一章 妖孤の魔眼 一話
ロゼと結婚してから、半年ほどが過ぎた。
ミルド村では新参者だったロゼと白露、それと八重菊もすっかり馴染んできており、村のみんなと一緒にいる姿を見かけることも多くなった。
季節は春。冬の間あれだけ積もっていた雪も溶け、ゆっくりと暖かくなってきた。
この半年で俺は随分と成長したと思う。元々年齢は20を越えていたし、この国的にも日本人的にも大人ではあったのだが、人間そう簡単に精神まで大人にはなれない。大人ぶっていたが、心はまだまだ子供だったと思う。だが、ロゼと結婚したことで自分が大人であるという実感が湧いて来たのだ。
まだ、子供が出来たわけでは無いのだが、それでもハーピーの妻がいるという暮らしは俺を一歩上のステージへと押し上げてくれたと思っている。
「アキト様、どうかされたのですか?」
「いや、結婚してから色々あったな~と思ってさ」
ミドリがあまり興味なさげに聞いて来たので、俺は具体的には語らずに答えた。
今の俺は農家として仕事をしている。両親が残してくれた土地を使ってこの春から本格的に農業を始めるために土作りをしているのだ。
今は休憩時間なので空を見上げながらこれまでを振り返っていた。
俺の畑は主にワイン用のブドウ畑になる予定だ。レフィーナがたまに様子を見に来てくれることになっているので、出来たワインはラウネワインという名前にされる気がしてならない。
ロゼはと言うと、レフィーナとヘルガに頼み込まれて観光客用の旅館を経営することになったらしい。
昔取った杵柄――というほど昔では無いが、旅館の経営に関してはアルドミラで一番の観光地であるノーベ村の村長だったロゼに頼むのが一番だろうとオリヴィアに入れ知恵されたらしい。
現在はまだ旅館ではなく、アルラウネたちが突貫工事で作ったログハウスのようなものしかないので、観光地化計画が軌道に乗るのはもう少し先になるだろう。
お互いに別の仕事をしているので、会えるのが朝と夜だけというのは少し寂しい。
「……ロゼに会いたい」
「またそれですか。毎日会っているでしょう」
「今会いたいんだよ」
ミドリにはまだ分からないのかもしれないな。愛する人とはどんな時も一緒に居たいものなのだ。
「今、私には分からないだろうなって考えましたね」
「うっ」
相変わらず俺の考えていることを読むのが上手いな。
「こちらが苦情を入れるのを我慢しているというのに、よくそんな偉そうな態度が取れますね」
「べ、別に偉そうにしたつもりはないけど……なんだよ、苦情って」
「私とオリヴィアは高性能な耳栓を買いました」
「…………えっ? う、嘘だろ……もしかして」
俺は耳栓という言葉を聞いて、一つだけ思い当たる節があった。
「毎晩、毎晩、よくもあそこまで盛り上がれますね。半年間何も言わずに我慢していたことを感謝して欲しいです。特に冬場は仕事が無いからと言って昼間から――」
「――わ、悪かった! 俺が悪かったから、それ以上は言わないでくれ!」
「ふん。ロゼさんと相談して家の防音機能を高めるリフォームを検討してくださいね」
「す、すぐに取り掛かるよ……」
俺の家は新築だし、それなりに防音機能も高いと思うのだが、ミドリとオリヴィアの聴力の前で無意味みたいだな。明日にでもハウランゲルの大工に連絡しよう。高い聴力を持ったワーキャットが暮らしているハウランゲルの大工なら何とかしてくれるだろう。
数時間後。夕食の席でミドリから言われた内容を伝えると、ロゼは顔を真っ赤にして俯いてしまった。
「ま、まさかあれを聞かれていたなんて……」
「リフォームの方は俺が何とかするから安心してくれ」
「う、うん」
あれが竜族の二人に丸聞こえだったかと思うと、俺もすごく恥ずかしい。
「……しばらくは頑張って声を抑えるようにしてみる」
しばらく控えようという考えに至らないところがロゼの凄いところだ。まあ、俺も止める気はないけど。
「そ、そういえば、旅館の方はどうなんだ?」
この件について考え過ぎても恥ずかしいだけなので、俺は仕事の方に話を変えて頭を切り替える。
「ハニービーたちがもう少し流暢に喋ることが出来るようになれば、接客は大丈夫だと思う。問題は料理人で、ハニービーの料理はアルドミラ人の口に合うかと言われると微妙なんだ。教える者が必要だと思う」
「料理の先生か、それなら適任者がいるな」
「誰だ?」
「俺が料理を教わっている人がいるだろ?」
「オリヴィアか。引き受けてくれるだろうか?」
