三章 ハーピーの女王 九話
「う、うわあぁぁぁあああ!」
「リック!? ぐはっ!」
強い衝撃と共に、俺とリックはきりもみしながら墜落する。
「『水流魔法・水精の沼』!」
地面に激突かと思ったその時、オリヴィアの魔法が目の前に現れた。
スライムのような粘性のある水の塊に突っ込んだことで衝撃を殺され、大事故は回避された。
俺とリックが水中で動きを止めたのを確認すると、オリヴィアは魔法を解いた。どさりと二人揃って地面に落ちる。
「リック、大丈夫!? 怪我してない?」
カミラさんが倒れているリックに駆け寄って介抱し始めた。
俺の元にはミドリが無表情で近付いてきて見下ろしてくる。
「まったく情けない。あの程度のイレギュラーに対処できなくてどうするのですか」
何だ、この格差社会は。どうして俺には優しくしてくれる彼女がいないの?
「反面、オリヴィアの魔法は素晴らしいですね」
「そう? コッカトライスに私の魔法が通用しなかったから、新しく考えた魔法だったのだけど」
「新しい魔法ですか? その割には魔力の流れが洗練されていて発動も速かったですね。十分に実戦で使えると思いますよ」
「ミドリちゃんの太鼓判があれば自信をもって使っていけそうね」
俺を無視して二人は楽しそうに魔法談義を始めてしまった。
さて、そもそも俺とリックが何をしていたのかというと、飛行練習だ。
俺はロゼと友達にはなれたものの、それ以上の関係には進展しそうになかった。そこで肩の怪我が治るまではリズさんの旅館に宿泊して療養し、治り次第オルドレーズ大陸へ戻ろうという話になったのだ。
今日は朝から温泉に入って、ただで提供されるのが申し訳なくなるほどに美味い朝食を食べ終えたところで、俺たちのもとをリックとカミラさんが尋ねてきたのだ。
話を聞いてみたら、リックが祝福で得たハーピーの翼で空を飛ぶ練習をしたいので手伝って欲しいという事だった。
俺たちは二つ返事で了承した。
昨日、リックとカミラさんにはロゼと友達になれたことは報告したのだが、せっかくの楽しい雰囲気を落ち込んだ俺がぶち壊しにしたのは消し去りようのない事実だ。
何かしら贖罪をしたいと思っていたので、協力しないわけがない。
そして俺は練習場所に選んだ人通りのない開けた場所でリックに祝福で得たハーピーの翼を見せてもらった。
まず驚いたのは、手に翼を生やすのかと思っていたら、背中から翼を出したことだ。ミドリの翼と同じで、肩甲骨の辺りから生えている。
ハーピーと結婚した男はみんなそうするらしい。確かにその方が飛びながら腕が使えるから便利ではある。けどこれではハーピーというよりも天使っぽい。
いい機会だったので、俺もオリヴィアとの契約で得た祝福をお披露目した。
メリュジーヌは人間以外の部位が多いので悩んだが、俺は竜の翼を選んだ。
そして俺とリックは空を飛ぶことが出来る三人から飛び方のコツを教わって練習を開始したというわけだ。
普通の鳥と違い、異種族の翼は魔力で空を飛ぶ。
両翼から魔力を放出し、その力の流れで空へと飛び上がるのだ。
俺は早いうちに背中から生える翼の感覚に慣れ、速度変化や咄嗟の方向転換などは出来ないまでも、安定して飛行できるようになった。
しかし、リックはなかなかコツを掴めず、空中でバランスを崩すことが多かった。そしてついには俺に衝突して二人一緒に地面へ激突するところだったのだ。
「ごめん、アキト。巻き込んだ」
「気にすんな。せっかくオリヴィアたちがサポートしてくれているんだ。失敗を恐れずに挑戦していこう」
「うん。そうだね」
こうしてこの日は日が暮れるまでリックと飛行練習を重ねた。最後にはリックが魔力切れを起こして倒れたので、お開きになった。
俺たちは連日練習を重ね、練習開始から4日目にもなると完璧に翼を使いこなせるまでになっていた。
