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二章 ミルド村のアルラウネ 十三話

 翌日、ミルド村へと帰っていく村長のお爺さんを見送ってから、俺たちは西に向かうバスへと乗り込んだ。

 鉱山の中を通っている巨大なトンネルを抜けると、そこには湿原が広がっていた。

 モルガタ湿原と呼ばれるその場所は白い霧に覆われており、全貌が全く把握できない

 俺たちの乗っていたバスはゲイル村からモルガタ湿原までを往復しているものだったので、湿原の入り口で外に出た。


「ここからは徒歩でしか移動できないので、普通はあそこで護衛を雇います」


 サラがアルドミラ軍の詰所を指差す。どうやら湿原の往復を護衛するための軍人がいるようだ。


「どうする? 正直、レフィーナとオリヴィアがいれば余裕だよな」

「アキトちゃん、人任せなの? アキトちゃんだって強いじゃない」

「ぼくたちに護衛なんていらないよね~。力の差が分からずに襲ってくるような敵は食べちゃうし」


 レフィーナがアルドミラ軍に護衛を頼みに行く人たちを横目で見ながら楽しそうに笑う。

 あの顔は返り討ちにしてやるのを楽しみにしている顔だ。ミルド村に半年以上住んでいたとしても、こいつの物騒な性格は変わらないらしい。


「じゃあ、護衛は雇わずに進もうか」


 モルガタ湿原を西へ横断する木道を4人で進んでいく。

 途中でサラがキョロキョロと辺りを見回し始めた。


「どうしたんだ?」

「何だか、わたしがハウランゲルから来た時と違うんです。あの時はこんな霧はありませんでした」

「そうなのか? 時期的な問題なのかもしれないな」


 濃い霧のせいで遠くの景色は全く見えない。進めば進むほど霧が濃くなっていく。

 既に数メートル先の状況も見えない状態だが、木道を進んでいけばいいので道に迷う心配はないのが救いだ。

 俺は昔から湿原の神秘的な雰囲気が好きだったので、景色が見られないのは残念だ。


「……この霧、普通じゃないよ」


 レフィーナが周囲を警戒するようにしながら呟く。


「どういうことだ?」

「魔力を含んでいる……ぼくじゃなきゃ気が付かないような濃度だけどね」

「じゃあ、この霧は誰かが魔法で出したものだっていうの? それにしては大規模すぎないかしら?」


 オリヴィアの疑問はもっともだ。

 こんな広い湿原を包み込むほどの霧を発生させることが出来る魔力量を持つ種族など、特級種族でない限りはほとんどいないだろう。いたとしても目的が分からない。


「ちょっと待って」


 レフィーナが全身から蔓や根を伸ばして目をつぶる。恐らくは魔力で周囲を探っているのだろう。

 俺たちは立ち止まってレフィーナの魔力感知が終わるのを待った。


「……この霧、道の外に行けはすぐになくなっているみたい」

「それって」

「この木道を進む人をターゲットにした撹乱魔法ってことかしら?」


 オリヴィアの一言で不安になったのか、隣にいたサラが俺の服を掴んだ。


「アキトさん、やっぱり戻って護衛の軍人さんを雇いませんか? こういうのはプロに任せた方がいいですよ」

「……それもそうだな」


 よく考えてみれば、力があるからといってわざわざ俺やレフィーナ、オリヴィアが戦う必要はない。この道を行く人たちを守るためにアルドミラ軍は軍人を派遣しているのだから、利用するのが普通だ。

