一章 アルラウネの森 十話
翌朝、日の出と共に目を覚ましたレフィーナに起こされるという幸せな目覚めを体験した。竜人に続いてアルラウネに起こしてもらうシチュエーションも堪能できて、この世界に来て良かったと心から思った。
ミドリ、レフィーナの二人を連れてレオさんの工房へ向かうと、入り口の前でレオさんが他の職人たちと一緒に待っていた。
朝食がまだだと伝えたら、西門に向かう途中でレオさんが奢ってくれたぞ。感謝だな。
そして俺たちは西門を出てアルラウネの森に向かう。
森の前でレオさん以外の職人は待機、俺とミドリ、レフィーナ、レオさんの四人で森の中へと足を踏み入れる。
「――アキトくん、もう迎えが来たみたい」
「マジか。レオさん、ミドリの近くに」
「お、おう」
迎えと聞いて、レオさんは慌てて俺と一緒にミドリの傍に寄った。がさりと草木の間から数名のアルラウネが現れる。
「レフィーナ様、ルナーリア様がお待ちです」
「ママが……もしかして怒ってる?」
「今朝はいくらか落ち着いていますが、昨日は恐ろしくて近付けないほどでした」
「うひゃあ……」
レフィーナは青い顔をしながらアルラウネたちに付いていく。俺たちも後を追おうとしたら、数名のアルラウネが振り返った。
「レフィーナ様、竜人の女と昨日の人間は分かりますが、もう一人の人間は何者ですか?」
「う~ん、お客さんかな。ママの」
「ルナーリア様の?」
「大丈夫、アキトくんがママとの約束を守ってくれた結果だから」
レフィーナが連れてきた人間を独断で追い返すわけにも行かないからか、アルラウネたちは納得できないという顔をしながらも、後を付いてくるレオさんに何かしようとはしなかった。
花畑に到着すると、既にルナーリア様が植物の椅子に座って待っていた。
俺とレオさんは打ち合わせ通りにルナーリア様の前に跪く。ミドリはルナーリア様と同格という立ち位置なので俺たちの後ろに立ったままだ。
「さて、レフィーナ。森を出て何をしていたのか教えてもらおうか?」
口調こそ穏やかだが、これ以上ないくらい怒っているのが肌で感じられる。俺の後ろでミドリが小さく『不可侵領域』と呟くと、ルナーリア様から放たれていた威圧感が遮断された。目には見えないが、俺とレオさんをルナーリア様の魔力から守るように不可侵領域を張ってくれたようだ。
レフィーナは不可侵領域外なのか、いまだに青い顔をしている。
「ママ……気付いてたんだ」
「レフィーナが森を出た段階で森から知らせが来たのでな。お前の花が移動していたので何か企んでいるとは思っていたが、まさかアキトと契約して森の外に出るとは思いもしなかった」
「……ママには内緒にしてって言ったのに」
やはり森がルナーリア様に報告したか。
「ママ、ぼくは人間との関係の解決にアキトくんだけを向かわせるのはおかしいって思ったんだ。ミドリお姉ちゃんに言われたよ、アルラウネの問題なのにアルラウネからは誰も交渉に行かないのは人間との話し合いに本気じゃないからだって」
「私は森の外に出ることが出来ない。それ故にアキトを頼ったのだ。お前がアキトと契約してまで森の外に出るなど普通は考え付かない」
「思い付いちゃったんだからしょうがないじゃん。森を出たのってそんなに悪いこと?」
「何か勘違いをしているようだが、私が怒っているのは勝手に契約をして、勝手に森の外に出たことだ。私に相談したところで絶対に許可されないとでも考えたか? それがアルラウネのためになるかもしれない提案だというのに。お前がしたことは私に対する侮辱に等しい」
「あ……」
なるほど、確かにそうだ。
これでレフィーナが交渉のために森を出たことを責められるようなら擁護してやるつもりだったが、無断で森を出たことを怒られているのなら、俺が口を出すことじゃないな。