「もうぶつかったりもしなさそうだな」
「止めてよ、アキト。それは初日だけだっただろ?」
俺とリックは自由自在に空中を飛び回る。空を飛ぶってのはこんなに楽しいものなんだな。ミドリやオリヴィアに掴まって飛ぶのとは違い、自分の力で風を切って進んでいる感覚が気持ちいい。
「アキトちゃん、そろそろ休憩にしましょう?」
「げっ! オリヴィア!?」
オリヴィアが空を飛んで俺とリックを呼びに来る。その後ろをカミラさんが慌てて追ってきた。
「オリヴィアさん! あなたは空を飛ぶの禁止だって言ったでしょ!?」
「大丈夫よ、ちょっとくらい」
「大丈夫じゃないの! とにかく降りるよ!」
カミラさんはオリヴィアの手を取って地上へと降りる。俺とリックも後に続いた。
「そんなに心配しなくても……」
「心配するよ。ていうか何でいつもそんなに短いスカート履いてるの!?」
オリヴィアは蛇の下半身と人間の足を気分や状況に合わせて使い分けている。一見便利だが、そこには大きな問題が生じるのだ。
そう。オリヴィア、ノーパン問題だ。本当に勘弁してほしい。
今のところ、モロに見えてしまった事はないが、際どい場面は何度もあった。そのたびに俺とリックは見ないように顔を背けつつも、男の性としてついついチラ見してしまっていた。
それがミドリとカミラさんに気付かれ、オリヴィアは飛行禁止を言い渡されたのだ。
蛇の下半身でなら飛んでもいいという事になってはいるのだが、本人的には重くて空を飛ぶには適した身体ではないという。
この問題の一番厄介なところは、オリヴィア自身があまり気にしていないということだ。
「スカートは……アキトちゃんが短いのが好きそうだから」
「アキトさん!」
カミラさんが俺を力強く睨む。
「違う、俺はそんなこと言ってないぞ! オリヴィアもでたらめを言うの止めろ!」
「でたらめじゃないわよ。短いのを履いた時の方がアキトちゃんから視線を感じるもの」
「それは――」
「アキトさん!」
「ごめんなさい」
なんで俺が謝っているんだろう。俺は何か悪いことをしましたか?
釈然としない物を感じながら、俺たちは休憩のためにリックの家に移動した。
リックは現在、リズさんの旅館で料理人として働くために料理の修行中だ。飛行訓練に、料理修行とはリックも大変だな。
そんなわけで、この数日の俺たちの昼食はリックの家でと決まっている。もともとリックも料理の勉強はしていたようなので、店で出てくるものと遜色ないくらい美味い。
けれど、俺たちが朝夕食べているリズさんの旅館の最高級料理に比べると、まだまだだ。
「アキトさんはともかく、リックまでオリヴィアさんの事をチラチラ見てることが分かった時は、疾風魔法で細切れにしてあげようかと思ったよ」
カミラさんは怒りが収まらないのか、文句を言いながら食事をしている。
「前も説明しただろ? あれは反射というか、僕の意思とは関係なく見ちゃうものなんだって……ねえ、アキト」
「アキトさんに同意を求めないで。アキトさんが女好きなのは今に始まったことじゃないけど、リックは私だけを見てよ」
「ご、ごめん。気を付けるよ」
こいつら、俺とオリヴィアをだしに使っていちゃつきたいだけなのでは?
「――って待て、俺が女好き!? 誤解だぞ! 俺はハーピー一筋になったんだ」
前は異種族の女の子全てをターゲットにしていたが、今はハーピー一筋だ。
「そこをロゼ様一筋って言えないところがアキトさんのダメなところだと思うな」
「うぐっ!」
まずい。俺のガラスハートに直撃だ!
「カミラさんがいると、私が注意しなくてよくて助かります」
「ホントね。カミラちゃん、もっと言ってあげて」
ミドリとオリヴィアは呑気に観戦モードで食事をしている。
オリヴィアはどちらかというと当事者なのだから一緒に怒られてくれないだろうか?