 俺たちは一度来た道を引き返すことにした。

 まだそこまでの距離は進んでいないので、数分歩けば入り口に戻れるだろう。


「にしても、こんな霧を出している奴の狙いってなんだ?」

「普通に考えれば、この湿原に生息している魔獣か魔物の仕業じゃないかしら? 視界を奪って死角からガブっと噛み付いてくるとか。ま、お姉さんには通用しないけどね」

「どうしてだ?」


 オリヴィアは魔力感知が出来ないはずだ。この霧の中では俺と同様で何も見えないと思うのだが……。


「お姉さんは魔力以外で相手を感知できるのよ。耳や鼻、それと温度でも分かるから、大体の状況に対処できるわ」

「温度……ああ、ピット器官か?」

「ピット器官? それって蛇にあるやつよね。アキトちゃん、酷いわ。お姉さんの顔に穴なんて見当たらないでしょ?」


 オリヴィアは近付くと、ずいっと顔を寄せてくる。ふわふわの髪の毛を手で持ち上げておでこを見せると、「何もないでしょ」と言って笑った。

 正直に言おう。ドキドキしてまともに確認できません。


「で、でも、それならどうして温度が分かるんだ?」

「さあ? ただ、暗かったり視界が悪かったりする場所だと目の機能が切り替わるのか、温度が色で見えるのよ。たぶん、ラミアの目にはそういう能力があるんだと思うわ」


 俺が思っていた以上に、ラミアはファンタジー寄りの生物らしい。まさかピット器官を持たずに温度を見る力を持っているとは思わなかった。

 オリヴィアとの契約で貰う祝福は翼が一番だが、もしも二つ目を貰えるとしたら、目の機能を貰いたいものだ。


「にゃ? 何か聞こえませんか?」


 不意に、サラが立ち止まって警戒を促した。


「……虫の羽音のようですけど、とても大きいです」

「虫だって?」


 嫌だなぁ。虫系のでかい魔物とか出てきたらトラウマものだぞ。

 俺は霧の中で見えもしないのにキョロキョロと辺りを見回してしまう。すると、レフィーナとオリヴィアも自分なりの方法で周囲を調べ始めた。


「……確かに遠くに何かいる――あっ、こっちに気付いたかも、一気に近付いてくるよ」


 レフィーナが全身から蔓を伸ばして警戒する。


「お姉さんにも聴こえたわ。不味いわね、人型よ。それも10人以上いるわ」

「待ってくれ、虫の羽音なんだろ?」

「はい。間違いなく虫の翅の音です。ここまで近付かれたら聞き間違えませんよ。周りを囲まれています」


 レフィーナ、オリヴィアの二人が俺とサラを守るように立ち位置を変える。


「霧に隠れてぼくたちを取り囲んで、一気に襲おうってこと?」


 レフィーナの声色が変わる。怒りの色が強く出ている低い声だ。


「上級種族が調子に乗るなっ!」


 怒りの声と共に、レフィーナの魔力が吹き上がる。俺にも分かるくらいにレフィーナの魔力が上昇した。

 本気のレフィーナを初めて見たオリヴィアとサラはぎょっとして振り返る。


「…………逃げたみたいだね」


 レフィーナが落ち着きを取り戻して、圧倒的な存在感を放っていた魔力を引っ込める。

 同時にオリヴィアとサラが息を吐いた。


「レ、レフィーナちゃん、驚かせないでよ」

「わたし、今の虫よりもレフィーナちゃんの方が怖かったです」

「ご、ごめんね。オリヴィアお姉ちゃん、サラちゃん」


 レフィーナは蔓を伸ばして二人の頭を撫でた。

 う〜ん。同じ最上級種族でも、オリヴィアとレフィーナはまるで違うな。オリヴィアはどちらかというと防御寄りだが、レフィーナは魔力に極振りしたアタッカーという印象だ。

 あいつに攻撃されたら殺されるというイメージを戦わずに相手に叩き付けられるので、格下が相手の時は便利だな。

 俺は相手が逃げて行ったという安心感から気を抜いてしまっていたのだが、遠くから叫び声が聴こえて一気に現実へと引き戻された。


「な、何だ!?」

「わたしたちが来た方からです!」

「まずいわね。逃げたんじゃなくて、別の人達へと狙いを変えたみたいよ」


 3人が一斉に俺を見る。

 こいつらはどうして俺に決めさせようとするのだろう。各々が自分で決めろよ。


「……アルドミラの軍人たちは、今の奴らに勝てると思うか?」

「一対一なら可能性はあるけど、民間人を守りながら複数を相手にするとなるとほぼ無理じゃ無いかしら?」

「はぁ…………仕方ない。助けに行くぞ!」

「そう言うと思ったわ」


 俺とオリヴィアはほぼ同時に翼を広げる。


