一章 妖孤の魔眼 十一話
俺たちがレフィーナの元へと降り立つと、もう一人のアルラウネがレフィーナの後ろへ隠れた。俺たちを警戒しているようだ。
「えっと、レフィーナちゃん、その子は?」
「ぼくの子供のパトリシアだよ」
そうだろうと思ったよ。レフィーナにそっくりだ。
パトリシアはレフィーナの後ろから顔を覗かせると、小さな声で挨拶した。
「……よろしく」
どうやら彼女はスージー以上の引っ込み思案なようだ。
「レフィーナよ、その子供、普通の子供ではなかろう。人間と契約をせずに外を出歩けるアルラウネなどおらぬはずじゃ」
白露の言葉を聞いて、俺は魔眼でパトリシアを確認する。魔力の糸はない。しかし、それだと彼女の魔力量は多すぎる。
「ぼくも驚いたよ。エルシリアとの子供がこんなに強く育つなんてさすがに予想外でさ」
「エルシリアとの子供? 待て、レフィーナ。どういうことだ?」
「えっと…………パトリシア、ちょっとここで待っていて」
「ん」
レフィーナはパトリシアをその場に置いて少し離れると、俺たちにだけ聞こえるように小声で喋る。
「…………ぼくの花粉でエルシリアの花を受粉させたってこと」
「ああ、なるほど。そういう子供の作り方も出来るのか。考えてみれば、レフィーナの花にも花粉はあるもんな」
俺が納得しながらレフィーナの頭の上にある青紫の花のおしべをつつく。指先に少し花粉が付いた。
「ひゃっ……ア、アキトくん、子供の前で止めてよ!」
突然、レフィーナが恥ずかしそうに自分の花を手で押さえると、黄緑色の肌を少しばかり赤く染めた。そして足で俺のすねを軽く蹴ると、子供の傍へと戻っていく。
えっ、何だよ、その反応。めちゃくちゃ可愛いんだけど。
「主殿、たぶん今のはアウトじゃ」
「そうね。帰ったらロゼちゃんに報告するわ」
俺とレフィーナのやり取りを見ていた白露とオリヴィアが白い目で俺を見る。
「ま、待て、報告って何をどう報告するつもりだよ?」
「我も知らなかったが、植物族の花の中を勝手に触るのは、女性の服の中に手を入れるようなものなのではないか?」
「お姉さんも同意見ね。というか、花粉って私たちで言うところのアレだし、アキトちゃんのやったことって人間に置き換えたら犯罪よね」
「確かにそうじゃな。主殿、謝罪した方が良いぞ」
オリヴィアの言う通り、人間に置き換えると犯罪に近いことをした気がする。俺はすぐにレフィーナに近付いて頭を下げる。
「ごめん、俺が考え無しだった」
「……よく考えたら、ぼくもアキトくんに花の中は触らないでなんて言ったことなかったし、アルラウネ以外の種族には、アルラウネの常識なんて分からないもんね。じゃあ、今回は許してあげる。次からは……二人きりの時に触りたいって事前に聞いてね?」
「あ、ああ。これからは気を付けるよ」
「いや、「気を付けるよ」じゃなかろう、うつけ者が!」
白露が俺の頭をはたく。
「いって!」
「主殿、アルドミラでは側室は認められておらんのじゃぞ? それに、主殿の妻はハーピーじゃろうが、浮気なぞしたら自殺されてもおかしくないぞ!」
「ま、待て待て待て待て! 俺はそういうつもりで言ったわけじゃない! もちろん今後触るつもりはない! そんなことわざわざ言わなくても分かるだろ?」
当たり前だが、俺は二人きりの時でもレフィーナの花の中を触るつもりはない。さっきの反応を見るに、花の中を触るのは本気でまずいと思うからだ。
「……本当じゃろうな?」
「本当だ!」
白露とオリヴィアは顔を見合わせると小さくため息を吐いた。
「監視付きで釈放じゃ」
「もしも次に同じことをしたら、お姉さんはアキトちゃんを許さないからね」
「わ、分かってるよ」
ちょっと厳しい言い方をされたが、俺が誘惑に弱いことは俺自身が一番よく分かっている。ロゼを悲しませないためにも、二人には監視役になってもらおう。
「話を戻すけど、その子はエルシリアとの子供なんだよな?」
「うん。多分だけど、パトリシアはエンプレスアルラウネだと思う。魔力量が桁違いだもん。もしも人間と契約したらぼくと同じくらい強いんじゃないかな」
「そんなに……」
クイーンアルラウネ二人の子供だからな。突然変異を起こしたのだろう。
本来はクイーンアルラウネと普通の植物とで子供を作る。そこに膨大な魔力を与えて普通のアルラウネやプリンセスアルラウネが産まれるわけだが、そこをクイーンアルラウネ同士で行ったせいで、より強い種族となって産まれてきたということか。
「人間と契約していないのに森の外を歩ける辺りは、レフィーナからの遺伝が強そうだな」
「まあ、ぼくとエルシリアだとどうしても魔力量に差があったからね。でもこの子、エルシリアにも似ているよ?」
そうか?
