三章 ハーピーの女王 十五話
グレンとの戦いから一週間、俺たちは村や港の復旧作業に尽力した。
肩の傷も治り、オリヴィアの鱗もほとんど元通りとなったのだが、俺たちはいまだにリズさんの旅館にある一番高い部屋に無料で泊めてもらっている。
宿泊費代わりに旅館の仕事も手伝っているが、毎日美味しいご飯が三食無料で用意されるというのは、船が欠航して帰れなくなった観光客と比較するとかなり好待遇だと思う。
ロゼがリズさんに掛け合ってくれたのだと、旅館で働いているハーピーからこっそり聞いた。
そのロゼとの関係だが、今では立派な漫画友達だ。
休憩時間に俺の部屋に漫画を貸しに来てくれたり、風呂で感想を語り合ったりという関係を続けている。
この世界の漫画、めちゃくちゃ面白い。よくある学園ラブコメ漫画の登場人物が当たり前のように異種族なのが最高だ。
「アキト様、最近漫画ばかり読んでいますね」
「村の復旧作業も一段落しているし、勤務時間外は他にやることもないからな」
「まあ、ロゼさんと話す話題作りとしてはそれでいいのかもしれませんね」
ここで漫画が面白いから読んでいるだけだと堂々と言い返せないところが俺の弱いところだよな。
ロゼの事は諦めなくてはいけないとは分かっていても、どうしても彼女と仲良くなりたいという気持ちが抑えられなくて、彼女の好きな漫画を読んでしまっている。
そういえば昨日の夜はつい熱く語ってしまったな。思い出すとかなり恥ずかしい。
グレンとの戦いが終わってから、俺は従業員用の風呂しか使っていない。
というか、従業員用の風呂というのは多分リズさんの嘘で、本当はロゼやリズさんたち家族用風呂の可能性が高い。
そこに淡い期待を抱きながら入浴すると、毎日必ずロゼが来てくれるのだ。
初日こそ戦いに関しての話がメインだったが、二日目からは漫画の話がメインに切り替わった。きっとロゼはこれまで誰とも共有できなかった漫画の話を出来るのが楽しくてしょうがないのだろう。楽しそうに漫画について語る彼女の声が聴きたくて、俺も毎日長風呂をしてしまっている。
だが、昨日は珍しく漫画以外の話をしたのだ。
俺はロゼから借りた漫画を握りしめながら、その時の会話を思い出した。
「そういえば、リズさんってロゼと同じクイーンハーピーなんだよな?」
「うん? 双子の妹だからな。あいつが結婚する前は魔力量もほとんど同じだった」
ロゼはクイーンハーピーの中でも特殊で、高い魔力を持って産まれたと聞いていたが、やっぱりリズさんも特殊なんだよな。二人とも突然変異ってことでいいのだろうか?
「でも、クイーンハーピーは本来は他のハーピーと同じで上級種族なんだろう?」
「というよりも、リズが言うには私たちは先祖返りらしい。本来のクイーンハーピーは最上級種族だったのだが、近年はクイーンハーピーが産まれることがなく、普通のハーピーが便宜上クイーンハーピーを名乗っていただけらしい。私たちの母は血統としてはクイーンハーピーの家系だが、種族は普通のハーピーだったんだ」
クイーンハーピーの子供だからといって必ずしもクイーンハーピーとして産まれるわけではないということか。
「じゃあ、ロゼとリズさんは何十年かぶりに産まれた本当のクイーンハーピーってことか」
「そういうことらしい」
「ってことは、リズさんの旦那さんは風属性の大勾玉を持っているってことだよな? 俺が言うのも変な話だが、よく見つかったな」
大勾玉を持っている人間はとても少ないはずだ。そこに更に風属性でリズさんと年齢が近く、未婚の男という条件が加わると、見付けるのはかなり困難な道だったと思う。
「村のハーピーが総出で探し出したんだ。彼は当時ハウランゲルからの旅行者だったんだが、何とか説得してオルディッシュ島に来てもらった」
「へえ、でもそういうのって普通、村長をやってるロゼが先じゃないのか?」
「変なところで鋭いな。確かに最初は私が見合いをした。アキトと違って誠実で、なかなか好青年でな。私もいい印象を持ったんだ」
「うぐ……悪かったな。でも、それだけいい男だったなら、どうして妹のリズさんと結婚したんだ?」
ロゼが好印象を持っていたと聞くとどうしても嫉妬してしまう。
くそっ、未練たらたらだな。
俺の葛藤を他所に、ロゼは昔を懐かしむような柔らかい声で答えた。
「……リズがな、陰ながら彼を見ていたんだ。最初は私と結婚するかもしれない相手だから気にしているのかと思ったんだが、途中で気付いたよ。リズは彼が好きになってしまったんだって」
「じゃあ、ロゼはリズさんのために身を引いたのか?」
「別に私は彼にそこまで入れ込んでいたわけじゃなかったから。条件には合致していたし結婚が嫌だったわけではないが、まだ好きにはなっていなかった。それなら妹に譲ってやろうと思っただけだ」
そんな簡単に婚約者を譲ったりできるものなのだろうか?
