二章 世界を旅するラミア 十三話
翌朝。オリヴィアよりも先に目が覚めたのだが、一晩明けて冷静になった結果、今の状況がとても恥ずかしく感じて彼女を起こさないようにコッソリと部屋を出た。
自分の個室に戻って身支度を済ませた後、外の空気を吸いにデッキへと向かう。
途中で出会った船の船員に朝の挨拶と昨日の件の感謝を伝えられた。あまり言いふらさないで欲しいと思ったが、もはや今更かもしれない。
デッキには船員以外にも先客がいた。
肩にかかる緑色の髪の毛。エメラルドのように光を反射して輝く美しい鱗をまとった尻尾。俺の旅の相棒である、ドラゴンメイドのミドリだ。
「……アキト様ですか。おはようございます。昨夜はお楽しみでしたね」
「なっ!? そのセリフ、どうして知っているんだ?」
「何の話ですか?」
「いや……なんでもない」
娯楽の少ないこの世界にゲーム機はないのだからミドリがあのセリフを知るはずがない。偶然一致しただけだろう。
「オリヴィアがアキト様の着替えを取りに来たので渡したのですが、よくよく考えてみればおかしな話ですよね。昨日は船酔いが酷過ぎて頭が回りませんでした」
ミドリは半目で俺を睨む。
別に俺はオリヴィアに手を出したわけじゃない。けれど一緒に寝たのは間違いないので否定もしきれない。
「その…………一線は越えてないです」
「でしょうね。アキト様にそのような度胸があるとは思えません」
「お前な」
ツッコミを入れようと思ったら、ミドリが頭を押さえて俺から目を反らした。船が進む先の景色を見据えながら深呼吸を繰り返している。
「船酔い、治ったわけじゃないのか」
「はい。寝ている間にだいぶマシになりましたけど、万全とは言い難いです。景色を眺めるのがいいらしいので、オルディッシュ島に到着するまではここにいることにします」
「そうだな。またあの状態に戻られても困るし」
ミドリが入れば昨日のシーサーペントなんて簡単に倒せたはずだ。
「アキトちゃん、ここにいたのね」
声に振り替えると、オリヴィアが笑顔でこちらへと向かってくるところだった。またあの暑苦しいローブと手袋を着用している。綺麗な翼なのだから隠さなくても良いのに。
「オリヴィア、昨夜はあなたとアキト様のおかげで魔物を撃退できたと聞きました。ありがとうございます」
「お姉さんはアキトちゃんを助けただけよ。トドメだってアキトちゃんが差したんだから」
「そうなのですか?」
ミドリが目で俺に尋ねてくる。
「オリヴィアの機動力が無ければ無理だった。どちらかというとMVPはオリヴィアだったと思うぞ」
「機動力……」
ミドリはオリヴィアの身体を見て首を傾げる。
そうか、こいつはオリヴィアの上半身の事を知らないんだ。ラミアの身体で機動力と言われてもピンとこない気持ちは分かる。
「ミドリ、聞いてくれ。オリヴィアの種族はラミアじゃなかったんだ」
「アキトちゃん、その言い方は酷いわ。確かにお姉さんは突然変異をしちゃったけど、ラミアから産まれたのよ?」
オリヴィアはムッと不機嫌そうな顔で口を挟む。
俺は彼女を安心させるために笑顔で答えた。
「違うさ。オリヴィアはラミア、ドラゴン、マーメイド。三つの種族の遺伝子が先祖返りをした結果生まれた新しい種族なんだ」
「ええっ!?」
「何ですかそれは、聞いたことがありません」
これだけ異種族がいる世界なのに、オリヴィアもミドリも知らないんだな。けれど俺は知っている。
俺の大好きだったゲームにも出てきた女性型モンスター。
蛇と魚がかけ合わさった下半身と竜の翼を持った人間の女性の上半身。水と氷の魔法を使いこなし、海を魚よりも速く泳ぎ、空を飛ぶ事が出来る種族はこれしかいない。
「オリヴィアの種族はメリュジーヌだ」
「メリュ……ジーヌ?」
