三章 ハーピーの女王 十一話
着替えを終えて髪を乾かしてから脱衣所を出ると、リズさんと数名のハーピーたちが待ち構えていた。
リズさんは俺の持っていたサイダーの瓶などを見て眉間にしわを寄せた。
「アキト様、こちらへどうぞ」
「へ? ど、どうしたんですか?」
「いいから来てください」
リズさんたちは何やら急いでいるようで、俺から瓶などを奪い取ると背中を押すようにして場所を移動した。
「どうぞ、座ってください」
広々とした部屋に通されると、高級そうなソファーに座るように促される。
リズさんは俺の向かいの席に座った。別のハーピーが飲み物を入れてくれる。
「驚きましたよ、アキトさん。あの姉さんがアキトさんにサイダーを用意するなんて考えられません。一体どんな魔法を使ったんですか?」
「魔法? 普通に話していただけですよ」
「そんなはずがありません。いいですか、アキトさん。あのサイダーはヤマシロから取り寄せた姉さんのお気に入りです。間違っても他人にプレゼントするようなものではありません」
「……友達だからじゃないか? 恋人は無理っぽいが、友達としてなら仲良くやっていけそうだぞ、俺たち」
漫画友達という奴だ。
とはいえ、俺はこの世界の漫画に疎いから、明日の休憩時間に本屋でも覗いてみようかと思っている。
「それが凄いと言っているのです。ちょうど姉さんの入浴の時間と重なっていたので、運が良ければ仕切り越しに話したり出来るかもと思ってアキトさんをこちらへお誘いしましたが、まさかお気に入りのサイダーを貰って戻ってくるとは夢にも思いませんでした」
「確かにロゼと話せたのは奇跡に近かったかもしれないけど……」
俺が風呂場で独り言を連発していた結果だからな。恥ずかしいから言いたくないけど。
「それで、姉さんとはどんな話をしたのですか?」
「どんなって……」
俺は漫画の話だと言いかけて、思いとどまる。
リズさんの事だからロゼの趣味は知っているとは思うのだが、本人に言いふらさないでくれと言われた手前、会話の内容をロゼに許可も取らずに話してしまうのは気が引けた。
それに、周りにいる他のハーピーの存在も気になる。
「どうしてそこで黙るんですか!」
「いや、それは……」
リズさんは身を乗り出して俺を睨む。この人、もしかして重度のシスコンだろうか?
「別に大した内容じゃないですけど、人に言わないって約束したんで」
「な、なな、なんですかそれ! すっごく気になるじゃないですか! 教えてくださいよ!」
「無理です。せっかくここまで関係を修繕したんです。ここでロゼを裏切るようなことをしたくありません」
「ぐっ、ぐぬぬ……」
すげえな。現実で「ぐぬぬ」って言う人初めて見た。
リズさんは不機嫌そうに席を立つ。
「いいです。明日は私も一緒に入りますので」
「そ、そうですか」
それだとロゼは漫画の話を出来ないから止めてあげて欲しい。
俺は念のためリズさんに質問した。
「あの、リズさんは趣味とかありますか?」
「何ですか急に。私は夫一筋ですよ」
「そ、そういう意味じゃないですから、教えてください」
趣味を聞いただけでこの反応。俺ってハーピーの人妻を口説くような男に見られているのだろうか?
「そうですね……仕事が忙しいのであまりこれといってありませんが、強いてあげるのならチェスでしょうか? 夫としか遊びませんけど」
そう来たか。ここで漫画や小説だと言ってくれたら話しやすかったのだが、上手くいかないものだ。
「そういえば、姉さんは漫画や小説が好きなんですよ。知ってましたか?」
リズさんの口からロゼの趣味の話が出たことでヒヤリとしたが、俺は何とか顔に出さずに返答した。
「いえ、知らなかったです」
「まったくあなたという人は。私の趣味を聞く前に、まずは姉さんの趣味を聞くべきでしょう。姉さんと結婚したくないんですか?」
「いや、それはたぶん無理では? 俺は友達としては扱ってもらっていますけど、恋人には絶対にならないって宣言されちゃっているじゃないですか」
あの現場にリズさんもいただろうに、どうしてその話題を掘り返すんだ。辛くなるから止めてくれ。
「そ、そこで諦めてどうす――」
リズさんが怒りの形相で声を張り上げた途中で、何かに気が付いたように頭を横に向けた。
そして半歩退いて、真剣な表情で部屋のカーテンへと視線向けている。
「どうしたんですか?」
「アキトさんには分からないんですか?」
全く分からない。
俺は何があるのだろうとカーテンに近付いて開け放つ。窓の外にはヒールラシェル山が見えた。
「何もないですよ?」
「も、もっと下です。山の下の方から、どんどん登ってきています」
「下からですか?」
他のハーピーたちもリズさんに遅れて何かを感じ取ったのか、一か所にかたまって震え始めた。
あの怯え方は異常だぞ、いったい下から何が来るっていうんだ?