「あいつなら喜んで協力してくれるよ。たまに観光客相手にタロットカードとかやっているけど、基本的に暇そうにしているし、明日俺から頼んでおく」
オリヴィアの収入は、俺への料理教師代、占い業、王都のバーで歌う、水の魔石に水を込める、など不定期のものばかりだ。
何もしていないわけでは無いのだが、村でダラダラしながら遊んでいるイメージがとても強く、村の子供たちからは怠け者のお姉さんだと思われている。
他のみんなはと言うと、ミドリは俺の手伝いで農業。レフィーナは農業、建築業、アルドミラ軍の訓練教官をしつつ、学生もやっている。白露は村の学校で教師の手伝いをしており、この国の間違った種族認識を正したいそうだ。
そしてロゼはヘルガと一緒に旅館の経営と人材の育成に尽力している最中だ。
みんながそれぞれ仕事をしている姿を見て、オリヴィアもそろそろ何か定職に就かないといけないのではないかと焦りを見せていたので、渡りに船だろう。
「分かった。オリヴィアの件はアキトに任せる」
ロゼは軽く微笑むと、俺が作った夕食を口に運んだ。
普段は俺の好みに合わせて両翼はそのままだが、食事する時だけは祝福の手を作り出して食器を持っている。
俺はどちらかと言えば手が無い翼の方が好きというだけで、手が有っても好きなのだが、ロゼは食事を終えると直ぐに手を翼に戻してしまう。
無い方が良いと言った手前言い辛いのだが、たまには手のあるロゼもじっくりみたいというか、手を繋いだりしてみたい。
「話は変わるが、カレンとトウマは上手くいっているだろうか? 私は畑の方にはあまり行かないから最近は話せていないんだ」
カレンとトウマは俺たちの結婚式後に付き合い始めた。
トウマはすごく喜んでいたし、話を聞いたロゼとハルカが自分の事のように嬉しそうな顔をしていたのが印象的だ。
カレン、トウマ、ロゼ、ハルカの四人は、俺の知らない所で一緒に冒険し、親友の様な間柄になっていた。きっとトウマの恋愛相談なんかを受けていたんだと思う。
カレンがやっとトウマの想いに答える気になってくれて、俺も嬉しい。カレンと友達以上恋人未満の関係を続けていた前の俺が残した人間関係がやっと清算できた気分だ。
そのうちミドリに頼んで夢の世界に行き、文句の一つでも言ってやろうと思っている。
「トウマが次期村長になるって言っていたな。お爺さんは早めに結婚して欲しいらしいが、カレンはしばらく恋人関係を楽しむ気らしい。毎日仲良く仕事している姿を見かけるぞ」
カレンの畑は村長のお爺さんから受け継いだもので村一番の広さがある。毎日のようにトウマと一緒に忙しく働いている。トウマは実家のブドウ畑もあるし大変そうだ。
「恋人か。カレンたちはまだ21だし、人間だと結婚するには早い年齢だ……私と違って」
「……ロゼ?」
ロゼは少しだけ浮かない顔になる。
今年でロゼは30歳になったのだが、それによって俺との年齢差を強く意識するようになり、年明けからかなり落ち込んでいたのだ。だから俺は出来る限り年齢関係の話題は避けていたのだが、自分で年齢の話をして落ち込むのは止めて欲しい。
「やっぱりアキトは若いハーピーの方が良かったんじゃないか?」
「いやいや、ロゼ以外のハーピーなんて嫌だよ。だいだい、ロゼはまだ若いだろう」
「……アキトはそう言ってくれるけど、30代になったというのは精神的にくるものなんだぞ。アキトはまだ21なのに……私だけ30……」
また始まってしまった。こうなってしまうと慰めるのが大変なのだ。
俺はなんて声をかけようか頭を捻る。
「そうだ、ロゼ。明日は仕事を休んで一緒に出掛けないか?」
「え?」
「気分転換にもなるし、よく考えたら俺たちってデートもほとんどしたことないだろう?」
「う、うん。確かにそうだな」
「よし、じゃあ決まりだ。行き先はどうしようか?」
村の中をデートしても面白くないし、空を飛んで王都に行くのがいいよな。
「……私は、ノーベ村に行きたい」
「ノーベ村? それはデートっていうか旅行になるぞ?」
「いいんだ。前はバスで行ったけど、今度は空を飛んで行きたい。アキトと一緒に空のデート……前からしてみたいと思っていた」
「分かった。明日は一緒に空を飛んでノーベ村へ行こう」
一日デートのつもりだったのだが、数日は帰れない予感がしてきた。けれど、これでロゼの機嫌が直るのなら問題ない。
俺は明日朝一番にミドリに土下座して数日の休みをもらう脳内シミュレーションを始めるのだった。