「ロゼには友達宣言されちゃったしなあ。そもそもあれから会ってないし」
「あ~、ロゼ様忙しいもんね。それに噂通りだとすると、ロゼ様を落とすのはアキトさんじゃ難しそう」
「噂? どんな噂なんだ?」
「う~ん、これって言ってもいいのかな……」
出た。自分から言いだしておいて言い淀むパターンだ。
こういうのは最初から言うつもりで発言しているのだから、勿体ぶらずにさっさと話して欲しい。
「あのね。ロゼ様って見かけによらず、少女趣味なんだって」
「少女趣味? フリフリの服とか、ぬいぐるみとかの事か?」
「どっちかっていうと、少女漫画とか恋愛小説とか」
「なるほど、それで?」
カミラさんはミドリとオリヴィアをチラリと見てから続けた。
「ロゼ様って、子供の頃はよく運命的な出会いに憧れていたらしいのよね。両親が紹介してくれる男の人じゃなくて、自力で自分を見付けてくれるような、王子様みたいな人が好みだって噂よ」
「王子様……」
「アキト様とは正反対の存在ですね」
「黙ってろ、ミドリ!」
絶対に言うと思ったので、今までで最速のツッコミを入れてやったら、ミドリはフンと嘲笑して食事を再開した。すげえむかつく。
「なるほど、お姉さん分かっちゃったわ」
「何がだ?」
「この前、リズちゃんがロゼちゃんを拗らせているって言ったわけ。要は、子供の頃の願望を今もずっと大切に持っているからそう言ったのよ」
今でも王子様みたいな男を理想として想っているということか。
「アキトちゃんが目の前に現れた時、ついに王子様が来てくれたって思ったんじゃないかしら。でも、お互い良く知らないのにいきなり求婚されてビックリして飛び出してしまった。その後、反省して謝りに来てくれたから、もう一度やり直そうと思って向き合ってみたら、王子様だと思っていた男は美人の女の子を二人も侍らせていた。さて問題、この時のロゼちゃんの心境は?」
カミラさんが手を上げる。
「『あ、この人は私の王子様じゃないんだ』と、がっかりした」
「正解!」
正解!
じゃねえよ、勝手に決めつけるな。
冗談半分に盛り上がるオリヴィアとカミラさんをよそに、ミドリが真剣な顔で言う。
「実際、ロゼさんの心境はそれに近いかもしれませんね」
「そうか? 単純に俺に他の契約者がいるのが嫌だっただけな気がするぞ」
「アキト様は契約を解除してもいいと伝えたではないですか。それなのにあの態度、私には一度でも他の女性と契約した男性は嫌だと言っている様に見えました」
それであの拒絶っぷりということか?
もしそうなら、ロゼと友達以上の関係になるのは不可能だな。
カミラさんも俺と同じように納得したのか、うんうんと頷いた。
「それなら、リズ様が拗らせているって言ったのも納得だね。確かに私たちハーピーにとって契約は一度きりの行為だけど、ずっと相手が見つからなくて諦め欠けていたところで奇跡的に候補者が見つかったっていうのに、相手の男が他の女の人と契約した経験があるから嫌とか言っている場合じゃないでしょ。ましてや、アキトさんは二人を恋人じゃないって伝えたんでしょう? それなら別に良いと思うけどな~。気になるようなら契約を解除してもらえばいいわけだし」
確かに拗らせていると言えなくもないが、俺も女性の好みに関してはどうしようもないくらい拗らせているので何も言えない。
「でも、ロゼの趣味自体噂なんだろ? あんまり憶測でものを言うのは止めておいたほうがよくないか?」
「アキト様にしてはまともな意見ですね」
「そうね。あまり勝手なことを言っても悪いし、この話はここまでにしましょうか」
噂話で相手を理解した気になるのは一番危険だからな。
俺は適当なところで話を打ち切った。
その日の夜、何の気なしに旅館のテレビを付けると、西の大陸での戦争でアルドミラ軍が敗北し、町が一つ占領されたというニュースが報じられていた。
アキトとカミラがタメ口で話すようなったことに気付いた方はいるでしょうか?
この数日間で、5人はとても仲良くなりました。




