一章 妖孤の魔眼 十話
王都から離れていくギドメリア軍。
ハウランゲル軍の中にはギドメリア軍を追いかける部隊もいた。まあ、逃げたと言ってもいまだ国内なので追いかけるのは当然か。
追撃というよりは、監視の意味が強いだろう。
「アキト君、降りて来て話をしてもらえないか?」
声をかけられて振り返ると、王宮のバルコニーに国王の姿があった。
「……はい」
俺がゆっくりと国王のいるバルコニーへと着地すると、肩に乗っていた白露が獣人姿へと戻る。
国王や護衛の軍人たちが一瞬表情を強張らせたのを見るに、得体の知れない白露を多少警戒しているのだろう。
「まずは感謝を伝えたい。君たちが来てくれなかったら私は殺されていただろう。いや、私だけではない。このボルテルム内にいる全ての人々が殺戮されたとしてもおかしくない状況だった。本当にありがとう」
「いえ、最後は取り逃してしまいましたし……」
「私も見ていたが、あの状況では仕方が無いだろう。最後の最後で相手の方が一枚上手だった。それだけだよ」
国王なりに俺を慰めようとしてくれているのだろうか?
その気持ちは嬉しいが、俺自身が俺を許せない。もしも、またギドメリア軍が攻めて来て、ヴァルターが多くの人を殺したなら、俺は死ぬほど後悔するだろう。
そうならないためにも、俺は今後もハウランゲル軍とアルドミラ軍に協力して戦おうと考え始めた。
「それで、お嬢さんはシラツユさんと言ったね。見たところワーフォックスのようだが、あの戦いぶりを見ると、四天王のように突然変異種族なのかな?」
「うむ。我は普通の産まれではない。ヴァルター以上に複雑な存在と言えよう。時に、おぬしは本当にこの国の国王なのか?」
年配の国王に対して、見た目は10代である白露が偉そうな口の利き方をしているので、護衛の軍人たちは複雑な表情をしている。本当は注意したいけれど、助けてもらった手前言い辛いといった感じだろうか。
「いかにも、私がハウランゲルの国王。マインラートだ」
「ふむ。国王がただのワーウルフとは、時代が変わったな」
「おい、白露。いくらなんでもマインラート陛下に対して失礼だろ?」
俺は護衛の軍人たちが声をあげる前に白露を肘で突いて注意する。それによって少しだけ軍人たちから放たれる圧が弱まった気がした。
「ぬ、それもそうか……」
白露は以外にも素直に俺の言葉を受け入れ、姿勢を正してマインラート陛下に一礼する。
「一国の主に対して大変失礼した。若者と見て侮っていた事を謝罪しよう、マインラート陛下」
「若者?」
マインラート陛下や軍人たちがポカンと口を開ける。何を言い出すかと思えば、その見た目の若さで老人ぶるのは誤解しか生まないぞ。
「我は東の海の先にあるヤマシロで生まれ育った孤の大妖怪。年齢など数えてはおらんが、千年近く生きておる化け物じゃ」
「せ、千年……?」
その場にいた白露以外の人々の視線が俺に集まる。
どうして白露は頭が良いのに誤解を生む説明をするんだ。驚かせようと思ってわざとやっているんじゃないだろうな?
「彼女の言っていることは本当です。遥か昔にヤマシロで産まれた極級種族の特殊な力で、永遠の寿命と膨大な魔力を与えられた魔獣が進化した姿が今の白露なんです」
「……彼女の強さや特殊な魔法を見た後だと、そのような突拍子もない話も信じられる」
普通なら嘘をつくなと怒られそうなものだが、白露の異常な強さや現実離れした妖術を経験した陛下と軍人たちは、半信半疑という感じではあるが俺の説明に納得したようだ。
「突拍子もないか、ではこれで嫌でも信じさせてやろうかのう。『炎天魔法・癒しの炎』」
シラツユの魔法が辺りを包み、軍人たちの身体が燃え上がる。
驚いた軍人たちの悲鳴が聞こえたが、すぐに害がない魔法だと分かって身体を燃やしている炎を見つめて口を閉じた。
「シ、シラツユさん、これは?」
「我は最近、子供たちに勉学を教えておるのじゃが、子供と言うのは目を離すと直ぐに怪我をする。じゃから我も傷を癒す魔法が使いたいと思って編み出したのじゃ」
「炎属性の回復魔法など初めて見たよ」
「実はこの魔法、直接傷を治療しているのではないのじゃ」
白露は自分の新しい魔法の性能を自慢できるのが嬉しいのか、満面の笑みで語り出した。軽傷だった軍人は既に全快しており、治った身体を触って確かめながら白露の話を興味深そうに聞いている。
「炎とは破壊の力。出来る事と言えば燃焼や爆発だけだと思われがちじゃ。しかし、実際には他者を欺く揺らぎを生み出したり、その熱量で自身を活性化させたりするような使い方も出来るのじゃ」
この場にいる炎属性を持っているミノタウロスの軍人は特に真剣に話を聞いているな。何だか授業を受けているような気分になって来た。
「ここまでは火炎魔法でも出来ることじゃから、ひとつ手本を見せてやろう」
シラツユは俺たちから一歩離れると、身体の周りに魔力を膜のように集める。
「『火炎魔法・炎纏い』」
「え?」
『炎纏い』だと?
