一章 アルラウネの森 八話
「この辺りでいいかな。じゃあ、いくよ」
俺たちは一度王都の外に出て、広い平原に移動した。レフィーナは一同が見守る中で両手を正面の大地にかざす。
「『大地魔法・豊穣の地』」
レフィーナが魔法を放つと、正面の大地に生えていた雑草が一気に生い茂る。そこにレフィーナは事前にレオさんから貰った植物の種をいくつか投げ込んだ。
種は大地に落ちるや否や目を見張る速度で発芽して急速に成長していく。大地魔法にこんな力を秘めた魔法があったとは予想もしていなかった。レフィーナの投げ込んだ種はほんの数秒の間に数メートルを越える木へと姿を変えてしまったのだ。
「いや、むちゃくちゃだろ……」
「じ、冗談じゃない! アルラウネはみんなこんなことが出来るのか!?」
レオさんがそびえ立つ樹木を見上げながら叫ぶと、レフィーナではなくミドリがそれを否定した。
「まさか。土ならともかく、その上に立つ植物にこれほどの影響を与える魔法となると、どう考えても最上位の大地魔法ですよ。上級種族のアルラウネには不可能です。使えるのはレフィーナとクイーンアルラウネくらいでしょう」
「そ、そうか、安心したぜ。アルラウネ全員がこんなことが出来るなら、価格が暴落するからな」
レオさんは冷や汗を拭いながら言う。
「レフィーナさん、砂糖魔石は俺がプレゼントするんで、今後はこの魔法で木を育てて売るのは止めてもらえませんか?」
「うん? ダメだった?」
レフィーナが俺の方に顔を向けて小首を傾げる。
「こんな簡単に木が手に入るなら、木の価値が下がっちまうだろ? そうしたらレオさんたちは商売にならなくなっちゃうからな」
「え~、簡単じゃないよ! 一時的にとはいえ根を張ってない場所にこの魔法を使うのって、かなり消費魔力が多いんだからね。自分のためならともかく、他人のために木を育ててあげるほど気軽には使えないよ。まあ、今はアキトくんと契約してるからちょっとお腹が空くくらいだけど、契約してなかったら絶対使わなかったね」
「そ、そうなのか? よかったですね、レオさん」
俺が視線を向けると、レオさんたちは全員ほっとしたように頷いて返してくれた。
「それより、砂糖魔石を買ってくれるんだよね? さっそく、王都に戻ろうよ」
レフィーナは無邪気に笑いながらレオさんの手を取って引っ張る。
「わ、分かりました。おい、お前ら、俺は魔石屋に行くからその木の事は頼んだぞ!」
レオさんは部下たちにレフィーナの出した木の伐採を頼むと、彼女に手を引かれて王都へと歩き出す。
俺とミドリはその後に続いた。
レフィーナは王都の魔石屋で砂糖魔石を買って貰うと、待ちきれなかったとばかりにその場で包装紙を開けて砂糖魔石をひと舐めした。
「あ、あまぁ……」
「レフィーナさん、食べるのは私の工房に戻ってからにしてもらえませんか?」
「ん?」
レフィーナがぐるりと周囲を見回すと、魔石屋の店員や客たちが引きつった表情で彼女を見ていた。
そりゃそうだ。いくら食用の砂糖魔石だからといって、買ったそばから店内で食べ始める奴はいない。スーパーでグラニュー糖を買って、その場で袋を開けて中身を食べ始めるようなものだ。
「よく分からないけど、分かった……」
自分が何かを失敗したということは分かったらしく、レフィーナはしょんぼりしながら砂糖魔石を俺に渡してくる。
「…………舐めかけか」
「アキト様」
「何でもないです」
俺はミドリに半目で睨まれながら砂糖魔石を包装紙に包み直してリュックにしまった。
レオさんの店に戻ると、気を取り直して砂糖魔石の味見を開始する。10万メリンもした物を全て食べてしまうのはもったいないので、砕いた欠片を食べることにした。
直接舐めるのは行儀が悪いので、レオさんたちに湯煎してらって液体にする。元々は乳白色の砂糖魔石だが、液体になることで透明になった。原理は謎だ。ついでに甘い匂いが漂ってくる。
透明な液体になったとはいえ、元が白い石だったのでおいしそうには見えないのだが、ミドリが生唾を飲み込んで試食したいと言い出したことで、認識を改めた。
