外伝 二人の父親 二話
先程までの和やかな雰囲気を断ち切るように、カレンが真剣な表情で本題とやらを切り出す。
「戦いが終わって、本当は私たちもアキトと一緒にミルド村に帰る予定だったの。でも王都で気になる事があって、アルドミラ軍に混じって働くことにしたんだ」
「気になる事?」
「うん。王都北の戦場跡で遺体の身元確認とかをしていたの」
「王都北の戦場跡……」
それを聞いて、あたしの脳裏に最も辛い出来事がフラッシュバックする。
リクハルド、ゲルミア、オーラの3人はあそこでコクヨウに殺されたのだ。目の前で2人の父親と親友を奪われ、あたし自身も攻撃を受けて意識を失った。アキトやアルベールがいなければ、あたしはいまだにコクヨウの操り人形のままだっただろう。
「国境での戦いはそこまでの死者は出なかったけど、王都北での戦いは敵味方共に最も死傷者が多かったの……分かるでしょ?」
「……ええ。たくさんの味方が殺されたし、あたしもたくさん殺したわ」
「う、うん。それでね、私たちが働いている時に、リコリスが何かに反応するように勝手に私の元から離れたの」
カレンは自分の胸元あたりを眺めながら、自分の契約魔物であるアビススライムの名前を呼ぶ。
リコリスと名付けられたスライムは普段からカレンの服の中に潜み、彼女を守っている。人語を理解しているのかは分からないが、カレンの言うことには従順で命令通りに動く得体の知れない存在であり、ハッキリ言ってあたしは苦手だ。
名前を呼ばれたことに反応したのか、リコリスがカレンの服の襟から飛び出し、ガラステーブルの上に乗った。漆黒のスライムが意志を持って蠢く姿は不気味極まりなく、人によっては見ただけで卒倒しそうだ。当然の話だが、カレンはリコリスを可愛がっており、現れた黒い物体を楽しそうに指でつついている。
この中で最もリコリスを苦手としているアルベールが顔を引きつらせて固まった。こっそり聞いた話だが、聖属性の天使は闇属性のスライムが生理的に受け付けられないらしい。
アルベールが可哀そうなので、あたしはリコリスと戯れ始めたカレンに話の続きを促した。
「で? リコリスは何に反応したのよ?」
「あ~、えっと……ここからは確証の無い話になるんだけど、この子の魔法ってアキトの空間魔法の対になる魔法だと思うの」
「そうなの? 確かに不可侵領域と不可逆領域は似ているけど、あれはあんたがアキトの魔法を真似て名付けたからでしょう?」
「名前はそうだけど、そもそも効果も似ているんだよ。空間魔法は物体の侵入を拒んだり、逆に通過させたりする魔法が基本だけど、対象を異空間に飛ばす魔法もあるでしょう?」
あたしはアキトの使っていた空間魔法を思い出す。彼が良く使っていたのは物体の侵入を拒む『不可侵領域』という魔法だが、攻撃は『虚空閃』という直線状にある物体を消し飛ばす魔法を使っていた。空間魔法という名前から考えると、あれは消すというよりも別の空間に飛ばしていたと考える方が妥当かもしれない。
「それでね? リコリスの深淵魔法も、同じように触れたものを消す魔法でしょう? だから似たような魔法なんじゃないかって思うんだ」
リコリスの『不可逆領域』という魔法は、触れたものを吸い込むように飲み込んでしまう。確かにあれは見ようによっては異空間へと飲み込んでいるようにも見える。
すると、ここまで黙っていたエメラルドが口を開いた。
「可能性は高そうですね。空間魔法に関しては私の方が良く知っていますが、深淵魔法には似たような性質を感じます」
「やっぱり! なら……もしかしたら」
カレンはエメラルドが同意したことで自分の仮説に自信を持ったのか少しだけ嬉しそうな顔をすると、隣に座るトウマと頷き合った。
