三章 黒の竜王 十話
日が傾き、空の色が変わり始めた頃。連合軍が進軍を開始した。
連合軍の少し後ろには二台の馬車が見える。それを引いているのはエンデ少尉とマヌエラ少尉だ。馬車の上には魔鳥のジェラードとアルラウネのアザミのコンビが乗っている。おそらく、アザミの魔力感知で強い敵の位置を探っているのだろう。
「軍服のアキトちゃんを見るのは久しぶりね」
オリヴィアが俺の軍服姿を見て少し懐かしそうに言う。この服を着るのものこれが最後にしたいものだ。
「オリヴィアの特注軍服も久しぶりだな」
現在、俺とその契約者たちは全員アルドミラ軍の軍服を見にまとっている。
俺とレフィーナは一般的な軍服だが、ミドリと白露は尻尾用の穴が開いているタイプで、ロゼは袖なし軍服とショートパンツを履いている。そしてオリヴィアは人間の足と蛇の下半身を状況によって使い分けるのでスカートを履いているのだ。
アルドミラ軍の軍服は基本的に人間用しかないので、俺とレフィーナのもの以外は彼女たちの身体に合わせて急遽作ってもらったものである。さすがに俺の契約者たちの分しか間に合わなかったのか、ここの防衛を任せているグレンやヘルガたちハチ人の分は支給されなかった。
グレンに関しては尻尾を消せるはずなので人間用を着られると思うのだが、そうしない所を見ると、あくまでも特別にこの場を守っているだけというスタンスなのだと思う。コートだけはちゃっかり着ているので、わざわざ軍服を着る必要性を感じていないのかもしれない。まあ、グレンを敵と間違えて攻撃する馬鹿はいないと思うので服装を揃える必要がそこまでないのは事実だ。
「……アキト、始まったぞ」
上空から最前線を見ていたロゼが舞い降りて報告する。
「そうか。四天王はいたか?」
「いや、魔力圧縮をしていたなら分からないが、おそらくはいないだろう。その代わり、結婚後のハーピーと互角程度の魔力を持った種族が確認できた。あれは強いぞ」
ハーピーは上級種族だが、魔力量は最上級並みだ。ということは契約者を得た竜人などがいるに違いない。いくら時間稼ぎに徹するとは言っても、人間や契約者のいない獣人が持ちこたえられるような相手ではない。トウマたちが上手くやってくれることを祈るしかないのが歯がゆいところだ。
「アキト様、そろそろ動きましょう」
「分かった。レフィーナ、目隠しを頼む」
「うん。任せて」
レフィーナが身体から大量の植物を出すと、周囲の目からミドリを隠すように取り囲んだ。植物の裏でミドリが服を脱ぐ音が聞こえたかと思うと、巨大な龍が上空へと飛び立った。
その神々しい姿を見てアルベールが数歩後ろへと下がる。
「こ、これがエメラルドさんの本当の姿……」
「ああ、そうだ。俺も久しぶりに見たが、随分イメチェンしたな」
「ふっ……ロゼとオリヴィアの祝福が私の身体に変化を及ぼした結果です」
昔見たドラゴン姿とは全く違う。今のミドリは、ドラゴンというよりは龍と呼んだ方がしっくりくる見た目をしていた。
周囲にいたアルドミラの軍人たちが息を呑む。
緑色の鱗は変わらないが、身体がとても長く蛇の様な形をしており、羽毛の生えた四枚の巨大な翼がとても美しい。
「ははっ……ケツァルコアトルって名前はピッタリだったな。本当に羽毛ある蛇だ」
「う~ん。お姉さんは前に見せてもらった事があったけど、やっぱりお姉さんと似ているわね」
俺の契約紋が変化した際に契約者みんなの姿が変わってしまったが、ミドリはオリヴィアの影響をとても強く受けているな。ドラゴンと言えばドラゴンだが、蛇とも言える中間的な見た目だ。
「……早く乗ってください。これ以上ここに長居すると目立ちます」
ミドリが空中を上手く移動して国境壁横に身体を横付けしてくれたので、俺たちは一斉に彼女の身体に飛び乗った。
そういえば、昔のドラゴン姿の時は一度も俺を乗せてくれなかったな。
「みんな、ぼくに掴まって」
レフィーナが蔓を伸ばしてミドリの大きな身体に巻き付くと、別の蔓を俺たちに向かって伸ばして来た。
俺、オリヴィア、白露、ロゼ、アルベールの五人はミドリの身体の上に座った状態でレフィーナの蔓を掴む。ロゼは祝福で人間の手を出して蔓を掴んでいる。食事の時以外では見せてくれないので、何かに掴まっている姿は少し新鮮だ。
「では行きますよ」
ミドリが遥か上空へと飛翔すると、北へと進路を取る。
