三章 ハーピーの試練 十一話
船を降りた俺たちを待ち受けていたのは、ロゼの双子の妹であるリズさんと子供になったグレンだった。
「久しぶりですね、姉さん」
「ああ。お前と話がしたくて、帰って来たよ」
ロゼはリズさんと向き合うと、両翼の爪の部分を祝福の手に変化させる。それを見た瞬間、リズさんは俺へと視線を移した後で俯いた。
「――っ、わ、私にとっても望んでいた展開でしたが、少々話が進み過ぎではないですか? 連絡も無しに結婚するなんて、姉さんなら私が姉さんを想ってこの島を追い出したことに気付いているでしょう?」
リズさんは悔しそうに、絞り出すように喋る。
ハーピーが男と契約するのは結婚した時だ。だからリズさんはロゼが自分に何も教えずに俺と結婚したのだと思ったようだ。
「違う。まだ結婚はしていない」
「え? ア、アキトさん! あなたはまた姉さんにっ!」
リズさんが俺を怒りの形相で睨む。するとロゼが翼を元に戻してから俺とリズさんとの間に立ちふさがった。
「違うんだリズ。これは私が望んだことだ」
「姉さんが?」
「ハーピーと男の結婚とは、本来はハーピーが家を用意し、男が命がけでハーピーの元へと辿り着くというものだ。だが、私とアキトの関係はその逆だった。アキトが私の帰る家を用意してくれたんだ。だから私は男がハーピーにするように、アキトを求め、彼を口説いた。その瞬間、私は古くから伝わるハーピーの伝統から解放された存在になったんだ」
そういうことだったのか。
俺は知らないうちに、結婚前のハーピーがする行動を取っていた。だからロゼは、本来は男がする役目だった告白を自分からしてくれたということか。
「姉さんは、伝統を捨てたのですか?」
「捨てたというよりも、気付いた時にはその枠組みから外れてしまったという方が正しい。アキトは常に新しいことをする男だ。異種族を恐れ、ハーピー以外とはほとんど共存しようとしない人間の村を、異種族と積極的に助け合って生きていくことのできる村へと変えた。あのアルラウネやキラービーですら今では彼の村で人間と楽しそうに暮らしている」
ロゼはふわりと後方へ飛ぶと、俺の隣に立って翼を腕に絡めてきた。
「リズ、私はアキトと共に新しいルールの中で生きるハーピー。女王の中の女王。エンプレスハーピーとなった。今日は唯一の家族であるお前に、結婚前の挨拶に来た」
ロゼの話を聞いて、俺を睨んでいたリズさんの視線が柔らかいものへと変わる。
それは何かを諦めたような、少し寂し気な目だ。
「ふん。お前の予想とは違った結果になったな。リズ」
そこで、これまでは俺たちをじっと見つめて黙っていたグレンが口を開く。口調とは裏腹に、声変わり前の少年らしい高い声に少し驚いた。
「お前の予想では、ロゼはアキトを連れて村に戻り女王に返り咲くはずだった。それがまさか、外の村で女王の中の女王を名乗るとは面白いではないか」
「面白くなんてないですよ……姉さんを完全にアキトさんに盗られてしまいました」
「ロゼを追い出したお前の言うセリフではないな。いいかリズ、よく覚えておくがいい。本当に大切な物は絶対に手放してはならん。それが再び手元に戻ってくる保証はないのだからな」
「子供のくせに知った風な口を利かないでください」
「外見で判断するな。俺はお前よりも数百年は年上だ」
こいつ、やはり転生前の記憶があるのか。
「しかし、リズ。お前の言う通りこの島で待っていたらアキトとロゼに再び会えたわけだ、その働きには感謝してやろう」
「あなたに褒められても嬉しくないですね」
「口の減らない女だ。俺が誰かに感謝することなどほとんどないのだぞ? それに、ある意味二人以上に興味深い奴もいるようだしな」
グレンは一歩前へ出ると俺とロゼ、そして白露を一瞥する。
「お前、やっぱりグレンなのか?」
「当たり前だ。このレベルの真紅の鱗を持つ竜が俺以外にいるわけがない」
なんだろう、危険な存在のはずなのに俺の中の警戒心がそこまで動かない。
リズさんの態度が俺に安心感をくれているというのもあるが、グレンから以前の様な禍々しさを感じないのだ。
するとロゼがグレンへと話しかける。
「見た目だけでなく、魔力的にも以前とはずいぶん変わったようだな。魔力が凪いでいる」
「お前は更に強くなったようだな。リズとは比べ物にならん力を感じるぞ。竜族であれば妻に欲しいくらいだ」
「おい、冗談でも許さねえぞ」
俺はロゼの前に出るようにしてグレンを睨む。
こんなクソガキに俺のロゼに色目を使われてたまるか。
「相変わらずハーピーの事となると頭に血が上るのが早いな。いや、ロゼだからか?」
「どっちもだ。お前は子供になって弱くなったんじゃないか? 前みたいな威圧感が全くないぞ」
「お前たち二人に敗れ、学習しただけだ。やろうと思えば依然と同様の力を見せつけることは出来るぞ?」
グレンの存在感が一気に膨れ上がる。
こいつ、魔力圧縮が使えるようになっていたのか?