砂糖魔石は魔力の味が分かる種族にはご馳走に見えるらしい。甘い物が苦手だと言っていたミドリが欲しがるのだから相当だ。
俺たち三人はレフィーナを中央にしてレオさんの向かいの席に着くと、ガラスの容器に入れられた液体を金属製のスプーンですくって口に運ぶ。量がないので三人で回す形だ。
まず始めはレフィーナ。
あまりのおいしさに両足をバタつかせて喜んだが、しばらくして王女らしくない振る舞いだということに気付いて姿勢を正した。口元が終始にやにやしているので威厳も何もあったものではない。
次にミドリ。
口に入れた瞬間に目を見開いたが、すぐにいつもの無感情な顔へと戻る。出会ったばかりのレオさんは騙せただろうが、前のアキトの記憶も入れると数年間共に生活してきた俺には分かる。これは必死に表情を崩さないように耐えている時の顔だ。その証拠に長い尻尾の先が可愛らしく動き回っていた。テーブルの下だからバレないと考えているのだろうが、俺がお前の尻尾の変化を見逃すわけがない。結局は足をバタつかせて喜んでいたレフィーナと同じだな。
最後は俺だ。
蜂蜜のようにどろりとした液体を口に運ぶ。
ルナ―リア様の蜜よりは控えめだが、蜂蜜と同等かそれ以上には甘い。正直、スプーン一杯で限界だな。だがこの甘さならアルラウネたちも十分に誘惑可能だと思う。アルラウネたちの目の前にチラつかせれば、いとも簡単に首を縦に振らせることが出来るだろう。
「どうですか? 普通のアルラウネたちにも喜ばれる味でしょうか?」
レオさんが不安そうにレフィーナに尋ねると、レフィーナはにっこりと笑った。
「こんなに美味しい魔力を食べたのは生まれて初めてだよ。正直に言うとママの蜜よりも美味しかった!」
「ええ。芳醇な魔力が溶け込んだこの世で最も美味な甘味と言えるでしょう。10万メリンでは安すぎるほどです」
二人が感想を言い終えると、全員の視線が俺に集中する。それが俺の感想を求めての物だと分かってはいるが、みんなが望むような感想を述べられる気がしない。
俺は少したじろぎながらも言葉を紡ぐ。
「ええっと、甘さは濃い蜂蜜って感じで、ヨーグルトとかに混ぜたくなる味ですね。人間の俺にはちょっと甘すぎます。アルラウネにはちょうどいいんじゃないですか?」
俺の感想を聞いてレオさんは納得するように頷いてくれたが、何故かレフィーナとミドリは怒りを露わにした。
「何言ってるんだよ、アキトくん! 大事なのは魔力の味じゃないか!」
「魔力の味も分からないんですか? 一緒にいて恥ずかしいです」
酷い言われようだ。レオさんが同情するような目を俺に向ける。
「しょうがないだろ、俺は人間なんだから。けど二人がそんだけ気に入ったってことは、砂糖魔石はアルラウネとの交渉に十分使えるってことだよな?」
「うん。魔力の味は普通のアルラウネでも分かるから、これならみんな大喜びだよ」
レフィーナは砂糖魔石を食べながら答える。魔力の味ってどんな味だろう。俺が人間なのが恨めしい。
「じゃあ、どうしようか。さっそく森に持ち帰ってルナ―リア様と交渉するか? アルラウネは森から出られないから、給料は金じゃなくて砂糖魔石がいいかもな」
「どうだろう? ママも砂糖魔石は欲しがると思うけど、だからと言ってせっかく育ててきた木を人間に売るかなぁ? 森はママの一部のようなものだし難しそう」
レフィーナはすっかりレオさん側に付いたようだ。砂糖魔石の魅力は恐ろしいな。
「そんなもん、売る用の木を新しく育てればいいだろ?」
全く考えていなかったのか、レフィーナはとても驚いた顔で俺を見た。
「そ、そっか! あっ……でも、それだと土地を広げないと……」
レフィーナは真剣な顔で俺が持っている残りの砂糖魔石を見つめた。何かを諦めるように大きなため息を一つ吐くと、レオさんに向き直る。
「ねえ、レオ。森まで一緒に来てくれる? ママと直接話し合おうよ」
レフィーナの提案にレオさんは目を輝かせた。
「本当ですか? もちろん一緒に行かせてください。今から行きますか?」
