一章 アルラウネの森 十三話
俺たちは役所の前でレオさんと別れ、三人で昼食を食べにレストランに入った。ミドリの奢りだぞ。アルドミラ軍からの報酬の件を黙っていた詫びだそうだ。
現在は食後のお茶を楽しんでいる。レフィーナはデザートのケーキを堪能中だ。
「それにしても、思いもよらない形で問題が解決しましたね」
ミドリの言葉に頷いて返す。
「それでアキト様は、この後どうされるのですか?」
「どうって?」
「旅の目的を忘れたのですか? アキト様の結婚相手探しです」
「ああ、それね。正直、王都で相手を探すのは俺に合ってない気がするんだよな。もっと地方の田舎村とかで異種族がたくさん暮らしているところがあればいいんだが」
「女性を口説く能力がないことを、この場所のせいにするのはどうかと思いますよ?」
「……なんかミドリって俺にだけ当たり強くない?」
そろそろ泣くよ?
「事実を言っただけですが……しかしそうなると、次の目的地はどうしましょうか?」
「そうだなぁ…………」
考えを巡らせながら窓の外を見た瞬間、俺の目にとある生物が映った。
これ以上ない程に幸せそうな顔をした人間の男性の隣を、鳥の翼と脚を持った女性が浮遊していたのだ。
「――えっ?」
そう。
その女性は紛れも無く、俺の初恋の種族。
「……アキト様?」
「ハ……ハーピーだ……」
ミドリは俺の目線の先にいた人間とハーピーを見た後で、困ったような目で俺を見て首を傾げた。
「アキト様、他人の恋人を奪うなど、殺されても文句は言えませんよ?」
「しねえよ!? どうしてそうなるんだよ!」
「あれほど熱い視線をハーピーに送っていてはそう思われても仕方ないかと」
「うっ……」
だって夢にまで見たハーピーだぞ?
自分でも驚くほど心臓が高鳴ってしまった。俺は深呼吸をしてから再び窓の外を見る。そこには既にハーピーの姿はなかった。
「ハーピーは……俺の初恋なんだ。だから、ついそういう目で見ちまったことは認める。でも、あのハーピーは隣を歩いていた男の恋人だろう。それが分かっているからそんなことはしないさ」
でも、これでこの世界にはハーピーがいるということが分かった。それだけでも俺にとっては大きな収穫だ。
「ねえ、アキトくん。ハツコイって何?」
ケーキを食べ終えたレフィーナが尋ねてくる。男女が存在しないアルラウネのレフィーナに対してだと説明が難しいな。
「昨日、好きの種類について話しただろう? 家族や友達に対してじゃない好き。それの初めてバージョンのことだな」
「ふうん。アキトくんにとってそれがハーピーなんだ……」
レフィーナは手のひらから数本の蔓を伸ばして、向かいに座っている俺の右手に絡ませてくる。
「なら、次は恋人がいないハーピーを探して旅をしようよ」
「それは良い案だと思うが、その言い方……」
もしかしてレフィーナは俺の旅に付いてくる気なのか?
