三章 黒の竜王 十四話
今回もオリヴィア視点です。
周囲を見回すと、綺麗に管理された生垣や花が目につく。建物の配置から見て、どうやらここは魔王城の中庭のようだ。
正面には私を睨み付けている悪魔の女がいる。
「ふん。そちらこそ、勇者や天使たちは助けに来ないようですよ。まさか一人で私の相手をするつもりですか?」
「もちろんよ。あなたも分かっているでしょう? 私は特級種族。悪魔にだって引けを取らないわ。それに、私が頑張ればその分アキトちゃんたちが楽になるもの」
私一人でクローディアを倒すことが出来れば、アキトちゃんたちは三対一で魔王と戦うことが出来る。いくら魔王が抜群の戦闘センスを持った極級種族だったとしても、同格のミドリちゃんをアキトちゃんとアルベールちゃんで援護すれば必ず勝てる。
そして、アキトちゃんは私を信じると言ってくれた。最優先で倒さなくてはならないクローディアを私一人に任せて貰ったのだ。必ずやり遂げて見せる。
クローディアはゆっくりと息を吐くと、魔力を増大させていく。どうやら魔力圧縮を解いたようだ。
「認めましょう。魔力は私が上ですが、本来の肉体の強さはあなたが勝るようだ。だが、いくら私とコクヨウ様を分断するためとはいえ、私に触れたのは失敗でしたね。おかげで今の私は極級種族並みの身体能力を得ました」
次の瞬間、クローディアはまるでロゼちゃんのようなスピードで動いて私を攻撃してきた。
咄嗟に彼女の拳を腕の鱗で防いだが、あまりの力強さに突き飛ばされてしまい、後ろにあった魔王城の外壁に激突する。
「ぐぅ……い、今のは……」
エナジードレインで身体能力が上がったからだとは思うが、どうやら悪魔はもともと力も素早さも高水準の種族だったようだ。もはや私が勝っているのは防御力だけだと思う。
「今の一撃で腕が砕けないところをみると、あなたは本当にドラゴン並みの鱗を持った特級種族なのでしょうね。ですが、今の私には脅威ではない。そのまま何も出来ずに死んでいきなさい!」
再びクローディアが動き出す。これ以上好き勝手にさせるのはまずい。私の土俵に引きずり込まなければ絶対に勝てない。
「『大海嘯』!」
大量の水を召喚して辺りを飲み込むと、クローディアは警戒して私から距離を取った。上空へと上がって水中にいる私を見下ろしている。
「なるほど、水中戦が得意なようですね。ですが、そうはいきません。『暗黒魔法・極式冥界破』!」
いきなり極式の魔法を放ってくるとは、魔力が有り余っているのだろう。私ならここぞという時にしか極式は使わない。
水中を高速移動して空へと飛び出すと、私の召喚した水がクローディアの暗黒魔法によってかき消された。私は下半身を人間の足へと変えて空中での機動力を確保すると、クローディアに向かって両腕をかざす。
「『水流魔法・連式水精玉』!」
この魔法は私が自作した『水精の沼』という魔法をシラツユちゃんのアドバイスをもとに改良したものだ。おかげで魔力の消費効率も上がり、操作性と威力も上昇した。
複数放たれた球体状のスライムが高速でクローディアへと迫る。
クローディアは追尾してくる私の魔法を回避しながら観察した後で全身を包むように防御魔法を発動した。
先ほどよりもスピードが落ちている。どうやら極式の魔法を使った事で私から奪った魔力による身体強化が消滅したようだ。
「『暗黒魔法・冥界陣』!」
私の魔法が全弾直撃するが、暗黒魔法を破ることが出来ずに張り付く。
「『深淵魔法・奈落玉』!」
次の瞬間、防御魔法の中から別の魔法を発動して、動きを止めた私の魔法を全て飲み込んだ。
「その魔法……カレンちゃんの」
「どうしました? 悪魔である私に再現できない闇属性の魔法は存在しない。まさか私はこの魔法を使えないだろうと油断していたのですか?」
