序章 相棒はドラゴンメイド 七話
目が覚めると、見たことのない部屋にいた。
俺は上体を起こすと、部屋を見渡す。アキトの部屋とずいぶんと雰囲気が違う。ビジネスホテルみたいな簡素だが綺麗な内装だ。
寝ているベッドも少し年季は感じるがアキトの固いベッドよりは上質でふかふかだ。
「ん、もう朝ですか? すみません、寝過ごしました」
俺の隣で眠っていたミドリが目元を擦りながら目を覚まし、起き上がる。
「えっ?」
待て。
半裸のミドリを見て目が覚めるほどに興奮したが、それによって寝ぼけていた脳が冷静に状況を把握し始め、興奮が急速に収まっていく。
なぜ俺はミドリと同じベッドで寝ているんだ?
俺と彼女はそういう関係ではないはずだ。昨日の記憶を必死で呼び覚ますと、悪夢のような魔王軍との戦いが思い起こされた。
「そうだ、俺はでかい二本角の男と戦って……」
殺される寸前のところでミドリに助けられたのだ。戦いから解放されたことで緊張の糸が切れて、そこからの記憶が無い。ということは、情けない話だが気絶したとみて間違いないだろう。
うん。
ミドリと熱い夜を過ごした――というわけではなさそうだ。
「大変でしたよ。気絶したアキト様をここまで運ぶのは」
「そ、そうか……ここって?」
「アルドミラの王都セルネドブルムです」
「王都? どうやって……ああ、飛んできたわけか」
「はい。とても疲れました」
「……悪かったな、迷惑かけて」
圧倒的な強さを誇るドラゴンでも、ミドリは女の子だ。町に入るためにドラゴンメイドの姿になる必要があるので、俺を一人で担いでここまでくるのは大変だったに違いない。
その行いには感謝しかないのだが、一つどうしても確認しないといけないことがある。
「で、どうして俺と同じベッドで寝ているんだ?」
「その方が安かったので節約です」
ここで、「アキト様と一緒に寝たかった」とか言われたら、まんざらでもなかったのだが、そうか金か。
「魔犬の毛皮は高く売れなかったのか?」
「アキト様を担いでそんな寄り道しませんよ。魔王軍の遺体を弔い、アキト様と私に付いた返り血を洗って、放り出してきた荷物を拾ってから王都まで飛行したら日が沈んでしまいました」
ミドリは「毛皮がいくらになるか分からなかったから、一番安いホテルにしか泊まれませんでした」とぼやく。この綺麗な部屋で安いホテルとは驚きだ。さすが王都というだけあってミルド村と比べるとずっと都会のようだ。
「それと、魔王軍の持ち物は多すぎて回収出来なかったので、後で置いてきた場所を軍に報告しておきましょう。場合によっては報酬が貰えるかもしれません」
「報酬? そんなもの出るのか」
「ええ。敵国のスパイを仕留めたのですから当然でしょう」
「仕留めた……そうか、あいつら……」
あの軍人たちをミドリが殺したんだよな。
ミルド村を襲おうとしたり、人間を見下したりしていたのは許せなかったが、出来る事なら殺さずに済ませたかった。
あの二本角の男との会話で感じた事だが、彼らは自尊心がとても強い。自分たちの強い身体や魔法の力が自慢であり誇りなのだと思う。
だからそれを一切持たない人間は自分たちよりも弱く劣った存在だと思っている。実際そうだしな。その弱いはずの人間が契約紋を使って自分たちのアイデンティティである魔法や身体的な特徴を得るのが気に喰わないのだ。
ハッキリ言ってしまえば傲慢だが、俺の世界の人間にだってそういう奴らは少なからずいる。色々な考え方、価値観を持った人たちが話し合って折り合いをつけて生きているのだ。
会話が可能で人間と同等の知能があるのなら、彼らともきっと話し合えるはずだ。殺さずに拘束してギドメリアに返還出来なかったのかと、どうしても考えてしまう。
「アキト様…………私に幻滅しましたか?」
「え、どうして?」
「私は、容赦なく彼らを殺しました。この国ではそれが当たり前です。ですが、アキト様は――アキヒト様は全く異なる文化を持つ国から来た方です。気を失われる直前の貴方の表情は明らかに私を恐れているものでした。その表情を見た時に気付いたのです、この国の常識は貴方の国の常識ではないのだと」
ミドリはベッドの上で体育座りをして顔を膝にうずめる。
落ち込む彼女は年相応の少女に見えた。俺は悪い気がしてベッドを降りると、そのまま彼女の方を見ずに答えた。
「確かにあの時のミドリは怖かったよ。でも、それでミドリに幻滅したりなんてしない。あのでかい二本角の男だって、本当は俺が殺すべきだったんだ。でも……出来なかった。俺がただの日本人ならそれでいいのかもしれないけど、俺はもう秋人じゃなくてアキトなんだ。だったら、刺し違える気で襲い掛かってくる敵国の軍人に手心を加えるなんてことはしちゃいけなかった」
「アキト様……」
俺は他種族の女の子と結婚したくてこの世界にやってきた。
でも、その代わりに俺は秋人じゃなくてアキトになったんだ。前のアキトとは違う所だらけだけど、アルドミラのミルド村出身のアキトであることに変わりはない。もう日本人の感覚のままでは生きて行けないんだ。
俺は振り返ってミドリと目を合わせる。
「ミドリの言うように率先して魔王軍を倒したり、打倒魔王を掲げたりするのは難しいけど、ミルド村のアキトとして避けられない戦いはこれからもある気がするんだ。だからミドリ、これからも俺の契約者として一緒にいてくれ」
「……はい。アキト様」