「昨日言ったでしょ? 友達としてのお礼。アキトくんの望みが、自分と同じ好きを返してくれる女の人を見付ける事なら、ぼくはそれを手伝いたい」
「レフィーナ」
俺は右手に絡みついた蔓を優しく握る。すると、その手の上に隣に座っていたミドリの手が置かれた。
「二人だけで話を進めないでください」
「ミドリお姉ちゃんは反対なの?」
「いいえ、賛成です。私はアキト様が老いぼれるくらいまでは見届けて差し上げるつもりですから。せいぜい面白おかしい人生を送って私を楽しませてください」
「ミドリ、お前なぁ……」
なんて素直じゃない奴だ。だが、不快ではない。口ではこう言いつつも俺の幸せを願ってくれていることが彼女の手を通して伝わってきた気がした。
俺はミドリとレフィーナと交互に目を合わせて告げる。
「よし、次の目的はハーピーだ。見てろよ、ミドリ。お前が驚くほど可愛いハーピーの彼女を作って見せつけてやるからな」
「それは楽しみですね」
「そうと決まったら、さっきのハーピーに話を聞いてみようよ、別のハーピーを紹介してもらえるかもしれないよ?」
「そうだな。すぐに追いかけよう」
俺たちは席を立つと、急いで会計を終えてレストランを飛び出した。
「おかしいな、確かにこっちの方に行ったと思ったんだけど」
ハーピーを追いかけて、彼女が向かった南門付近を探し回ったのだが、全く姿が見当たらない。
「どこかで大通りから脇道に入ったのかもしれませんね」
「ミドリお姉ちゃん、空から探した方が早いんじゃない?」
「それもそうですね。アキト様、一度別行動を取りましょう」
「ああ、頼む」
ミドリが背中から翼を出して飛び立とうとしたところで、南門から軍人が道を開けるように叫ぶ声が聞こえた。
何事かと軍人に意識を向ける。ミドリも飛び立つのを中止した。
「何だ?」
「……どうやら、怪我人を運んでいるようですね。魔獣にでも襲われたのでしょうか?」
南門の前に車が止まり、担架に乗せられた怪我人が運び込まれている。
「へえ、この国の救急車はあんなデザインなのか」
「――っ! あれは!」
俺が見慣れた救急車とのデザインの違いについて考えていると、ミドリが突然俺の手を引っ張って駆けだした。
「うおっ! 何だよ、ミドリ! どうしたんだ?」
「いいから来てください!」
「何々!? どうしたの?」
救急車に駆け寄るミドリと俺、その後ろに困惑しながらもレフィーナが付いてきた。
「ん? な、何だ、お前たちは?」
救急隊員らしき男性が俺たちに気付いて制止するように両手で示す。
「その怪我人の知り合いです。彼に何があったのですか?」
「知り合い?」
「はい。私は先日まで南にあるミルド村で暮らしていたエメラルド、こちらはアキト様です」
「ミルド村のアキト? そうか、君たちが」
「……ア、アキト……か?」
ミドリの声が聞こえたのか、担架から救急車内のベッドへと移動された怪我人が苦しそうな声が俺の名前を呼ぶ。
その声には聞き覚えがあった。カレンと同じくミルド村で共に育った幼馴染の声だ。
ミドリと契約した前のアキトに対抗して契約出来る生き物を探して村を飛び出し、大怪我をしながらも魔獣の子供を拾って帰ってきた無鉄砲な青年。
俺がミルド村を旅立つ時には見送りにも来てくれていた。名前は確か……。
「その声、トウマか?」
「あ、ああ……そうだ――うぐっ……」
「おいっ、大丈夫か?」
救急隊員が俺の肩に手を置く。
「急いで病院に運ばないと不味い。同じ村出身の知り合いだというなら、君も一緒に乗りなさい」
「はい! ミドリ、病院で待ち合わせよう」
「分かりました」
俺が急いで救急車に乗り込むと、すぐにドアが閉められて病院へ向かって走り出した。
ベッドの脇に座ってトウマと目を合わせる。彼の身体は痛々しいほどにボロボロだ。
「トウマ、何があったんだ?」
「む、村に……魔族が攻めてきた……」
「何だって!?」
魔族が?
攻めてきたってことは、ギドメリアのスパイだよな?
まさか俺たちが倒した奴らの他にもまだいやがったのか?
