一章 妖孤の魔眼 四話
事態は一刻を争う。そう全員が判断し、手紙を受け取った翌日には村を出発することになった。
西にあるゲイル村までお爺さんが車で送ってくれると言っていたのだが、今回は最小限の荷物だけを持って空を飛んで向かう事にした。
組み合わせとしては、俺が子狐姿の白露を乗せ、オリヴィアがレフィーナを抱える形だ。
俺とオリヴィアは飛行が得意というわけでは無いが、以前よりも肉体が強くなったおかげで翼から放出できる魔力の出力も上がっており、すぐにゲイル村を飛び越えてモルガタ湿原へと突入した。
「ほう、綺麗な湿原じゃのう」
「だよな。魔物さえでなければ観光客も来そうなレベルだ」
上空から見るかぎり、木道付近は軍人が定期的に排除しているために安全確保がされているが、少し木道から離れた所にはスライムや小型の獣が確認できる。
ロゼから祝福で貰ったハーピーの目を使ってみると、さらに遠くに鹿などの野生動物が生息していることが分かった。
「白露、あの辺りにいる鹿って魔獣か?」
「ん? どこじゃ?」
俺が鹿の方向を指差すと、白露が魔眼で調べてくれる。こうしているとヤマシロで退治屋をやっていた頃を思い出すな。
「群れの先頭にいる雄は中級程度の魔力を持っておるから魔獣じゃな。雌や子供は下級程度の微弱な魔力じゃから普通の鹿じゃと思う」
「へえ、魔獣と動物って共存してるんだな」
「魔獣は突然変異じゃからな。草食動物の場合は雌が食べた植物から土地の魔力を溜め込んで魔獣が産まれる形が多い。そして肉食動物は魔力を多く貯め込んだ草食動物を食べて魔力を溜めて魔獣を産むのじゃ」
なるほど。魔獣は普通の動物から産まれてくるというのは知っていたが、そういう原理だったのか。
「待て、植物は大地から魔力を得るんだよな? アルラウネみたいな種族が大地に魔力を注がないと、その内土地の魔力は枯れるんじゃないか?」
「あっ、それぼくも思った。ここの湿原って妙に魔力が多いんだけど、誰かが魔力を注いているんじゃないの?」
オリヴィアに抱えられていたレフィーナが会話に加わる。
土地の魔力関係の話でアルラウネが知らないことがあるとは驚いた。ここは白露先生に是非とも教えてもらいたいところだ。
「我も直接見たことがあるわけではないので絶対とは言い切れないのじゃが、大地の魔力とはこの星の魔力なのじゃと考えられておる」
「星の魔力?」
ずいぶん大きな話になってきたな。
「星そのものが大きな生物だという考え方じゃ。我らの魔力は食事をしてしっかり休養を取ることで回復するじゃろう? それと同じようにこの星の魔力も時間と共に回復するものじゃということじゃ」
白露の話にオリヴィアが首を傾げる。
「それっておかしくないかしら? 私たちは食べ物を体内で分解吸収して体力と魔力を回復しているけど、星は何かを食べているようには見えない……というか、世界中を旅したけど、この星に何かが吸収されるような場所はなかったわ」
「何を言っておる。この大地すべてがそうではないか。アルラウネは大地に魔力を注ぎ込んで自らの領土を豊かにしておるじゃろう? つまり大地は魔力を吸収できるということじゃ。何もアルラウネだけではない。生き物は死ねば腐り、朽ち果てて大地へと吸収されるではないか。そうやって星はエネルギーを蓄え、魔力を回復させておるのじゃ」
「な、なんだかそれが本当なら、地面の上に立つのが怖くなる話ね」
オリヴィアは地表を眺めながら不安そうな顔をする。大地が星にとっての口の役割を果たしていると言われると確かに怖い。
俺とオリヴィアとは違い、レフィーナだけはとても納得がいったようで目を輝かせている。
「なるほど~、通りで注いだ魔力が植物に行き渡る以上に減っていると思ったよ。あれって星に吸収されていたんだね」
「ほう、実感があるとは驚いた。大昔に我と陽炎――酒呑童子とで立てた仮説が当たっておったか」
「よりにもよってお前と酒呑童子が言い出した説だったのかよ」
「長く生きていると、そういった考察をして楽しみたくなる日もあるのじゃ」
詳しく聞いたことは無いが、きっと人間の寿命以上の時間を白露は酒呑童子と過ごしていたんだろう。あいつは倒さないとまずい存在だったが、白露は彼との思い出話を楽しそうにすることが多いので、彼女の中では良い思い出なのだと思う。
