最終章 ミルド村のアキト 三話
ミレイユは俺を睨むと、ベッドから飛び起きて俺に詰め寄る。白露が間に入ろうとしたが手で制した。
「君、ロゼの夫なんだ」
「ああ、そうだ」
「あたしにハーピーを名乗れって……それ本気で言ってる?」
「本気だ。俺は以前、クイーンハーピーとして生きていたロゼの種族名をサンダーバードだと教えたんだが、今ではそれを少し後悔している。ミレイユの過去話をロゼから聞いたが、サンダーバードとファイヤーバードは大昔のハーピーたちが二人を迫害するために付けた名前だったんだろう? だったら、そんな種族名は名乗るべきじゃないからな」
「……アキト、君は何が言いたいの?」
「ロゼもミレイユも能力が特殊なだけでハーピーであることに変わりはない。世界一ハーピーを愛している俺が表明してやる。大昔のハーピーたちは間違っているんだ。今後は二人の以前の種族名をファイヤーハーピーとサンダーハーピーとし、ミレイユはフェニックスハーピーと名乗れ。いいな!」
「は……はあ?」
ミレイユが困惑しながら俺から遠ざかるように後ろへと下がった。
俺の隣で白露が納得するように頷く。
「なるほどのう。主殿らしいあてつけじゃな。既にこの世にはいない過去のハーピーに対してやるのは意味がない気もするが」
「いいんだよ。ロゼとミレイユが転生を繰り返す種族なら、何十年か何百年後に同じことが起きるかもしれない。その時にハーピーにはそういう変異種族がいることが認知されていれば、転生した二人が迫害されるような事は起こらないだろ?」
「うむ。確かにそうじゃな」
俺と白露の会話を聞いてやっと理解が追い付いてきたのか、ミレイユが真剣な表情でベッドへと腰を下ろした。
「そういうことか……悪くはないかもね。ちょっと前のあたしはハーピーを皆殺しにしてやりたい気持ちがすごく強かったんだけど、ロゼに負けて目を覚ました時にはその気持ちも薄まっていた。リズと話して、今のハーピーは昔と違うんだなって分かっていたし、ハーピーを名乗るのもそこまで嫌じゃない」
「もしかすると、クローディアによって悪意を増幅されていた可能性はあるのう。悪魔は洗脳を得意としておるし、おぬしは進化したことで闇属性を得ておる。あやつからすれば取り入りやすい存在と言えよう」
「クローディアがそんなことを? ああ……でも、捕らえた人間たちにもそんなような事をしていたし、もしかしたらあたしも知らないうちにあいつの術中にはまっていた可能性はあるのかも」
ミレイユの呟きに、リズさんと背後でミレイユを監視していた軍人たちの表情が変わる。そして全員が俺へと視線を向けて来た。もしかしなくても、俺にミレイユが知っている情報を探れと言いたいのだろう。こういう腹の探り合いは苦手だが、やらないわけにもいかない。
俺はミレイユに近付くと、彼女の隣に腰を下ろす。こういう時は彼女と仲良くなってしまうのが一番手っ取り早い。
ミレイユは俺の行動に少し驚いた顔をしたが、嫌がってはいないようだ。俺は出来るだけ優しい声を心掛けながら話しかける。
「なあ、ミレイユ。これを飲んでみないか?」
俺は冷蔵庫から薄い虹色の液体が入った瓶を取り出す。
「それは?」
「闇属性の魔力に染められて洗脳されていた人間たちは洗脳が解けた後も身体に少し闇属性が残ってしまったんだ。だからそれを取り除くために、俺の契約者が闇を浄化する魔法を混ぜ込んだ特別な聖水を作った。もしもミレイユがクローディアの洗脳の影響を受けていたのなら、まだ身体にそれが残っているかもしれない。炎と闇属性のミレイユには辛いかもしれないけど、これからの事を考えると飲んでおいた方が良いと思う」
「……分かった。いただくよ」
ミレイユは恐る恐る俺から瓶を受け取ると、一呼吸おいてから覚悟を決めた目で中の液体を口に流し込んだ。
「んぐぅ……か、からぁ……」
あまりにも辛さが強かったのか、ミレイユは苦しそうに呻く。
「だ、大丈夫か?」
「……う、うん……大丈夫」
ミレイユはすぐに落ち着きを取り戻すと、先ほどまでの苦しみ様が嘘のように冷静な目で手に持っている瓶を見つめている。
「も、もう一口」
そしてもう一口飲むと、先ほどとは違って全く苦しむ様子がない。辛さに慣れたにしては急すぎるし、様子が変だ。
その後も少しずつ聖水を飲んでいくと、次第にミレイユの顔がにやけ始めたので俺はいよいよ彼女が辛さで可笑しくなってしまったと思って声をかけた。
「ミレイユ、もう無理するな」
「無理じゃないよ、アキト。自分でも良く分からないんだけど、最初は辛かったこの液体が、今は少ししょっぱいくらいなんだ。しかも結構美味しいし、癖になりそう」
「美味しいだって?」
レフィーナやロゼが試飲した時は製作者のオリヴィアが二人におかわりをねだられて嬉しそうにしていたが、ミレイユが美味しいと感じるのはおかしくないか?
