三章 ハーピーの女王 十二話
ハーピーたちの風魔法のおかげで、山から降り注ぐ岩の直撃は免れた。けれどそれは受け止めたり受け流したりしただけであって、岩自体は大量に村に降り注いでいた。
辺り一面、岩だらけだ。
俺はアルラウネの蔓を使って岩を持ち上げて移動させ、住民たちの避難ルートを作っていたのだが、山頂からの咆哮を聞いて作業を中断した。
周囲のハーピーたちが縮こまるように怯えている。
次の瞬間、爆発した山頂の火口から一匹の生物が飛び出した。
人間の俺の目には遠すぎて赤い色しか分からないが、ハーピーたちにはどんな姿なのか見えているようだ。
俺は近くにいたロゼに尋ねる。
「あれって、どんな姿なんだ?」
「……ドラゴンだ」
ロゼの声は少し震えている。
「ドラゴン? ってことは特級種族か」
「アキト、お前……妙に落ち着いていないか?」
「そうか?」
まあ、ミドリも本当はドラゴンだしな。みんなほどドラゴンに対して恐怖心を持ってはいないのは認める。
「けれど、ドラゴンにしては魔力が高すぎる。ドラゴンは最強の肉体を持つ代わりに魔力はそこまでではない生き物だと言われているが、あの赤いドラゴンからは私よりも高い魔力を感じる。リズと同等だ」
「それって、あのドラゴンは誰かと契約しているってことか?」
「それはないだろう。どこの世界にドラゴンと契約できる人間がいる?」
目の前だが、このタイミングでは言い辛いな。
「じゃあ、もし契約もしていないのにそれほど高い魔力を持っているっていうのなら、あれはドラゴンの突然変異ってことか」
「……否定はできない」
ドラゴンですらこの世界にほとんどいない希少生物だというのに、それの突然変異って設定盛りすぎだろ。
「とりあえず、あんな上の方から睨まれていたんじゃみんなが怯えて作業にならないよな。俺、ちょっと行ってくるよ」
「あ、あのドラゴンのところにか!?」
「ドラゴンなら言葉が通じるだろうし、話し合ってくる。いくらなんでもあんなのと戦いたくはないだろう?」
「そ、それはそうだが……」
「なら行くしかないだろ。出来ればロゼも来てくれ。村の代表はいた方がいいからな」
「……分かった」
俺とロゼはそろって飛び立つ。俺たちの動きに気付いたリズさんがすぐに声をかけてきた。
「姉さん、どこへ行くのですか!?」
「山の上にいる『あれ』と話を付けてくる。リズは村を守ってくれ」
「私も一緒に――」
「いざという時のためにお前は残れ。村長命令だ」
命令と言われて、リズさんはぐっと堪える様に身体にブレーキをかけた。
「わ、分かりました。無茶はしないでくださいね」
リズさんに見送られて、俺とロゼは山の斜面に沿って飛行する。元々は緑豊かな山だったのだが、今はマグマのせいで見る影もない。
途中、消火活動をしていたミドリとオリヴィアに再開した。
「アキト様、上に向かうのですか?」
「ああ。ミドリも来てくれないか?」
「もちろんです」
よし。正直に言うと、ロゼだけでは不安だったのだ。
相手が俺たちを自分よりも下位の存在だと見下すタイプなら、同じドラゴンであるミドリの存在は大きい。
「……ごめんね。アキトちゃん。お姉さんは止めておくわ。どう考えても足手まといだもの」
「そんなことないと思うけど」
「この距離ならお姉さんでも分かるけど、上にいるのはコッカトライスの比じゃないわよ。本当ならアキトちゃんが行くのを止めたいくらいなのだけど」
まだ戦いになると決まったわけではないのだが、オリヴィアの勘は当たりそうだから怖い。
「分かった。オリヴィアは引き続きマグマへの対応を頼む」
「ええ。それは任せておいて」
オリヴィアにその場を任せ、俺はロゼとミドリと共に頂上を目指した。
マグマが噴き出す火口の上空に着くと真紅の鱗のドラゴンが俺たちを待ち受けていた。
ミドリの真の姿で慣れているつもりだったのだが、こうして相対するとハーピーたちが怯えていた理由がよく分かった。
こいつは魔力を抑える気がないのだ。
禍々しく、熱気すら纏った魔力を俺たちを威嚇するように垂れ流している。
すると、俺が話しかけるよりも前にドラゴンが輝きに包まれて小さく形を変えた。ミドリが竜人化する時と似ている。
俺の想像通り、ドラゴンは赤毛の青年へと姿を変えた。当然だが、全裸である。
ミドリや俺と同じように背中から赤い翼を生やして空中に留まっている。
「ミ、ミドリ、俺の服を」
「わかりました」
ミドリが異空間から俺の服を取り出して赤毛の青年に差し出す。
「ほう、お前は聖属性の竜のようだな」
服には目も暮れず、赤毛の青年はミドリに話しかけた。
「はい。貴方は炎ですか?」
「確かに炎も使えるがそれだけではない。しかしまずは、その献上品を頂こうか」