そういう意味で言えば、昔話が出来るグレンが転生したのは白露にとって良かったのかもしれない。
そんなこんなで雑談を交えながら飛行を続け、俺たちはウェルザーク門へと辿り着いた。
門の前に着地すると、俺の顔を見た軍人が一斉に敬礼する。その中にはローランド少尉の顔があった。
「驚きました。まさかこれほど早くに行動されるとは……」
アルドミラの軍人たちは俺の到着に驚いた後、少しだけ落胆するように表情を曇らせた。
その顔を見ると、彼らが俺にアルドミラ軍の援軍として戦争へ参加してくれることを望んでいたのだと分かる。昨日の別れ際にローランド少尉が言った言葉は、彼の本音というよりはアルドミラ軍人全体の本音だったのだ。
俺は彼らを少しでも安心させるべく、ミドリたちの情報を与えることにした。
「そんな顔をしないでください。北の戦場には俺の契約者の中で最も強い二人が向かいまいた。ハッキリ言って俺が行くよりもあいつらの方が頼もしいですよ」
「アキトさんの契約者で最も強い……?」
ローランド少尉は俺の隣にいるオリヴィアとレフィーナを見てから震える声で尋ねてきた。
「も、もしや、翼のあるドラゴンメイドのエメラルドさんですか?」
ドラゴンメイドのエメラルドか。情報が古いな。アルドミラ軍の情報網でミドリが本当はドラゴンだということくらいそろそろ掴んでいるものかと思ったのだが、意外にもまだ知られていないのだろうか?
「ああ。そのエメラルドと俺の妻であるクイーンハーピーのロゼが向かった」
ロゼの名前も付けくわえてやったら軍人たちは顔を見合わせて表情を一変させた。人間と契約したドラゴンメイドとクイーンハーピーというのは俺が思っている以上に頼もしい存在らしい。
実際は魔人と契約したケツァルコアトルとエンプレスハーピーなので強さの次元が違う。もっと安心してくれていいぞ。
「感謝します、アキトさん。我々も全力を尽くしますので、共にギドメリア軍から両国を守りましょう」
「ああ。それじゃあ、入国の手続きを頼む」
「了解しました」
ローランド少尉やその部下らしき軍人たちはテキパキと俺たちの入国手続きを進めてくれる。
面倒な確認事項や持ち物検査がほとんど行われないので、これは軍事的な特例措置で手続きが簡略化されていると見た。
ものの数分で手続きが終了し、俺たちは門を通ってハウランゲルへと入国する。
そこには満面の笑顔を浮かべたハウランゲルの軍人たちの姿があった。心なしか人数が少ないのは、この門に勤務している軍人たちも戦場へと駆り出されたからだろう。
「アキト殿、来てくださると信じていました」
俺たちを迎え入れてくれた軍人たちの中に見知った顔が数名いたのだが、そのなかでも飛び切り暑苦しい声のミノタウロスの男が口を開く。
「ボニファーツ中尉、まさかあなたがここにいると思いませんでした」
「アキト殿たちと面識のある軍人という事で私の隊が選ばれたのです。アキト殿、色々話したいことはありますが、まずは馬車へお願いします」
中尉はエンデ少尉の馬車を指差す。彼女の隣には同じように馬車を惹く準備をしているマヌエラ少尉が見える。ジュスタン少尉、ロードリック曹長、アーネスト軍曹、ヴェラ伍長、カミーユ一等兵はマヌエラ少尉の馬車に乗るようだ。
エンデ少尉の馬車の前で嬉しそうな顔でクレスが敬礼している。久しぶりに見たが、やっぱり可愛い種族だ。華奢な上半身と毛皮に覆われたもふもふの両足のバランスがとても良い。
エンデ少尉の馬車には俺たちの他にボニファーツ中尉とクレスが乗り込むようだ。リネルの里に向かった時と同じ構成だな。
「中尉、戦況はどうなっているんですか?」
俺は馬車に乗り込みながらボニファーツ中尉に質問する。すると中尉は重苦しい表情で現状を語り始めた。
俺たちは話を聞きながら馬車の座席に座っていく。
「手紙にも書かれていたとは思いますが、良くありません。最悪と言ってもいい。報告を聞く限り、敵が強すぎます。一人一人の実力が完全にこちらを上回っており、強力な魔法の連打でねじ伏せられているような状況です――エンデ少尉」
「了解ですわ」
ボニファーツ中尉の合図で馬車が動き出した。
よく見ると、ボニファーツ中尉の顔色が悪い。先ほどまでは俺が来たことが嬉しいという感情が溢れ出ていたのだが、話の内容から自国の状況を再確認して焦っているのだろうか?