「村のみんなは?」
「……分からない、とにかく強くて……村にいた魔獣退治しかしたことが無い軍人だけじゃ、どうやっても勝てそうに無かった……。だから俺が、ウェインに乗って……ここに来たんだ」
「ウェイン?」
「俺の契約獣だ……忘れたか?」
「いや」
覚えている。というより、前のアキトの記憶にあった。
体長が2メートル以上ある、疾風魔法を使う銀色の狼。トウマと契約した事で賢くなり、言葉は話せないが人間並みの知能を持っていた。
「ウェインはどうした?」
「村を出る時に魔法で攻撃されて、途中で走れなくなったから……置いてきた」
死んではいないと思うとトウマは力なく答える。
本当はそんな使い捨てるようなことはしたくなかったはずだ。だが、相棒であるウェインをその場に見捨ててでも、助けを呼ばなければいけない状況だったのだろう。
「頼む、アキト……村のみんなを助けてくれ」
「……俺は……」
「戦いが嫌いなのは知っている……でも、お前なら――お前とエメラルドさんなら、そこらの軍人よりも戦えるだろ?」
俺は膝の上に置いていた拳を強く握りしめる。ここで俺に任せろと力強く頷いてやれない自分が情けない。
ミルド村のアキトとして避けられない戦いってのは、こういう戦いのはずだって頭では分かっているんだ。でも、脳裏には先日の魔王軍との戦いで感じた恐怖がこびりついている。
「だ、大丈夫さ……すぐにでもアルドミラ軍は大軍をミルド村に送ってくれる。村を襲うような情けない奴らなんて、あっという間に片付けてくれるさ」
上擦った声で口にした言葉の薄っぺらさに怒りが込み上げてくる。
トウマが助けを求めたのは俺なのに、俺は軍人に任せて戦いから逃げようとしている。普通の人間ならそれが当然だ。むしろ、軍人に混ざって戦いに行くなど足手まとい以外の何者でもない。
『あなたたち二人はアルドミラ軍の精鋭とほとんど変わらないほどの戦闘力を持っているということです』
ヴィクトール元帥の言葉が思い起こされる。
俺には力がある。
もちろん、ヴィクトール元帥の言う力のほとんどはミドリによるところが大きいが、それでも上級種族と互角に渡り合える力が俺にあるということは、この前の戦いで証明されている。
あの時だって、俺がやろうと思えばミドリに助けてもらわなくても勝てたのだ。
俺はトウマの傷だらけの手を握る。
「トウマ、俺の名前を呼んでくれ」
トウマは眉をひそめながらも、俺の名前を呼ぶ。
「……アキト」
「そうだ。俺の名前はアキト。ミルド村のアキトだ」
ミルド村のアキトとして、村のみんなを助ける。前のアキトなら絶対にそうするはずだ。もともと山に降り立ったミドリに会いに行ったのは、村のみんなを守る力が欲しかったからなのだから。
「トウマは、俺に村のみんなを助けて欲しい。そうだよな?」
「あ、ああ。そうだ」
「分かった。俺はミルド村のアキトとして、ミドリと一緒に村を守る!」
俺は救急隊員にお願いして、一瞬だけ救急車を止めてもらって車から降りる。
「君、荷物を忘れているぞ」
救急隊員が俺のリュックを持って、声をかけてくれた。
「邪魔になるかもしれないんで、病院の方で預かっておいてもらえませんか?」
「はあ? 何を言っている?」
これから俺は戦いに行く。そんな大荷物は不要だ。そしてホテルに置きに行く時間も惜しい。
「分かったよ、アキト。みんなを助けた後で……取りに来てくれ」
「おう。見舞いのついで取りに戻るから、頼んだぞ」
トウマが預かると言ったことで納得した救急隊員は再び救急車を病院へと走らせる。
俺は救急車を見送る時間すら惜しんで大空を見上げ、上空にいた人影に向かって声を張り上げた。
「ミドリ、来てくれ!」
周囲の人々が何事かとこちらに注目するが、そんなことはどうでもいい。今は一刻を争うのだ。
すると、すぐさま俺の近くに二人の少女が降り立った。
「まったく貴方は……そんな大声を出さなくても、聞こえていますよ」
「びっくりしたよ。どうしたの、アキトくん?」
ミドリに抱えられていたレフィーナが地面に着地しながら尋ねてくる。
「ミルド村が異種族に襲われたらしい。たぶん魔王軍だ」
ミドリの眉がピクリと動く。と同時に彼女の尻尾が伸びていく。
「急ぎましょう!」
「ああ。全速力で頼むぜ!」
俺が尻尾に捕まったのを確認すると、ミドリはレフィーナを再び抱きかかえて飛翔した。




