二章 ミルド村のアルラウネ 二話
俺とオリヴィアは南門から空を飛んでミルド村へと向かう。
荷物が多いので大変だが、魔力が有り余っているので翼から放出する魔力を増やして速度を上げ、スーツケースを抱えている腕に限界が来る前に村へと辿り着いた。
ミルド村はレオさんが言っていた通り、驚くような変化を遂げていた。遠目から見てもあれがミルド村だとは思えないほどだ。
ミルド村の北側に着地すると、オリヴィアが首を傾げる。
「アキトちゃん、これがミルド村なの?」
「あ、ああ、そのはずだ……」
「でもこれって、どう見ても森よね」
「…………うん」
ミルド村を囲む柵の向こう側には、その柵よりも背の高い木が生えているのが見えた。空から見た時に感じたのだが、村の大きさが倍以上になっている気がする。そしてそのほとんどが緑色で埋め尽くされているのだ。
俺とオリヴィアが村の前で立ち尽くしていると、後方からトラックが近付いてきた。運転席に座っていた男が俺たちに声をかける。
「あんたたち、ミルド村に用があるのか?」
「そうですけど……ここは本当に村ですか?」
「はははっ! 初めてこの村を見た奴はみんなそう言うんだ。安心しな、村の入り口は東側にあるからよ。荷台でよければ乗って行くか?」
俺はオリヴィアと顔を合わせてから答える。
「お願いします」
こうして、トラックの荷台に乗ってミルド村の東側へと回り込むのだった。
「ありがとうございました」
「おう。それじゃあな」
東の入り口でトラックから降りると、俺とオリヴィアは村の中へと入っていくトラックを見送った。
「ん、あんた、ミルド村のアキトか?」
村の入り口を守っている軍人が俺に気付いたようで、名前を呼んできた。
「そうですけど」
「やっぱりそうか。聞いたぞ、ドレンでは大活躍だったらしいじゃないか。あの戦いには俺の同期も何人か参加していたんだ、ありがとな!」
「は、はあ」
周りにいた軍人たちが何人も集まり、俺に対して一斉に敬礼する。
また戦争モードに思考が戻ってしまいそうなので止めて欲しいのだが、これは彼らなりの感謝の表し方だとは分かるので、俺もぎこちない敬礼で返した。
「あの、俺が暮らしていた時に比べて、村がずいぶん変わっているんですけど、何があったんですか?」
「何って――」
軍人が説明しようとしたところで、村の奥から大声が響く。
「あー、やっぱり! アキトくん!」
懐かしい少女の声。
俺を指差して満面の笑顔を浮かべる可憐な少女は、黄緑色の肌に赤い花びらのような髪の毛と、大きな紫のバラの花に彩られたプリンセスアルラウネだ。
「レ、レフィーナ様!」
軍人たちがレフィーナに驚いて一斉に道を開け、跪く。
「えっ?」
俺は何事かと驚いたが、レフィーナはそれが当たり前のように気にも留めずに俺目掛けて駆け寄ってきた。
勢いよくジャンプして抱き着いてくる。
何とか抱き留めたのだが、勢いに負けてバランスを崩しそうになり、オリヴィアが背中を支えてくれて転倒を免れた。
「久しぶりだね、アキトくん!」
「お、おう。久しぶり、レフィーナ」
レフィーナは俺に抱き着いた状態で首元に舌を這わせる。
「いぃっ!?」
「うん。アキトくんの味だ!」
俺はぞくりと電撃のようなもの感じて身を震わせた。
「な、何するんだよ!」
「えへへ、やっぱりアキトくんは美味しいね」
こ、怖え。
いや、分かってるよ?