レフィーナが助けて欲しそうにこちらを見たが、目を伏せて首を横に振る。諦めて怒られろ。
「……ご、ごめんなさい」
「反省しているか?」
「うん」
「では罰として、アルラウネ全員に蜜の提供を命じる」
「え――」
レフィーナの両目が驚きで大きく見開かれる。
「じ、冗談だよ……ね」
目に涙を浮かべて尋ねるレフィーナを見て、ルナーリア様はキラキラした笑顔を浮かべた。
「本気だ。レフィーナ、お前はアキトと契約したことでずいぶんと魔力が増えたようだな。その無駄に有り余った魔力をアルラウネのために使いなさい」
「うぅ…………はい」
レフィーナの返事を聞いて満足したのか、ルナーリア様は離れたところから見守っていたアルラウネたちに声をかける。
「皆、迷惑をかけた。レフィーナから謝罪と感謝を込めて一人一杯分の蜜が振舞われるので一列に並ぶように」
周囲から一斉に歓声が上がり、アルラウネたちが我先にと草袋を手にレフィーナの前に並んだ。
それからレフィーナは三十人以上いるアルラウネたちに自らの花から生みだした蜜を与え続けることになり、最後の一人に蜜を与える時には立っているのもやっとだというくらいに両足が震えていた。
「あ、ありがとうございます!」
最後のアルラウネがお礼を言って嬉しそうに蜜の入った草袋を持って花畑を出ていった。それと同時にレフィーナは地面に倒れ込む。全身の植物は力なく萎れ、今にも枯れそうだ。
「レフィーナ、大丈夫か?」
「アキト、くんには……これが大丈夫に……見えるの?」
「いや……ミドリ、もういいだろう。こいつを消してくれ」
「はい、アキト様」
俺はミドリに不可侵領域を解除してもらうと、リュックから角砂糖一個分程の大きさに砕いた砂糖魔石の欠片を取り出し、力なく開け放たれていたレフィーナの口の中に放り込んだ。
「んぐ……あ、あまぁ……」
レフィーナが苦しそうにしていた顔を綻ばせると、彼女の頭に咲いている紫のバラが少しだけ元気を取り戻した。
「アキト、今レフィーナに与えたのは砂糖か?」
「あ、いえ、今のは砂糖魔石という魔石です」
「魔石……食用のものもあったのか。詳しく教えなさい」
「はい。ですがその前に、彼を紹介させてください」
俺がルナーリア様にレオさんを見るように手で促す。
「木を加工して売る仕事をしている人間たちの代表者であるレオです」
「お初にお目にかかります、レオと申します」
レオさんは普段からは考えられないほど丁寧な態度でルナーリア様に挨拶をした。子供であるレフィーナに敬語を使うのは抵抗がある様子だったが、大人のルナーリア様が相手なら大丈夫そうだ。
「ほう。お前が? 私はルナーリア。クイーンアルラウネだ。レフィーナがここに連れてきたということは信用に足る人物なのだろう。しかし分からないことが多い。アキト、この森を出てから何があったのか順を追って話してもらえるか? レオとの話はその後だ」
「はい。分かりました」
俺は命じられたままに、レフィーナと契約してからの大まかな流れを説明する。砂糖魔石の説明を終えたところで、ルナーリア様は砂糖魔石を自分に譲るようにレフィーナに命令した。
「ええっ、全部!? ママ、それだけは許してよ!」
「私が食べてみなければ今後の判断が出来ないだろう。だが、そうだな……ならば半分でいい。渡しなさい」
俺は泣きそうになりながら見つめてくるレフィーナの視線に罪悪感を覚えながら、リュックから砂糖魔石の欠片を全体の半分だけ取り出すと器に移す。最初の試食で三分の一、そして今回残りの半分をルナーリア様に取られたので、レフィーナの砂糖魔石は残り三分の一だ。正確に測ったわけではないので誤差はありそうだが少ないのは確かであり、泣きそうになる気持ちも分かる。