「『疾風魔法・風纏い』!」
ミドリの身体の周りに風の魔力が層を作ると、一気に加速した。するとオリヴィアが首を傾げる。
「あら? この速度で飛んでいるのに風が無いのね?」
「ん? そっか、オリヴィアは風纏いで飛んだことがないもんな」
「どういうことかしら?」
「風纏いで身体の周りに空気の層が出来ているから、風の抵抗とかは受けないんだよ」
「ああ、なるほど。水纏いと同じなのね」
オリヴィアは泳ぐ時に流線形の水の膜を身体に纏って抵抗を無くしているので、俺の説明ですぐに風纏いの特性を理解したようだ。
俺たちはミドリの身体の上から地上を眺めつつ北へと向かう。遥か上空を飛んでいるということもあるが、地上の戦場から攻撃が飛んでくるという事もなく最前線を通過した。
「ふむ。気付いた者もいたようじゃが、この位置を高速で移動しておる我らに攻撃するまでは出来なかったようじゃな」
「みたいだな。けど、もし攻撃魔法が飛んできても意味ないだろ」
「そうじゃな。まず当てることが難しいし、今のミドリに生半可な魔法が効くとも思えぬ」
極級種族へと進化したミドリの鱗はグレンと同じ硬度だ。最上位魔法でさえ防げるだろう。
「よし。ミドリ、このまま魔王城まで頼むぞ」
「…………」
「ミドリ?」
「えっ? な、何ですか? アキト様」
どうしたんだ?
地獄耳のミドリが俺の言葉を聞き返すなんてことは今までなかった。もしかして決戦前で緊張しているのだろうか?
「大丈夫か?」
「はい……すみません。地上の様子が気になって話を聞いていませんでした」
「地上?」
ミドリに言われて、俺たちはギドメリアの大地を確認する。
主戦場となっていた平原を抜けてからは、切り立った山岳地帯となっており、山の上の方は雪が積もっている。気候の関係もあるのだろうが、山の麓にもほとんど木々が無く不気味な印象を受ける。風纏いの中なので気温は分からないが、かなり寒いのではないだろうか。
「なんていうか……住み辛そうなところだな」
「私は王都からほとんど出たことはありませんでしたが、ギドメリアの大地がこれほど荒れていると思いませんでした」
「雪が解けて暖かくなったら、また違うだろ?」
俺の言葉にレフィーナが首を振った。
「アキトくん、これはそういうのとは違うと思う。大地から魔力が感じられないもん」
「は? なんだよ、それ?」
「ここはまだましな方かも。北に行けば行くほど魔力が減っている。ミドリお姉ちゃん、魔王城はこの先なんだよね?」
「はい。もう少しかかりますが、王都はこの先にあるはずです」
どういうことだ?
魔王城へ向かえば向かうほど大地の魔力が枯れているということか?
「ふむ。これは思っていた以上にまずい状況のようじゃな。地脈の流れがここまで見えるのは大ごとじゃぞ」
「地脈?」
「魔力が水のように大地を流れる道の事じゃ。我の目を使って大地を見てみるがよい」
白露に言われて魔眼を使って見ると、大地にある微かな魔力が北へと流れているのが見えた。こんなものは今まで魔眼を使った時に見えたことがない。明らかに異常だ。ついには草木一本見当たらなくなってしまった。雪もなく、大地はひび割れて水分が感じられない。
「これって何かが魔力を吸い上げているのか?」
「うむ。このような環境でギドメリアの者たちはどうやって暮らしておるのじゃ?」
「さ、さあ……ていうか、さっきまではちらほら町や村があったけど、この辺りは何もないな」
「生物が生きていける環境とは思えぬからな。おそらくほとんどの国民は国の端にしか住んでおらぬのじゃろう」
「どういうことだよ?」
「分からぬのか? この大地を流れる魔力が集まる先にギドメリアの王都、魔王城があるのじゃ。さぞかし邪悪で豊かな地なのじゃろう」
俺たちを包んでいたミドリの魔力が揺らぐ。
「ミドリよ、怒りを制御せよ。頭は冷静に保ち、怒りを心に溜めておくがよい」
「……分かっています。この怒りの力は戦いで使います」
つまり、魔王は何らかの方法で大地の魔力を自分の住んでいる魔王城周辺へと集中させているということだ。
その結果、周囲の大地は荒廃して草木一本生えなくなった。国民たちは中央から離れた国の外側へと移り住み、結果として隣国であるアルドミラやハウランゲルを侵略しようという意思を固めているのではないだろうか?
