序章 相棒はドラゴンメイド 八話
アキトが村長のお爺さんに契約紋を使用することを許された15歳の元旦。
一匹のドラゴンが近くの山の方角に飛んでいくのを見かけて、超特大の契約紋を持っていたアキトは村の大人たちを連れて山へと向かった。
ドラゴンと契約して両親を殺したギドメリアへ復讐を考えていたというわけではない。ただ、これ以上大切な人たちを失わない為に、村のみんなを守る力が欲しかったのだ。
頂上の火口部付近で腹ばいで横たわっているドラゴンを発見すると、アキトはドラゴンが今にも死にそうなほど弱っている事に気が付いた。
ドラゴンは遠くから様子を伺っているアキト達に気付いても襲ってくる素振りを見せなかったので、アキトは慎重に声の届く距離まで接近しながら話しかけた。
「は、初めまして。僕の名前はアキト。君、ずいぶん弱っているみたいだけど大丈夫かい?」
「……気にしないで、少しお腹が減っただけ」
ドラゴンのものとは思えないような女性の声が頭に響く。
アキトは周囲を見回して確認するが、今この場にはアキトとドラゴン以外にはミルド村の大人たちしか存在しない。その大人たちも遥か後方で怯えながら様子を伺っている男性だけであり、今の声は彼らのものではないのは明白だ。
原理は分からないがアキトの頭の中に響いた声は、目の前のドラゴンの声だと思っても良さそうだった。
「そ、そうなのか。少し時間がかかるかも知れないけど、村から食料を持ってくるよ」
アキトが振り返ると、後方で見守っていた数名の大人たちが首を振る。
やはり彼らにもドラゴンの声は聞こえていたようだ。
「彼らは無理だと言っているようだけど?」
「す、すまない、さすがにお腹いっぱいになるほどの量は無理かもしれないけど、出来る限り用意するから」
「いらない。どうせ死のうと思っていたところだから」
ドラゴンの言葉を聞いて、アキトは表情を険しく変える。
「死ぬだって? どうしてそんなことを言うんだ。食料なら僕が何とかしてみせる、諦めちゃダメだ」
「今を生き延びたから何だと言うの? それに私がここで野垂れ死のうがあなたには関係ないでしょう」
アキトには生きることを諦めたようなドラゴンの態度が理解できなかった。同時に、生きたくても生きられなかった人々を思い出し、小さな怒りを覚える。
「……き、君は……助かりたくないのか?」
「ええ。私には生きる意味が……いや、少し違うか。生きる目的がないの。なら、いっそのこと死んでしまおうと思っただけ。放っておいて」
アキトがまだ小さな子供だった頃、彼の両親はギドメリアの魔族に殺された。
もっと生きていて欲しかった人が、ずっと一緒にいたかった人たちが死んでしまい、アキトは唐突に訪れる死という永遠の別れを憎むようになった。
人は天寿を全うして死ぬべきであって、それ以外の理由で死ぬことは許されない。だというのに、目の前のドラゴンは生きる目的が無いなどという理由で自ら死を選ぼうとしていた。
「……ふざけるなよ」
アキトはドラゴンに近付いて、その顔を思いっきり蹴り飛ばす。
もちろん、彼の何倍も大きな身体と強固な鱗に覆われたドラゴンにとって、15歳の少年の蹴りなど痛くも痒くもないのだが、後方にいた大人たちは仰天して駆け寄ってきた。
「ア、アキト!? 何をやっているんだ!」
「みんなは黙っていてくれっ!」
温厚なアキトが振り返って声を張り上げると、止めに来た大人たちは射竦められて足を止めた。アキトが今までに見たことが無いような鋭く力に満ちた目をしていたからだ。
「おい、お前。名前は?」
ドラゴンは先ほどまでとは人が変わったようなアキトの態度に驚きながら答える。
「エメラルド」
アキトは何かを考えた後で、もう一度エメラルドを蹴ると言い放つ。
「よし。今からお前はミドリだ。僕の言うことに従え!」
「……どういうつもり?」
エメラルドの問いにアキトはニヤリと笑うと上着とシャツを脱ぎ捨てて上半身を露出する。
彼の左胸に浮かび上がった超特大の契約紋を見て、エメラルドは目を見開く。
「契約紋? いえ、それにしては大きすぎる」
「正真正銘、これが僕の契約紋だ。ミドリ、お前は今から僕と契約するんだ」
「……その契約紋が本物だったとしても承諾するわけがないでしょう。私はここで死ぬのだから」
「お前が死ぬのは生きる目的がないからなんだろう? なら、僕がお前に生きる目的を与えてやる」
エメラルドは目の前の少年に少しずつ興味を抱いてきていた。
初めは怖いもの知らずのお人好しだと思っていたが、自分が死ぬと言った途端にこの豹変ぶり、明らかに普通ではない。
加えて左胸で発光する超特大の契約紋。
契約紋が発光するのは近くに契約出来る生物がいるという証だ。
今近くにいる人間以外の種族は自分だけ。最強の種族であるドラゴンと契約することが出来る人間など、神話でしか聞いたことが無い。
「私にあなたの為に生きろと言うの?」
「違う。僕に従えと言ったが、僕の為に生きろとは言っていない。ミドリ、お前は人の為に生きろ」
「それは同じ意味でしょう」
アキトは冷静さを取り戻したのか、少しだけ落ち着いたトーンで話す。
「……僕の為に生きてしまったら、ミドリは僕がいなくなったらまた死ぬと言い出すだろう? それはダメだ。だからミドリは人の為に生きるんだ」
「人の為に……」
「そうだ。僕や村のみんな、この国に生きる人たちを助けてミドリも生きるんだ。そうして生きているうちに、本当にやりたいことが見つかるかも知れないだろ? だからミドリのやりたい事が見つかるまでは、人の為に生きることを仮の目的にするんだ」
