三章 ハーピーの女王 十七話
港で船の到着を待っていると、リックとカミラが見送りに来てくれた。
「アキト、聞いたよ。戦争に行くんだって?」
「ああ。ちゃちゃっと行って、西にある町を取り返してくる」
「そ、そんな簡単な話じゃないだろう? 戦争なんだよ?」
「分かっているよ。けど――」
あまりそのことを意識しすぎると、頭がどうにかなってしまいそうだ。
奪われた土地を取り戻すというこちらに義がありそうな作戦内容とはいえ、命のやり取りになる。遊び半分で参加できるようなものではない。
しかしそのことを重く受け止めすぎてしまうと、俺はまたミルド村での戦いの後のような状態になってしまうだろう。
こういう時は、考え過ぎても考えなさ過ぎてもダメなのだ。
俺の目的はアルドミラ北東にある町をギドメリアから奪い返す作戦を補佐すること。ただそれだけに集中する。
「――気負い過ぎたら緊張で身体が動かなくなる。このくらいがちょうどいいんだ」
「そうなの?」
「リック。俺が次にこの村に来た時は、旅館でお前の料理を食べさせて欲しいな」
リックは少し間をおいてから眉をひそめて首を傾げる。
「残念だけど、それは無理かもよ?」
「どうしてだよ?」
「だって、すぐに帰って来るんでしょ? 修業が終わるとは思えない」
俺とリックは軽く噴き出して笑い出した。
カミラが良く分からないという顔でオリヴィアに尋ねる。
「オリヴィアさん、二人はどうして笑ってるの?」
「う~ん。男の友情って奴じゃないかしら」
「良く分からないよ。友情に男とか女とか関係あるの?」
「人に寄るわね。でも、あの二人の間にはありそうかな」
カミラが理解できないと頭を抱えていると、そこにロゼとリズさんが降り立った。
「私には少し分かる。時に軽口を叩き合ったり、殴り合ったりしつつも、お互い言葉には出さない確かな絆。それが男の友情だと思う」
「姉さん、漫画の読み過ぎです」
「うっ……」
リズさんに指摘され、失敗した顔になっているロゼと視線が交わる。
「来てくれたのか、ロゼ」
「そりゃあ、ノーベ村を救った英雄が島を出ていくんだ。見送りにくらいくるさ」
「英雄は止めてくれよ。あれはお前のおかげで勝てた戦いだ」
あれからロゼは俺を英雄だと持ち上げたがる。英雄譚の漫画や小説の読みすぎかもしれない。
だいたい、英雄というのは俺みたいに彼女が欲しいと年がら年中考えているような男ではないだろう。もっと凛々しくて、強い男が相応しい称号だ。
思えば、結局ノーベ村に来てもハーピーの彼女は出来なかったな。成人前のハーピーの親が数年後に娘と結婚してくれと言ってくることもなかったし、やっぱり契約者が三人もいる男は嫌なのだろう。
アルドミラ軍との作戦が終わってミドリの怪我が治ったら本格的に南半球の国々を旅するのも悪くない。オリヴィアに案内してもらえば慣れない土地でも何とかなりそうだ。
「あっ、そうだ。ロゼ」
「何だ?」
「生きて戦場から帰って来られたら、俺はまた旅に出ると思うんだ」
俺の言葉が意外だったのか、ロゼは瞬きを繰り返した。
「そ、そうなのか?」
「ああ。なんていうか、俺もちょっとハーピーにこだわり過ぎていたところがあったし、外国まで足を延ばして、気の合う女の子を探してみようかと思うんだ。もちろん、人間以外だぞ。これだけは譲れない」
「う、うん……」
「でもさ、世界中を旅したら色々な人間とも知り合うと思うんだ」
トウマやレオさん、リックみたいに、良い人間はたくさんいる。
異種族の女の子目当てで旅をしていたとしても、人間の男とだってそれなりに出会うはずだ。
「もしもその中に風属性の大勾玉を持っている男がいて、良い奴そうだったらロゼの事を紹介するよ」
「っ!」
「ア、アキトさん!」
リズさんが急に声を張り上げて近付いてくる。
ロゼが素早く翼で彼女を制した。
「姉さん、どうして止めるんですか!」
「いいんだ、リズ。アキトはこういう男だ」
「えっと……すみません。俺が紹介とかするのって、ハーピーの仕来り的にアウトだったりするんですか?」
ハーピーの婿探しはハーピーが行わなければいけない仕来りでもあるのだろうか?