赤毛の青年はミドリから服を受け取ると慣れた手付きで完璧に着こなした。
「質はそこまでではないが、翼の形に背中が空いているのは気に入ったぞ。尻尾の穴もあれば尚良かったがな」
凄いのは背中の巨大な翼を服に通すために、一瞬だけ細くして見せたことだ。これは普段から竜人化していたと考えて間違いないだろう。
尻尾の部分はどうするのかと思ったが、完全に無くすことが出来るようで、ズボンを破くことなく着こなした。
「俺の名は紅蓮。お前の名は?」
「エメラルドです」
「……少し若いが、悪くないな」
グレンと名乗った赤毛の青年はミドリを値踏みするように上から下へと見まわしながら言う。
「俺はな、エメラルド。もう何百年もの間、この忌々しい山の地下深くに封印されていたのだ」
「ひゃ、百年ですか?」
「時間の感覚など途中から無くなったからな、もしかしたら千年以上たっているかもしれん。その間、俺は肉体をほとんど動かすことが出来なかった。ただ、俺を封印した奴らに対する怒りだけは忘れぬと、静かに魔力を高めていた。そしてついに俺の魔力は封印を打ち砕いたのだ」
途方もない話だ。
グレンは千年近くの間、自分を封印した存在に対し怒り続け、その禍々しい魔力で封印を破壊したという事か。
「えっと、グレンさん。あなたを封印したのは何者なんですか?」
俺が尋ねると、グレンはミドリに向ける視線とは打って変わって苛立ちの籠った鋭い目で俺を睨んだ。
「ふん。本来ならお前のような人間の小僧に答えてやる義理は無いが、特別に教えてやろう。俺を封印したのは碧羅という竜と、眩耀という人間の小僧だ」
ヘキラとゲンヨウという名を聞いて、ミドリとロゼが同時に狼狽えた。
「ヘキラ……まさか、竜王ヘキラですか?」
「ゲンヨウと言えば、伝説に出てくる勇者の名前だったはずだ」
グレンはミドリとロゼの言葉を聞いて、右手で顔を覆って不気味に笑い始めた。
「こいつは傑作だ。竜王と勇者だって? この俺を封印したあいつらが?」
グレンの身体からこれまで以上に禍々しい魔力が噴き出す。一番近くにいたミドリは距離を取って身構える。
「なあ、エメラルド。俺はこれから小賢しい人間どもを根絶やしにする。もちろん人間に加担する他の種族もだ」
グレンは俺を指差す。
「お前がそこの小僧と契約をしているのは魔力の流れ方で分かる。だが、もしもその小僧との契約を解除して、俺の女になるというなら助けてやってもいいぞ」
待て待て待て待て!
なんだ、こいつ!?
とんでもなく物騒なことを言い出したぞ。人間を根絶やしだって?
敵対種族にもほどがあるだろうが!
「私があなたのものになるなら、人間を根絶やしにするのを諦めてくれるのですか?」
「そんなわけないだろう。お前を殺すのは止めにするというだけだ」
グレンは山の下を見下ろす。
「ここは人間どもが隠れ住んでいた島だったのだが、ずいぶんとハーピーがいるようだな。だが、ハーピーはダメだ。人間としか子供を生せない種族など、存在する価値がない」
ロゼが唇を強く引き結ぶ。気の強い彼女が、ハーピーに価値がないなどと言われて黙っていられるわけがない。
そして、俺にも譲れないものがある。
俺は素早く前に出ると、グレンを睨み付けて告げた。
「おい、取り消せよ」
グレンは俺を見てはいるが、口を開こうとしない。人間の俺と交わす言葉はないと言いたいらしい。どうでもいいさ。俺は言いたいだけ言わせてもらう。
「俺はハーピーを侮辱されて、黙っていられる男じゃないんだよ。そのご立派な翼を千切れられたくなけりゃ、今の言葉を取り消せよ、コウモリトカゲ野郎」
グレンの顔が怒りで歪む。
やはり、ドラゴンにトカゲは最大級の禁句みたいだな。
「小僧、貴様の頭には脳みそが入っていないのか? 誰に向かってものを言っている」
「お前こそ、ふざけるのもいい加減にしろよ。何が人間を根絶やしにするだ。話し合いに来て損したよ。お前は話し合う気なんてこれっぽっちも持ち合わせていなかったんだからな」
俺は右手に魔力を集めて、イメージする。
この数日間、俺が訓練していたのは空の飛び方だけじゃない。オリヴィアと契約した事で更に魔力が増えたので、ミドリに新しい魔法を教えてもらったのだ。
強力なためにそれほど連発できるような魔法ではないが、俺はグレンに対して手加減してやるほどお人よしではない。
グレンと話してみてよく分かった。こいつは魔王軍と同じで、言葉は通じても気持ちが全く通じない存在だ。どうあがいても戦闘が避けられないのならば、まずは先手を取らせてもらう。
「『空間魔法・虚空閃』!」
俺は右の手のひらを正面へと突き出す。
グレンの心臓を狙った一点突破の魔法攻撃が突き出した掌底から放たれた。