「……実は今朝方、北の国境壁が破壊されたという報告を聞きました」
「は?」
あまりに信じがたい内容を聞いて俺が声を上げると、ボニファーツ中尉は真剣な目で俺を見つめてきた。その目が、真実だと告げている。
「えっと……北東の国境門の言い間違いではなくて、ですか?」
「残念ながら言い間違いではありません。我々は総力を挙げて北東の門を死守していたのですが、敵の本体はこの国の中央北から国境壁を突き破って侵入して来たのです」
それは常識で考えれば有り得ない話だ。
国境に並んでいる外壁は上位の岩石魔法で作られた最高硬度の石を使っている。破壊するには最上位魔法を何発も撃ち込まないといけないはずだ。
敵の妨害がある状況で外壁を破壊するのは困難だからこそ、敵国を攻める際は門に戦力を集中する。これは俺とオリヴィアがドレン要塞都市を奪還する際にアルドミラ軍と共闘した際に教わった内容だ。
「もちろん国境壁にも24時間体制で見張りの軍人が目を光らせていますが、今回は敵の強さからこちらの戦力を門へと集中させていたせいで、国境壁へ近付く敵の本隊を確認した際に駆け付けるのが遅れてしまいました」
「それで少ない戦力で守り切れずにその国境壁とやらを破壊され、敵に国内へ侵入されたということか」
「は、はい、その通りです。あなたは……確か、シラツユ殿でしたか」
「うむ。ボニファーツと言ったな。この馬車は一体どこへと向かっておるのじゃ?」
「この国のちょうど中央です。引き返した隊と、各地に残していた隊が合流して敵を押し留めているはずなので、そこへ急ぎ合流します」
「うつけが、それでは間に合わん」
白露は珍しく声を尖らせると、ほとんど初対面に近い中尉を罵倒し始めた。
俺は慌てて白露を止める。
「お、おい、白露。急にどうしたんだよ、失礼だろ」
「主殿もこやつのミスに気付かぬのか? オリヴィアは我と同じ意見のようじゃぞ?」
「えっ?」
俺がオリヴィアに視線を向けると、彼女は眉間にしわを寄せ絞り出すように言った。
「中尉、行き先を変えましょう」
「……どういうことですか?」
「国境壁を破壊したということは、まず間違いなく最上位魔法を連発したはずです。いくら敵軍の戦闘力が上がったとはいえ、そんな常識はずれなことが出来る存在はそう多くはないと思います」
「なるほど……四天王ですね」
中尉の言葉に白露とオリヴィアが同時に頷く。
「四天王とかいう者たちは特級種族なのじゃろう? そして突如として強力な魔法を連発するようになった敵軍。そこから考えられるのは、四天王も以前より大幅に強くなっている可能性が高いという事じゃ。それこそ特級種族の更に上――極級種族並みの力を得たと考えた方が良い」
「き、極級種族……魔王並みですか……」
「うむ。であれば我らが目指すのは現在の戦場ではなく、敵の目指している場所じゃろう。悪いが我にはこの国の軍隊が極級種族の混じった軍隊を止められるとは思えぬ」
白露が自らの考えを伝え終わると、馬車の中に静寂が訪れる。
ボニファーツ中尉は血の気の引いた顔で悩んだ後、震える声でエンデ少尉へと命令した。
「エンデ少尉、聞いていたな? 行き先を変更する」
「ですが中尉。命令では――」
「――その命令通りに動いていたら間に合わない!」
ボニファーツ中尉が大声を上げると馬車が少しだけ揺れた。エンデ少尉が動揺して走り方が荒くなったようだ。
中尉は気にせずに無線を使ってマヌエラ少尉の馬車にいる部下たちに命令を伝える。
「ジュスタン少尉、目的地を変更する。我々の新たな目的地は、王都ボルテルムだ」
ハウランゲルは東西に長い国なので、南西にある王都までの距離はギドメリア軍よりも東の端にいるアキトたちの方が遥かに遠いです。




