一章 アルドミラの勇者 十三話
翌日、俺は本当に荷物をまとめてミルド村に帰ることにした。
ここはドレン要塞都市の北部にある軍事施設の一室。そこで書類整理をしていたゲルミアさんに別れの挨拶にきていた。
「アキトさん、驚きましたよ。ミルド村に帰られるというのは本当の話ですか?」
会って早々、ゲルミアさんが駆け寄ってくる。
まだ誰にも話していないのにゲルミアさんが知っているってことは、昨日の出来事をあの場にいた軍人の誰かが報告したのだろう。
「ええ。二か月間、お世話になりました」
「いえ、お世話になったのは我々の方ですが……考え直しては頂けませんか? この二か月である程度施設の修復は進みましたが、まだ万全とはいえません。この状態で再び魔王軍が攻めてくれば、苦戦は必至です」
「俺はヴィクトール元帥に緊急時の援軍を頼まれただけで、軍に入隊したわけではありません。実際に敵を退けた今、俺が軍に協力する必要はないはずです」
「それは……そうですが……」
ゲルミアさんは残念そうに肩を落とす。
実際、昨日の件が無くてもそろそろ出て行こうとは思っていたんだ。いつまでも軍に協力し続けていると取り込まれそうだからな。
「あの、ハルカさんとは?」
「ハルカ? 特に話してないですね。一応、今日の夜に出る王都行きの夜行バスに乗る予定なので、この後挨拶くらいはしようと思っていますけど」
「……ハルカさんは、戦場であなたに助けられてから変わられました。彼女の変化にはあなたも気付いているでしょう?」
そりゃあ、気付かない方がおかしい。よくもまあ、あそこまで懐かれたもんだと思う。
ハルカたちは朝から夕方くらいまでは北部で仕事や訓練をしており、夕方からはわざわざ南部で復興作業を手伝っている俺のところに会いに来て一緒に夕食を食べるのだ。
それ以外にも、昼頃に俺を呼びに来て一緒に食事をし、そのまま訓練に付き合わされたりもした。
アルベールの件は俺の勘違いだったが、ハルカが俺を気に入っているのは間違いないと思う。
「アキトさん、軍への協力は強要しませんので、ハルカさんのためにも残ってもらえませんか? あなたがいなくなると、彼女が悲しみます」
「それは……出来ません」
ハルカのために残るなんて、それこそ一番やってはいけないことだ。
「俺はハルカの気持ちを受け止めてあげられませんから」
「それほどに、年齢が下なことが問題ですか?」
「えっ?」
あっ、そういえば、初めて会った時に年上好きだって言ったんだっけ?
今の今まで忘れていた。
「すみません。それ嘘なんです」
「嘘? では本当は別の理由があるのですか?」
「はい。俺、人間の女って対象外なんですよ」
勿体ぶらずにサクッと答えてしまった方が信じてもらえるかと思ったのだが、結局ゲルミアさんは驚きと困惑で目を見開いた。
「ま、待ってください。アキトさん……あなたは人間の男性ですよね?」
「そうですよ」
「それなのに人間の女性は恋愛の対象外なんですか?」
「残念ながら。俺が好きなのは翼や鱗、尻尾などを持つ種族の女性ですね。ちょっと前まではハーピー一筋って思っていたんですけど、色々あって今はそこに落ち着いています」
ゲルミアさんはショックで言葉もないようだ。
ドン引きされることには慣れているけど、絶望顔をされたのは初めてだ。けれど、こういうのはハッキリさせておかないと後で余計にややこしい事態になりそうだからな。
そこへ慌てた様子のハルカが現れ、俺の顔を見るなり掴みかかってきた。
「アキト! あ、あんた、ミルド村に帰るって本当なの!?」
「お、おう。本当だ」
「どど、どうしてよ! 急すぎるじゃない!」
「急でもないだろ。実際、戦いが終わってから一か月以上たっているわけだし」
「あたしにとっては急なのよ! ねえ、別にこのままずっと一緒でもいいじゃない。何が不満なの?」
一番に不満なのは、この町が人間ばかりで異種族の女の子との出会いが全くないことかな。
「いや、俺は軍隊に入るつもりはないし、そろそろ戦いとは無縁の暮らしに戻ろうかと」
「い、いいわよ、別に入隊しなくても。ただその……さ、寂しいじゃない。傍にいなさいよ」
ハルカは目を潤ませながら俺を睨む。
くそっ、どうして俺に言い寄ってくる女の子は人間なんだ。
ハルカの事は恋愛を抜きにして言えば好きだ。こいつの戦いぶりを見て、俺よりも年下の女の子なのに、本当にカッコいい軍人だと思ったし、尊敬している。
けれど、恋愛対象としてはどうしても見ることが出来ない。
これはもう、理屈じゃないのだ。俺は人間だと分かると、まるでフィルターでもかかっているかの如く、女性をそういう目で見られなくなってしまう。
俺は腹筋に力を入れ、覚悟を決めて彼女の肩に手を置いた。
「ごめんな、ハルカ。俺はお前を支えてあげられるような男じゃないんだよ」
「…………アルベールに振られたのが原因なの?」
「いっ!?」
どこからそんな情報が出てきたんだ?
