二章 世界を旅するラミア 八話
食事を終えた俺たちはサラと別れ、オルディッシュ島行きの船が停泊している船着き場へと向かった。
受付に話を聞きに行っていたリックが真剣な顔で戻ってくる。
「どうだった?」
「僕たちが乗る予定の今日の便までは大丈夫だってさ。ただ、さっきの地震の影響がないか調査をしているから、出発時間が少し遅れるらしい」
「そうか。ここまできてオルディッシュ島に辿り着けなかったらどうしようかと思ったよ」
「本当にね」
それこそ、ミドリに乗って空から島へ向かわなければならなくなるところだった。提案したら嫌がられそうだけど。
そのミドリは何か考えるように人差し指を下唇に押し当てている。
「どうした、ミドリ?」
「いえ……今日の便まではということは、明日からは船が出ないのですよね?」
「えっ――」
リックに視線を戻すと、彼はゆっくりと頷いた。
「これ以上戦闘が激化したら、安全面から船を出すことが出来なくなるだろうって。それは島からここへの帰りの便も同じらしい」
「つまり、オルディッシュ島に行けば、しばらく帰れなくなる可能性があるのですね」
「そうなるね」
ミドリが眉を寄せる。
帰りの便が無くなることがそんなに問題なのだろうか?
俺はノーベ村にしばらく滞在してハーピーの恋人探しをしたいから、別に何とも思わないのだが。
「何か気になることがあるのか?」
「はい。アキト様がクイーンハーピーに振られて傷心した際に、島から帰れないのは辛いだろうと思いまして」
「今から振られる前提で話を進めるなっ!」
「申し訳ありません」
ミドリは潔く頭を下げる。
「な、何だよ。嫌に素直だな」
「私くらいはアキト様に優しくして差し上げようかと思いまして」
「やめて!? そんな理由で優しくされたら逆にみじめだから!」
ミドリに優しくなんてされたら、調子が狂って死にそうだ。
「ていうか、もしも島から出ていきたいほど傷心したら、ミドリに乗って空から帰るよ」
俺の言葉を聞いたミドリは、リックにも分かるくらい嫌そうな顔になった。
「アキト様はスケベな触り方をしてくるので、二度と乗せません」
「おい、言いがかりは止めろ」
リックがこっちをじっと見ているだろうが。
「エメラルドさん……アキトに何をされたか聞いてもいい?」
「お尻に抱き着いて頬ずりを――」
「――ちょっと、待った! 出まかせは止めてもらおうか!」
俺はミドリの口を手で掴むことで言葉を遮る。
「リック。ミドリの言う事を真に受けるなよ?」
俺が必死に弁明しようとすると、リックは優しい笑顔で俺の肩に手を置いた。その行動が予想外過ぎて、ミドリの口を押さえていた手が外れる。
「アキト、君はエメラルドさんと付き合った方がいいんじゃないか?」
「はあ?」
血迷ったのかリック。俺がミドリから受けてきた罵倒の数々はお前も見聞きしていただろう。
「あり得ません。なぜ私がアキト様なんかと」
「なんかとは何だ。俺だってお前みたいな毒舌女はごめんだよ」
「へえ、そうですか。それは気が合いますね」
にらみ合う俺たち二人を見て、リックは噴き出して笑いだした。
「おい、リック。今のどこにそんなに笑うほどの面白要素があったんだ?」
「ご、ごめん、ごめん。ねえ、アキト。君の契約紋をもう一度見せてもらえないか?」
「えっ? ……まあ、いいけど?」
リックには一度見せているから、今更隠す必要はない。
俺がシャツを脱ぐと、リックは俺の左胸の契約紋を見て満足げに頷いた。
「やっぱりね。このど真ん中の大きな虹色の契約紋はエメラルドさんと契約している証だろう?」
「そうだけど?」
「あれだけの罵倒を浴びせられ、喧嘩まがいの言い合いをしたにもかかわらず、君たち二人の契約は解除されていない。お互い表面上はぶつかり合っていても、内面では深い絆で結ばれているんだ」
俺は虹色に輝く契約紋を見つめる。確かにリックの言う通り、ミドリとの契約が解除されていない。
そもそも、ミドリの事をむかつくと思ったことは何度もあるが、嫌いだと思ったことは一度もない。言い争う事すら、内心楽しんでいる自分がいる。
それはミドリも同じなのだろう。
