三章 黒の竜王 十九話
隷属から解放されたハルカは、アルベールが持って来ていた魔剣を掲げてコクヨウを睨み付けた。
「アルベール、契約を」
「う、うん」
ハルカはコクヨウから視線を逸らすことなくアルベールに空いている左手を差し出した。アルベールがその手を取ると、二人の間に魔力の繋がりが生まれてアルベールの魔力量が跳ね上がる。
あれが本当の契約だ。
魔力が互いの身体を行き来することで増幅されて自分へと帰って来る。相手を魔力増幅用の機械にするような隷属とは全く違う、とても美しい絆の力だ。
「ふん。ハルカ、いまさらお前に何が出来る? 三人も契約者を失ったお前は、もはや勇者ではない。ただの小娘だ」
コクヨウはハルカを鼻で笑いながらも、アルベールに視線を向けている。どうやら奴が警戒しているのはハルカではなく魔力量の上昇したアルベールのようだ。
「おい、ハルカ。お前状況は分かっているのか?」
俺が尋ねると、ハルカは剣を降ろして小さく頷いた。
「操られている間の事、ぼんやりとだけと覚えているわ。アキトやアルベールが来てくれたのが分かって、必ず解放してくれるって信じていたからこうやってすぐに動けているの。やるわよアルベール、あたしとあんたで連携してアキトを援護する――って…………アルベール? 話聞いてるの?」
ハルカがアルベールに声をかけた際、アルベールはキョロキョロと辺りを見回していた。
「何をしているのよ?」
ハルカが近寄って心配すると、アルベールは小さく呟いた。
「……魔力が外へと帰って行っている」
「は?」
その言葉を聞いて、俺たちは周囲に起きている異変に気が付いた。
いや、というよりも周囲の魔力が感知出来るようになっていることに気が付いたのだ。
「ば、馬鹿な! 俺の妖術が!」
コクヨウも気付いたのか、焦ったように周囲を見回している。どうやらこの城を包んでいた妖術が消失したようだ。
「……呼んでいる」
「ちょっと、アルベール。さっきからどこを見ているの?」
「ハルカちゃん、どいて」
アルベールは心配して肩を掴んで来ていたハルカをやんわりとどけると、天井に向かって手をかざす。
「『宝石魔法・橙色の閃熱破』」
アルベールの放った巨大な閃熱破が天井を破壊すると、天井に空いた穴から夜空が見えた。
これで魔力感知だけでなく、肉眼でも妖術の消失が確認できたということだ。間違いなく、魔王の妖術は効力を失った。
すると夜空が急に明るくなり、光が真下にいたアルベールへと降り注いだ。
「えっ!? な、なにこれ?」
ハルカが驚いてアルベールから距離を取る。
あの光、途轍もない魔力だ。だが何となく悪いものではないような気がする。降り注ぐ聖属性の魔力がアルベールの身体を優しく包み込んでいるように見えるからだ。
光を浴びたアルベールは内包していた魔力を急速に増大させると、いつもの穏やかで柔らかい印象とは全く違う、涼やかで凛とした声でコクヨウに話しかけた。
「久しぶりですね。黒の竜」
「何?」
「失礼。私と面識あるのは今のあなたではなかったですね。では、コクヨウと呼びましょう」
「何を言っている? お前……さっきまでの天使とは別人か?」
「ええ。私は大天使ミカエル。今は地上へと遣わせたアルベエルの身体を借りて喋っています」
「だ……大……天使、だと?」
大天使と聞いて、コクヨウの顔色が変わる。
ミカエルという名前は聞いたことがある。俺はあまり詳しくは無いが、確かキリスト教の聖書に出てくる天使のリーダーの名前だ。この世界でも同じ認識で良いのだろうか?
「コクヨウ、あなたは度々地上を騒がせる厄介な存在ですね。主が作り出した六竜の一体という立場を忘れ、地上を恐怖と戦いで支配しようとするあなたは危険と判断されました。抑止のために天界からアルベエルを人間の国へと遣わしたというのに、まさか悪魔を利用して大地を汚染するとは思いませんでしたよ。おかげで本来は地上に干渉しないはずの私が動かねばならなくなりました」
「六竜の立場だと? 俺たちは地上最強のドラゴンであり、何者にも縛られない種族だ。勝手なことを言うな」
「……争いと転生を繰り返した弊害ですね。そこまで忘れているとは思いませんでした。その様子では他の竜たちも同じなのでしょうね」
アルベール――いや、ミカエルは静かに嘆息すると真剣な表情で説明を始めた。
「良いですか。この世には天界、地上、魔界の三つの世界が存在します。天界は私ともう一人の大天使が管理を任されており、魔界は悪魔が管理しています。そして、もっとも多くの種族が生きる地上は六竜が管理を任されていました。死者は基本的に天界へと向かいますが、六竜は管理者としての使命があるために死しても再び地上に転生するようになっています。ですが転生とはとても危うい行為でもあり、意志を強く持たねば元の姿や記憶を保つことは難しい。嘆かわしい事ですが、長い年月を経て六竜たちから管理者としての使命感が薄れてしまったのでしょうね」
転生はそういう仕組みだったのか。だから勇者と竜王に殺されたコクヨウはその恨みや未練から記憶を持って転生し、一切の未練なく死んだ竜王は記憶を無くし性別も違うオリヴィアになったということか。
「あの、一つ聞いても良いですか?」
「いいですよ。アキト」
俺の名前まで知っているのか。天界から俺たちの様子を伺っていたのだろうか?