「隊のみんなを問い詰めたのよ。そしたら、アキトはアルベールに好かれているって思いこんでいて、それが勘違いだって分かったから出ていくんだって言っていたから」
あいつら、人の気も知らないでベラベラと喋りやがって。
「アルベールはアルベールで、アキトに酷いことを言っちゃったって落ち込んでいたから、詳しくは聞かなかったけど、酷い振り方でもしたのかなって……」
そっちにも話を聞いたのか。
二つの情報を合わせると、確かに俺が振られた感じに解釈できるのが恨めしい。
「あ~、えっと……その……」
どうする?
この状況でなんて返事をするのが正解なんだ?
「ハルカさん、あまりアキトさんを困らせないであげてください」
俺が悩んでいるとゲルミアさんが助け舟を出してくれた。
「私も先に話を聞きましたが、アキトさんの決意は固いです。笑顔で見送ってあげましょう?」
「で、でも……」
ハルカは俺とゲルミアを交互に見た後で、再度俺と目を合わせた。
「アキト……あたしじゃ、ダメなのよね?」
「……ごめん」
ハルカは涙がこぼれる前に目元を擦って涙を拭う。
「分かったわ。でも、たまにはあたしも会いに行っていいわよね?」
「おう。しばらくはミルド村にいると思う。もし別の所に行っていても、俺は虹色の認証魔石を持っているから場所は分かるだろ?」
「うん」
ハルカは少しだけ無理やりな笑顔を作ってみせる。ゲルミアの言う通りに笑顔で見送ってくれるつもりなのだろう。
「元気でね、アキト」
「お前こそな。ゲルミアさんも、お元気で」
「はい。次に会う時はもう少し平和な世の中になっていると良いですね」
二人が俺に敬礼したので、俺も敬礼で返した。
部屋を出ると、オリヴィアとアルベールが俺を待っていた。
「アルベール?」
「あ、あの、アキトさん、昨日は酷いことを言ってしまってすみませんでした」
驚いた。わざわざ謝りに来てくれたのか。
「アルベールちゃん、変に思い詰めていたみたいだから、このままだとモヤモヤしたままお別れになっちゃうと思って連れてきたのよ」
なるほど、オリヴィアの計らいか。
「そうだったのか。でも、謝ることなんてないぞ、今にして思えば俺が全部悪いし」
「そうね。アキトちゃんが悪いわね」
オリヴィア、ミドリじゃないんだから、そこは同意しないでくれ。おかしいな、オリヴィアってもっと俺に優しかったと思うんだけど……。
「でも、みんなに聞いたら話が変な方向に言っちゃっているみたいで、それも含めてハッキリしなかったわたしのせいなので」
「変な方向?」
俺がアルベールに振られたって事になっている話だろうか?