きっと周りのハーピーたちはそれを聞いて大慌てだったに違いない。
「譲るねえ……相手の方からしたら、たまったもんじゃない気もするけど」
「それは私も反省している。彼を都合よく振り回してしまったからな。幸い彼は私のような冷たい女より、リズのような愛想のいい女がタイプだったようで、あっちの夫婦仲は今でも円満だよ」
「別にロゼは冷たい女じゃないだろ」
冷たいとかマイナスなイメージを持ったことはない。見た目は超絶美人だし、こうして風呂の仕切り越しに聞く声だって、涼やかでとても綺麗な声だと思う。
「そうか? 子供の頃から、もっと女性らしくしろと散々怒られてきたぞ? 愛想がない、目付きが怖い、口が悪い。それでは好いてくれる男が見つからないぞと脅されたものだ」
「それは、その言葉を言った人が一つの魅力しか知らないだけだ。確かに愛想がよくて、笑顔が可愛くて、言葉遣いが綺麗な女性は魅力的だけど、ロゼにはロゼの魅力があるだろう」
「私の魅力……」
まずいな、俺はいったい何の話をしている?
振られた女性を未練がましく口説いてどうしようというのだ。彼女とは良い友人関係を築くと決めたのだから、これ以上踏み込んだ発言をするべきではない。
「わ、悪い、ちょっと熱く語りすぎた」
「いや、気持ちは伝わったよ。ありがとう」
「……のぼせたみたいだ。先に上がるよ」
俺は別の意味で熱くなった体温を覚ますために逃げるように風呂から上がるのだった。
昨日の今日なのでやはり鮮明に思い出せるな。
あのまま会話の流れでロゼの魅力について語らなくて本当に良かった。そのせいでせっかく再構築した彼女との友情にひびを入れたくはない。
「アキト様、どうして赤面しているのですか?」
「は? ち、ちげえよ、気のせいだろ!?」
「いえ、どう見ても――」
俺は恥ずかしさから逃れるために、手元にあった漫画をミドリに差し出す。
「そ、そんなことより、この漫画、結構面白いぞ。ミドリも読んでみたらどうだ?」
ミドリは俺の勢いに少しだけ圧倒されながらも、少しだけ間を開けて首を振る。
「いえ、私は結構です。片腕だと読み辛いですから」
「あっ、ごめん……」
その一言で、俺は一瞬にして現実に引き戻された。
ミドリはグレンとの戦いで負傷して撤退した後、オリヴィアに病院へ担ぎ込まれて手術を受け、一命を取り留めたのだが、右腕に後遺症が残ってしまった。
骨まで達するほど深く斬り裂かれていたうえに、切断面から侵入してきた闇属性の魔法に蝕まれていたらしい。
手術は成功したので血管や神経は繋がったらしいのだが、傷口付近の細胞が侵食されて機能不全を起こしているらしく、上手く動かせないという。当然だが傷の治りも遅く、鱗も生えてこない。
今は右腕をギプスで固定している状態で、生活のほとんどは左腕で行っている。
「……どうやったらミドリの腕は元に戻るんだろうな。時間が経てば侵食された細胞も元に戻るのか?」
「こちらが聞きたいくらいです」
「闇属性と聖属性ってお互いに弱点同士なんだよな? なら、蝕まれた腕に聖属性の魔法をぶつければ浄化出来たりしないか?」
ゲーム知識の応用的な発想だが、的外れな意見ではないはずだ。
「聖属性の回復魔法なら出来るかもしれませんね」
「だろ?」
「私は攻撃魔法と補助魔法しか使えませんが」
「…………」
「回復魔法が使えるなら最初からやっています」
「ごめん」
ミドリが目に涙を浮かべながら俺を睨む。腕が治らないのが相当辛いのだろう。最近はすぐに涙を見せるようになってきた。
「聖属性の回復魔法かぁ…………あっ」
俺たちの会話を聞いていたオリヴィアが、何かを思い出したように声を上げた。
視線が自分に集中したことに気付いたオリヴィアは手を振って何かをごまかそうとした。
「ご、ごめんなさい。何でもないのよ」
「いや、絶対に何でもなくないだろ」
「そうです。何か気付いたことがあるなら教えてください」