レフィーナは俺を食べようとか考えているわけじゃなく、ただ俺の汗に含まれる無属性の魔力の味を楽しみたかっただけなのだってことくらい。
でも、久しぶりに会っていきなり首を舐められるとか、怖すぎるだろう。
「それで……翼のお姉さんは誰なの?」
レフィーナは俺の背後にいるオリヴィアに視線を移した。俺の身体から飛び降りてオリヴィアの前に立つ。
「私はオリヴィア。アキトちゃんの契約者よ。あなたがアルラウネのレフィーナちゃんね。アキトちゃんから話は聞いているわ」
「ふうん。アキトくんの味が微妙に違ったのはお姉さんのせいか」
「味? さっきも言っていたけど、あなたアキトちゃんを食べちゃう気じゃないわよね?」
「するわけないじゃん、そんなこと。ぼくはただ、アキトくんの魔力の味が好きなだけだもん」
オリヴィアはチラリと俺を見てから続けた。
「私の魔力が混じったことで、アキトちゃんの味ってどう変わったのかしら?」
気にするところはそこなのか?
「そうだなぁ……ちょっとしょっぱくなった」
「汗だからじゃなくて?」
「それもあるだろうけど、水属性の魔力はしょっぱいんだよ」
「初耳だわ。魔力によって味が違うなんて」
「お姉さん、もしかして魔力のある食べ物を食べたことない?」
「ええ、無いわ」
オリヴィアが言い放つと、レフィーナは愕然としてかわいそうな人を見るような目で彼女を見た。
「あ、あの……これあげるね」
そして服の中からブドウ一房を取り出すと蔓を使ってオリヴィアに渡した。
軍人たちの方からどよめきが聞こえてくる。レフィーナが振り返ると、ピタリと声が止んで軍人たちは下を向いた。
なんか妙に統率が取れているというか、レフィーナのこの村での立場が想像できるな。
「これは?」
「ラウネぶどう。たった今、ぼくが作った出来立てだから、普通のラウネぶどうよりも美味しいよ。皮ごと食べられる種なしぶどうだから食べてみて」
「ええ、ありがとう」
いつの間にか品種改良のようなことをしたのか、皮ごと食べられる種なしぶどうに進化している。
やるな、トウマ。
オリヴィアは房から実を取ると、そのまま口に放り込んだ。みるみるうちに顔がにやけていく様見るに、相当美味しいようだ。
「お、驚いたわ……この世界にこんなにおいしいブドウがあったなんて」
「ぼくのラウネぶどうは世界一だからね。とっても甘くておいしいでしょ?」
「ええ。こんなに甘いブドウは初めてよ」
「属性にはそれぞれ味があるんだよ。地属性は甘味、水属性は塩味、炎属性は酸味、風属性は苦味って感じで。でも、自分と同じ属性の食べ物を食べた時はそういった雑味が薄まって無属性の味に近くなるんだ」
レフィーナが属性の味について語り始める。
ミルド村で暮らす間は、魔力と味の研究でもしていたのだろうか?
「無属性って何かしら?」
「人間の魔力のこと。普段は何の役にも立たないんだけど、味に関して言えば旨味の塊みたいなもので、すっごく美味しいんだ。魔力の味が分かる人間以外の種族が食べたら病みつきなっちゃう味なんだ」
「へ、へえ……それがアキトちゃんの汗の味なのね」
オリヴィアはレフィーナに舐められた俺の首筋に視線を向ける。
俺は身の危険を感じて一歩下がった。オリヴィアに襲われたらそのまま性欲に負けて色々してしまいそうなので、絶対に俺の汗や唾液はやらないぞ。
俺が警戒したのが分かったのか、オリヴィアは残念そうに俺から視線を外すと手に持っていたぶどうを食べ始めた。
「それで、アキトくん。ハーピーはいないみたいだけど、やっぱりダメだったの?」
「うっ」
いきなり直球の質問が来て、俺は傷口をえぐられたような気分になった。
「ま、まあ、色々説明を省くとそうなる」
「そっかあ……どうする? ぼくが慰めてあげようか?」
レフィーナはそう言って全身から蔓を伸ばす。とても心惹かれる提案だが、それを受け入れるわけにはいかない。ハーピーは諦めたが、異種族の彼女を作るという夢を諦めたわけではないのだ。
「だ、大丈夫だ」
「そう? あっ、もしかしてお姉さんがアキトくんの恋人なの?」
「いや、違うぞ。オリヴィアはどっちかっていうと、ミドリと同じ立ち位置だ」
「ミドリお姉ちゃんと同じ? それって家族ってことだよね」
「ああ。オリヴィアは俺の姉になりたいんだとさ」
「じゃあ、ぼくにとってもお姉ちゃんだね。よろしく、オリヴィアお姉ちゃん!」
レフィーナが満面の笑みでそう呼ぶと、オリヴィアは膝から地面に崩れ落ちた。
食べ終わっていたふどうの茎が地面に転がる。レフィーナはそれを蔓で拾い上げて口に放り込んだ。
食べるのか、それ。
「どうしたの、オリヴィアお姉ちゃん? ぼくのぶどうに毒なんて入って無いはずだけど?」
「……レ、レフィーナちゃん、お願いがあるんだけど」
「うん、何?」
「抱きしめてもいいかしら?」
「いいけど?」
レフィーナは不思議そうに首を傾げながら、地面に膝を付いているオリヴィアに抱き着いた。
オリヴィアは気持ち悪いくらい顔を緩ませると、レフィーナを抱きしめる。
「もう一回、呼んでもらっていい?」
「ん? オリヴィアお姉ちゃん?」
「――っ!」
俺はいったい何を見せられているのだろう?