確かに直接的に告白して振られたわけではないけど、実際俺は少し好きになっていたので、感覚としては告白する前に振られた感じだ。
「そ、その、こんなことを言うのは初めてなので恥ずかしいんですが」
急にアルベールが顔を赤らめる。
何を言う気だ? そしてその顔、すごく可愛いね。
「わ、わたしがアキトさんの事、好きじゃないとか、振ったとか……」
「あら? でも、アルベールちゃんが好きなのはアキトちゃんじゃないでしょ?」
「違います。わたし、アキトさんの事好きです」
「「えっ?」」
ちょっと待て、今なんて言いました?
俺の耳が壊れていないのであれば、「アキトさんの事好きです」と言いませんでしたか?
俺とオリヴィアが驚いていると、アルベールは白い肌を真っ赤にして手で顔を覆う。
「それって、人として好きってことよね? まあ、それは分かるわ。一か月間、みんなで仲良くしていたものね。お姉さんも、アルベールちゃんやハルカちゃんのことは好きよ。ねえ、アキトちゃん?」
「あ、ああ。人としてって意味なら、間違いなく好きだぞ」
ビックリした。そういう意味か。
てっきり、告白されたのかと思ったぞ。
「そうじゃなくてですね……女性としてのわたしが、アキトさんの事、す、好きになって来ちゃっていたんです」
俺は心臓が跳ね上がる様な気持ちになりながらも、一度失敗したばかりなので、表情を凍り付かせてオリヴィアを見た。
「オ、オリヴィア。これは俺の勘違いか?」
「お姉さんも分からなくなってきたわ。アルベールちゃん、ちょっと場所を変えて、もう少し詳しく聞かせてもらえるかしら?」
「は、はい……」
それから、俺たちはレストランへと移動して、食事をしながらゆっくり話をすることにした。
「それじゃあ、そろそろ落ち着いただろうし、聞かせて貰えるかしら?」
軽い昼食を食べ終えて、食後のコーヒーが運ばれてきたタイミングでオリヴィアが切り出した。
「はい……わたしが両性なのはみなさんも伝えましたよね?」
「ええ。正直、良く分からなかったけど、とりあえず男女に関わらず恋愛対象として見ることが出来る種族なのかなって解釈したわ」
俺もそんな感じで捉えているな。
「当たっていますけど、厳密にいうと、自分の中に男性と女性の心がある感じなんです」
「心が二つある……二重人格的な感じか?」
「そこまでではないですけど、女の子を可愛いなって思うわたしと、男の子をカッコいいなって思うわたしが一緒に存在しているんです」
つまり、女を性的な目で見ている時は男で、男を性的な目で見ている時は女ってことだろうか?
「この際だから直球で聞いちゃうけど、アルベールちゃんはハルカちゃんの事が好きなのよね?」
「うぁ……その、は、はい。好きです」
「それは男の子として好きって事で良い?」
「はい。男として好きです」
オリヴィアは何かに気付いたようにニヤリと笑った。
「お姉さん、アルベールちゃんが何を言いたいのか分かっちゃった。つまり、女の子のアルベールちゃんとしてはアキトちゃんが好きってことよね?」
アルベールは顔を真っ赤にしながら頷いた。
待ってくれ、こんな展開予想してなかった。アルベール、俺の事好きなのか?
