一章 アルラウネの森 十七話
目が覚めると、とても見慣れた場所にいた。
アキトの――俺の部屋だ。
「あ、起きた?」
目の前には真っ赤な花弁のような髪の毛のアルラウネがいた。レフィーナだ。
「……うぅ、ぐすっ……」
「ええっ!? アキトくん、どうしたの? まだどこか痛いの?」
「いや……起きたら目の前に美少女アルラウネがいるもんだから、幸せ過ぎて涙が出ただけだ」
「な、何それ……ていうかそれ、一昨日も言ってたよね」
確かに言った気がする。でも、何度経験しても最高に幸せな目覚めだ。
「ん、一昨日? 昨日じゃなくて?」
「うん。あれから一日たったんだよ」
俺は部屋にかかっていた時計を見る。午後二時。あの戦いの最中に夕暮れに差し掛かっていたから、本当に一日寝てしまっていたようだ。
「……勝ったのか?」
「もちろん。アキトくんだって、宣言通り敵の指揮官を討ち取ったでしょ? 覚えてないの?」
レフィーナに問われて、昨日の記憶が思い起こされる。
「……覚えている……いや、思い出した」
俺は、生まれて初めて人を殺した。
人間じゃなくてヴァンパイアだが、知能ある人型の生物には変わりない。
俺の身体の一部であるアルラウネの蔓がヴァンパイアを引き寄せる感触、奴の首を斬り飛ばした際の光景と、虚空剣を持っていた右手の感触。全て鮮明に思い出せる。
「大丈夫? 肩の怪我は塞がっているけど、まだ痛む?」
レフィーナが心配そうに俺の左肩に触れた。
痛みなど全くないので、噛まれたことすら忘れていた。その後の記憶が強烈だったからかもしれない。
「俺、また気絶したのか?」
「また?」
「前に魔王軍と戦った時も、最後は気絶しちまったんだ。そういえば、あの時は右肩を怪我したんだよな」
俺は着ていたシャツをずらして右肩を確認する。
「あれ、包帯が取れてる?」
「ああ、そっちの怪我も治しておいたよ。もともと治りかけていたから左肩よりも簡単だったし」
「そっか。ありがとな」
俺は感謝を込めてレフィーナの頭を撫でる。
サラサラの髪の毛が気持ちいい。
「えへへ……。不思議だよね、アキトくんになら撫でられるのも嫌じゃないや」
「そりゃ光栄だな」
俺はしばらくの間、黙ってレフィーナを撫でながら、殺したヴァンパイアの事を考えていた。
あいつはアルドミラ軍を殺し、抵抗した村の人を殺したけれど、極悪人って感じはしなかった。任務だから、戦争だからやっているって感じだった。
もちろん、ギドメリアの異種族らしく人間を見下してはいるようだったけど、俺が彼を殺したことに罪悪感を覚えないほどの悪党ではなかったようだ。
その証拠に、この俺がアルラウネを撫でているにもかかわらず、その行為に集中できていない。別にあのヴァンパイアの事を考えたくて考えているわけではないのだ。
けれど気が付いたら、首を斬り落とした時の感触を思い出している。
気が付いたら、奴との会話を思い出して、どういう人だったのか想像している。
気が付いたら、殺さずに切り抜ける方法はなかったのかと、思案している。
これが人を殺すという事なんだ。そこにどんな理由があろうとも、俺は人を殺した自分を肯定出来ないのだ。
でも、俺が殺さなければ、ミドリが殺していただろう。それを防げたことは良かったと思う。
人を殺すということは、こんなにも気分が悪いものなんだ。
ミドリは口では俺に悪態を付きながらも、旅に付いてきてくれている。困ったときは助けてくれる。それはレフィーナも同じだ。友達として恩を返すと言って、俺の個人的な目的の旅を手伝うために付いて来ようとしてくれている。
そんな二人だけに、人を殺すという最悪の行為を押し付けなくて良かったと心から思う。
俺は契約者の二人よりもずっと弱い。そして、俺が死んだら二人も死んでしまうんだ。本来ならば戦闘は強い二人に任せるべきだ。
けれど、俺たちは機械じゃない。心がある生き物だ。軍人でもないのだから、心を殺して効率的に戦う必要はない。
戦いの先に殺人という行為があるのなら、二人に守ってもらっているだけではダメだ。
もちろん、戦いは出来る限り避ける。だが、もしも避けられない戦いがあるなら、その時はこれからも俺は二人と一緒に戦うだろう。