「いいえ。可能性はあると思っていたわ。けど、実際に目にすると脅威ね」
「私としては、あなたの魔法に少々驚きました。コクヨウ様の旧友が生み出したという球体系魔法を使える者がいるとは思いませんでした」
魔王の旧友。おそらくは酒呑童子と呼ばれた悪鬼のことだろう。
私がシラツユちゃんから教わったように、魔王は悪鬼から魔法を球体状にして操る術を身に付けていたという事か。
「ですが、同じ球体系魔法でも、優れているのは私の方ですね。『深淵魔法・連式大奈落玉』!」
クローディアの周りに巨大な闇の球体が現れる。
暗黒魔法と深淵魔法。
同じ闇を操る魔法ではあるのだが、こうして間近で見ると全く別物だ。
暗黒魔法は闇属性の代表色である紫色をしたガス状の物質のように見えるのだが、深淵魔法は物質ではなく漆黒の穴の様なのだ。空中に空いた球体状の穴が移動し、全てを飲み込もうと迫ってくるような感覚だ。
「『水流魔法・霧の森』」
私は辺り一面を密度の濃い霧で覆う事で視界を奪い、迫りくる深淵魔法から遠ざかった。
しかし、深淵魔法は見えているかのように私を追尾してくる。
「そんな目くらまし、私の魔眼の前では無意味ですよ」
「厄介ね。シラツユちゃんと戦っているみたいだわ」
クローディアが魔力を見る目を持っているということは、この魔法では意味がない。魔眼持ちを封じるなら、グレンちゃんに教わったあれを使うしかない。
私はクローディアの魔法から逃げ回りながらも、集中力を高める。ただの霧ではなく、魔眼と魔力感知を狂わせる力が必要だ。
魔法とはイメージによって無限に広がっていく力。よく考え、集中し、想いを込めることで現実の事象として現れる超常の力。
「『水流魔法・妖霧の海』!」
見た目は先ほどと変わらない霧の魔法。だが、今回はそれに特殊能力を付加するようにイメージした。妖術というのはそう簡単に習得できるような魔法ではないらしいのだが、私には適正があるとグレンちゃんが言っていた。
この血に流れる先代の青の竜――竜王ヘキラの遺伝子のおかげかもしれない。彼はグレンちゃんを火山の地下に封印する時に妖術を使った。その力が私にも眠っていると今は信じたい。
「何っ?」
私を追尾していた深淵魔法が停止する。
「……成功したようね」
「そ、そこか!?」
クローディアは私の声を頼りに深淵魔法を動かしたが、既にそこに私はいない。どうやら妖術は成功し、クローディアは完全に私を見失ったようだ。
この妖術には私たちを外の世界から認識・干渉出来なくなると共に、内部でのあらゆる魔力感知を妨害する力を付与してある。だが、私には魔力ではなく温度を色で見る目があるのだ。その目を使ってクローディアの位置を特定し、息をひそめて魔力を集める。
「『水流魔法・大水精玉』!」
「――っ!?」
私が生み出した巨大スライムがクローディアに直撃して全身を包み込む。
粘性と弾力を併せ持った軟体のスライムから逃れることは不可能。このまま決めさせてもらう。
「魔法変換。『氷結魔法・連式螺旋氷柱槍』!」
これもシラツユちゃんに完成させてもらった私のオリジナル魔法だ。
スライムの魔力を氷結魔法へと変換し、捉えていたクローディアの身体を氷の槍であらゆる方向から串刺しにした。
「がっ!?」
最後に魔法を解除すると、全身に空いた大穴から血が流れ出てクローディアが地面に落ちる。
「勝負あったわね。後で埋めてあげるから、そこで待ってなさい」
私が魔力消費の大きい妖術を解除してアキトちゃんたちの加勢へと戻ろうとすると、うつ伏せに倒れて死亡したと思っていたクローディアの身体がビクリと動く。
「なっ!」
慌てて飛び退いて距離を取ると、クローディアは血塗れの身体で立ち上がり私を睨み付けた。
「あ、あなた、その傷でどうして生きているの?」
「…………やってくれましたね。おかげで心臓のストックがまた減ってしまいました」