やばい、心臓がバクバクいってる。顔が熱い。
「あ、でもその、まだ完全に好きってわけじゃなくて、なりかけっていうか、いいなぁって思ってただけですよ」
そして慌てるように何だか良く分からない言い訳を始めた。とてもかわいい。
隣に座っていたオリヴィアが肘で脇腹を突いてから、小声で話しかけてくる。
「どうするのアキトちゃん、今ならお持ち帰りできそうよ?」
「お、おもっ――何てこと言ってんだ、お前」
くそっ、想像しちまっただろ。これから町を出て行こうって時に俺の決心を鈍らせるような事を言うな。
「あら? 冗談のつもりだったのだけど、アキトちゃん本気にした?」
「し、してねえよ」
「そう。それで、アルベールちゃんはどうしたいのかしら?」
オリヴィアはアルベールへと視線を戻して尋ねる。
「ど、どうとは?」
「アキトちゃんを好きじゃないってのは誤解で、本当はそれなりに意識していたっていうのは分かったわ。でも、今更その誤解を解いてどうするつもりなのかしら? アキトちゃんと付き合いたいの?」
「ち、違います。わたしはただ、変な誤解のせいでアキトさんが故郷に帰ってしまうと思って、誤解を解いて謝ろうと思ったんです」
「ふむ……なるほどねぇ。どうするアキトちゃん、ミルド村に帰るのは中止する?」
するわけないだろう。きっかけはアルベールの件が原因だったが、今更やっぱり帰りませんとは言い出せない。
それに、そろそろミルド村に帰ろうと思っていたのは本当なのだ。
「いや、帰るよ。ここでアルベールが本気で俺に告白してくるなら考えたけど、アルベールが一番好きなのは俺じゃないみたいだし。それに、昨日言ったけど、俺はハルカの気持ちにも答えてやれないからさ。それなのにハルカの近くにいるとかわいそうだろ?」
「ハルカちゃんが男の人を好きなったのって、これが初めてなんですよ? いいんですか?」
「お前こそいいのかよ。俺がハルカを取っちまったら困るだろ?」
「困りますけど、ハルカちゃんが幸せになってくれるのが一番ですから」
すげえな。そこまでハルカの事が好きなのか。
好きになった人が、別の男を好きなるって状況はまだ経験したことが無いが、俺ならきっと最悪の気分になると思う。
「そうか、でもその役目はお前が担うべきだ」
「……わ、分かりました。頑張ります」
「おお。新たな男の友情が芽生えたのかしら?」
「かもな。応援してるぞ、アルベール」
俺が笑いかけると、アルベールは頬を染めて目を反らした。
「あ、あんまり見つめないでください。女の子の方が出てきちゃいますから……」
「ご、ごめん」
「あらら。難しいのね、天使って」
こうして、俺とハルカとアルベールの三角関係は解決された。
次に会った時は、二人の関係がもう少し進展しているといいな。
その後、オーラやリクハルドさんにも挨拶をして、俺たちは日暮れと共にバス停に移動した。まずはバスで王都まで移動して、その日のうちに空を飛んでミルド村に帰ろうと思う。
カレンやトウマ、そして何よりレフィーナは元気でやっているだろうか?
魔王軍に破壊された村の畑の状態も気になるところだ。レフィーナがいるので心配いらない気もするけどな。
俺はバスの到着を待ちながら、オリヴィアに話しかける。
「ミドリはさすがにまだいないかな?」
「そうねえ、可能性はゼロじゃないけど、限りなく低そうだわ」
「ま、それまではのんびり村で待とう」
「ええ。でも村には人間しかいないんでしょう?」
「レフィーナがいるぞ?」
「アルラウネはいいのよ。お姉さんが言いたいのは、アキトちゃんに出会いが無いな~って思ったの」
「それは……」
一番辛いところだ。
女の子との出会いはなく、近くにはオリヴィアとレフィーナ。
俺は理性を保てるのだろうか?
「やっぱり、アルベールちゃんをお持ち帰りしておけば良かったって考えてない?」
「考えてねえよ! 俺を何だと思ってんだ!」
「スケベな男の子」
「いや、剛速球ストレート過ぎるだろ、もうちょっと別の言い方があったと思いますけど?」
スケベなのは、ちょっと否定しきれないが、面と向かって言うのは止めてください。
だいたい、オリヴィアは人のこと言えないと思うけどな。成人前の少年までターゲットに入っている辺り、俺より危険だ。
「あっ、バスが来たわよ」
オリヴィアとくだらない話をしていると、目の前に大きなバスが止まる。王都からヒルガに向かった時に乗ったバスと似たような大きさだ。
「何だかワクワクして来たわ」
「王都に着くのは明日だぞ。周りの人にも迷惑だからはしゃぐなよ」
「はぁい、アキトママ」
「そこはせめてパパにして?」
俺はオリヴィアとくだらない漫才をやりながらバスへと乗り込む。
座席に着いた時、何だか解放されたような気分になって驚いた。この一か月はハルカとの訓練くらいしか戦っていなかったというのに、俺の心はずっと戦争モードだったのかもしれない。
そして、それが今切り替わったような気がする。
俺は平和な日常に感謝しながら、誰よりも早く眠りについた。