「酷いわね。ギドメリアの人たちは事の真相を理解しているのかしら?」
「上層部の者は知って良そうなものじゃが、一般の国民は自然災害程度に考えている可能性はあるな。そして豊かな大地である南の国々を侵略する口実にしている可能性が高そうじゃ」
「お姉さんがギドメリアを訪れた50年前はこんなところではなかったわ。ここまで乾燥した大地ではなかったし、夏場だったから植物も多かった。王都には入れてもらえなかったけど、アルドミラやハウランゲルと同じように各地に大きな町があったわ」
50年前か。きっとミドリの父親よりも前の王の時代だろう。アルドミラとは戦争していたようだが、こんな荒廃した地では決してなかったはずだ。
「見えて来ましたよ」
ミドリの言葉を聞いて全員が一斉に前方を確認する。
そこにはこれまでの枯れた大地が幻だったかのように緑あふれる大地があった。アルドミラやハウランゲルと同様に巨大な外壁がぐるりと町を囲んでおり、その中に巨大な城が見える。俺たちの国と違うところは、外壁の外にも家などが立ち並んでいることだ。
「なるほど、そういうことですか」
ミドリが冷ややかな声で呟く。その声には怒りの感情が籠っていた。
「王都はドラゴンと竜人しか住むことを許されていません。ですからそれ以外の種族の国民は王都の外に村を作っているのでしょう。この周辺にはそこ以外に住むところがありませんから」
「……なんだよそれ。土地をこんなにしているのはどう考えても魔王だろ? なのに必死に生きている人たちを町の中にすら入れてやらないのかよ?」
「魔王の肩を持つつもりはありませんが、おそらくそれを実行しているのは魔王ではないと思います。他種族を四天王として重用する魔王が拒むとは思えません」
「じゃあ、他のドラゴンが?」
「はい。あそこで暮らしているドラゴンは全員王族であり、ドラゴンと竜人以外を下等な種族と見下しています。それ故に昔から他種族は立ち入り禁止なのです」
人種差別の塊じゃないか。あんな壁、俺が必ずぶっ壊してやる。
「お喋りはそこまでにせよ。向こうはこちらに気付いたようじゃぞ」
王都の門が開き、そこから竜人たちが飛び出してくる。その中には一人だけ見覚えのある獣人の男の姿があった。
「ふむ、奴か。主殿、あれの相手は我に任せて皆は空から侵入するがよい」
「えっ? お、おい、白露!」
俺が声をかけた時には、白露はミドリの身体から飛び降りていた。
「アキトさん、誰か一緒に降りた方がいいんじゃないですか?」
アルベールが心配そうに提案するが、俺は首を振る。
「いや、白露に任せよう」
「けど、あの数ですよ? 四天王もいるようですし」
「四天王は後三人いる可能性がある。これ以上戦力を裂くと魔王の相手をしたり、ハルカを捜索したりする人数が足らなくなる」
あれだけ大地が荒廃していたということは、囚われた人間たちやハルカはここにいる可能性がとても高い。ここは白露の強さを信じるしかないのだ。
「アキトくん、外壁の中に一人と、東の空から突っ込んでくるのが一人いるよ。どっちも多分四天王!」
「くそっ! 大歓迎じゃねえか! 魔王城はどうだ!?」
「たくさんの強い魔力があるけど、中でも二人飛び抜けてる」
「魔王と四天王の一人、それと城で暮らすドラゴンたちでしょう。私はこのまま城に突っ込みますよ!」
ミドリは速度を緩めることなく上空から王都へと侵入すると、魔王城へと一直線に突っ込んでいく。彼女は真っ先に魔王を目指すつもりのようだ。
「アキト、私は空の敵をやる」
「なら、ぼくは下のでっかいのをやるよ」
魔王城に突撃する前に、ロゼとレフィーナが飛び降りる。レフィーナはそのまま王都内へと落下し、ロゼは東の空へと飛び立って行った。
「アキト様、オリヴィア、アルベールさん、衝撃に備えてください!」
俺たちはミドリにしがみ付くと、魔王城の壁を破壊して内部へと侵入した。