すると今度は、激しい揺れに襲われた。踏ん張っていないと立っていることすら出来ない揺れだ。
「こ、これは本気でまずい!」
俺は急いで窓を全開にすると、リズさんたちに叫ぶ。
「今すぐ脱出を!」
俺は背中から竜の翼を生やすと、真っ先に窓から飛び出した。少し遅れてリズさんや他のハーピーたちも続く。
ここの服屋でハーピーの夫用の服を買っておいてよかった。ミドリの服のように背中が翼に合わせて開くような作りになっているために、咄嗟の時に翼を出しても服を破らなくてすむ。
外に出ると、俺たちと同じように建物から出てきた人たちの叫び声が聞こえてくる。
「リズさん、今すぐ避難誘導を!」
「分かっています! ですが……」
リズさんはヒールラシェル山を見上げる。
「来ます!」
彼女の言葉と同時のタイミングで、山の頂上が爆発した。
目を疑うような光景だ。
「う、嘘だろ!?」
山頂から黒煙が上がる。
そして、聞いたこともないような、禍々しい生物の咆哮が辺りに響き渡った。
ビリビリと空気が振動する。
「アキト様!」
ミドリとオリヴィアが空を飛んで俺たちの元へと駆け付ける。
「ミドリ、何が起きてるか分かるか!?」
「詳細は分かりません。ですが、あの山の中から出てきた生物が元凶でしょう」
ミドリは山の頂上を指差して言う。リズさんも真剣な面持ちで頷いた。
「とにかくまずは村を守りましょう! 来ますよ!」
ミドリは天空を指差す。
見ると、最初の爆発で飛び散った山の一部がこちらへ向かって落下してくるところだった。
「私に任せてください! 『疾風魔法・暴風結界』!」
リズさんが特大の風の防御魔法で飛んできた岩を受け止める。
同じように、周りにいたハーピーやその夫たちが一斉に疾風魔法を使って村や観光客を守っていく。
「リズ!」
「姉さん!」
ロゼが少し遅れて飛んできた。
髪が乾ききっていないので、風呂上りに慌てて着替えて駆け付けたのかもしれない。
「ど、どうなっているんだ、これは?」
「私が聞きたいくらいよ。とにかく今は村を守らないと!」
「そ、そうだな!」
ハーピーたちが一丸となって村を守る。
リズさんは飛んできた岩を魔法で受け止めるだけではなく、観光客の避難誘導も同時に指揮している。
そこに、不安そうな顔のハーピーたちが数名飛んできた。
「リズ様、ロゼ様!」
「どうしたのですか!?」
「港に向かわせてください。あそこには息子が生活しているんです!」
その言葉を聞いて、俺は上空から港の方向を確認した。
あっちにはアルドミラ軍がいるはずだが、ノーベ村よりもずっと広いので守り切れなかったようだ。いくつもの建物が岩に押しつぶされ、火の手が上がっている。
「くっ……分かりました。港に家族がいる者はそちらの救援に向かいなさい!」
「ありがとうございます!」
ハーピーとその夫たちはリズの許可が出ると同時に、疾風魔法で加速して港へと飛んでいく。彼女たちの息子が無事だといいが……。
「アキトちゃん、お姉さんはあれを何とかしてみるわ」
オリヴィアが山の頂上から流れてきているマグマを指差す。
「おいおい、ヒールラシェル山って火山だったのかよ!?」
「温泉があるのですよ? 当たり前でしょう」
そりゃそうか。今まで気にしてこなかったが、マグマで地下水が温められて噴き出していたってことか。
「けれど今回は噴火ではなく、あの頂上にいる禍々しい魔力の生物のせいだろう」
ロゼが頂上を睨み付ける。
「ともかく、あのマグマがこっちまで流れてきたら大変だわ。お姉さんが何とかしてくる!」
「私も行きます!」
オリヴィアとミドリが流れ出るマグマへ向かって飛んでいく。
俺も後を追いかけようとしたら、振り返ったミドリに止められた。
「アキト様はハーピーたちと一緒に村を守ってください。あなたの魔力量ではあのマグマを止めることなど出来ないでしょう?」
「わ、分かった」
悔しいが、ミドリの言う通りだ。
ミドリの巨大な不可侵領域なら、マグマの流れる方向を変えたり、そもそもマグマを消し飛ばしたり出来るはずだ。そしてオリヴィアの水流魔法と氷結魔法も、マグマを冷やすことによってせき止めることが可能だ。
どちらも俺がやろうとしたら、すぐに魔力切れになってしまうのはこれまでの経験で何となく分かる。
俺は素直に引き返して、リズさんの指揮に従って観光客や怪我人を助けることに力を注ぐのだった。




