一章 アルドミラの勇者 九話
今回はオリヴィア視点です。
数多の軍人たちと共に私は川沿いに進軍する。
目指す目的地は西にそびえ立つドレン要塞都市。私の仕事は出来るだけ多くの敵軍を惹き付けて、西側から都市へと侵入する彼をサポートすることだ。
彼とは……私の最愛の男性。100年以上旅を続けてやっと出会った運命の人。
ミルド村のアキト。この国の人たちは彼をそう呼ぶわ。
私にメリュジーヌという種族名を与え、誰もが恐れるこの翼と鱗、蛇の尾を好きだと言ってくれた人間の契約者。
初めて出会った時、彼はとても綺麗な竜人の女の子を連れていたわ。
私と契約できる契約紋を持ち、竜人の女の子と仲良くしている彼なら、こんな異形の私とも契約してくれるのでは――そう思って近付いた。
そして竜人の女の子が彼の恋人ではなく妹のような存在だと知った時、私は内心で舞い上がった。
けれど、すぐに彼の旅の目的を知ることになる。それはハーピーと結婚するというものだった。
それが彼の夢だという。
元々は人間以外の女性を好む青年だったそうだが、王都でハーピーを一目見てからは、彼は自分の理想の花嫁としてハーピーを欲するようになったという。
世界は残酷だ。
あと数週間早く彼に出会っていれば、私は彼の一番になれたかもしれないのに。
けれどもう遅い。彼は運命の相手と出会ってしまった。
自分の気持ちに気付いていないようだけれど、誰が見ても彼の気持ちの向いている方向は明らかだ。
私の運命の相手は彼なのに、彼の運命の相手は私では無かったのだ。
こんなことなら、ヤマシロで巫女として敬われ、好みの少年たちに囲まれて暮らしていた方がずっと良かったのではないかと思った時もあった。
でもダメなのだ。離れるなんて出来ない。
私は彼の――アキトちゃんの楽しそうに笑う声が好き、優しくて力強い目が好き、すぐに誘惑に負けてしまう弱いところが可愛くて好き、いざという時驚くほど頼りになるところが好き。
たった数週間で、私の中は彼に対する好きで溢れている。
彼と愛し合うのが私でなかったとしても、この想いは消えそうにない。
私の魔力が彼の中に綺麗に溶けていると聞いて、とても嬉しかった。
彼の恋人にはなれなかったけれど、私は彼の家族にはなれるのかもしれないと思えたから。
血の繋がりは無くても、魔力で繋がり合ったお姉ちゃんに、私はなれるのだ。
「オリヴィアさん、そろそろです」
「ええ、分かりました」
近くにいた軍人さんが私に声をかける。
そろそろ作戦開始の時間だ。
私は下半身を本来の形へと戻す。このためにスカートの軍服を特別にあつらえてもらったのだ。蛇の下半身の方が水中戦なら速度が出る。
「それでは、私は水中から進軍するので、みなさんも後から来てくださいね」
水中に飛び込んで下半身をうねらせ、鱗から魔力を放出する。水流魔法を前方に円錐状に張って水の抵抗を減らした。
私はあっという間に軍人たちを置いてドレン要塞都市へと接近する。待ち構えていたのか、警備していたギドメリアの軍人たちが即座に私目掛けて魔法を放つが、全て後方に着弾した。
その辺の上級種族じゃ水中の私を捕らえることは出来ない。
私が気にせず突き進んでいると、前方に張っていた水流魔法に稲妻が直撃した。
完璧に私にタイミングを合わせた攻撃だ。魔力感知が出来る相手に違いない。
私は両翼から不規則に魔力を放出することで、回転しながら続く連続魔法を回避する。
しかし避け切れずに数発が私の翼や下半身に直撃した。痛みは全くない。
私はそれ以上の進軍を諦め、水上へと上半身を露出させる。
「『絶対氷壁』!」
上空に簡略化した氷結魔法の盾を張ると、そこへ雷が落ちる。今の魔法で防げたところを見ると、相手の魔法も簡略化してスピードを上げたものだろう。
「ほう、氷結魔法か」
数メートル先、要塞都市の堀と川の境目辺りの陸地に、黄緑の鱗を持ったドラゴニュートがたくさんの部下を引き連れて立っていた。
「放て!」
ドラゴニュートの合図で、私目掛けて大量の魔法が放たれる。
圧巻ね。100年以上生きてきて、ここまでの量の魔法が自分目掛けて放たれたことは一度もない。普通の種族なら死を覚悟したかもしれないわ。
