失礼します」
踵を返して行こうとするグレイスの腕を慌ててつかむ。
「ちょ、待って、グレイス」
「待ちません」
「こっちを向いてくれ、グレイス」
グレイスはゆっくり顔をこちらに向けたが、その藍色の瞳からはとめどなく涙があふれていた。
「グレイス、さっきなんて言ったの」
「何度も言わせないでください!」
そう言ってグレイスはうるんだ瞳で僕をにらんだ。かわいいな、じゃなくて。
「愛してるって、言ったよね」
「〜っはい、言いましたよ! 私はノア様を愛しているのです!」
やけっぱちのようにグレイスが言う。
「これは僕に都合のいい夢?」
「え?」
頬をつねってみる……痛い。どうやら現実のようだ。
「だって、僕はグレイス、君を愛しているんだ」
「え?え?」
グレイスがぽかんとして、それから真っ赤になっていく。今日は初めて見るグレイスの表情がたくさんだな。
「でも……婚約解消って」
「それは、君がジェームズを好きだと思っていたんだよ? 昨日ここで泣いて告白していたのを聞いてしまったんだ」
そうだ、あれは何だったんだ。
「それは、昨日ノア様がエレナと抱き合っていたから泣いていたのです! そこをジェームズ様が慰めてくれて……ジェームズ様はきっと勘違いだって言ってくれたけれど悲しくて……そこでジェームズ様が『グレイスはノアのことが本当に好きなんだな』って……それで私は好きだと言ったのです」
えっ、そうだったのか。タイミング悪すぎるだろ、僕……というか、エレナ・ウォーカーと抱き合ってたなんて誤解だ!
「そうでした、ノア様はエレナと抱き合っていたじゃありませんか。エレナに恋しているんでしょう? それで婚約解消したいのではないのですか」
「違う! 昨日はウォーカーさんに、グレイスの話があると言われて、でもそれはひどい嘘だったんだ。そのときにいきなり抱きつかれたけれど、すぐに離させたから! 僕がウォーカーさんに恋してるなんて根も葉もない噂だよ。だって僕はグレイスのことがずっと好きなんだ。初めて会った日からずっと君に惹かれ続けているんだ」
全力で否定すると同時に僕の重い気持ちまで話してしまうと、グレイスはゆでだこのように赤くなってしまった。
「でも……私、悪役令嬢で……婚約破棄されるんじゃ」
そういえばグレイスはいつかも悪役令嬢が何とか言っていた。
「よくわからないけど、グレイスは悪役なんかじゃないよ。優しい僕の婚約者だよ……これからもそうでいてくれるなら……それから、僕と結婚してくれませんか?」
勢いでプロポーズしてしまった……おそるおそるグレイスの言葉を待つ。
「私も、ずっとずっとノア様が好きでした……叶うなら、これからもずっとそばにいさせてください」
グレイスはさっきよりも泣きながら、幸せそうに笑った。
* * * * *
グレイスが僕を避けていたのは、僕がエレナに恋していると言う忌々しい噂のせいだったらしい。
エレナはその後、グレイスの絵の具を盗んだだけでなく、グレイスに陰口を言ったり、僕に抱きついたときもわざわざグレイスを呼び出して見せつけようとしたのだとわかった。さらには、王太子殿下や他の貴族たちの婚約者にいじめられているなどという虚言を言っていたり、僕が彼女に恋しているなどという噂をながしていたこともわかり、学園を退学して男爵家からも離縁された。
僕はグレイスを傷つけた彼女をそれだけで許せない、と思ったが、グレイスが『私はこの絵の具が返ってきたので、もういいです』と言うので仕方がない。
僕とグレイスの婚約解消事件を話すと、ジェームズは爆笑した。
「お前ら、はたから見て好きあってるのに、婚約解消って、っぷふ」
「真剣に考えてたんだよ……グレイスとジェームズが両想いだと思ってたんだ」
「っはは、ありえねーだろ? グレイスは最初からノアのことしか想ってなかったんだからさ」
そうだ、ジェームズはグレイスのことが好きだと言っていた。
「ジェームズ、君はグレイスのことが……」
「好きだよ? 友達としてな」
「でも……」
「もちろんノアのことも好きだぜ?」
そう言ったジェームズの笑顔は強がっているようにも見えた。
「ジェームズ……ごめん…………その、いろいろ心配かけたりしてさ」
「気にすんな、友達なんだからな……俺はお前たちの幸せを願ってる」
「ありがとう。僕もジェームズの幸せを願ってるよ」
「ははっ、さんきゅ。結婚式には呼んでくれよ?すっげえ絵をプレゼントするよ」
そう言ってジェームズは笑った。
気が早いって。でもグレイスのウエディングドレス姿……いいな、考えただけで鼻血でそう。