「心臓? あっ!」
クローディアの手にはいつの間にか血塗れの肉塊が握られている。あれがおそらく心臓のストックというやつだろう。
「いつの間に……どういう原理かは知らないけど、その心臓からエナジードレインをすることで肉体を再生させたのね?」
「ええ。あそこまでの怪我だと心臓を三つ消費しましたけどね」
いったいいくつのストックがあるのか知らないが、心臓三つで致命傷から回復できるのなら、私は彼女を消滅させるまで攻撃しなくてはならないようだ。
クローディアは両手を私へとかざす。
「次は先ほどのようには行きませんよ。あなたの魔法は危険だ。ここで確実に殺します」
「それは私の台詞よ。あなたをアキトちゃんのところへは行かせない。何としてでも私がトドメを刺してやるわ」
「『深淵魔法・奈落玉』!」
「『聖水魔法・竜玉破』!」
深淵魔法と聖水魔法のぶつかり合い。
完全な球体状の魔法である深淵魔法に対して、私の魔法は聖なる水の竜の形をしている。ドレン要塞都市で戦った雷鳴魔法を使う竜人が使っていた魔法の私バージョンだ。
深淵魔法とぶつかると、その大きな口で飲み込むことで浄化して消滅させた。
「馬鹿なっ!?」
そしてそのままクローディアへと突進するが、彼女は間一髪で飛び上がって回避する。
「どうやら、私の魔法とじゃ相性が悪いようね」
私はつくづく相性に恵まれている。あの時の雷鳴魔法も、今回の深淵魔法も、私が相手では無ければとても強力な魔法だっただろうに、相性の関係で一方的な戦いが出来るのだ。
「くっ、『暗黒魔法・冥界十字斬』!」
今度は暗黒魔法の巨大な斬撃だ。
おそらくこの魔法が彼女の一番使い慣れた強力な魔法なのだろう。私にとっての水流魔法だ。
「『聖水魔法・水竜障壁』!」
さすがに完璧に防ぎきることは出来なかったが、私の聖水魔法が相殺にまで持って行った。クローディアは明らかに動揺している。魔力量と強力な魔法が自慢だった自分が、魔法の強さで圧倒されているのだ。きっと生まれてから一度も魔法で負けたことはないのだろう。そしてその隙を見逃すほど今の私は甘くない。
「『聖水魔法・水竜斬』!」
「し、『深淵魔法・不可逆領域』!」
カレンちゃんが良く使う防御魔法だが、私の魔法には大した防御力を発揮しない。
直撃の瞬間に少し速度が遅くなったが、次の瞬間には貫いて奥にいたクローディアに襲い掛かる。
やはり完全に動揺しているな。防げないと言っても速度を遅らせることは出来ているので避けるのは簡単なはずなのに、完全に反応が遅れている。
魔眼や魔力感知を持った悪魔とは思えない酷い反応速度だ。
クローディアの左腕が水の刃に斬り裂かれて宙を舞う。続いて彼女の絶叫が響いた。
「――っ!? ああぁぁああああああ!」
ふらふらになって上空を飛びながら、空中に出した闇に向かって右腕を突き刺して何かを取り出す。すると彼女の失った左腕が再生を始めた。
「欠損した部位まで再生できるのね」
「くそっ! あり得ない! あり得ない、あり得ない! この私がドラゴンもどきに魔法で後れを取るなんて!」
先ほどまでと打って変わって荒々しい口調だ。言葉遣いに気を配る余裕すらなくなったようだ。
私も泳ぎの速さで負けたらあんな感じになるのかしら?
「こ、こうなったら、あれを使うしか……くそっ! なんでこんな奴に!」
何だ?
クローディアは次々と闇の中から心臓のストックを取り出すと、あろうことかそれらを飲み込み始めた。
「な、何を……しているの?」
心臓を飲み込む事に何の意味がある?
目の前で行われた猟奇的な光景に唖然としていると、全ての心臓を飲み終えたクローディアがニヤリと笑う。
「これで私の負けは無くなりました。あとはあなたが魔力切れを起こすまで戦うだけです」
どういう事だ?