レオさんが王都からわざわざ持ってきたステンレス魔法瓶から別の容器にお湯を注ぎ、砂糖魔石を湯煎する。最初からレフィーナの砂糖魔石を少量もらってルナーリア様に味見してもらう予定だったので、俺とレオさんの二人でテキパキと準備を進めた。
「どうぞ」
俺がガラスの容器に流し込んだ液体状の砂糖魔石を、レオさんが金属製のスプーンをルナーリア様に差し出す。
俺たちの態度が気に入ったのか、ルナーリア様はご機嫌で容器とスプーンを受け取った。蔓を使って受け取ったのでレオさんの表情が少しだけ恐怖で引きつったが、砂糖魔石に見入っていたルナーリア様は気が付かなかったようだ。
「この透明度、無属性か」
「色で属性がわかるんですか?」
「うむ。液体には魔力の色が出やすい。私の蜜は地属性だから金色なのだ。炎なら赤、水なら青、風なら緑になる」
ルナーリア様は特に使い方を教わらずとも、美しい所作で砂糖魔石を口に運ぶ。その瞬間、彼女の存在感が一回り大きくなったような感覚がした。ミドリも感じたようで、俺とレオさんの前に出る。
ルナーリア様は警戒して睨むミドリを無視して目を閉じると、砂糖魔石をゆっくりと味わっているようだ。
再び目を開けたルナーリア様の表情は歓喜に打ち震えていた。
「これほど……これほど混じり気のない魔力は初めてだ。なるほど、これが無属性……」
ルナーリア様はじっと俺とレオさんを見つめる。
「我らの先祖が人間を主食としていた理由が良く分かった」
「「えっ!?」」
「『不可侵領域』!」
ミドリが再びルナーリア様との間に不可侵領域を張る。
「クイーンアルラウネ。今の発言はどういう意味でしょうか? 返答次第ではこの場で空間の狭間に消し飛ばしますよ」
ルナーリア様は自身の目の前に張られている不可侵領域に蔓で触れて確認すると、困ったように首を傾げる。
「どうも勘違いをしているようだが、私に人間を襲う気はない。ただ、濃厚な無属性魔力の味を理解しただけだ。このような食用の魔石があるのに人間と争いになるリスクを負ってまで襲おうとは思わんよ」
ルナーリア様の言葉に、今度はミドリが首を傾げた。
「無属性の魔力の味と人間の味は同じだというのですか?」
「そうだ。知らなかったのか? 人間とはこの世に存在する唯一の無属性上級種族だぞ?」
「人間が無属性の上級種族? しかし人間には本来魔法を使えるほどの魔力はないはずです。それに私は人間の魔力を感知したことはありません。でたらめはやめてください」
「でたらめではない。竜人の少女よ、お前が人間の魔力を感知できないのは人間が無属性だからだ。無属性とは無色透明、通常の魔力感知などに引っ掛かりはしないのだ。そして無色だからこそ染まりやすい。人間は我ら他属性の種族と契約することで身体の中にある無属性の魔力を染め、契約者と同じ属性の存在へと自身を塗り替えているのだ」
「そんな話、信じられません」
「ならばアキトの唾液を舐めてみるといい。汗や涙でもいいぞ。魔法を使っていない時ならば無属性の味がするはずだ」
ミドリはしばし黙り込むと、くるりと身を翻して俺と向き合う。
「お、おい、待てよ、ミドリ。本気か?」
「信じてはいません。ですが、確認してもいいかもしれません」
ミドリは両手で俺の顔を抑え込むと、躊躇いもせずに唇を重ねてきた。俺が驚きに目を白黒させている間に、遠慮なく舌で口内を蹂躙していく。
そしてひとしきり味わった後で両手が離され、俺は地面に崩れ落ちた。
俺の初めては、情緒も、愛情もなく、一瞬のうちに儚く散ったのだ。ついでに言うと気持ちよくもなかった。本当の意味で食べられている感じがして、なんか怖かった。
レオさんが心配そうに俺の肩に手を置いて「大丈夫か」と声をかけてくれるが、これが大丈夫に見えますか?