「ハルカちゃん。リコリスはね、あの戦場跡で深淵魔法が使われた場所に反応を示していたの」
「それって……」
「オーラくんとゲルミアさんとリクハルドさんの三人は魔王の深淵魔法にやられたんだよね? それって全身を深淵魔法に飲み込まれたってことでしょ? だってあの場所にはどんなに探しても三人の身体や身に付けていた物の一つでさえなかったもん」
「え、ええ……三人はコクヨウの深淵魔法で全身を飲み込まれて、一瞬のうちに消滅したわ……」
あたしは三人の最後を思い出しながら話すと、カレンの狙いに気付いたエメラルドが口を挟んだ。
「カレン様。言いたいことは何となく分かりましたが、どうやるのですか? 私は空間魔法で転移させた物体や人物がどこへ飛ばされるのかなど分かりません。そもそも、同じ世界ではなく、別世界のどこかへと飛ばしているのではないかと思っています」
「それは空間魔法の話でしょ? 深淵魔法が繋いでいる場所はたぶん一つだよ。アルベールちゃん、天使は天界から来るんでしょ? じゃあ悪魔はどこから来るの?」
「そ、それは……わたしは見たことがありませんが、魔界と呼ばれる三つ目の世界です。大地の底、マグマが照らす闇の世界だと聞いています」
カレンの突拍子もない話に、エメラルドとアルベールの意見が加わった事で、小さな希望が生まれた。本当に僅かだが、可能性がないわけではない。
あたしはすぐにでも、その可能性に賭けてみたくなった。
「つまり、カレンが言いたいのは、三人は死んだんじゃなくて、魔界に飛ばされたんじゃってことよね?」
「うん」
「エメラルドとアルベールはどう思う?」
「可能性はある気がします。ですが、あって欲しいと願う心が私にもありますので、客観視は出来そうにありません」
「わたしも分からない。でも、ハルカちゃん。三人が助かる可能性が少しでもあるなら、それに賭けてみたいよ」
そうだ。少しでも可能性があるなら、試すべきだ。
「カレン、今すぐ王都に向かいましょう。あたしは三人のためならどんなことだってするわ!」
こうしてあたしは、連日働き続けた疲労などすっかり忘れてホテルの部屋を飛び出すと、仲間たちと共に王都北の戦場跡へと向かうのだった。
王都から北に一キロほど離れた忌まわしい記憶の戦場跡。あたしは当時の事を思い出して弱い自分を責め立てたい気持ちになりながらも、僅かな希望を信じてその地に降り立った。
人払いをしたので、現在この戦場跡にはあたしとアルベール、エメラルド、カレン、トウマ、アザミの6人と、ウェイン、ジェラード、リコリスの3匹しかいない。
いつもはカレンの服の中に隠れているリコリスが地面を跳ねるようにして進み、ある一転で動きを止めた。
地面が何かに抉られたように削れている。それを見てあたしの頭に当時の光景がフラッシュバックした。
「ハルカちゃん?」
あたしの様子を見て、アルベールが心配そうに声をかけて来た。
「だ、大丈夫よ。ちょっと、あの時の事を思い出しただけ。それよりも、アルベール。あたしの記憶違いじゃなければ、ここってリクハルドが……」
「うん。あっちに炎で焼け焦げた大地があるし、そこから南に進んで東に直角に曲がっているから、たぶんそうだと思う」
「ってことは、あっちがゲルミアで、そこから南に少し行ったところ……あの辺りが、オーラが消された場所ね」
あたしは三人が深淵魔法に飲み込まれた場所を次々と指差す。そこには同じように抉れた地面があった。
もう間違いない。ここは確かに三人がこの地上から消えた場所だ。
「カレン、お願いできるかしら?」
「もちろんだよ」
カレンはリクハルドが消えた大地の近くに両手をかざして魔力を集めると深淵魔法を発動する。
「『深淵魔法・不可逆領域』!」