属性が同じだと無属性魔力ほどではないしてもそれなりに美味しく感じるらしいが、炎と闇属性を持つミレイユが水と聖属性の聖水を美味しいと感じるのは異常だ。
「ねえ、アキト。おかわりないの?」
「え?」
気が付くと、ミレイユは既に聖水を飲み干してしまっていた。
「いや、あれは洗脳されていた人たちに振舞った分の残りだから、もうほとんどないんだけど」
「ほとんどってことは、少しはあるんでしょ?」
「あ、あるけど、もったいないから」
「え~、いいじゃん、飲ませてよ」
ミレイユは俺の腕に翼を絡めると、上目遣いで聖水をねだってくる。
不味い。この状況は非常に不味い。
俺はこんなところをリズさんに見られたら殺らせると思って周囲に目を向けると、いつの間にかこの部屋には俺とミレイユ以外の姿はなかった。扉もしっかりと閉められている。
「あれ? みんなは?」
「さあ、さっき出て行ったのは見えたけど? それより、はやく残りの聖水も飲ませてよ」
俺の腕にミレイユの真紅の翼と、柔らかい身体が押し当てられる。
その瞬間、リズさんの言っていた言葉が脳裏をよぎった。
『まずいと思ったら、姉さんの顔を思い浮かべてください』
俺はロゼを裏切るわけにはいかない。いくらミレイユが俺の好みのタイプのハーピーだとはいえ、俺が世界で一番愛しているのはロゼだ。ここでミレイユに欲情するわけには死んでもいかない。
「わ、分かった。美味い飲み物なら別に聖水じゃなくてもいいだろ? こっちにしてくれ!」
俺は冷蔵庫から新たな飲み物を取り出すと、蓋を開けてミレイユへと手渡す。
ミレイユは結婚をしていないので両翼の先に手はない。物を持つには翼で左右から挟むしかないのだ。その関係上、受け取るためには俺から離れる必要がある。
正直に言うともう少し感触を味わいたかったが、ミルド村に帰ればロゼに同じことをしてもらえるし、それまでの我慢だ。目先の誘惑に屈してロゼを裏切らずに済んだことを誇りに思おう。
俺は頑張った。
そんな俺の葛藤など気にしてもいないミレイユは、受け取った液体を一口飲む。
「うわっ、こっちはもっと美味しい! アキト、これ何!?」
「俺の無属性魔力を混ぜ込んだ水だ。契約者たちには『翼の水』って呼ばれている」
「どうして翼?」
「俺の翼から放出される魔力を使っているからな」
俺は一瞬だけ竜の翼を出して見せると、ミレイユは小さく「なるほど」と呟いた。すぐに視線を翼の水へと移したところを見ると、興味が完全にそっちに移ったようだ。
ミレイユは美味しそうに翼の水を飲み干すと、しばらく間をおいてから真剣な顔で俺を見つめてきた。
「ねえ、アキト。魔力感知か魔眼を持ってない?」
「ん? どっちも持ってるぞ?」
「なら話が速いね。あたしの魔力を調べてみてよ」
俺は言われるままに妖孤の魔眼を発動させてミレイユを見る。すると、彼女の身体に起きた変化が一目で分かった。
色が違うのだ。
炎と闇属性であるミレイユは赤と紫の魔力を持っているはずなのに、今の彼女は赤と虹の魔力を体内に漲らせている。それはつまり、彼女の属性が変質したということだ。
「ど、どういうことだ……?」
「やっぱりね。この裏返ったみたいな感覚……あたしの中から闇の魔力が感じられなくなって、聖属性の液体を飲んでも辛さを感じなくなったってことは、あたしは聖属性になったってことでしょう?」
「り、理由は分からないけど、そうみたいだな」
「心当たりはあるなぁ」
「そうなのか?」
「うん。でもその話の前に、アキトはあたしに聞きたいことがあってここにきたんじゃないの?」