いいえ、見えません。
「どうだ? 私が言ったことは本当だっただろう?」
ルナーリア様に問われ、ミドリはペロリと唇を舐める。
「……ええ。砂糖魔石ほどではありませんが、混ざり気のない上品な魔力の味で非常に美味ですね。疑ったことを謝罪します」
そう言ってミドリはルナーリア様との間に張ってあった不可侵領域を解除する。まず、無許可で人の唾液を貪り尽くしたことに関して謝罪してくれないか。
するとレフィーナが興味深そうに俺の隣にしゃがみ込む。その視線は俺の唇へと注がれていた。
「アキトくんの唾液って美味しいの?」
「止めろ。そんな目で見ても絶対にやらんぞ」
最悪の気分だ。せっかく、未来の奥さんのために取っておいた俺の初めてがこんなところで奪われるなんて。
俺が睨むと、レフィーナは仕方ないとばかりにレオさんに視線を移す。レオさんはその視線の意味を察して両手を前に突き出して拒否を示す。
「わ、私には妻と娘がいるんです、勘弁してください」
そうなのか。羨ましいな。
「妻? それって人間の妻?」
「はい。ですので、いくらアルラウネの王女様の頼みとはいえ、それだけは無理です」
なんだ、人間の妻か。羨ましくないな。
「……魔力の味も分からない人間の女の癖に」
レフィーナが不機嫌そうに小さく呟いたのを見て、レオさんが血の気の引いた顔で俺の肩を掴んだ。
「おい兄ちゃん、一回も二回も変わらんだろ。相手してやれ」
「はあ!? ふざけんな、こっちはファーストキスを奪われて意気消沈してんだよ! あんたがやれよ!」
「妻帯者にあんな子供とキスしろってのか!? 兄ちゃんの契約者なんだから兄ちゃんが面倒見ろ!」
俺とレオさんが譲り合いの喧嘩を始めると、レフィーナが目に見えて落ち込んだ。
「二人ともそんなにぼくが嫌いなんだ……さっき蜜を出し過ぎて辛いから魔力が欲しかっただけなのに……」
いじけるように地面をつつきながら、目に涙をためている。
「あ……悪い、レフィーナ。別にレフィーナが嫌いってわけじゃないんだぞ?」
「じゃあ、味見させてよ」
「それは……」
何だ、この状況は!
選択肢がおかしくないか?
・レフィーナとキスする
・レフィーナを拒絶する
この二択なの?
いや、これはゲームじゃない。それ以外の選択肢が何かあるはずだ!
俺は必死で頭を回転させながら周囲を確認する。何かあるはずだ。この状況を打開する物が。
「そうだっ!」
俺はレフィーナの髪の毛の間から伸びていた蔓を掴むと、その先を口に含んだ。
「アキトくん?」
「人間相手でやったら変態行為な気がするが、レフィーナなら許してくれるか?」
俺は口に突っ込んでいた蔓をレフィーナに差し出す。
レフィーナは目を輝かせて、俺の唾液まみれになった自分の蔓をしゃぶった。
「んん! アキトくんって美味しいんだね!」
レフィーナは自分の蔓を咥えながら笑顔を浮かべた。
俺はその顔が見られて一安心だったのだが、後ろでレオさんがドン引きしているのを見て我に返った。これは普通にキスした方がマシだった可能性があるな……。
アキトの初めてが儚く散りました。
ミドリ的には完全に味見であり、キスをしたとは考えていません。ですが、相手がアキトだったからこそ味見したんだと思います。