纏い系の魔法は風と水は見たことがあったが、炎も出来たのか?
「これは自らの活力を上昇させ、全身の運動能力と肉体の治癒力を高める効果のある魔法じゃ。もちろん素早さは風纏いほどではないが、下位魔法なので魔力消費も少ない。接近戦が得意な獣族が覚えれば役に立つじゃろう」
「すげえな、白露。どうして今まで使わなかったんだ?」
「必要ないからじゃ。我はもともと治癒力が高いし、身体能力も並み以上じゃからな」
並み以上か。そういえば、ヴァルターに殴られた頬は腫れている様子もないし、既に完治しているように見える。治癒力が高いというのは本当らしい。ともかく、この魔法は今度ボニファーツ中尉に教えてあげよう。かなり有用なはずだ。
俺とマインラート陛下が白露の話を聞いている間に、重症だった軍人たちの怪我もかなりよくなった。みんな奇跡でも起きたかのように自分の負傷個所を確かめているのが面白い。
「そして、我は進化して聖属性を得た。聖属性は浄化や消滅など様々な能力があるが、我はそれを炎と混ぜることにより、破壊された部位のみを燃やし尽くした上で、新しく再生させる魔法を作り出したのじゃ」
「それがこの魔法なのか」
「治すのではなく、壊して作り変えるという考え方じゃな」
魔法の力で傷を治すのではなく、肉体の再生能力を活性化させることで治したということは、水や聖属性の回復魔法というよりは、土属性の回復魔法の概念に近いようだ。
「シラツユさん、助けてもらっておいて更にこんなことを言うのは申し訳ないのだが、この場にいる者以外の手当てもお願いできないだろうか? きっと外では大勢の者たちが傷付いているはずだ」
申し訳なさそうに切り出したマインラート陛下に白露は安心させるように笑顔を向ける。
「案ずる必要はない。今一度その目で外の人々を見てみるがよい」
白露に言われて、マインラート陛下は王宮前の広場を見る。そこには石畳の隙間から元気よく飛び出す植物、そして喜びの声をあげる軍人たちの姿があった。
「なんと! あの植物はいったい?」
「エンプレスアルラウネのレフィーナじゃ。我など足元にも及ばぬほどの回復魔法の使い手であり、主殿の契約者の一人。死んでおらん限りは全員助かったはずじゃ」
「し、信じられない。あの人数を一瞬のうちに治療したというのか?」
今のレフィーナにとってはあの程度の数、朝飯前だろう。よく見ると隣にいるもう一人のアルラウネも手伝ってくれているようだし、白露の出番はないな。
「アキトちゃん!」
俺たちが広場の人々を眺めていると、見知った竜人の女性が空を飛んでこちらへとやって来た。
「良かった、無事みたいね」
「オリヴィアもな。ボニファーツ中尉たちは大丈夫か?」
「もちろん全員無事よ。今は逃げ遅れた人や潜伏している敵がいないか、王都内を捜索しているわ」
勝利に浮かれることなく、もう次の仕事に移っているのか。さすがだな。
「こっちは四天王を取り逃がしちまった。魔力感知に特化した別部隊がいるって言っていたんだけど、オリヴィアの方に行かなかったか?」
「ん~、たぶん来たわね。たいして強くはなかったけど、次から次へと現れるから最初の場所から動けなかったのよ。そしたらいきなり敵の全軍が撤退して行ったでしょう? すぐ分かったわよ、アキトちゃんたちが勝ったんだって」
やはりオリヴィアが別部隊を全て相手してくれていたようだ。
「……狐の大妖怪、アルラウネ、そして空飛ぶ竜人か。確か奥方はハーピーの女王で、ドラゴンと契約しているという噂も耳にしたことがある。君はやはり、次元が違うな」
ロゼやミドリの情報も持っているのか。まあ、この国の王様だし、知っていて当然とも言えるが、これ以上ここにいると面倒な勧誘が始まりそうな気がする。
今のうちに退散しておくか。
「あの、俺たちも捜索を手伝いたいんで、そろそろ失礼します。白露、行くぞ」
「う、うむ」
俺はマインラート陛下の返事を待たずに竜の翼で空へと飛び立つ。白露が素早く子狐に変化して肩に乗ったので、オリヴィアと共にレフィーナがいる広場へと向かった。
「どうしたの、アキトちゃん?」
「国王陛下にこの国に住んでくれって頼まれたら断り辛いだろ?」
「なるほど、アキトちゃんはミルド村を出るつもりはないものね」
軍人のお偉方やボニファーツ中尉達からの勧誘なら何とか断れているが、国王直々の誘いを断ったとなると外聞が悪い。誘われる前に退散するのが吉だ。




