二章 世界を旅するラミア 七話
俺たちを乗せたバスは、特に魔獣に襲われることもなく近くの町で休憩を繰り返しながら順調に進み続けた――などという事にはならず、夜中に一度だけバスが停車したことがあったらしい。大型の魔獣が街道の道を塞いでいたので、同乗していた軍人たちで退治したという。
全てリックに聞いた話だ。俺は寝ていたので知らないぞ。ミドリにバレたら怒られそうだ。そして翌日の昼には目的地のヒルガに到着した。
俺は勝手にヨーロッパの地中海近くの町を想像していたのだが、ヒルガはどちらかというと日本風の町だった。
日本風と言っても、別に古き良き木造の日本家屋が並んでいたわけではない。
ただ、昼食を食べるために入ったレストランでメニューを見た時にそう感じただけだ。
「特選五貫握り、炙りサーモン、天ぷらの盛り合わせ、金目鯛の煮付け、マグロ、ウニ、イクラの三色丼…………って日本過ぎるだろっ!」
「にゃわっ!?」
俺はメニューに向かって渾身のツッコミを入れる。
「アキト様、うるさいですよ。サラさんが驚いているではないですか」
「あっ、悪い……」
ミドリが俺のツッコミに驚いたワーキャットの小さな女の子を撫でて落ち着かせる。
「ビ、ビックリしました。アキトさん、お魚が苦手なんですか?」
俺はバス旅の間は寝てばかりいたのだが、ミドリは隣に座っていた彼女と仲良くなったようで、昼食を一緒にとることになったのだ。
グレーの毛並みをした大きな目の女の子で、サラというらしい。
背がレフィーナよりも小さく、130センチ程しかないので、子供の一人旅は危なくないかと尋ねたら、18歳だと返された。これが本物の合法ロリ獣人だ。
「魚は好きだけど、メニューが意外過ぎたんだ。パエリアとかはないのか?」
「アキトさん、パエリアは西の端にある国の料理ですよ。こんな東の港町で食べられるわけないじゃないですか」
「そうなのか」
存在はするんだな。パエリア。
「ここは東の海を渡った先にあるヤマシロという国の料理が食べられる事で有名な町なんだそうです。ガイドブックに書いてありました」
「へえ。ヤマシロねぇ……」
もしかして漢字は山城か?
料理から考えて明らかに日本だな。何で日本って名前じゃ無いんだろう。ていうか、東に日本って事はここはユーラシア大陸にあたる場所なのか?
前のアキトの知識と照らし合わせて考えてみたが、明確な答えは出なかった。ここまで似ていない並行世界だと、いっそ異世界という言葉で片付けたくなる。
まあいいや。細かい事は気にせず、久しぶりの日本食を楽しむことにしよう。
俺は海鮮丼と味噌汁を頼むことにした。
外国人が作った中途半端な日本食が出てくるかと身構えていたが、普通に日本でよく食べていた味だったぞ。外食だと味噌汁の味付けが濃いところまで同じだった。
サラは金目鯛の煮付けを慣れない箸に悪戦苦闘しながらも食べていた。可愛くてずっと見ていられる光景だ。
「あれ……そういえば、ミドリやリックはちゃんと箸が使えるのに、サラは苦手なんだな」
「私はハウランゲル出身ですからね。箸は練習中なんです」
そう言ってサラは青色の宝石が嵌められたネックレスを見せてくる。友好旅行者用の認証魔石だ。
ハウランゲルはアルドミラの西にある友好国で、獣人の国と呼ばれているところだ。いつか行ってみたい。
「そうだったのか。でも、こんな戦時中に観光に来られるものなのか?」
「アルドミラもハウランゲルも、ギドメリアから近い北部の一定ラインまでは戦地として観光客は立ち入り禁止になっていますが、そこ以外なら大丈夫なんですよ。それにここ数年はギドメリアからの攻撃も小規模ですからね。アルドミラを旅行するなら今の内かなと思ったんです」
サラの「今の内」という言葉には、これから戦争が激化しそうだという意味が含まれていた。
実際、ギドメリアは大規模な侵攻作戦に備えて軍備を増強しているのではないかと言われている。嵐の前の静けさって奴だな。
「それにしても、このお魚おいしいですねぇ」
「の、のんきだな……」
「人生は短いですから。楽しめる時に楽しんでおかないといけないんですよ。十代の若いうちに色々な世界を見ておきたいんです。もう死んじゃうって時に、まだ食べたことないお魚があったら、死んでも死に切れませんよ」
サラは笑顔で、「おいしい、おいしい」と言いながら鯛を食べていく。その姿がかわいくて、気が付いたらサラの頭を撫でてしまっていた。
「ふにゃ? ア、アキトさん!?」
「あっ、ご、ごめん。可愛かったから、つい」
「か、可愛いだなんて……その、あ、ありがとうございます」
サラは照れるように、にへらっと笑った。
やっぱり猫は可愛いなあと思っていると、ミドリの冷たい視線を感じて背筋を伸ばした。もはや反射だ。
「アキト様、ここまで来た目的をお忘れですか?」
「アキト、君はちょっと節操が無さすぎるんじゃないか?」
リックまで冷たい目で俺を見ている。
違うんだ。別に俺はサラを口説いていたわけじゃない。目の前に可愛い猫がいたら誰だって頭を撫でるだろ?