けれど私は最上級種族のメリュジーヌ。あいにく上級種族が放つ中位魔法程度ではかすり傷一つ負う気がしないわ。
私は両翼を身体の前で交差して身を守る。
多くの魔法が私の翼に直撃して、轟音を立てる。
周囲の木々は吹き飛び、大地は抉れ、川の水は蒸発した。
魔法攻撃が止み、再び辺りが水で満たされ、土煙が風にさらわれたことで、私はギドメリアの軍人たちの姿を確認した。
私が無事だという事実に驚愕している者、私の異形の姿を見て嫌悪感を抱く者、私の強さに恐怖を思えた者。様々だ。
中でもドラゴニュートは分かりやすい。憎々しげに私を睨むと、両手を前に突き出した。
あの目は知っている。
昔、ギドメリアの町を訪ねた時に向けられた目だ。竜人たちが欲して止まない竜の翼をラミアの私が持っているという事に対する嫉妬と憎悪の目だ。
「『雷鳴魔法・連式竜雷破』!」
ドラゴニュートの両手に集められた魔力が膨れ上がり、いくつもの雷の竜の形となって私へと襲い掛かる。雷の上位魔法だ。
「『水流魔法・水精の沼』!」
私は正面に粘性の強いスライムを大量に生み出した。
雷の竜は私のスライムへ飛び込み、包み込まれ捕食される。おかげでスライムがビリビリと雷を帯びた。
「バ、バカなっ!?」
「悪いけど、あなたと私じゃ、相性最悪だったようね」
私はそのまま雷を帯びた魔法を敵陣にぶつける。
防御魔法を展開する者や、相殺しようと攻撃している者もいたが、スライムはお構いなしにその全てを飲み込んだ。
ギドメリアの軍人たちはスライムに呑まれ、感電し、溺れていく。
我ながらエグイ魔法だと思いながらも、スライムを消す気はない。私が敵を多く倒せば、援軍がこちらに来るかもしれない。そうすればアキトちゃんはもっと楽になる。
完全勝利に思えた所で、私の魔法を突破して外に飛び出した敵がいた。
ドラゴニュートだ。
よく見ると、全身を球体上に包むように魔法が展開されている。恐らくは刃のような疾風魔法をまとうことでスライムを細かく切り刻み、吞み込まれる前に脱出したのだろう。
しかし、それなりの魔力を消費したらしく、肩で息をしている。
ドラゴニュートは振り返り、意識を失ってスライムの内部を漂う仲間たちを見て、より一層私への憎悪を募らせたようだ。
「くそがぁ! 『疾風魔法・風走り』!」
まずい。このドラゴニュート、風走りを使えたのね。
疾風魔法の中には自身の移動速度を上げる魔法が存在する。それが風走り。この魔法を使えるほとんどの種族はこの魔法を使い慣れており、日常的に使用している。それにより魔法名を簡略化どころか省略して使っても性能が落ちないほどなのだ。
このドラゴニュートが魔法名を声に出したという事は、普段はあまり風走りを使わないのだろう。私に遠距離攻撃が効かないと分かったので、使い慣れていない魔法を使ってでも近接格闘戦で仕留めに来たのだと思う。
私が危険を感じた時には、すでにドラゴニュートは走り出し、私の目の前へと急接近していた。
川岸で私目掛けて飛び、その勢いのまま右手の鋭い爪を私の顔目掛けて突き出して来た。
ギリギリのところで両手の鱗でガードしたが、ドラゴニュートは反対側の岸に着地して構えると、魔法を放つ。
「『烈風波』!」
「『絶対氷壁』!」
簡略化した魔法同士がぶつかり合うが、私の魔法の方が勝ち、ドラゴニュートの魔法は私の盾を破壊出来ずに消え失せた。
次の瞬間、出していた氷の盾に凄い衝撃が浴びせされた。
ドラゴニュートが体当たりをしてきたのだ。
「『疾風魔法・登り竜』!」
下方向から竜巻が起こり、私とドラゴニュートは一緒になって川の外へと押し出された。
私が尻尾で薙ぎ払うと、ドラゴニュートは素早く距離を取って回避した。反射神経はあちらが上のようだ。
「ラミアもどきの化け物め。今すぐに俺が切り刻んでやる!」
まずい、地上戦は私が不利だ。私は即座に下半身を人の足へと変化させる。
ドラゴニュートはぎょっとして一歩退いた。
私はその隙を突いて羽ばたき、空へと飛び上がる。
「なっ!? しまっ!」
「『水刃斬』!」
