序章 相棒はドラゴンメイド 二話
「起きてください」
「……ん、あと5分」
透き通るような女性の声が眠っていた俺の意識を覚醒させていく。
しかし、まだ眠い。確か今日は日曜日だったはずだ。もう少し惰眠を貪らせてほしい。
「ダメです。起きてください」
激しく揺すられ、寝るに寝られない状況に追い込まれてしまった。仕方なく、目を開けて起き上がる。
するとそこには、夢のような現実があった。
「おはようございます」
俺を揺すり起こしたのは、竜人の女の子だったのだ。
「……うっ……うぅ……」
「なっ、何も泣くことはないでしょう!? そんなに眠かったのですか?」
「い、いや、そうじゃなくて」
竜人の女の子に起こして貰うとか、夢にまで見たシチュエーション過ぎて涙が止まらない。アキトの奴、毎日こんな最高な思いをしていやがったのか?
「ん? そうだ、アキトだ」
俺は周りを確認する。
どこか見覚えのある部屋だが、間違いなく俺の部屋ではない。本棚や勉強机などもなく、なんとも殺風景だ。
「これが、アキトの部屋か」
「そうです。そしてこれからはあなたの部屋です」
竜人の女の子は朝食が出来ていると言って部屋を出ていった。
俺はタンスから適当に服を選んで着替えると、彼女の後を追って部屋を出た。
洗面所で顔を洗ってから、パンとベーコンエッグ、サラダを食べながら、俺は竜人の女の子に質問する。
「なあ。なんか俺、ここで暮らしていた記憶があるんだけど」
「……どういうことですか?」
向かいの席で朝食を取っていた竜人の女の子は首を傾げる。
「いや、俺がどういうことなのか聞いているんだけど。さっき着替えた時に、どんな服があるのかとか全部知っていたし、家の間取りも当然のように知っていた。それと、一度も聞いたことがないはずの、君の名前も」
「私の名前ですか? そういえば、まだ名乗っていなかったですね」
「エメラルド――だろ? アキトの奴はミドリってあだ名で呼んでいたみたいだな」
俺に名前を言い当てられて、竜人の女の子――ミドリは目を見開く。
「驚きました。正解です」
「これって……どういうことなんだ?」
ミドリは少しの間考えるように俯いた後、一つの仮説を立てた。
「私は魔法であなたとアキト様の精神を入れ替えました。つまり、今のあなたはアキト様の身体に乗り移ったような状態ということになります。もちろん記憶なども一緒に持って来ているはずですが、脳自体はアキト様のものです。なので、あなたが思い出そうとすればアキト様の記憶を呼び起こせるのではないでしょうか」
「ふむ……」
なるほど、なるほど。
俺とアキトは記憶を入れ替えたというよりは、自分の記憶を相手の脳の空いている部分にコピペしたような状態ということか。
「待てよ、ということはアキトも俺の記憶を?」
「そうですね。貴方と同じ状態になっている可能性は高そうです」
「はは……アキトの努力は何だったんだ?」
こんなに簡単に人の記憶を思い出せるなら、わざわざ教え込まなくてもあいつは俺の世界で問題なく生きて行けたわけだ。
アキトも今頃、俺と同じようにショックを受けているに違いない。
「確かにアキト様の努力が無駄になって残念ではありますが、私は教える手間が省けて助かりました」
「教えるって、何を?」
「お忘れですか? あなたは直ぐに旅立つつもりだそうですが、この村の外は危険ですから魔法や祝福に関しては知っておいてもらわなければなりませんでした」
「ああ、そういやそうだったな」
魔法などに関しては実際に体験して練習しないと意味がないので、俺は入れ替わってからミドリに教わる手はずになっていたのだ。
しかし、今はアキトの記憶を探れるので、簡単に習得することが可能だ。
俺はこの世界や魔法に関しての記憶を呼び起こす。
まず、俺たちがいるのはオルドレーズ大陸という場所らしい。
ここはミルド村といって大陸の南に位置し、アルドミラという国の領地にある。ちょうど王都のすぐ南にある農村だ。
何だか覚えづらい外国風の名前だが、アキトがしっかりと記憶してくれているので、俺は覚えなくてもいいのが救いだ。
もう少しアキトの記憶を探ると、他種族に関する知識も少し思い出せた。
アルドミラには人間以外の種族が全体の2割ほど暮らしているらしいのだが、アキトはミドリ以外の他種族にほとんど出会った経験がない。彼の行動範囲がこの村と北にある王都くらいしかないからだ。しかも王都にすら数年に一度行くか行かないかくらいで、これまでの一生のほとんどをこの村で暮らしているようだ。