「……アキトちゃん、お姉さんは沼にはまったかもしれないわ」
「みたいだな」
レフィーナとオリヴィアが仲良くなれそうで良かったが、オリヴィアが妹にはまりすぎて暴走しないように俺が見張らないといけなさそうだと思った。
ミルド村の中に入ると、その変貌ぶりが良く理解できた。
まず、ギドメリア軍の攻撃で破壊されていた北側の建物はほとんどが元通りになっていた。しかし、その周りを守るようにレフィーナが木を植えたことで、外から見ると村が巨大化したように見えていたのだ。
北側の木は村を守るためのものであり、王都の西にあるアルラウネの森と同じで魔力を持った植物らしい。
レフィーナの森と言ってもいいレベルだな。実際、レフィーナは自分の身体を再び花と人の二つに分けて、ミルド村全域に根を張っているらしい。
レフィーナの花はミルド村の中央広場にあり、その周りを小さな花で囲って巨大な花壇になっていた。祀られているような雰囲気がある。
「レフィーナは今、あの花で寝起きしているのか?」
「ううん。それでも良かったんだけど、人間と同じ生活をした方が村に馴染めるかなって思って、アキトくんの家に住んでるよ」
「なるほど。留守番、ありがとな」
俺が頭を撫でてやると、レフィーナは嬉しそうに微笑んだ後で思い出したように怒りだした。
「アキトくん、子供扱いしないでよ!」
「わ、わりい」
レフィーナは小さくて可愛いから、つい撫でたくなるんだよな。
「じゃあ、普通の服を着ているのも、村に馴染むためか?」
「うん。結構、評判良いんだよ」
レフィーナは着ていたワンピースの裾を広げて服を見せてくる。可愛い。オリヴィアもメロメロだ。
「似合ってるよ」
「えへへ、ありがと」
俺とオリヴィアがレフィーナに今の村の状態について尋ねながら歩き回っていると、一人の老人が声をかけてきた。
「おや? アキトじゃないか」
「お爺さん? お久しぶりです」
老人は俺の両親が死んでから、後継人となって面倒を見てきてくれたこの村の村長だ。幼馴染のカレンの祖父でもある。前のアキトが本当の祖父のように慕っていた人であり、俺もその記憶に引っ張られているのか無条件で好感をもっている。
「帰ってきていたとは驚いた。もしや、そちらの女性が?」
う~ん。みんなその勘違いをするのか。そろそろ説明が面倒になって来たな。さっきから出会う村人みんなに同じ誤解をされているのだ。
俺はもう何度目か分からない説明を村長にした。
「そ、そうなのか……それでエメラルドさんが見当たらないけれど、どうしたんだい?」
「それ、ぼくも気になってるんだけど、アキトくんが何度も説明すると面倒だからって言って教えてくれないんだ」
仕方ないだろう。この村を旅立ってからの話をするととても長くなってしまうというのは、レオさんに説明して感じていたのだ。
レフィーナ、村長、カレン、トウマ辺りがそろっているところで一気に話す方がいい。
「カレンやトウマはいませんか? 一緒に説明しておきたいんです」
「ああ、二人なら旅に出ているよ。帰って来るのは来年になるかもしれないね」
「旅? そういやカレンは彼氏探しをするって言ってたっけ……でも、トウマはどうして?」
実家のブドウ畑が破壊されたことを悲しんでいたトウマが旅に出ているとは思わなかった。
ラウネぶどうが人気になっているって聞いたし、てっきりトウマが育てているものだとばかり思っていたのだが、違ったのか。
「トウマはね、カレン一人じゃ心配だって言って付いて行ったんだよ。ウェインもいなくなっちゃったから寂しかったんだ~」