「アキトくん?」
レフィーナに名前を呼ばれて気が付く。
いつの間にか彼女の頭の上に置いていた手の動きが止まっていた。
「あっ、わ、悪い」
俺が再び頭を撫でるのを再開すると、レフィーナは不機嫌そうに俺を睨んだ。
「えいっ」
レフィーナは俺の両肩を掴んでベッドに押し倒すと、優しく抱き着いてくる。
「ちょっ、レ、レフィーナ!?」
「……ミドリお姉ちゃんが言ってた通りだ」
「ミドリ? ミドリが何て言ってたんだ?」
「アキトくんが目覚めたら、精神的に不安定になるだろうって」
「うっ……」
ミドリにはお見通しか。そりゃそうだよな。
「だから、ぼくが目覚めたアキトくんを元気にしてあげてって言われたの」
「いや、あの……それは『元気になる』の意味が違う気がします」
「何でもいいよ。とにかく、そんな辛そうな顔しないでよ」
レフィーナが俺を抱きしめる両手に力を籠める。
「アキトくん、生きるために別の生き物を殺すのは普通のことだよ?」
「え?」
「草食動物は草木を殺して食べるし、肉食動物は草食動物を食べるでしょ?」
「それはそうだけど……でも、それは食べるためだ。食べるために殺すのと、それ以外の理由で殺すのは全然違う。それに相手は俺と同じ知性を持った、言葉の通じる種族だぞ」
レフィーナは俺を抱きしめるのを止めると、真剣な表情で俺と目を合わせた。
「アキトくんは間違ってる。アキトくんは自分の村の仲間たちを守るために殺したんだ。それはとても自然なことだよ。虫や動物だって、自分の巣や縄張りに別の生き物が入ってきたら攻撃するんだ。ましてや仲間を攻撃されたら必死で抵抗する。そんなのは当たり前じゃないか」
「そ、それはそうだけど……でも、相手は言葉の通じる人だったんだぞ……」
「言葉が通じたから何なのさ。言葉が通じても、気持ちは通じてない。そしてあっちはアキトくんたちの言う事を聞くつもりなんてなかった。だから敵なんだ。理由なく生き物を殺すのは良くないって気持ちはボクも分かる。でも、アキトくんが戦ったことには理由があった」
気持ちは通じてない。
その言葉が、俺の心に刺さった。
彼女の言う通り、俺と魔王軍は同じ言語を使って会話ができる。けれど、お互いの考え方、立場、全てが違っていた。最初からどうしようもないくらい敵対関係にあったんだ。
そこに言葉なんて、全く意味をなしていないじゃないか。
「あいつらが、軍人たちや村の人を殺したからか?」
「それもあるけど、一番の理由は村の人たちをこれ以上殺させないためでしょ? あのままだったら、駆け付けてきた軍の増援から逃れるために人質にされて、後何人かは殺されていたってミドリお姉ちゃんが言っていたよ。アキトくんもそれは分かっていたんでしょ?」
もちろんだ。だからこそ、軍人たちを待たずにミルド村に突入したんだ。あえて捕虜になったのも、誰一人死なせたくなかったからに他ならない。
そして最後に戦ったのも、あいつらは死んでも投降なんてしないと思ったからだ。
「俺がやったことって……間違いじゃなかったのかな?」
「当然だよ」
「でも、一番いい形ではなかった気がするんだ」
レフィーナは俺の額を指で軽く弾いた。
「いっ――な、何するんだよ」
「自惚れちゃダメだよ。一番いい形で物事を解決するっていうのは、普通は出来ないことなんだ。一番いい形でなかったからダメだなんて考えているなら、アキトくんは自分に厳しすぎだよ」
レフィーナは再び俺を抱きしめる。
「アキトくんは凄いことをしたんだよ? 村に着いてから、一人も犠牲者を出さなかった。もちろん、アキトくん自身も生き残った。だからそれ以上は自分を責めないで、褒めてあげようよ」
自分を褒めるなんて考えたこともなかった。
俺は人を殺したことばかりを気にして、人を守れたことを考えられなくなっていたんだ。それを認識した時、潰れそうなほど身体に強くのしかかっていたものが、消えた気がした。
今感じるのは、俺を抱きしめてくれているレフィーナの重みと体温だけだ。
自分を戒めるように堪えていたものが一気に溢れ、俺の頬を流れていった。