「やりたい事が見つかるとは思えない」
「今はそうだろう。でも、未来は誰にも分からない。ドラゴンっていうのは人間よりもずっと長生きなんだろう? こんなところで野垂れ死んだらもったいないよ」
アキトの主張を聞いて、エメラルドの中に小さな意志が生まれた。
生きる目的などという大それたものではないが、アキトの進む先を見てみたいという欲求だ。
彼の言うように、エメラルドは人間の三倍は長く生きる種族。どうせやることが無いのなら、彼の口車に乗せられてみようと思った。
「アキト――と言いましたね」
「う、うん」
エメラルドは大きな腕を動かして、彼の契約紋に爪の先で触れる。突き刺すわけでもない、絶妙な力加減だ。
「とりあえず、あなたが老いぼれるくらいまでは従ってあげます。そこから先、生きるか死ぬかはまた自分で考えることにします」
エメラルドの魔力がアキトの契約紋に注ぎ込まれる。二人の気持ちが切れない限り、決して途絶えない命の契約。
それが今、結ばれた。
同時にエメラルドの身体が小さくなり、人型の少女の姿へと変わっていく。
エメラルドは自分の身体を確認して呟く。
「なるほど……竜人化の負担が全くない。これが祝福というものなのですね」
アキトはエメラルドの裸体を見て赤面しながらも、放り捨てていたシャツと上着を彼女に押し付ける。
「これは?」
「ふ、服を着てくれ! 急に人の姿になるなんて聞いてない!」
「……裸にシャツとコートというのはマニアックですね」
「裸のままよりはマシでしょ!? 早く着てくれ!」
エメラルドは受け取った服を着込むとアキトに向き直って挨拶する。
「これからよろしくお願いします、ご主人様」
「なっ、や、止めてよ。アキトでいいよ」
「どうしてですか? あなたが従えと言ったのですよ?」
アキトは頭に血が上って自分がとんでもない事を言ってしまっていたことを思い出した。
失礼な話だが、アキトは相手が人型ではない生物だったからこそ、あのような態度が取れたのだ。竜人の姿になった今、先ほどのような高圧的な態度はとてもじゃないが取ることが出来ない。
「あれは……ちょっと冷静さを欠いていただけだから。ご主人様なんて呼ばれたら恥ずかしいよ」
「そうですか。ではアキト様とお呼びします」
「それも微妙なんだけど……呼び捨てでいいから」
アキトの申し出に対してミドリは首を振る。
「私は今から人の為に生きるのですから、これ以上は譲りません。決心が鈍ります」
「以外に頑固だな……分かったよ。よろしくね、エメラルドさん」
「ミドリとお呼びください」
「いやそれは……勢いで名付けちゃったけど、さすがに酷いよね。取り消すよ」
「嫌です。ミドリとお呼びください」
エメラルドはアキトの手を掴んでじっと見つめる。力強い視線が、ミドリと呼ぶまで放さないと物語っていた。
「分かったよ……よろしく、ミドリ」
「はい。よろしくお願いします、アキト様」
「う~ん。アキトのやつ、意外に勢い任せだな」
「私に命令した時のアキト様はあなたと良く似ていました。さすがは並行世界の同一人物ですね」
「嬉しくねえな。それと、気になったんだが、もしかしてミドリは祝福でドラゴンメイドになったのか?」
俺の問いにミドリはわざとらしく感嘆の声を上げた。
「へぇ……意外に鋭いですね。今はドラゴンメイドで通していますので、アキト様も話を合わせてください」
「いいけど、ドラゴンってバレると……不味いのか?」
「強すぎる存在は畏怖や偏見から無駄な争いを産みます」
「ああ……そうだったな」
ミルド村の人達に自分が特級種だと隠しているのと同じ理由か。だがこれでミドリがどうして俺の世話を焼いてくれているのかは理解できた。
彼女はアキトに言われた通り、人の為に生きようとしているのだ。手始めに契約者である俺の手伝いをしてくれているのだろう。
「でもさ、アキトは俺の世界に行っちまったわけだろ? お前はそれで良かったのか?」
「争いのない世界で家族と暮らすのがアキト様の願いでしたから」
「そうだけど、ミドリはアキトだから契約したんだろ? 同一人物でも俺はアキトじゃないんだから、契約を切ってもいいんだぞ?」
「そんなことをしたら、あなたは魔法も使えないただの変態になってしまうではないですか」
「うっ……」
言い方が酷いのは置いておくとして、ミドリの魔法が無くなると確かに困る。
「それに、私はあなたの事も気に入っていますよ」
「えっ、ど、どの辺が?」
ヤバい。俺はいつの間にかミドリとの恋愛フラグを成立させていたのか?
どうしよう、アルラウネにも会いたいけど、やっぱりミドリも可愛いよな。毒舌だけど、今朝みたいにしおらしい時は結構好みなんだよ。ましてや竜人だよ?
俺は先ほど見た半裸のミドリを思い出す。あの鱗と尻尾は最高だよな。特に尻尾の付け根は――
「隙あらば私をいやらしい目で見るのは不快ですね」
「すみませんでした」
いかん、思考が暴走してしまった。
俺は頭を振って煩悩を振り落とす。
「とにかく、私はどちらのアキト様も気に入っていますので、何も気にする必要はありません」
「……そうか、ありがとな」
「では、私は服を買いに行きますので、アキト様はアルラウネの森の場所を調べておいてくださいね」
「ああ、任せてくれ」
ミドリは席を立つと店を出て行く。
俺は彼女の後姿を見送りながら小さく呟いた。
「結局、俺のどこを気に入ってくれたんだか……」