「いや、別に構わない。むしろ、ノーベ村としては歓迎すべきことだ。娘の相手を探して世界中を飛び回る母親が楽になる」
「そ、そうか、なら――」
「だが、私には必要ない」
「――え? 何でだよ?」
「私はクイーンハーピーとしてこの村をまとめ、ゆくゆくはリズの子供が後を継いでくれるだろう。クイーンの家系が途絶えることがないのだから、私に夫や子供は必要ないんだ」
「…………いいのか?」
結婚することが必ずしも幸福だとは思わない。
たとえ生涯独り身だったとしても、とても幸せな人生を歩んでいる人はたくさんいると思う。
けれどロゼはまだ28歳だ。
未婚のハーピーにしては歳を取っているのかもしれないが、人間からしてみればまだまだ若い女性だ。現在相手がいないからといって、今後一切の可能性を捨ててしまう必要はないだろう。
「まったく、お前は」
ロゼの翼が俺の額を打つ。
「いてっ!」
「なんて顔をしているんだ。私の心配をする前に、自分の心配をしろ」
ロゼは少しだけ挑発的な笑みを浮かべてみせた。
「世界中を旅して気の合う女の子を探すとかバカみたいなことを言う前に、ちゃんと生きて帰って来い。もっとも、生きて帰ってきたとしてもお前のような男に可愛い彼女が出来るとは到底思えないがな」
「い、言ったな、ロゼ。待っていろよ、次に会う時は彼女連れて挨拶に来てやるからな」
「ふっ、期待しないで待っているよ」
ロゼの挑発に、漫画っぽいテンプレートな返答をくれてやる。
俺とロゼはバカバカしくなって笑い出した。
「姉さん、あなたがアキトさんと男の友情を育んでどうするのですか」
「む……私は女だぞ」
「そういう意味で言ったわけではないです」
見送りに来てくれたみんなと話しているうちに、空は茜色に染まっていった。
すると、東の水平線に一隻の船が見えた。
「アキト様、ついに来たようですよ」
「ああ、みたいだな」
俺とオリヴィアはミドリと向き合う。
「ミドリ、元気でな」
「アキト様こそ。死んだら許しませんからね」
「当たり前だ」
まあ、もしもそんな状況になったら、即死じゃない限りはミドリたちとの契約だけは解除する覚悟を固めてある。
俺との契約が解除されれば、ミドリは全てを察するだろう。
恨まれるかもしれないが、それでもミドリには生きてほしい。
もちろん俺が生きて帰って来るのが一番だ。死なない程度に軍に協力して、危なげなく戦いを終わらせたいものだね。
「オリヴィア、アキト様が無茶をしないように見張ってくださいね」
「ええ。お姉さんにお任せあれ」
「それと……貴方自身も無茶をしないでくださいね。貴方とはアキト様以上に長い付き合いになる予定なのですから」
ミドリは照れているのか明後日の方向を見ながら言う。
オリヴィアは心底嬉しそうにミドリを抱きしめた。
「むぐっ、苦しいです」
「必ず生きて帰るわ。ミドリちゃん」
長い抱擁が終わると、ミドリは深呼吸をして息を整えた。
「私は観光客と一緒に後から大陸へと戻り、その後ヤマシロへと渡ります」
「酔い止めは買ったか?」
「もちろんですよ。あんな地獄はこりごりです」
かわいそうだから言わないけれど、ミドリの酔い方からして酔い止めを飲んだ程度ではどうにもならない気がする。
それに、数時間の船旅ならずっとデッキにいて遠くを眺めていれば何とかなるかもしれないが、今回は東の海から遠回りして大陸に向かうので丸一日はかかるらしい。ミドリに耐えられるとは思えない。
「それで、ですね。待ち合わせ場所を決めませんか?」
「待ち合わせ?」
「はい。アキト様とオリヴィアは大陸北東の町を取り返したら解放されるのですよね。私は右腕を治したらこの国に戻ってきます。その時に合流できる場所が必要でしょう?」
そうか、この世界には携帯電話が普及していない。一度離れてしまうと、定住していないせいで合流が難しいのだ。
俺の中で、候補地が二つ思い浮かぶ。こことミルド村だ。
「そうだな…………じゃあ、ミルド村で合流するか」
俺は数秒間悩んだ末に、ミルド村を選択した。
あそこにはレフィーナもいるから、オリヴィアと顔合わせしてやれる。
それに何より、俺とミドリが帰る場所といったらミルド村しかないと思えた。俺自身はミルド村で過ごしたのは数日だが、頭の中には15年以上暮らした故郷としての記憶が染みついている。
ミドリとも4年間一緒に過ごした場所だ。俺たちの待ち合わせ場所としては一番相応しい。
「ミルド村って、アキトちゃんとミドリちゃんの故郷よね?」
「ああ。オリヴィアにも見てもらいたい」
「分かったわ。なら、戦いが終わったらそこでのんびりミドリちゃんを待つことにしましょう」
「私が後に到着することは確定なのですか?」
「だって、ヤマシロまでは船で一週間以上かかるもの」
「え――」
ミドリの顔から血の気が引いていく。
ここからヤマシロまでそんなに距離があるのか。飛行機がないって不便だな。
「――わ、私、生きて帰って来られるでしょうか……」
「大丈夫よ。船の揺れにもそのうち慣れるでしょ」
「酔ったことがない人に言われても説得力がありません」
オリヴィアが軽く笑い飛ばしながらミドリの頭を撫でる。
ミドリ、死ぬなよ。
「それじゃ、待ち合わせ場所も決めたことだし、行くとするか」
「ええ。そうね」
俺とオリヴィアの視線が船着き場に到着した一隻の船に向く。中から数名の軍人が姿を現した。
最後に、見送りに来たみんなの顔を順番に見る。
ミドリ。
「アキト様、オリヴィア、信じています」
リックとカミラ。
「二人とも、必ず生き残ってくれ」
「絶対に帰ってきてね」
リズさん。
「姉さんを悲しませたら、承知しませんからね」
そして、ロゼ。
「また会おう。アキト」
「ああ、必ず」
「その時は、私は遠慮した方がいいかしら?」
「まさか。あなたやエメラルドさんがいてこそのアキトだと、今では理解している」
「そう。それなら、またみんなで一緒に遊びに来るわね」
俺は気持ちを引き締めて、隣に立つオリヴィアに向かって言う。
「よし、じゃあ行くぞ、オリヴィア」
「ええ。アキトちゃん」
俺とオリヴィアは船着き場に向かって歩き出す。
途中で振り返って、大きく手を振った。
「必ずまた会おう!」
「みんな、それまで元気でね!」
夕暮れのオルディッシュ島に、再会を願う言葉が響き渡った。