言葉で俺をいくら罵倒しようとも、内心では契約者として認めてくれている。この契約が一度として切れたことがないのがその証拠だ。
ミドリに視線を向けると、怒ったように眉を吊り上げながらも、少しだけ頬を赤くして目を背けた。素直じゃない奴だ。
「リックの言う通りかもしれないな」
「でしょ?」
「ミドリと仲がいいのは認めるよ。けど、付き合うってのはちょっと違う気がする」
リックは意外だと言わんばかりに首を傾げた。
「ミドリは相棒なんだ。確かに俺が好きな人間以外の種族の女の子だけど、付き合いたいとか、結婚したいとかいう感情はそこまで沸いてこないんだ」
ちょっとくらいはあるけどさ。
「家族って言葉で表現するのが一番近い気がする」
ミドリとはいつも一緒にいるせいか、前のアキトの記憶に感情が引っ張られているんだ。
俺自身はまだ一ヶ月にも満たない付き合いだけど、前のアキトの記憶を入れれば数年間の付き合いになる。
自分で言った家族という言葉が、とてもしっくりきた。
「家族か……エメラルドさんもそうなの?」
リックがミドリに視線を向けると、ミドリはほんのりと頬を染めたまま、いつもの澄ました無表情で口を開く。
「まあ……概ね同意します。私はアキト様を出来の悪い兄のように思っています」
「なるほどね。そりゃ、仲が良くても付き合わないわけだ。君たちは恋人よりもずっと距離が近かったんだね」
「そういうことだ。けど、こんなツンデレ過ぎる妹じゃなくて、お兄ちゃん大好きって抱き着いてくる妹が良かったけどな」
「私で気持ち悪い妄想をするのは止めてください」
ミドリの尻尾が俺のすねを打つ。
「いっ!」
頼むから、たまにはデレの方を見せてくれ。
俺とミドリが兄妹漫才を繰り広げていると、足音を立てずに近付いてくる人影があった。
ミドリが警戒して一歩前へ出る。
「私たちに何か用ですか?」
俺たちに近付いてきたのは、下半身が蛇の女性。
文字通り足音を立てない種族だった。
「ラ、ラミア……」
水色のふわふわした髪の毛と、同じ色をした美しい鱗の下半身。上半身は夏だというのにローブのようなものを着て、フードを深くかぶっている。
RPGに出てくる魔法使いのような格好だ。蛇の下半身のせいもあってとても目立つ。
「あら、そんなに警戒しないで欲しいわ」
「その格好でよくそんなことが言えますね……」
「色々事情があるのよ。ともかく、お姉さんは怪しい者じゃないわ」
そう言ってラミアの女性はローブの中から友好旅行者の証である青色の認証魔石が嵌められたネックレスを取り出して見せる。
「厳しい審査を経て、やっとの思いで入国できたのに怪しい女扱いをされたらショックだわ」
「……一応、安全だとは認めてあげましょう。それで私たちに何の用ですか?」
「用があるのは、そこの半裸の彼よ」
ラミアの女性は俺を指差した。
言われて気付いたが、俺はシャツを脱いだままだった。
「あっ」
慌てて手に持っていたシャツを着ようとすると、ラミアの女性が音もなくミドリの横を通り過ぎ、俺の手を握った。
「待って、近くでよく見せて欲しいの」
彼女は俺の契約紋に顔を近付けると、青い瞳を輝かせて笑顔を浮かべた。
「やっぱり! 君、水属性の大勾玉を持っているのね! 凄いわ!」
凄いわと連呼して、喜びを表現するラミアの女性。俺と彼女との間にミドリが不機嫌そうに割り込んできた。
「先ほどから貴方は何なのですか?」
「ご、ごめんなさい。別にあなたのお兄ちゃんを取って食おうというわけじゃないから、安心して?」
ラミアの女性は宥めるようにミドリの頭を撫でる。
「ア、アキト様はお兄ちゃんではありません!」
「あら? さっき、兄のように思っているって言っていたじゃない」
この人、俺たちの会話を聞いていたのか。
「自己紹介するわ。私はオリヴィア。占いをしながら世界を旅しているラミアよ」
ラミアのオリヴィア。
彼女の登場で、俺のオルディッシュ島を目指す旅が妙な方向へ動き始めた気がした。
ミドリにとって、前のアキトは恩人でした。しかし、今のアキトは放っておけない残念で面白いお兄さんといった感じです。