ミドリがすがるようにオリヴィアに近付く。
オリヴィアはミドリの視線に耐えられずに目を反らした。
「ほ、本当に何でもないのよ」
「何でもないなら教えてくれてもいいじゃないですか」
「うぅ……」
オリヴィアは珍しく困ったような顔で言い淀んだ。
これは何か言い難い内容の情報を持っているに違いない。
「ミドリ」
俺はミドリに魔法の言葉を耳打ちする。
ミドリは小さく頷くと、懇願するようにオリヴィアに向かって魔法の言葉を口にした。
「教えてください、オリヴィアお姉ちゃん」
「――ア、アキトちゃん……卑怯よ……」
オリヴィアは必死ににやけそうになるのを堪えている。よし、次でトドメだな。
俺はさらに強力な一撃をお見舞いすべく、ミドリに耳打ちする。
「そ、それはさすがに……」
「今はとにかく情報が欲しいところだ。我慢しろ」
「わ、分かりました」
ミドリは恥ずかしさで顔を赤らめながらオリヴィアの手を取る。
「オ、オリヴィアお姉ちゃん。大好きです」
「――っ!!」
オリヴィアはガクンと床に膝を付いた。
「は、話します」
オリヴィアが語ったのは、アルドミラに入国する前に東の島国であるヤマシロを旅していた時の話だった。
ヤマシロはドラゴンの祖国として有名な国であり、国民は竜人、ラミアなどの種族にとても親切らしい。
オリヴィアにとっても居心地のいい国だったらしく定住を考えたそうなのだが、とある神社でやらかしたことにより、オリヴィアは逃げるようにアルドミラに入国したという。
おそらく、オリヴィアがこの話をしたがらなかった原因はここだと思われる。
その神社では一人の竜人が巫女として働いていたのだが、宮司と喧嘩をして出て行ってしまったという。
竜人が巫女として働いているというのが売りだった神社は参拝客が激減し、宮司は困り果てていた。
そこにオリヴィアが通りがかり、巫女の代わりを申し出たらしい。
オリヴィアはラミアでも竜人でもない自分の姿を怖がられたり、気持ち悪がられたりされることに慣れていたので、喜んで受け入れてくれた宮司やその家族にとても感謝した。
そして竜人の巫女ならぬ、蛇竜の巫女として現地の人たちに崇められる存在になっていった。
ここでオリヴィアは調子に乗り始め、得意の占いで荒稼ぎしたり、貢物を貰ったり、神社に奉納された年代物の酒を勝手に飲んだりとやりたい放題したという。
それでも宮司やその家族はオリヴィアを咎めず、家族同然として家においてくれた。
「どのくらいの期間、そうやって過ごしていたんだ?」
「私が巫女を務めてから神社を出ていくまでだと、一年ちょっとくらいお世話になったかしら」
一年間も好き勝手やって過ごしていたのか。神社の人たちも寛容だな。オリヴィアが神社の看板だから仕方なくって感じだったのかもしれないけれど。
「それで、どうしてオリヴィアは神社を出ていくことになったのですか? あなたにしてみれば、かなり居心地がよかったでしょう? 聞く限りではあなたにとっての理想郷の様なところではないですか」
「そ、それは……」
オリヴィアはここにきて再び気まずそうに口を閉ざす。
「話してくれるんですよね? オリヴィアお姉ちゃん?」
「うっ……わ、分かったわ。お姉さん覚悟を決めます」
覚悟を決めないと話せないような内容なのかよ。何だか怖いな。
「神社での暮らしは本当に居心地が良かったの。ご飯は美味しい、寝るところも、着るものにも困らない。私を家族同然に扱ってくれるし、参拝客のみんなは優しい。だから私、かなり気が緩んでいたのよね。普段なら絶対に言わないようなことを呟いちゃって……それを宮司さんに聞かれちゃったの」
オリヴィアは話しながら、どんどん顔を真っ赤に染めていく。
そんなに恥ずかしい独り言を呟いてしまったのだろうか?
まさか、それを聞かれたのが恥ずかしくて神社を出たとかじゃないだろうな?