簡略化した魔法でけん制すると、ドラゴニュートは回避を優先したので、完全に私に近接戦を挑むタイミングを逃してしまった。
ドラゴニュートに翼はない。これで私と遠距離戦をするしか無くなったわけだ。
「『水流魔法・水精の沼』」
私が上空で特大のスライムを生み出したのを見て、ドラゴニュートの顔が青ざめる。
私の魔法ではどんなに頑張っても風走りを使えるドラゴニュートに攻撃を当てることが出来ない。ならば多少魔力を多く使ってでも、逃げ道全てを埋め尽くしてしまえばいいのだ。
私はスライムを地上へと投下してドラゴニュートを包み込んだ。
「くっ、『疾風魔法・斬風結界』!」
先ほどと同じように全身に刃のような疾風魔法をまとって吞み込まれないように耐えているのだろうが、無駄だ。
私がコッカトライスに負けてどれだけ悔しかったか。
次は二度と負けないために必死に考えて編み出した魔法はこの水精の沼だけではない。この魔法はあくまでも攻撃を防ぎ、動きを止めるためのもの。私の新しい攻撃魔法はこの魔法ではない。
私は更に身体から魔力を引き出すと、大量のスライムを斬り裂いて必死に脱出しようと試みているドラゴニュートへ上空から手をかざした。
「魔法変換! 『氷結魔法・冥府の氷柱』!」
スライムの一部が氷結魔法へと変換されていき、いくつもの氷柱へと姿を変える。
そして私が手を握り込むタイミングで中心にいたドラゴニュートへと全方向から襲い掛かった。
風の防御魔法を破り、ドラゴニュートの身体に何本もの氷柱が突き刺さる。その内の一本が背中側から心臓を貫いた。
ドラゴニュートの絶命を見届けて、私は全ての魔法を消し、地上へと戻る。
私が窒息死させたギドメリアの軍人たちが、何人か川の水に流されていくのが見えた。
ゆっくりと息を吐くと、身体がグラつき倒れかけた。
気を緩めちゃダメだ。いつ援軍がやってくるか分からない。戦いはまだ終わってはいないのだ。
魔力はかなり消費してしまったが、それでもアキトちゃんとの契約で魔力が増えた分の余裕がある。私はまだ戦える。
ふと、手が震えていることに気が付いた。
魔獣や魔物を殺したことは何度もあったが、人を殺したのは何十年ぶりだろう。
昔、私を見世物にしようと襲い掛かってきた野党を返り討ちにした時以来だから、30年は前の話だ。
そして、あの時の相手は極悪人だが今回の相手はそうではない。このドラゴニュートやその部下たちは国のために戦った軍人だ。私を蔑んではいたが悪人ではない。
いや、ダメだ。この思考は良くない。
そんなことを考えていたら戦えなくなる。
ギドメリアの軍人たちは自分の国のために私を殺し、この国の人を殺そうとした。
私はアキトちゃんのためにこの国の国民となり、ギドメリアの軍人を殺した。ただそれだけだ。
そこに善も悪もない。私が今考えるべきは、アキトちゃんを助けるために次は何をすればいいのかということだ。
目の前にそびえ立つドレン要塞都市を見上げる。
後ろから、いくつもの足音が聞こえてきた。アルドミラの軍人たちだ。
彼らは目の前に広がっている惨状を見て息を呑んだ後、私に話しかける。
「これを……一人で?」
「ええ。まあね」
「お、お疲れ様です。囮が目的だったのに、まさかここまでやっていただけるとは思いませんでした。後は我々に任せてください」
見ると、正面からも声が聞こえてきた。ギドメリアの援軍だろう。アルドミラの軍人たちが警戒し、自分の相棒である魔獣たちに声をかけ始める。
後は任せてくれと言っていたわね。それなら、お言葉に甘えさせてもらうとするわ。
「軍人さんたち、私は次の作戦行動に移りますね」
「次の? まさか内部へ行かれるのですか? ここで魔力を放って囮をしているだけでも十分なのですよ?」
「私一人だったらそうしたわ。けど、あの中にはアキトちゃんがいる。私は彼の契約者なのよ?」
私の意志が伝わったのか、軍人さんたちは頷いた。
「分かりました。我々は引き続きここで敵軍を引き付けますので、オリヴィアさんは自由に行動してください」
「ええ。じゃあ、行ってくるわ」
私は川へと飛び込むと、足を蛇へと戻して泳ぎ、要塞都市東側にあると言われていた水路を目指すのだった。