「そうだ。オリヴィア、そんな暑苦しい服脱いじまえよ。お前は自分のラミアとは違う部分を人に見せたくないのかもしれないけど、俺はお前にラミアとしてじゃなくて、メリュジーヌとして胸を張って生きて欲しい」
「アキトちゃん……」
オリヴィアは俯くと、自分の胸に手を当ててメリュジーヌという種族名を口に出して反芻する。
そして何かを決めた目でローブと手袋を脱ぎ捨てると、背中に折りたたまれて窮屈そうにしていた両翼が目一杯広げられた。
「竜の翼!?」
オリヴィアの翼を初めて見たミドリの目が驚きで見開かれる。
「メリュジーヌって名前。アキトちゃんが考えてくれたの?」
「違うよ。大昔の伝説にそういう種族が出てくるんだ」
「……へえ。お姉さん100年以上生きているけど、そんな話聞いたことがないわ」
オリヴィアは俺をからかうように笑う。
これは俺が言ったことなんて信じていない顔だ。あくまでもメリュジーヌという種族名は俺が捏造したもので、それを悟られないように照れ隠しで伝説の話をしたと思われたに違いない。
でも、それでもいいさ。オリヴィアが自分を偽らずに、自信をもって生きてくれるのならそれでいい。
俺の手がオリヴィアの竜の手によって優しく握られる。
「アキトちゃん。私、これからメリュジーヌとして生きてみるわ」
「おう。その方がいい。そんなに綺麗な翼なんだからさ」
「あ、ありがとう」
翼を褒められることに慣れていないのか、オリヴィアは珍しく恥ずかしそうに頬を染めながら礼を述べた。
すると、彼女の身体が魔力による輝きを帯びる。握られた手を通して俺の身体にオリヴィアの魔力が流れ込んでくるのが感じられた。
「こ、これって!?」
オリヴィアの下半身がみるみるうちに細く美しい二本の足へと形を変えていく。
「そんな、どうして?」
「アキト様、契約紋は?」
ミドリに問われ、俺はシャツを引っ張って左胸の契約紋を確認する。
俺の契約紋にある青色の大勾玉が一層輝きを増していた。間違いなく契約が成立してしまっている。
「嘘だろ、契約しちまってるぞ? どうしてだ、ミドリ?」
ミドリは「仮説ですが」と前置きして答える。
「……想いさえ通じていれば、契約紋に触れなくても契約出来てしまうという事かもしれません」
俺とミドリは突然の契約に戸惑っていたが、オリヴィアは自分の足を見て嬉しそうにしていた。しゃがんだり、飛び跳ねたりしている。
そういえば、契約したら足が欲しいと言っていたっけ。
でもあんまり激しく動かないで欲しい。ラミアは足が無いのでみんなスカートなのだが、オリヴィアは比較的短めの物を着用している。
そして今、このタイミングで人の足を手に入れたという事は、スカートの中は何も履いていないということだ。見えてしまいそうで目のやり場に困る。
オリヴィアはそんな俺の気持ちなど気付きもせずに再び手を取ると、目を細め妖艶な笑みを浮かべた。
「どうする、アキトちゃん? お姉さん、アキトちゃんと想いが通じ合っちゃったみたいよ?」
「うっ……それは、その。旅の仲間として信頼したってだけで」
「そうかしら?」
いかん。上機嫌のオリヴィアは無邪気な子供のような可愛らしさと、お姉さんの色気が融合して太刀打ちできない。
俺は助けを求めてミドリを見た。
ミドリはやれやれとため息を吐きながら助け舟を出してくれた。
「オリヴィア、アキト様を誘惑するのはそこまでにしてください。私たちの旅の目的は説明しましたよね?」
「ハーピーの彼女が欲しいってやつね。人間は本当にハーピーが好きよね」
「そうなのですか?」
「ええ。南半球の砂漠地帯で暮らす陸生ハーピーに会ったことがあるけど、それはもう人間の男に大人気だったわよ。逆に人間の女には嫌われていたけど」