漆黒の領域が目の前の大地に出現する。
コクヨウが使った時はとても恐ろしかったが、カレンが使えばこれほど頼もしい魔法はない。
「よし……じゃあ、行くわよ!」
「えっ!? ちょっと待って、カレンちゃん。行くってどこに?」
「どこって、魔界よ。これに入れば魔界に行けるんでしょ?」
「い、いやいや、待ってよ。たぶんそうだろうけど、カレンちゃんには無理から!」
「どうしてよ? だってこれはリクハルドたちを助けるための挑戦でしょ? そりゃ危険だろうけど、あたしには無理ってどういう意味よ!?」
「カレンちゃんはアルベールちゃんと契約しているから、聖属性を持っているでしょう? 聖属性は闇属性と反発するから危ないよ」
「うっ……で、でも――」
たとえ危険だとしても、あたしが行かなくてどうするのだ。そう言おうと思ったのだが、あたしの肩をアルベールが掴んで止めた。
「ハルカちゃん。カレンさんの言う通りだよ。魔界は空気までもが闇属性を帯びている場所だって言われているし、天使のわたしは絶対に生きることが出来ないんだ。そして、一時的だったとはいえ、ハルカちゃんはミカエル様の加護を受けた状態のわたしと契約していたことで、人間からより天使に近い存在へと身体が変質している。気付いていないのかもしれないけど、昔よりも聖属性が濃いんだ。ハルカちゃんに魔界は無理だよ」
「そ、そんな……」
ここまで来て、あたしはここで留守番なの?
「じゃあ、魔界へはハルカたちだけで行くの? 聖属性が無理だってことはエメラルドも一緒に行けないのよ?」
「う、うん。最初はそのつもりだったんだけど、実はあと一人一緒に行ってくれる人がいるの」
カレンが合図をするように手を上げると、あたしたちの会話が聞かれないように遠くに待機させていた王都の軍人たちが動き出し、こちらへ一台の軍用車が移動してくる。
車がこちらへと来る間、トウマがあたしに説明するために口を開いた。
「俺は一応、ミルド村の次期村長って立場だからさ。しばらく帰れないかもしれないって、ミルド村に連絡を入れておいたんだ。そうしたらオリヴィアさんに感付かれてね」
「オリヴィア? 彼女って昔は水属性だったけど、今は水と聖属性よね?」
あたしの質問にエメラルドが頷く。
「はい。私を含む、アキト様の契約者は全員聖属性を持っているので、アルベールの話が正しいのなら、オリヴィアも魔界へ連れて行くことは出来ないでしょう」
「もちろん、その話はオリヴィアさんにもしたよ。でもそうしたら、思いもよらない人物を紹介してくれて、その人が俺たちの護衛を引き受けてくれたんだ」
聖属性ではないオリヴィアの知り合い?
さっと思い付くのはハウランゲルの軍人たちだが、それは絶対にありえない。そうなってくると、アキトがヤマシロから連れて来た狐の魔獣やミルド村で暮らしているハチ人やアルラウネくらいしか思い浮かばない。
あたしが考えている内に軍用車が目の前で止まり、中から一人の男性――いや、少年が姿を現した。
話には聞いていたが、遠目に見たことがあるだけで直接話したことはない。しかし、彼は本当に思いもよらない人物であり、尚且つ、とても頼もしい護衛だと思った。
「ふん。魔界へ向かうと聞いた時は驚いたが、なるほどな。あいつに似て、無茶をするのが得意らしい」
美しい赤毛の美少年に似つかわしくない尊大な態度と口調、そして鋭い目付きであたしたちを値踏みするように見てくる。
最後の戦いでは国境壁を守ってくれていたという話なので信用は出来るのだろうが、前情報を何も持たない状態で出会っていたら、絶対にあたしと喧嘩するタイプだ。
赤の竜。エンシェントドラゴンのグレン。
アキトに敗れたことで子供の姿に転生したらしいが、その実力は本物だと聞いている。