「地上の管理って王様みたいな立場ってことですか?」
「違います。六竜が行うのは間違いが起きた時にそれを正すこと。指導者ではなく、管理者ですから。地上の人々を陰ながら見守り、大きな争いが起きてしまった場合にのみ地上に干渉する立場です」
オンラインゲームの運営みたいな立場だな。
「それが今ってことですか」
「ええ。悪魔と協力して国の王となる程度なら、対抗する国に天使を送り込んでバランスを取るだけでよかったのですが、地上の魔力を吸い上げて進化したとなると、アルベエルやあなた方だけでは太刀打ちできないでしょう」
正直に言うとかなり有り難い。
このミカエルとかいう天使を信じていいかは分からないが、力を貸してくれるというのなら頼もしい限りだ。
魔力の供給は途絶えたが、魔王の身体は依然として進化した強さのままだったからな。回復が途絶えたとしても、俺たちだけではここから逆転するのは難しかった。
ミカエルは不安そうな顔をしているハルカへと視線を向ける。
「人間の勇者ハルカ。この身体はアルベエルへと返しますが、しばらくの間は私の加護が残ります。あなたはその加護を使って戦いなさい」
「か、加護? 天の加護のこと?」
「ええ。今までとは比べ物にならない力が手に入る事でしょう」
そこまで言うと、ミカエルの神々しい存在感が消失し、いつものアルベールへと戻った。けれど、上昇した魔力はそのままだ。加護が残ったというのは本当の事らしい。
「ハルカちゃん」
「アルベール! よかった、戻ったのね」
「うん。聞いたよね? ミカエル様の力が消えないうちに魔王を倒そう」
「え、ええ。分かったわ!」
ハルカの頭の上にアルベールと同じ天使の輪が出現し、背中には白く美しい翼が現れる。
物凄い魔力の上昇だ。ハルカは現在契約者が一人なので下級程度の魔力しか使えないはずだったのだが、一気に俺と同じ最上級種族程度の魔力量まで跳ね上がった。
アルベールもミドリと同じくらいまでの魔力量が上昇しているのでとても頼もしい。
ハルカは自分のパワーアップに驚きながらも、空中へと上昇してコクヨウに向かって魔剣を向けた。
「魔王コクヨウ。どうやらあんたはここまでみたいよ? 借り物の力で偉そうなことを言うつもりはないけど、この力が無くなる前に、あんただけは倒させてもらうわ!」
「……舐めるなよ。俺は神級種族だぞ。たとえお前たち四人が相手だろうと、負けるわけがない!」
コクヨウは俺たち四人に後ろを取られないように位置取ると、強大な魔力を放出する。
「『渾沌魔法・連式魔界破』!」
「アキト、あんたがヤマシロであったっていう白いドラゴンが使っていた魔法、何て言ったかしら?」
ばら撒かれた無数の魔界破を避けようと散開する中で、ハルカが俺に尋ねてくる。こんな時に何の話だ?
「あ? 光明魔法だよ。それがどうしたんだ?」
「光明ね……よし! あたしに任せなさい!」
ハルカは空中で制止すると、魔剣を持っていない左手を襲い来る魔界破へと向ける。
「『光明魔法・連式天界破』!」
「なっ!?」
ハルカの左手から眩い光の塊がいくつも発射されると、それぞれがコクヨウの魔界破へとぶつかって相殺していく。
「う、嘘だろ? どうやったんだよ、ハルカ?」
「複合魔法よ。闇属性二つで渾沌魔法なら、聖属性でも出来るって思ったの」
「……は、はは……マジかよ……」
こいつはやっぱり、紛れもない天才だ。
洗脳されている状態で見聞きしていた渾沌魔法の情報から、その対極に位置する光明魔法をこんな土壇場で習得しやがった。
「勇者ハルカ、やはりお前が一番危険なようだな! 『渾沌魔法・地獄斬』!」
「無駄よ!」
ハルカは魔剣に魔力を通してコクヨウの斬撃を受け止める。
あれを受け止めることが出来たという事は、あの魔剣には光明魔法を流しているのだろう。
「『天空斬』!」
「――っ!?」
コクヨウがハルカへ攻撃する隙を突いて、ミドリが別の方向から神風魔法を放って攻撃する。コクヨウはギリギリのところで尻尾を使って魔法を打ち払った。
「『連式天界大宝珠』!」
今度はアルベールが巨大な宝石魔法を大量に打ち込んだ。コクヨウは両手をクロスさせて防御姿勢を取ることで直撃から身を守る。
この波状攻撃に乗らない手はない。俺が魔力を集めて攻撃のモーションを取ると、同時のタイミングでハルカも同じことをしていることに気が付いた。
「行くぞ、ハルカ」
「ええ」
「『神風魔法――」
「『光明魔法――」
ミドリとロゼが使う姿を散々見て来た。今の俺にだってこの魔法は使えるはずだ。
俺は右手の人差し指と中指を真っ直ぐに揃えてコクヨウへと向けると、指先に魔力を集中させて、一気に解き放つ。
「――極式天空弾』!」
「――極式天界破』!」
聖なる風の弾丸。銃という武器が存在しないこの世界ではイメージできるのは俺だけだろう。
そして俺の弾丸を包み込むようにハルカが巨大な光明魔法の光線を放った。
二つの魔法が動きを止めていたコクヨウへと直撃し、後方へと押し込んでいく。
「ぐっ! こ、この力は!?」
「終わりだ、コクヨウ!」