「アキトちゃんはこの霧だと敵が見えないでしょう? お姉さんの後ろに付いて来て」

「分かった。レフィーナはサラを守りながら来てくれ」

「うん」


 サラの守りをレフィーナに任せて、俺は飛び立ったオリヴィアから離されないように後ろを飛行した。


「『水流魔法・連式水刃斬』!」


 オリヴィアが霧の中へと魔法を放つ。


「アキトちゃん、ストップよ!」


 俺はオリヴィアの声に合わせて急停止し、木道へと降りる。


「アルドミラの軍人さんたち、私たちは味方よ!」


 オリヴィアは大声で霧の先にいる軍人に呼びかけながらも近付く。

 霧の中から現れたのは、血塗れの軍人が2人と怯える民間人が4人だ。


「さっきの魔法は君たちが?」

「ええ。私はミルド村のオリヴィアよ」


 オリヴィアは赤い認証魔石を軍人に見せて身分を証明する。


「ミルド村? では後ろの彼は――」

「――話は後よ。次が来るわ」


 オリヴィアが敵に気付いたように霧の先に視線を向ける。

 俺と軍人たちにはどこに敵が潜んでいるのか全く分からないが、オリヴィアには見えるようだ。


「『氷結魔法・絶対氷壁』!」


 オリヴィアの魔法が軍人たちを守るように展開され、敵の攻撃を遮る。


「くそっ、俺には何も出来ないのか……」


 今更になって気付いたのだが、空間魔法は展開する空間を目で確認して把握しておく必要があるので、こうも視界が悪いと上手く使う事が難しい。

 多少の物体があるだけなら俺の魔法とぶつければ消し飛ばすかはじき出すことが出来るのだが、空間に存在している霧全てを認識して魔法を使うという事が難しいので、多分俺には出来ないだろう。


「アキトさん、わたしに任せてください」


 追い付いてきたサラが俺の隣を通り過ぎると前に出る。


「サラ?」

「『疾風魔法・乱流破』!」


 サラの疾風魔法が俺たちの周囲を暴れまわり、周囲の霧を一瞬だけ吹き飛ばす。


「ごめんなさい。後ろに逃げられました」


 霧の動きに合わせて後方へと退避したのか、敵の姿は見ることが出来なった。しかし、おかげで俺たちの周囲には霧が存在していない。

 これなら、俺の魔法が使えるはずだ。今の俺にはこれくらいしか役に立てないので、目一杯の魔力を使って魔法を発動する。

 グレンとの戦いの後で、ミドリは俺に不可侵領域の上位魔法を教えてくれた。ロゼとの契約が無いので魔力量的に使えるタイミングが限られてしまったが、今の状況ならこの魔法を使っても差し支えないだろう。


「『空間魔法・不可侵聖域』!」


 俺は全員を包み込むようにドーム状の不可侵領域を展開する。通常の不可侵領域と違って全方向を守る無敵の防御魔法だ。俺の魔力がかなり持っていかれてしまったが、これで全員を守り切ることが出来る。

 ちなみに魔力をつぎ込めば最上位魔法クラスの防御魔法として大規模展開出来るらしいが、俺が使った場合は一回で魔力切れなので意味がない。


「俺の防御魔法を張りました。とりあえずは安心してください」


 散っていた霧が戻ってきたが、不可侵領域に阻まれて俺たちの方までは入ってこない。


「な、何だ、この魔法は? 見えない壁か?」

「似たようなものです」


 正確には壁というよりは、何も入れない空間なのだが、説明が面倒なので壁という事にした。

 不可侵聖域に敵の魔法が数発ぶつかる。


「まだいるのか。レフィーナ、俺たちに気を使わなくていいから、本気で威嚇してくれ」

「うん、分かった」


 レフィーナが全魔力を開放する。

 俺と同じようにレフィーナの圧倒的な魔力が感じ取れたのか、軍人や民間人はビクリとする。


「…………今度こそ遠くに逃げたみたい。今なら追いかけられると思うけど、どうする?」


 このまま今の敵を放置しておくと、この道はもっと大人数の軍人たちで護衛をしないと危険だ。

 レフィーナとオリヴィアがいる今、追いかけて退治してしまうのがいいかもしれない。


「追いかけたいところだが……」


 俺は血を流して立っているのも苦しそうにしている軍人に視線を向ける。


「まずは手当てを優先しよう」


 俺たちは敵の追撃よりも、人命救助を優先することにした。

レフィーナは中級種族以下のレベルまで魔力を圧縮しているので、いきなり全開にされると落差が大きく、余程鈍い相手じゃない限りは彼女の魔力に驚くことでしょう。

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