ホテルを出た俺とミドリは、まず魔犬の毛皮を換金するために魔獣や魔物の素材を取り扱っている専門店へと向かった。
ホテル内や道中で目につく店の看板なんかで気付いたのだが、日本語ではない文字が使われてる。
アキトの知識で普通に読めたし、何なら話すことすら可能だったのだが、不思議に思ってミドリに聞いてみたら、この辺りは二つの言語が使われているとのことだ。
そもそもアルドミラという国は、東西の国から出てきた人たちが集まって作ったという歴史から、二つの言葉を使う面倒な国になっているらしい。
アキトの記憶を共有出来ていて本当に良かった。今から未知の言語を習得するのは大変すぎるからな。
さて、そんなこんなでもう一つの言葉について考えているうちに、目的の店に辿り着いた。あの魔犬は野生の個体が珍しかったようで、牙が特に高く売れた。
小金持ちになった俺たちはちょっとだけおしゃれなカフェで朝食を取ることにした。
やはりミルド村がド田舎だっただけで、王都のレベルはそれなりに高い。このカフェの内装も俺の世界の店とそう大差はないのだ。
この世界には固定電話やパソコンはあるが、雷の魔石が貴重品なために携帯できるスマホやタブレット、ノートパソコンは存在しない。カフェで機械をいじっている人の姿を見かけないのはとても新鮮だ。俺の世界も20年くらい昔はこんな感じだったのだろうか。
「ここを出たら、まずは服を買いに行きたいです」
「おう。でも、あんまり高級なのは止めてくれよ?」
「分かっています。それはそうと、何をキョロキョロしているのですか?」
「いや……ちらほらと人間以外の種族がいるな~と思って」
さすがは王都というべきか、ミルド村には人間以外の種族はミドリしかいなかったというのに、王都にはごく少数だが他種族が暮らしている。
ミドリのような竜人はいないが、ふさふさの毛並みの腕や耳、尻尾などがある犬や猫の獣人や、人の上半身に馬の下半身を持つケンタウロスなどが目に付く。
哺乳類系が多いのかと思ったが、カフェの前を下半身が蛇の女の子が通り過ぎて行ったのをガラス窓越しに確認したので、爬虫類系の種族もこの国にはいるようだ。
竜人――というかドラゴンは爬虫類系でいいのだろうか?
それとも鳥類?
そもそも胎生なのか卵生なのも気になる。本人には聞けないが……。
「……では私は一人で服を買いに行きますので、声をかけてくればいいのでは?」
「えっ? いや、それはハードル高いよ。俺、ナンパなんてしたことないし」
「そこを渋っていたら結婚どころか恋人も出来ないと思いますけど」
正論だが、彼女いない歴が年齢の俺にそんなことが出来ると思ってもらっては困る。
「だ、だから人間以外の種族がたくさんいるところに移住しようと思っているんだろ?」
「移住して……どうするのです? 話しかけられないのでしょう?」
「い、いや、話しかけられないわけじゃないよ。口説いたりとかが出来ないだけで、会話は出来る」
「それ女性たちからすると、近所に移住してきたもの好きな人間って印象で終わる気がします。どうやって恋愛に発展させるつもりですか?」
「だから、ご近所付き合いとかで少しずつ仲良くなってだな……」
ミドリは呆れる様に半目で俺を睨むと、わざとらしい大きなため息を吐いた。
「どれだけ長期戦の予定ですか面倒くさい。大体フラれたらどうすんです? そんなペースでやっていたら直ぐにおじさんになってしまいますよ。人間の寿命は短いんですから」
「うっ……や、やめろぉ! 俺を追い詰めるなっ!」
ミドリの奴、今朝は妙にしおらしくてかわいかったのに、すっかり昨日の毒舌モードに逆戻りしやがった!
「事実を言っただけですよ。まあ、いいです。取り敢えずの恋人候補はアルラウネですからね。彼女たちの森の場所についての聞き込みをお願いします」
「あ、ああ。分かった」
ミドリが妙なことを言ったせいで、何だか緊張してきてしまった。
無事にアルラウネの森に辿り着いたとして、俺はアルラウネを口説くことが出来るのだろうか?
「そんな不安そうな顔をしなくても、アキト様がアルラウネと上手くやっていけるように私もサポートしますよ」
ミドリが珍しく優しい目を俺に向けてくる。
「なあ、どうしてミドリはそこまでしてくれるんだ?」
「契約者ですから」
「それだけか? その……もしかしてアキトと付き合っていたりしたんじゃないのか?」
中身が変わってしまっても、俺はアキトだ。だからこうして面倒を見てくれているのではないだろうか?
「異常性癖の変態の上に馬鹿なんですか?」
「このタイミングで、よくもまあそんな悪口が出てくるな」
そろそろ泣くぞ。
「私があの方と付き合っていたのなら、並行世界へ旅立たせるわけがないでしょう」
ミドリはカフェの窓から空を見上げる。
「ただ、あの方は……あなたの前のアキト様は私に生きる目的をくださったのです」
「生きる目的?」
「私の力を人の為に使うということです」
ミドリは真剣な目で答えた。嘘偽りのない真実なのだと、彼女の目が言っている。
「私と前のアキト様の出会いについて話します。あなたも記憶を思い出しながら聞いてください」
俺は言われた通り、ミドリとアキトが初めて会った時の事を思い出した。
少しずつ、ミルド村のアキトとしての自覚が芽生えてきました。
言語の話ですが、日本語ではない言葉や文字についてはまだあまり掘り下げるつもりはありません。
ただ、この世界の言語は日本語(言語名は違う)だけではないということが分かっていただければと思います。