三章 ハーピーの女王 十四話
左目を潰されたグレンは、血を噴き出しながら落ちていく。
そのまま火口に真っ逆さまという流れだったので、俺は残った力を振り絞ってグレンの身体を支えた。
「やっぱり、まだ死んでない」
グレンは意識を失っているが、僅かに呼吸している。こいつは直撃の瞬間に左目に物凄い量の魔力を集めていた。おかげで目を潰されるだけで攻撃が脳まで届かず、死なずに済んだのだ。
隣を飛んでいるロゼが不思議そうに首を傾げた。
「わざわざ回収してどうする気だ?」
「こういう敵のお約束っていうか、後で復活とかされたら困るからな」
「するわけないだろう。頭を貫通こそしなかったがダメージは入ったはずだ。それに私の魔法が全身を焼いたんだ、放っておいても長くは生きられないだろう」
「そ、それはそうなんだけど、不安なんだよ」
良く分からないと言いながらも、ロゼはグレンを運ぶのを手伝ってくれた。
ノーベ村に戻ると、リズとオリヴィアが突進する勢いで近付いてきた。
「姉さん!」
「アキトちゃん!」
二人に抱き着かれ、俺とロゼは地面に落ちる。同時に、俺たちが抱えていたグレンも地面に転がった。
「い、痛いぞ、リズ」
リズさんは子供の用に泣きながら、ロゼの胸に顔をうずめる。
「ぐすっ……ここからでも、姉さんたちの戦いは見えていました」
「うん。アキトのおかげで何とか勝てたよ」
「……アキトさん」
リズさんの動きがぴたりと止まり、不穏な空気が漂う。
ゆっくりとロゼから身体を離し、俺を睨み付けた。
俺は危険を感じ取って姿勢を正す。
「姉さんにした事の責任、取ってもらいますからね」
リズさんに言われて思い出した。
グレンに勝つためとはいえ、俺はロゼと契約してしまったんだ。
「す、すみませんでした。すぐに解除します!」
「えっ?」
俺は慌ててロゼとの契約を解除するように意識する。
契約紋の中にあったロゼの魂の半分を身体の外へと追い返すイメージを固めると、俺の中の自由にできる魔力が減少し、ロゼの翼が元に戻った。
「ご、ごめんな、ロゼ。戦いが終わったら、すぐに解除するべきだった」
「――あ、ああ」
ロゼは自分の翼を見て、何故か唖然としている。
どうしたのだろうか?
ここはホッとする場面のはずだが。
「こ、ここ、このっ! 唐変木ぅぅううう!」
「ぐはぁぁああああ!」
リズさんの飛び蹴りがヒットし、俺は数メートル後方の家に激突した。
「だ、大丈夫? アキトちゃん!」
オリヴィアが慌てて駆け寄って介抱してくれる。
「正気ですか、アキトさん! 前代未聞です!」
「す、すみません。でも、そいつを倒すにはロゼと一時的にでも契約するしかなかったんです!」
俺は地面に横たわっているグレンを指差して言う。
「そんな事を言っているのではありません! ハーピーの契約は一生もの。どんな理由があろうとアキトさんは姉さんを――」
怒鳴りつけるリズさんの口元をロゼの翼が塞ぐ。
「いいんだ。アキトとの契約はこの村を守る為に私が決めた事。アキトも責任を感じる必要なはない」
「……あ、ああ」
ハーピーとの契約は結婚と同一視されている。ということはロゼは俺と結婚して、今この瞬間に離婚したという事になるのだろうか?
確かに前代未聞だ。リズさんが怒るのも無理はない。現に今も俺を視線で殺してやるというレベルで睨み続けている。
「リズさん。状況から仕方なかったとは言え、俺はロゼにとても辛い決断を迫ってしまいました。ハーピーに取って契約と結婚は同じです。なら俺はロゼとこのまま結婚して責任を取るという選択肢も、無いわけではありません」
「違います! それしか選択肢は無かったんです! それをあなたは、姉さんをハーピーで初めて契約を解除された存在にしてしまった! 私はあなたを一生許しませんよ!」
リズさんも俺とロゼが契約した事までは怒っていないようだ。けれど俺がロゼとの契約を解除した事で、周りのハーピー達がドン引きするほどの怒りを俺にぶつけている。
「許してもらえるとは思っていません。ですがロゼのことを考えたら、俺はあのまま契約を続行してロゼと結婚するなんて事、絶対に出来ませんでした。結婚っていうのは、お互いに気持ちが向き合っている恋人同士が一生を共にしようと決めた時にするものです。そして俺とロゼは、友人にこそなれましたが、恋人にはなれそうもありません」
そう言い切ると、ロゼが続けた。
「アキトの言う通りだ。結婚とはそういった覚悟を持ってする事であって、覚悟がないまま契約した私とアキトは結婚するべきではない」
「ね、姉さん……いいんですか?」
「私のために怒ってくれてありがとう、リズ。私は大丈夫だ」
「分かりました」
怒りながら泣いていたリズさんは、涙を拭うとグレンに視線を向ける。
彼の状態を確認し、ロゼに視線を戻した。
「彼は何者だったのですか?」
「名前はグレン。ドラゴンの上位種族であるエンシェントドラゴンで、大昔に伝説の勇者に封印された存在らしい」
「ゆ、勇者ですか? 実在していたということですか。御伽噺の類かと思っていました」
脳内の記憶を探ると、勇者に関する伝説はいくつか思い出せる。けれど学校の授業で習うような歴史上の出来事としては扱われていない。
「私も驚いたが、状況から考えてグレンが嘘を言っていたようには思えない」
「勇者に封印されたエンシェントドラゴン……姉さん、まさかとは思うけど、彼は竜王では?」
「いや、竜王はまた別のドラゴンらしい。グレンの口ぶりからして竜王と勇者は共闘してグレンを封印したようなんだ」
「その二人が共闘しなければならないような相手だったのですね」
リズさんはグレンの腕を覆っている真紅の鱗に触れる。
「コッカトライスすら霞むほどの美しい鱗。これがドラゴンの鱗ですか……」
リズさんが鱗を確認していると、グレンの腕がピクリと動いた。
即座にリズさんは飛び退き、俺とロゼ、オリヴィアの三人は最大級の警戒をする。
グレンの右目がゆっくりと開き、頭を傾けてこちらを見た。そして、絞り出すように言葉を発する。
「……俺の……負けだ。小僧」
「え?」
グレンの潔さに驚いた。人間に深い憎しみを持っていそうだったし、恨み言の一つでも言われるかと思ったのだが、彼が最初に発したのは敗北宣言だった。
「ゲンヨウには及ばないが、人間とは思えない強さだった」
「俺じゃない、ロゼが強かったんだ」
「ふっ……確かにな。あのハーピーも強かった。普通のハーピーは雷など使わん」
ロゼは普通のハーピーではないからな。
もしかしたら、グレンはクイーンハーピーにあったのは初めてだったのかもしれない。
「小僧、名は?」
「アキトだ」
グレンは目を閉じて右手を左胸の上に乗せた。
「アキト、ロゼ。確かに覚えたぞ」
グレンの右手が輝き、紫色の炎が燃え上がる。その炎は明らかに彼の身体を侵食し、焼いていた。
「もしも生まれ変わることがあったら、次は油断しない」
灼熱の炎に焼かれ、グレンの身体が炭化していく。
最後にはどこからともなく吹いた風が、灰となったグレンの身体を運んで行った。
「……次は、心優しい竜に生まれてくれることを願うよ」




