3. 学園
僕とグレイスは王立学園に入学した。グレイスの制服姿を初めて見たときは昇天するかと思った。相変わらず、縦ロールを気にしているのもかわいい。
ちなみに学園では、なぜか姉さんとセシル義兄さんが憧れのカップルと言われている……絶対におかしいと思う。
「よお、ノア」
「ジェームズ、おはよう」
ジェームズ・ガルシアは学園でできた僕の友達だ。入学式で話しかけられて仲良くなった、気のいいやつだ。侯爵家の四男だが、上下関係を嫌い、婚約話ものらりくらりとかわしているらしい。そんなジェームズはそのくせっ毛の茶髪よりも深いこげ茶の瞳で僕を見つめると、ぱんっと顔の前で手を合わせた。
「悪い、課題写させてくれ! 今日忘れたら居残りなんだよ」
はぁ〜と僕はため息をついてみせた。
「いいよ」
「ノア様〜〜今度お前になんかあったら何でもする! 助かった」
別にいいけど……ん? 僕はジェームズの手についているものに気づく。
「これ、絵の具? ジェームズも絵を描くのか?」
「あっ本当だ、ついてるな……そうだよ。俺、絵を描くのが趣味でさ。昨日の夜もずっと描いてて、課題忘れてたんだよ」
そう言うとジェームズはいぶかしげに首をひねった。
「俺もってことは、他に誰かいるのか?」
「ああ、僕の婚約者も絵を描くのが大好きなんだよ」
「へえ!貴族のお嬢様がねえ」
ジェームズも一応、貴族のお坊ちゃまだと思うけど……でも、どんな絵を描くのか気になるな。
「それじゃあさ、ジェームズの絵を僕とグレイス……僕の婚約者に見せてくれよ」
「ええ〜俺、絵を誰かに見せたことなんてないんだけどな」
「何でもするって言っただろ?」
そう言うとジェームズはしぶしぶうなずいた。グレイスもきっと、絵を描く人がいると知ったら喜ぶだろう。僕はグレイスの絵をみるのは好きだが、描いてみようとしてもからっきしだったし。
「えっ、絵を描く方がいらっしゃるのですか!」
「うん。僕の友達のジェームズっていうんだ。僕も今日初めて知ったんだけどさ、一緒に見せてもらおうよ」
「ぜひ、見てみたいです!」
予想通りグレイスは興味津々で、僕たちはジェームズの寮の部屋へ向かった。
「うわあ……!」
ジェームズは侯爵家というだけあって、かなり広い部屋があてがわれていたが、その部屋はたくさんの絵で埋め尽くされていた。しかも……
「天才ですわ……」
グレイスが呆然としてつぶやいた。そう、絵の知識があまりない僕でも圧倒されるくらい、ジェームズの腕前は素晴らしかった。これは、趣味というレベルではないだろう。
「何か、照れるな」
ジェームズは照れ臭そうに笑う。グレイスの絵はとてもうまいと思うし、僕の大好きな絵だ。しかし、ジェームズの絵はまるで違う次元にあった。僕はちょっと心配になってグレイスの方を見た。
「ジェームズ様、素晴らしいです! あの、この絵のここはどうやって描いたのですか!? あと、ここはどんな絵の具を使っているのですか!?」
グレイスはきらきらした目でジェームズにたずねた。すごく楽しそうだ……よかった……
ジェームズは若干気圧されたように目を見開く。
「え〜っとだな」
「あっ、すみません……私つい興奮してしまって……」
「いや、俺でよければ教えるけど……ふははっ、面白い子だな」
そう言いながら、ジェームズは爆笑する。そうして、二人は楽しそうに話していて、よかったとは思うのだが……なんだかすごくモヤモヤする。いや、グレイスは絵の話ができて喜んでいるだけだろ……うん……僕ってこんなに心が狭かったのか……
その後、複雑な気持ちになりながらもグレイスを寮の部屋まで送っている途中、グレイスが話しだした。
「ジェームズ様、本当に素晴らしい絵をお描きになりますのね」
「……そうだね」
グレイスがジェームズの名前を呼ぶたびに胸が苦しくなる。仄暗い感情が湧き上がってくる。
「でも、以前の……ノア様に出会う前の私があの絵をみたら、絶望していたかもしれません」
「え?」
「どうせ自分には才能がないと……絵を描くことをまたやめたかもしれません」
そう言うとグレイスは藍色の瞳をまっすぐ僕に向けた。
「でも私はノア様に出会って、やっぱり絵を描くのが好きなんだと気づけました。今の私があるのは、ノア様のおかげなのです。だから私は、これから運命がどうなろうとも……ノア様に出会えて本当によかったです」
「グレイス……」
ああ、もう……こういうとこだよ……グレイスのことをこれ以上ないくらいに好きだと思うのに、もっと好きになる。たとえグレイスが僕に向ける感情が僕のものと違っても……
「僕もグレイスに出会えてよかった」
僕は心からそう言った。グレイスは、今にも泣き出しそうな笑顔を浮かべた。