言っていることの意味が良く分からなかったが、今はとにかく攻撃するしかない。
「『聖水魔法・水竜斬』!」
私が魔法を放つと、クローディアは素早く空中で魔法を回避する。どうやら冷静さを取り戻したようだ。
「『深淵魔法・極式奈落玉』!」
「『聖水魔法・連式水竜斬』!」
複数放たれた私の斬撃がクローディアの魔法と衝突する。
相性で有利な私の魔法が深淵魔法を斬り裂いて破壊しクローディアへと襲い掛かった。
「『聖水魔法・竜玉破』!」
クローディアが斬撃を避けているところへ、追撃の魔法を放つ。
いくら魔眼を持っていようと、ここまでの連続攻撃をされれば避け切れるものじゃない。水の竜が彼女の足に食らいつきかみ千切る。
「ぐっ! 無駄です! 『暗黒魔法・冥界斬』!」
クローディアは足を千切られながらも反撃し、私はそれをギリギリのところで何とか回避する。
冥界斬くらいなら私の鱗で防げる気もしたのだが、以前ミドリちゃんがグレンちゃんの冥界斬で鱗を裂かれているので一応回避を選択した。
そして避け切った後でクローディアを確認すると、彼女の足は元通りに再生していた。
「なるほど、オートで治るのね」
「ええ。痛みさえ耐えれば私は不死身です」
「不死身ね……そうかしら?」
きっとさっき飲み込んだ心臓の数程度しか再生は出来ないはずだ。けれど、その全てを消費させるには私の魔力が持たない。そういう計算なのだろう。
「あなたが傷を回復できるというはアルベールちゃんから聞いて知っていたわ。そして、対策もしてきた」
「対策? 出来るわけがない。何をしようとあなたの魔力が尽きるのが先です。『暗黒魔法・連式冥界破』!」
「『大海嘯』!」
私は再び大量の水を呼び出すと、水中を泳いで魔法を回避しクローディア目掛けて突進した。
「接近戦ですか? 望むところです! 『冥界剣』!」
「『水竜剣』!」
私の剣とクローディアの剣がぶつかり、クローディアの剣は綺麗に斬り裂かれた。そのままクローディアの右腕を跳ね飛ばしたが、一瞬のうちに再生する。
そしてクローディアは再生した手で私の腕を掴んで来た。
「捕まえました!」
「こっちの台詞よ! 『水晶魔法――」
私は魔力をエナジードレインで吸われながらも、反対の手に持っていた剣で再びクローディアの腕を斬り裂き、その傷口に触れる。
「――永久凍結』!」
グレンちゃんと考えた対クローディア用の妖術。
この魔法が当たったら最後、傷口が凍結して傷の回復は一切出来なくなる。
「くっ、こんな魔法! 『冥界剣』!」
クローディアが傷口に張り付いた氷をおとすために更に深く自分の腕を斬り落とすと、その傷口から氷が噴き出して再び固まってしまった。
「な、何だ、この魔法は!?」
「終わりよ、クローディア」
あの魔法は既にクローディアの体内へと侵入している。そして傷がついた瞬間にかさぶたのように傷口を凍結させるので、出血こそしないが回復することは不可能になるのだ。
「ちっ! 右腕は治らないようですが、血が流れないのなら問題はありません」
「本当に? その魔法、どうやって発動を続けているか魔眼で見てみたらどうかしら?」
「え? これ……は……」
クローディアの顔が一気に青ざめる。
あの魔法は、クローディアの魔力を吸い取ることで発動を続ける妖術だ。その昔、グレンちゃんが竜王ヘキラと勇者ゲンヨウに封印された際に使われた妖術を再現したのだが、上手く発動できたようだ。
「複合魔法は魔力消費が大きい。いくらあなたでも長時間の発動は危険よ?」
「く……くそっ! お前! 私の身体に何をした!」
「人間を洗脳して強制的に契約したあなたにはお似合いの末路じゃないかしら」
「そ、そんな……この私がこんなところで……」
私の魔力感知でもどんどんクローディアの魔力が減少して行っているのが分かる。
グレンちゃんはこの妖術で何百年も魔力を吸い上げられながら地底に封じられていたのかと思うと、彼が復活した際に正気を保っていたのが恐ろしく感じられる。
「お、お前さえ殺せれば! 『暗黒魔法・極式冥界破』!」
クローディアは空高く上昇すると、真上から私に向かって左手をかざし、怒りに任せてこれまでで一番巨大な冥界破を放つ。
極式冥界破は魔力をつぎ込めばつぎ込むだけ巨大になる魔法。だが、相性の悪い私に対して正面から挑むのは無謀というものだ。
「完全な悪手ね。『聖水魔法・極式竜玉破』!」
巨大な水の竜が冥界破を飲み込んで浄化し、クローディアへと襲い掛かる。
「う、嘘だ! わ、私がっ! この私がこんなところで――」
クローディアは竜の牙を避け切れずに下半身を飲み込まれた。
残った上半身が無残に地面へと落下する。
私は近付いて彼女の生死を確認した。
「……うっ…………」
既に意識が朦朧としているようだが、まだ生きている。下半身を失っても傷口がすぐに凍ったことで血を失わなかったからだろう。
「一応、聞いておくわ。ハルカちゃんや攫った人間たちはどこにいるの?」
「…………わ、私が……それを言うと……思う……か?」
「いいえ、聞いてみただけよ」