俺の目にはレフィーナそっくりに見える。エルシリア要素といえば、つり目な事くらいか。
「それで、パトリシアはどうしてここでハウランゲル軍と一緒に戦っていたんだ?」
俺が話しかけると、パトリシアは控えめな声で説明し始めた。
「……里の軍人にギドメリア軍が壁を破って王都に向かっているって聞いて、王都へ向かう軍用車に一緒に乗せてもらった」
「里って、リネルの里か? でも、アルラウネのパトリシアがどうして加勢してくれたんだ?」
「……里のみんなが好き。戦いで死んで欲しくなかった」
シンプルで分かりやすい答えだ。
どうやら森から自由に出ることが可能なパトリシアは、リネルの里の人々ととても友好的な関係を築いているようだ。
「……でも、ギドメリア軍は予想以上に強かった。みんなが四天王だって呼んでいた獣人を止められなかったし、ママが来てくれなかったらみんなを守り切れなかった」
ママって、レフィーナの事か。
「パトリシアは十分みんなを守れていたと思うぞ。はたから見て、お前がいなかったらもっと早くに全滅していたと思うし、そうしたら俺たちも間に合わなかった」
「……うん。ありがとう、パパ」
「パッ!? いや、パパじゃねえから」
「……でも、ママと良い雰囲気だった」
「そりゃ誤解だ。俺は既婚者だぞ。アキトって呼んでくれ」
「……そう。残念」
パトリシアは少し寂しそうに俯く。可哀そうではあるけれど、ここで話を合わせてやるわけにもいかない。そしてオリヴィアと白露からの視線が痛い。今のやり取りは俺のせいじゃないのに睨むなよ。
「……アキト。わたし、四天王が逃げて行ったのが見えた。わたしの足じゃ追い付けないけど、アキトは飛べるよね? 追いかけなくて大丈夫?」
「それは……」
大丈夫ではない気がする。
今から追いかけて行って、ギドメリア軍が国外へ逃げかえるのを確認してからアルドミラに戻った方が良いだろうか?