陸生というとダチョウ系のハーピーだろうか。会ってみたい。
「ハーピーが増えすぎると人間の女性が絶滅しかねない話ですね」
「怖いわよね」
なんか話がそれている気がするな。人間の女の話は別にいいよ。
「ともかく、俺の目的はオルディッシュ島で気の合うハーピーを見付ける事だ。オリヴィアはそれでもいいか?」
オリヴィアと想いが通じた事は正直に言うと嬉しかった。けれど彼女は長寿の種族。俺とは釣り合いが取れない。
これまであまり気にしていなかったけれど、そういう意味で言えばミドリも該当する。
恋人や妻が若いままなのに、自分だけが年老いていくなんて俺には耐えられない。そういう意味でも、もともと人間の男と結ばれるように出来ているハーピーという種族は俺にピッタリなのだ。
「……しょうがないわね。じゃあこれからはアキトちゃんのお姉さんとして応援してあげることにするわ」
「ずいぶん年の離れたお姉さんだな……」
「アキトちゃん。そういうことを言うと、女の子に嫌われるわよ?」
「そうですよ。少しは考えて喋ってください」
俺は姉と妹の両方から攻撃を受けて、言い返すことも出来ずに頭を下げた。
「ごめんなさい」
くそう。これからはこの二人に挟まれて恋人探しをするってのか?
前途多難だ。
「あっ、オルディッシュ島が見えてきましたよ」
ミドリが水平線に小さく見え始めた陸地を指差して言う。
「本当ね。空を飛んでいるハーピーも見えるわ」
「あの辺りにノーベ村があるのかもしれませんね」
「えっ、どこだよ?」
二人とも視力良すぎだろ。俺にはまだぼんやりと島が見えるだけだぞ。
「アキトちゃんはどんな女の子が好みなの?」
「えっ、どんなって……ハーピーだよ?」
「そうじゃなくて、性格とか顔とか特技とか趣味とか、色々あるでしょう?」
俺はしばし考える。
今までこの種族が好きとかはいくらでも言えたのだが、こういう性格の女の子が好きとかは考えたこともなかった。
顔もそうだな。美人かそうじゃないかとかは分かるが、自分が好きな顔の系統なんて全く分からない。
俺はこれまで経験から理想のハーピー像を完成させていく。
「普段は俺に厳しい態度をとるんだけど、2人きりの時は優しくしてくれるようなハーピーがいいかな」
いわゆるツンデレってやつだな。ハーピーならツンデレが可愛いと思う。
「……新手のSMプレイですか?」
「ちょっ、誰がドMだ!」
「そこまでは言っていませんが、ちょっと引きました」
この世界は日本のようにサブカルが発達していないから、俺の言うツンデレの良さが理解されないのか?
別に俺はSM好きじゃない。ただ、『ツンツンデレデレが良い』って昔から言われているんだ。そして俺はその属性はハーピーにピッタリだと思っただけだ。
オリヴィアが何かに気付いたようにクスリと笑う。
「っていうか、アキトちゃん。それってほとんどミドリちゃんのことじゃない?」
「え?」
俺はミドリと顔を合わせる。
確かにミドリは俺にいつも厳しいけど、たまに優しくしてくれる時もあるな。
ミドリはその事に気が付いたのか、こっちまで恥ずかしくなってくるくらい顔を真っ赤にして、そっぽを向いた。
「ち、違うぞ、ミドリ!? 俺は別に狙って言ったわけじゃなくて」
「分かってますよ! そ、それに私はハーピーじゃありませんから? オリヴィアも変なことを言うのは止めて下さい!」
オリヴィアはニヤニヤと笑みを浮かべながら、俺とミドリの反応を楽しんでいる。ちょっとSっ気が強くありませんか?
勘弁してください。
「ごめん、ごめん。これからハーピーの彼女を作ろうって時にする話じゃなかったわ。忘れて頂戴」
こうして俺はある種の気恥ずかしさを覚えながら、次第に近付いて来るオルディッシュ島を眺めて過ごすことになった。