唯一分かったのは、人間は基本的に全ての能力で他の種族に劣っている種族ということだ。
まあ、そりゃそうだよな。
前の世界でも人間が他の動物に勝っているのは頭脳と手先の器用さくらいのものだったが、ミドリは人間の俺と普通に話をしているし、少なくとも頭脳に関しては人間と大差がなさそうだ。両腕に見えている竜の鱗は頑丈そうだし、爪は鋭い。尻尾は細めだが、先端に行けば行くほど鋭い鱗に覆われている。下手したら刺さりそうだ。
明らかに竜人は人間よりも優れた種族だろう。決定的なのは、人間以外の種族はみんな魔法を使うことができると言うことだ。この差はこの世界に来たばかりの俺でも想像できるほどに大きい。
しかし、このアルドミラという国は人間の王様が治めており、発言力も人間の方が高い。数が多いと言うのももちろんあるのだが、人間には他の種族にはない特殊な力があるというのも要因の一つだと思われる。
それは契約紋と呼ばれている勾玉のような形をした紋様が産まれた時に身体のどこかに現れるというものだ。
アキトの場合は左胸の上、ちょうど鎖骨の下辺りにある。
この契約紋は心を通わせた魔獣や他種族と契約を結ぶ力を持っていて、人間はそれによって祝福と呼ばれる恩恵を得ることが出来るようになっている。
祝福の内容は契約した相手によって変わってくるが、魔法を使えるようになったり、相手の身体的な特徴が自分の身体にも発現したりするらしい。
また、契約した相手も祝福を得ることが出来るらしく、アキトの友人が契約した狼の魔獣が人間並みの知能を得たという記憶がある。
人間の生物的な特徴と言えば、頭がいいとか喋るとかくらいだしな。
とにかく、この祝福のおかげで人間は他の種族と同様に魔法を使うことが出来るのだ。
俺は目の前にいるミドリを見つめて、彼女とアキトの関係を思い出す。
「何ですか?」
「いや、アキトと君の関係を思い出したんだけど、やっぱりアキトの契約者だったんだね」
契約した魔獣を契約獣と呼ぶが、それが言葉を喋る人型の種族だった場合は契約者と呼ぶようだ。獣呼ばわりは失礼だからな。
「はい。私も初めてアキト様と出会った時は驚きました。まさか私と契約出来るほどの契約紋を持っている人間がいるとは思いませんでしたから」
契約紋は勾玉の大きさで契約できる生物が変わってくる。人によって勾玉の大きさや数はまちまちだが、ミドリのような力の強い種族と契約できるほどの契約紋を持っている人間はそれほどはいないのだ。
知能の低い魔獣が下級、知能がそこそこ高い魔獣が中級。人間と同等の知能がある種族が上級、その中でも特別に力や魔力が強い種族が最上級だ。そしてその上には特級と呼ばれる全種族の中でもトップに位置する種族がいるらしい。
「えっとミドリの種族は……」
「竜人は最上級種ですが、私は更に上の特級に位置します」
俺がアキトの記憶を探るよりも前にミドリが教えてくれる。
「特級? そんなにすごい種族だったのか?」
「はい。ですが私はここの村人たちに最上級の女性竜人である、ドラゴンメイドだと認知されているのでお気をつけください」
「どうして嘘を?」
「面倒ごとに巻き噛まれたくなかったので。アキト様の記憶を探れるのなら、アキト様がアルドミラ軍に勧誘された時の事を思い出してみてください」
「軍隊に勧誘?」
俺は言われるままにアキトの記憶を探ってみる。
「うわ……」
「分かりましたか?」
「ああ、これは面倒そうだ」
アキトは4年ほど前からアルドミラ軍に入隊しないかという勧誘を受けている。
そもそも人間が上級種族と契約することすら珍しいというのに、最上級種族のドラゴンメイドともなれば、アルドミラ軍としては是非とも入隊して欲しい即戦力なのだそうだ。
戦いを嫌うアキトはキッパリと断ったようだが、記憶の通りだと軍人たちはかなりしつこそうだ。俺もその気はないので早々にこの村を旅立って雲隠れした方がよさそうだな。いつまた勧誘されるか分かったものではない。
「アキト様と違い、あなたなら軍人になるのも良いと思いますけどね。戦争を終わらせて平和な世の中にしておいた方が、恋人探しもしやすいのでは?」
「こ、恋人探しって……」
「違うのですか?」
「いや、違わないけど。でも、軍人になるのはパスだ。確かにミドリは強いのかも知れないが、戦争は強い奴が一人いるから勝てるって話じゃないんだよ。一対一なら勝てても何人も相手に出来る訳じゃないだろ?」
「そうですね。私もせいぜい最上級種族4人分くらいの強さです」
「だろ――って……4人?」
ちょっと待って。ミドリってそんなに強いのか?