レフィーナは詰まらなそうに言って、俺の腕に抱き着いた。オリヴィアが羨ましそうにしているからそっちに行ってくれ。
「しかし、カレンは男連れで恋人探しなんて無謀じゃないか? そこは普通一人旅だろ」
「アキトちゃん……それあなたが言うの?」
「うっ、そ、それもそうか……」
俺も人のこと言えなかったよ。ごめんなさい。
しかし、お爺さんの口から意外な言葉が飛び出した。
「カレンは恋人を探して旅立ったわけでは無いよ」
「えっ? じゃあ、何をしに行ったんですか?」
「契約獣を探すと言っていた。カレンもアキトと同じで大きな契約紋を持っているからね。強くなってアキトがいなくてもミルド村を守れるようになると言って出て行ったんだ。今なら村にはレフィーナさんがいてくれるからね」
レフィーナがエッヘンと胸を張る。
今気づいたが少し成長しているな。もう少し子供体系だったような気がするのだが、今のレフィーナは背こそ低いが女性的な身体のラインをしている。
植物の成長は速いし、レフィーナもこの数か月で大人になってきたということだろうか?
「ゆくゆくは、カレンが村長として村を守っていくつもりなのだろう。トウマにはぜひ、カレンを支えてもらいたいものだよ」
なるほど、お爺さんはカレンの夫候補にトウマを選んだわけか。確かにあいつなら少なくとも俺よりはカレンを幸せにしてやれそうだ。
カレンが心配だという理由で付いて行ったと言っていたが、もしかしたらトウマもそういうつもりで付いて行ったのかもしれない。
頑張れよ、トウマ。
「では、そろそろ聞かせてくれないかい?」
「そうですね。カレンとトウマがいないのなら、勿体ぶる必要はありません」
俺はレフィーナとお爺さんにこれまでの旅の話を聞かせた。
二人とも俺がドレンで戦ってきたことは知っていたようだが、詳細までは知らなかったらしく、最前線で戦ったという話を聞いて驚いていた。
「想像を絶する話だったよ……よく頑張ったね、アキト」
「いえ、実際一番活躍したのは、オリヴィアとアルドミラ軍の勇者ですから。俺は彼女たちのサポートをしただけです」
「うむ。オリヴィアさん、アキトを守ってくれてありがとうございます。エメラルドさんが帰って来るまで、どうぞ村の暮らしを楽しんでいってください」
「ええ、よろしくお願いします」
お爺さんはオリヴィアと握手を交わすと、家へと戻っていった。
「ミドリお姉ちゃんの怪我、治るといいね」
「ああ。今は信じて待つだけだ」
「そうね。ミドリちゃんならきっと大丈夫よ」
俺はレフィーナとオリヴィアと共にミドリが無事に帰って来ることを願いながら家へと向かった。
全体的に村は大きな変化を遂げていたが、俺の家は比較的以前のままだった。
違うのは庭が広がっているのと、異様に大きな花のつぼみがあることくらいだ。
「…………レフィーナ」
「ん、なあに?」
「このつぼみってなんだ?」
俺は家の庭にある巨大な花のつぼみを指差して尋ねる。
俺の記憶が正しければ、これと同じようなものを昔見たことがある。
「あっ、そっか。ちゃんと挨拶させないと。みんな、起きて~」
レフィーナがそう言ってつぼみに向かって命令すると、巨大なつぼみが一斉に開き、中から小さな女の子たちが姿を現した。
黄緑色の肌に、色とりどりの髪の毛。それはどう見ても、アルラウネの子供たちだった。
「紹介するね、アキトくん。ぼくの子供たちだよ!」
レフィーナは笑顔で娘を紹介してきた。