「みんなはどう思う?」
俺が契約者の三人を見ると、真っ先に白露が答えた。
「いくらヴァルターの回復力が飛び抜けていても、契約が切れたことだけはどうしようもないからのう。あやつは恐らく一度自分の国に戻って別の人間と契約し直すじゃろう。攻めてくるとしたら、その後じゃな」
ギドメリアには攫われた人が何百、何千人といるはずだ。そんな状況なら、ヴァルターの契約者候補など他にもいそうなものだ。一度帰ったと考えても良いかもしれない。
「アキトちゃん、お姉さんは四天王を追いかけるよりも、急いでアルドミラへ戻った方が良いと思うわ。きっとあっちにも四天王が行っているはずだもの」
「そうだな。でも、あっちにはミドリとロゼが行っているんだぞ? ハルカたちもいるし、俺みたいに捕らえようとしていない限りは返り討ちに出来るだろ。今から向かっても間に合わないかもしれないぞ」
「主殿、少々気が強くなりすぎじゃな。もっと最悪の事態を想定して動いた方が良い」
「なんだよ、白露。二人が四天王なんかに負けるって言うのか?」
白露がヴァルターと互角以上に戦えた事を考えると、あの二人なら相性次第で瞬殺していてもおかしくない。少なくとも、負けることは有り得ないだろう。
「一対一、もしくは二対二までなら大丈夫じゃろう。だが考えてもみよ、こちらへ攻めて来たのは四天王の内の一人だけ。であれば、残りの三人はアルドミラを攻めているとも考えられんか?」
「えっ? でも、それはバランスが悪いだろ。四天王を全員投入するなら、アルドミラとハウランゲルで二人ずつにするはずだ」
「そうかのう? 我がギドメリアの王ならばハウランゲルへ一人、アルドミラへ三人送るぞ?」
「なんでだよ?」
「どう考えても戦力が違い過ぎるからのう。元々の軍隊の強さなら若干じゃがハウランゲル軍の質が上じゃろう。じゃが、アルドミラには四人の契約者を持つ勇者ハルカがおる。そして、もう一人の勇者と呼ばれ始めた主殿もアルドミラに住んでいる。であれば、四天王の配分は、アルドミラ軍とギドメリア軍に一人ずつ。勇者ハルカと主殿に一人ずつにするじゃろう」
俺は白露の話を聞いて血の気が引いた。
彼女の言う通りだ。敵は俺が自分の故郷よりもハウランゲルを優先するなんて予想していなかったはずだ。更に言えば、相手側の持っている情報では俺の契約者で脅威になるのはミドリだけという計算だろう。
そう考えると、ハウランゲルに一人、アルドミラに三人でバランスとしてはちょうどいい。
「…………アルドミラに戻ろう」
俺がそう決断すると、白露とオリヴィアが力強く頷いた。
「レフィーナはどうする? しばらくハウランゲルに残っても良いぞ?」
パトリシアの事も心配だろうし、ハウランゲルの守りも重要だ。
レフィーナはちらりとパトリシアを見た後で、逡巡するように視線を彷徨わせた。
最後はパトリシアに向き合って、少し屈むことで目線を合わせる。
「パトリシア、ぼくはアルドミラに戻らないといけない。その間、ここの守りはパトリシアに任せたいんだけど、自信ある?」
「……うん。ママが教えてくれた根を張る戦い方なら、次は四天王を止められると思う。一人でも頑張る」
「頼んだよ。それと、一人じゃないでしょ?」
レフィーナがパトリシアに周りを見るように視線で誘導する。
俺たちの周りには大勢のハウランゲル軍人が集まっていた。いつの間にか話を聞かれていたようだ。ボニファーツ中尉たちの姿もある。
「アキト殿、途中からですが話を聞かせてもらいました。アルドミラへ戻られるのですね」
「はい。あっちに四天王が三人いるのなら、状況によってはハルカや俺の契約者だけでは押さえきれないかもしれない。中尉達には悪いけど、俺は帰ります」
「ここの守りなら気にしないでください。もともとここまで敵に押し込まれたのは壁を破壊された事と、総戦力が北東に集結してしまっていたことが原因です。アキト殿が稼いでくれた時間で十分に体制は立て直せます。最少の人数で申し訳ないですが、ジュスタン少尉の分隊を付けますので、アルドミラまでの道のりは休息を取って戦いに備えてください」
ボニファーツ中尉が喋り終わると、俺たちの目の前に一台の馬車が現れる。
それはエンデ少尉が引いている馬車であり、中には既にジュスタン少尉とクレスの姿があった。
「帰り道も、わたくしがしっかりと送り届けて見せますわ」
「あ、ありがとうございます」
「礼には及びませんわ。皆さんはわたくしたちの王都を救ってくださったのですもの、このような少人数で送る事になってしまって申し訳ないくらいです」
「それじゃあ……お世話になります」
俺たちは再びエンデ少尉の馬車に乗り込むと、夕日に染まった王都の町を後にする。
エンデ少尉の速度と休息のタイミングを考えると、到着は明日の昼過ぎくらいだろうか。
俺は白露に言われたように最悪の事態を想定しながらも、そうならないで欲しいと願いながら身体を休めるのだった。