「お前が天使と契約した人間か」
「ええ。ハルカよ」
「紅蓮だ。お前の契約者に感謝しろよ」
「え?」
「深淵魔法とかいう魔法で魔界へ飛ばされたお前の契約者三人は、オリヴィアの友人だった。特にオーラとかいうフェアリーとは気があったらしくてな、助けられる可能性があるのなら、何としても助けたいと頼み込まれた」
「へ、へぇ。あんた、ずいぶんとオリヴィアと仲が良いのね」
「俺の女になって欲しいと思っているからな。あいつにあそこまで頼まれたら断れん」
あたしは驚いてエメラルドへと視線を向ける。
「……私も初耳です。グレン、オリヴィアとはどこまで進んでいるのですか?」
「友人から始めている。一応、俺の想いは伝えているが、オリヴィアは元々アキトの女になりたがっていた。俺の方へなびかせるには時間がかかるだろう」
「そ、そうですか。まあ、オリヴィアの意志を尊重しているのであれば、私から言う事はありません」
「俺の話は良いだろう。ともかく、俺はオリヴィアのためにお前の契約者三人を助けに行くことにした。迷惑か?」
あたしは突然与えられた情報を処理できずに溺れそうになりながらも、何とか首を横に振った。
「い、いいえ。カレンたちと一緒に行ってくれるというのなら、助かるわ」
「よし、ならまずはこの魔法の効果を試すとするか」
「試す?」
グレンはあたしたちに説明することなく、不可逆領域の前に立つと、服のポケットから取り出した石を投げ込んだ。
「何を投げたの?」
「炎の魔石だ。俺の魔力を込めてあるから魔力感知で探りやすい。見ていろ、『暗黒魔法・冥府の蔓』」
グレンの右手から、紫色の触手の様なものが飛び出す。見たことのない魔法だ。それを見たアザミがポツリと呟いた。
「私たちの蔓に似ている」
「それはそうだろう。この魔法はアキトが使うアルラウネの蔓をヒントに俺が創り出した魔法だ。俺の魔力で自在に動く」
そう言ってグレンは紫色の蔓を不可逆領域の中へと伸ばして侵入させた。
「……ほう、なるほどな。内部に入れた蔓を通して向こう側の魔力を感じられるぞ」
「そ、それってやっぱり、この向こうは魔界ってこと?」
「おそらくな。おい、カレンとか言ったな。この魔法は触れたものを吸い込むように出来ているようだ。それを止められるか?」
「えっ? う、うん。やってみるね」
カレンが目を閉じて不可逆領域に込められている魔力を操作するように集中する。すると、グレンが不可逆領域の中から蔓を引っ張り出した。
「よし、問題はなさそうだな」
あたしたちはグレン引き抜いた蔓の先に絡まっていた物を見て、僅かだと思っていた希望が膨らんだのを感じた。
蔓の先には先ほど投げ入れた炎の魔石が絡まっていたからだ。
「魔石に異常はないようだし、通る分には問題なさそうだ。内部の調査に向かうぞ。着いて来い」
それだけ言うと、グレンはためらいもせずに不可逆領域の中へと飛び込んでいった。
「ええっ!? も、もう行くの? どうしよう、トウマ」
「い、行くしかないよ。彼にだけ任せるわけにもいかないだろう?」
「う、うん」
カレンは呼吸を落ち着けると、あたしへと向き直る。
「じゃあ、ハルカちゃん。行ってくるね」
「ええ。くれぐれも気を付けてね」
カレンたちは残されたあたしとアルベール、エメラルドの三人に手を振ると、深淵魔法の中へと消えて行った。同時に深淵魔法も消滅する。
残されたあたしは、その場に座り込んだ。
「行ってしまいましたね」
「ええ。本当に、大丈夫かしら?」
「信じて待つしかありません」
「うん」
あたしの隣にアルベールとエメラルドが腰を下ろす。あたしはグレンを連れて来た軍人に三人だけにしてくれと命令すると、それ以降何も喋らずに戦場跡を眺めた。