俺たちが身構えると、グレンはふっと力を抜くように笑って魔力を再び体内へと押し込めた。
「冗談だ、この場でお前たちと一戦交えるつもりはない。それよりも、面白い奴がいるようだからな」
グレンは視線を再び白露へと向ける。
「まさかお前が生きているとは思わなかったぞ。白露」
「我も同じ気持ちじゃよ、紅蓮。主殿からおぬしは死んだと聞かされていたからな。まさか一年足らずで転生するとは、余程この時代に未練があったのか?」
「ああ。この時代は昔よりもずっと面白い。人間も以前よりはくだらない種族では無くなっているようだしな。しかし、まさかとは思うが主というのはアキトの事か?」
「他に誰がいるというのじゃ? 我と契約できる人間などそうはいまい」
「ふっ、違いない」
グレンは少しだけ楽しそうに笑う。
白露も気を抜いているわけではなさそうだが、軽口を叩きつつも楽しそうにしている。
「お前らって、仲良かったのか?」
何となく仲が良さそうに見えたので尋ねたのだが、その一言で二人は睨み合ってしまった。
「そんなわけないじゃろう。紅蓮はいつも碧羅に対抗意識を燃やして絡んでくる面倒な小僧じゃった」
「そういうお前は、獣族のくせに竜族に色目を使う下品な狐だったな」
「いいのかそんなことを言って。我に振り向いて欲しくて碧羅に何度も挑んでいた事を、気付かれていないとでも思ったのか?」
「で、出鱈目を言うな! 灰にするぞ!」
「やってみるがよい。灰になるのはおぬしの方じゃがな」
グレンと白露の魔力が一気に膨れ上がる。
魔人の角を出さなくても臨戦態勢に入った事が分かるぞ。
「ちっ、『絶対氷壁』!」
俺は二人の間に氷の壁を出現させる。
「止めろ、二人とも。お前たちが争ったら港が滅茶苦茶になる」
二人は俺を横目で見ると仕方なさそうに魔力を引っ込めた。
白露の奴はともかく、グレンは明らかに以前とは違うな。記憶を引き継いで入るようだが、以前の奴は俺の言葉で戦いを止めてくれるような男ではなかったはずだ。
「アキトさん、そちらのお嬢さんは何者ですか?」
リズさんが白露を見て俺に尋ねてくる。
「白露はお嬢さんって年じゃないぞ。火山に封印されていたグレンの昔馴染みだって言えば分かるか?」
「……そ、そこまで長命な種族がいるとは知りませんでした」
「ふん。こいつは酒呑童子に作り出された化け物だからな」
「転生後に記憶を引き継いでいるおぬしに言われとうないわ」
ダメだな。このまま放っておくと何度も口論になって話が終わらなさそうなので、俺は魔法を消した後で白露とグレンの間に割り込み、お互いが視界に入らないようにした。
「とりあえず、グレンも戦う気はないんだろ? なら、リズさん。今日はノーベ村に泊めてもらえませんか?」
「ええ、分かりました」
リズさんは顔色を伺うようにロゼを見る。
「姉さんの部屋は残してありますから、良ければ使ってください」
「助かる。あそこのベッドは大きいからな、アキトと一緒に寝られる」
その言葉を聞いてリズさんの顔が真っ青になる。
「ね、姉さん、いくらなんでも結婚前に……」
「残念なことにアキトはそこの線引きは守りたいみたいで、手を出してきてくれないんだ。私はいつでも受け入れるつもりなのだが」
リズさんが鋭い目で俺を睨む。
「な、なんですか?」
「く、くれぐれも……くれぐれも、節度を守ってくださいよ?」
「は、はい」
言われなくとも俺はハーピーの仕来りを尊重したいと思っていますとも。けど、ロゼがそうさせてくれない部分はあるんだよ。
するとグレンが俺たちの会話に口を挟む。
「リズ、男に愛する女と同じ布団で寝た上で手を出すなと命じるのは死よりも残酷だぞ」
「じゃあどうしろというのですか?」
「普通に考えれば、部屋を別にしてやったらどうだ」
「それは私が御免被る。アキトと同じベッドでなければ寝られない身体になってしまったんだ」
「アキトさん!」
「待て、それは俺が悪いのか?」
少しは自分の姉を窘めてくれ!
ノーベ村へ向かう間、このようなやり取りが永遠に繰り広げられるのだった。
好き勝手に喋るロゼとグレン、姉の変わりように驚きながらもそのショックを俺にぶつけてくるリズさん。
俺たちのやり取りを眺めていた白露が、くすりと笑って呟いた。
「やれやれ、主殿は幸せ者じゃのう」
グレンは記憶こそ前世から引き継いでいますが、性格は別人になっています。
また、最後の最後にアキトとロゼを認めた事が今回の転生時の性格にかなりの影響を及ぼしています。