その感覚でサラの頭を撫でてしまっただけなんだ。けれど、それを説明すると今度は逆にサラを猫と同一視している様に聞こえて失礼だ。
俺は何とか話題を反らすものがないかと辺りを見回し、目に付いたテレビを指差した。
「あっ、おい。見てみろよ。ちょうど北部のニュースをやってるぞ」
「露骨に話題を反らしましたね……」
レストランの天井際の壁に取り付けられていたテレビのモニターには、北部の海岸沿いで大規模な戦闘が始まったというニュースが流れていた。
「大規模な戦闘……ど、どど、どうしましょう、アキトさん。私が変な話をしたせいで、本当に戦闘が始まっちゃいました」
「いや、タイミングは凄いけど、サラのせいじゃないから」
不味いな。この戦闘が激化していけばアルドミラ軍は俺に救援を求めてくるかもしれない。それだけじゃなく、一般市民から徴兵なんて話になったら恋人探しどころでは無くなってしまう。
するとリックが真剣な顔で呟いた。
「ギドメリアとの国境付近の沿岸部か。オルディッシュ島行きの船が出ないなんて話にならなければいいけど……」
「リック、それってどういう意味だ?」
「オルディッシュ島はここから海を北東に進んだところにあるんだ。本来なら今戦地になっている辺りから船を出した方が近いくらいの場所にね」
「マジかよ……」
船が出ないなんてことになったら、ここまで来た意味がない。
俺とリックが不安そうにしていると、ミドリが冷静な口調で今後の行動方針を立ててくれた。
「とりあえず、食事を終えたら港に行って状況を確認してみましょう。ここで悩んでも仕方がないです」
「そ、それもそうだな」
「うん。こればっかりは僕たちにはどうしようもない事だしね」
ミドリの提案に頷きながらも、リックはハーピーの羽根を取り出して握りしめる。
いいなぁ、その御守り。羨ましい。
続いてミドリが食事を再開していたサラに尋ねる。
「サラさんはこの後どうするのですか?」
「私はここのホテルに一泊したら、ヤマシロに向かう予定です。ヤマシロはここよりももっとお魚が美味しい国だそうですから、楽しみです」
また魚の話か。猫はマイペースだと聞くが彼女も同じだな。
「なるほど、ヤマシロに行かれるのでしたら安全ですね。私もご一緒したいくらいですよ」
「本当ですか? 私は大歓迎ですよ?」
「ちょっと待て、今ミドリにいなくなられると本気で困る」
俺に止められるとミドリは肩をすくめてみせる。
「残念です、サラさん。私はアキト様のおもりという使命から逃れられないようです」
「そうなんですか……大変ですねえ」
「ええ。大変なのです」
何だろう。俺は今、もの凄く馬鹿にされているのだろうか?
何か言ってやろうと考えていると、サラの耳がぴくんと動く。
「あれっ? 何だか揺れてませんか?」
「揺れ?」
サラが揺れていると言い出した数秒後、建物がガタリと音を立てるほどの揺れが襲ってきた。
地震だ。
店にいた客や店員が一斉に悲鳴をあげて慌てふためいていく。リックとサラは怯えながらテーブルの下に逃げ込んだ。
「く、『空間魔法・不可侵領域』!」
いつもは冷静なミドリも、青ざめた顔で身をかがめながら、俺たち4人を包み込むように不可侵領域を張って身を守り始める。
「アキト様、何をやっているのですか。早くテーブルの下へ!」
「いや、不可侵領域を張っておいて何慌ててんだよ。この程度の地震でそんなに騒がなくてもいいだろ。すぐ治まるよ」
みんなが慌てているのを見て、俺は逆に冷静になっていた。
この揺れは震度3くらいだろうか。みんなが大騒ぎする中で、俺は落ち着いて味噌汁をすすっていた。
地震が治まるとミドリが不可侵領域を消し、全員が席に座り直した。店の店員たちが客の無事を確認し始める。
「アキトさん……のんき過ぎますよ」
「サラに言われるとは思わなかった」
むしろお前たちが慌てすぎだと思うぞ。
「サラさんの言う通りです。あれほど大きな地震で動じないアキト様は異常です」
「アキトって、僕の想像以上に大物だよね……昨日の夜の騒ぎでも起きなかったし」
まさかあの程度の地震で異常者扱いされるとは思わなかった。
前のアキトの記憶を探ってみると、アルドミラではほとんど地震は起きないみたいだ。だからこそあそこまで慌てていたのだろう。
地震大国である日本で暮らしていた俺にしてみれば、震度3程度だと「おっ、結構揺れるなぁ」くらいの感想しか出てこない。
震度5を越えてくるとさすがに焦るけどな。けれどここは沿岸部なので、一応は津波の心配をしておいた方がいいだろう。
「えっ、アキトさん。あの騒ぎの中でも寝てたんですか?」
「それは……熟睡していたから」
「呆れました。護衛失格ですね」
ミドリの言葉が突き刺さる。
くそう。反論できねえ。
「でもでも、それを聞いて逆に頼りがいがある気がしてきました」
「サラはいい子だな。刺身をあげよう」
俺は自分の海鮮丼の刺身をいくつか小皿に移してサラの前に置く。
「わあ。ありがとうございます!」
嬉しそうに刺身を食べるサラを見てから、ミドリに視線を戻す。
「何ですか?」
「いや? 何でもない」
ミドリもサラくらい可愛げがあればなと思いながら、俺は食事を再開した。
アキトはヤマシロを日本だと思っていますが、実は形が違いますし、魔法や異種属が存在する世界なので歴史も違います。
ただ、文化は日本にかなり近い国になっています。言葉も日本語です。