強くても2対1で引き分けるくらいかと思っていた。だって竜人とはいえ見た目は普通に可愛い十代の女の子だぞ?
魔法が存在するおかげで、筋力や体力が強さに直結していないということだろうか?
「驚くことですか? 上級種族なら16人相手に出来ますよ?」
「レイドボスかなんかですか?」
「何ですかそれ……」
いかん、このままではパワーバランスが崩壊してしまう。
昔のゲームで例えると、まだディスク1なのにディスク4で出てくるボスを倒せてしまえそうな強さだ。
通常プレイでは気付けないようなフラグで仲間になる隠しキャラとか、そもそも二周目限定とかそういった類の奴だろう、こいつ。
「ともかく、軍人になるつもりはないのですね?」
「あ、ああ。この世界の事はこの世界の人たちに任せるよ。部外者の俺は可愛い奥さんや子供たちと一緒に静かに暮らすのが一番だ」
「そうですか……では、旅をして気に入った種族の住む移住先を探しつつ、魔王軍を倒して周る方針で行きましょう」
「はい?」
聞き間違いか?
今、サラッと恐ろしいことを言い出した気がしたが……。
「ですから、好みの種族が暮らす村を探しながら、魔王軍を見かけたら倒しましょうと言っているのです」
この子は俺の話を聞いていたのだろうか?
「いや、いやいやいやいや! 戦わないから! 大体、何ですか魔王軍って? 名前からしてヤバいわ!」
あっ、何だろうと考えたら、アキトの記憶が思い出されてしまった。
魔王軍というのはこの大陸の北にあるギドメリアって国の軍隊のことみたいだな。ギドメリアは魔族――つまり人間以外の種族だけが暮らす国で、アルドミラが戦争をしている相手のようだ。
この魔族という呼び方、差別用語みたいだな。アルドミラでは人間以外の種族を差別するために陰ながら使用されている。公的にはギドメリア国籍の人に対してしか用いられないようだ。
昔は魔力の多い種族に対する呼び方だったみたいだけれど、今では人間以外なら魔力量に関わらず悪口として使われている。
俺は絶対に使わないようにしよう。
「この国が敵対しているギドメリアの軍隊の事です。あの国は人間を迫害する者の集まりなので、アキト様も立ち向かうべきです」
「そんなこと言われてもなぁ」
平和な日本で産まれた俺に、戦いなど出来るわけがない。
ミドリは魔王軍と戦うのは当然といった態度を崩さないので、それがこの国での常識なのだろう。しかし俺はこいつらの常識に合わせてやる気はないのだ。席を立つと玄関へと向かう。
「どちらへ行かれるのですか?」
「聞き込み。村の人たちに他の種族の事を知っている人がいるかもしれないだろう?」
アキトの記憶の中にも他の種族の村や町に関する知識はなかったので、このままでは旅の途中で野垂れ死ぬ可能性もある。
せめて方角や距離くらいは分からないと危険だ。
「私も同行します」
「……好きにしてくれ」
竜人は好きなのだがミドリは少し怖いと思いながら、俺は彼女を連れて外へと出かけるのだった。
アキトの住んでいるアルドミラという国は戦争中なので、娯楽が少ないです。
ゲーム機なども存在しないのでレイドボスなどのゲーム用語はミドリには通じません。