「なんて呟いたんだ?」
「……か、彼氏が欲しいなぁって」
オリヴィアはその時の事を思い出したのか、恥ずかしさを紛らわす叫び声を上げながら近くにあった俺のベッドへダイブした。
「ひゃ、127歳にもなって性欲にまみれていてごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!」
俺とミドリは何と声をかけていいのか分からず、叫び声と懺悔を交互に繰り返しながら、ベッドでのた打ち回るオリヴィアをしばらく眺めていた。
俺はオリヴィアが叫び疲れたタイミングをみて、声をかける。
「あの、オリヴィア? 別に彼氏が欲しいと思うのは普通のことだと思うぞ?」
「ち、違うのよ、私は普通じゃないのよ!」
凄い取り乱しようだ。枕に顔をうずめて叫ぶように返事を返してくる。
「127歳っていっても、寿命から計算したら20代なんだろ? じゃあ、彼氏を欲しがってもいいじゃないか」
「ほ、本当にそう思う?」
「思う、思う」
俺が同意すると、オリヴィアは小さく呟くように続けた。
「その独り言を聞かれた夜に、宮司さんの奥さんに好きなタイプを聞かれたの。私、お酒も飲んでいたから、つい本音を言っちゃったのよ」
オリヴィアは少し間を開けてから言った。
「ち、小さい男の子が好きって」
「え――」
小さい男の子?
それってどういう意味だ?
自分よりも背が低いってことか?
でも、ラミアの姿のオリヴィアはかなり背が高い。大体の男が自分よりも背が低いだろう。
……違うよな。そうじゃない。
俺だってオリヴィアの言葉の意味くらい察している。けれど、どうしても違う意味で言ったんじゃないかと、現実から目を反らしたくなっただけだ。
つまり、前の世界風に言えば、オリヴィアは『ショタコン』ってことだ。
「――で、その後どうなったんだ?」
「その話がどんどん広まっていっちゃって、とうとう彼氏候補として何人かの男の子が連れてこられちゃったの」
「オリヴィア、一応聞いておくけど、その子たちの年齢って?」
「……10歳から12歳」
旅館の一室に何とも言えない冷たい空気が流れる。
ミドリがゆっくりと俺を見て告げた。
「アウトですね」
「ああ。法律には詳しくないが、たぶん捕まるだろう」
オリヴィアは勢いよくベッドから起き上がると、俺とミドリに弁明した。
「ご、誤解よ! 私、その子たちに手を出してないんていないからねっ!」
「本当ですか?」
「その場にはオリヴィアの行動にストップをかけてくれる人もいなかったんだろ? なら、オリヴィアが踏みとどまれるとは思えないな」
因みに俺が異種族の女の子たちに彼女にしてくれと迫られたら、誰かが止めない限り断れる自信はない。
「ア、アキトちゃん酷いわ! 私ちゃんと踏みとどまったもん!」
「本当か?」
「ホントよ! 正直、かなり理性の限界が来ていたから、これ以上あそこに住んでいたら手を出しそうだったのは認めるわ。だからこそ、私は自分が間違いを犯す前にあの国を出たのよ」
「そ、そうか、それは何よりだ」
オリヴィアが犯罪者じゃなくて本当に良かった。
「それで、その後どうなったのですか?」
「どうって、アルドミラの入国審査を受けて、アキトちゃんたちに会ったんだけど?」
「まさかそれで終わりなのですか? 私の腕を治す手掛かりはどこにあったのですか?」
やべえ、完全に忘れていたけれど、そういえば最初はその手掛かりをオリヴィアが知っていそうだったから話をさせたんだった。
ちょっと面白かったから聞き入ってしまったが、オリヴィアはどうしてこの話をしたんだろう?
「別に手掛かりってわけじゃないわ。ただ、聖属性の回復魔法って聞いてヤマシロでの暮らしを思い出しただけよ」
「どういうことですか?」
「私の前に巫女をしていた竜人の子が、光明魔法で怪我を治していたって聞いたことがあったから、もしかしてって思ったの」
「光明魔法……初めて聞く魔法ですが、名前からして聖属性の可能性が高そうですね」
ミドリはその場を離れて椅子に座ると、何かを考えながら右腕を摩る。
俺がミドリのためにも船が動き出したら次の目的地はヤマシロにした方がいいだろうかと考えていると、部屋のドアがノックされる。
「アキトさん、今よろしいですか?」
「リズさん? 何ですか?」
「アルドミラ軍からアキトさんへ電話が繋がっています」
リズさんの言葉で、俺の心は一気に辛い現実へと引き戻された。