「ううん。今日はもうすぐ日が暮れるだろうし、明日の日の出後に出発しよう?」
「日の出? そうか、アルラウネは日中しか活動しない種族でしたね……分かりました。こちらも出来る限りのことをして明日に備えます」
こうして俺とミドリ、レフィーナの三人はレオさんの工房を後にした。
王都の店で夕食を取った後、俺たちは昨日泊まった安宿よりも少しだけ上等なホテルで部屋を取った。
レフィーナは物珍しそうにホテル内を見て回りながら、緊張した面持ちの従業員に説明を受けている。
仕方ないことだが、レフィーナは従業員と利用客の両方から視線を集めていた。そして彼女が首にかけている友好旅行者を示す青い魔石を確認して安堵の息を吐くといった感じだ。
「んじゃ、明日も早いしさっさと寝ちまおう。おやすみ」
「はい。おやすみなさい」
「おやすみ~!」
二人と就寝のあいさつを交わす。
「って、おい。何でこっちに付いてこようとしてるんだ」
俺は当たり前のように後ろにくっついて部屋に入ろうとしていたレフィーナを咎める。
「えっ、ダメなの?」
「当然だろ、二人部屋はあっちだ」
ミドリが入ろうとしている隣部屋を指差す。
「じゃあ、ミドリお姉ちゃん、部屋変わってよ」
「……別に構いませんよ」
「俺が構うわ! 女子二人で仲良く寝ればいいだろうが」
俺のツッコミにミドリとレフィーナは顔を見合わせてから首を傾げる。
「アキト様、クイーンアルラウネの話をちゃんと聞いていなかったのですか?」
「は? 急に何だよ、ちゃんと聞いてただろ。何ならメモまで取ったぞ」
「なら分かると思うのですが」
「アキトくん、ぼくは女の子じゃないよ?」
レフィーナの意味不明な言葉に俺の思考は一瞬フリーズする。
「……レフィーナはアキト様と同室がいいようなので、私はこっちの部屋で休ませてもらいますね」
ミドリは二人部屋の鍵をレフィーナに渡すと、俺が固まっている隙を突くように一人部屋の鍵を奪い取って部屋に入っていく。
「えっ? あ、おい!」
我に返って声をかけた時にはもうドアが閉まっており、ガチャリとオートロックがかかった音がした。
「…………」
「アキトくん、とりあえず部屋に入ろう?」
「…………ああ」
レフィーナの蔓に手を引かれながら俺は諦めて部屋に入った。当然のことだが部屋にはベッドが二つあったので、奥のベッドの脇に荷物を降ろす。
「へえ、これがベッドかぁ。花の中よりもふかふかだね。今日はもうここで寝るだけ?」
「いや、シャワーは浴びておきたい――あっ、着替え……」
俺は衣服のすべてをミドリの異空間にしまっていることを思い出した。すると、俺の呟きが隣部屋のミドリに聞こえたのかどうかは分からないが、壁に大きな穴のようなものが空いてミドリが現れる。
「うおっ、ミドリ!?」
「アキト様、着替えです」
ミドリはベッドの上に着替えを置くと、再び穴の中に戻っていく。
「ちょ、ちょっとま――」
俺が呼び止めるよりも早くミドリの開いた穴が小さくなって消える。
「――行っちゃったね」
俺はミドリを呼び止めようと宙に伸ばした手を引っ込める。
「……あいつ、本当に何でもありだな」
レフィーナが仲間になったことで俺を守る負担が減ったのだろう。俺の守りをレフィーナに任せて久しぶりにゆっくりしたいのかもしれない。
「それでアキトくん。シャワーだっけ? 浴びるって言っていたけどどういうこと?」
「ん? ああ、水浴びって分かるか?」
「もちろん。川とか湖でやるやつでしょ」
「シャワーってのはそれに近い。見たほうが分かりやすいかな。付いてこい」
俺はレフィーナを連れて浴室に移動した。俺の世界でもよく見るタイプのトイレと洗面台、バスタブが同室にあるやつだ。
「ここを捻るとシャワーが出るんだ」
「わっ、あったかい。水じゃないんだ」
「ああ。水だと風邪をひくからな。で、これが髪の毛を洗うシャンプーとコンディショナー。身体を洗うのはこっちのボディーソープだ。これで汚れを落として、最後にお湯で洗い流すんだ」
「お湯だけじゃなくて、こんなのも使うんだ……」
レフィーナは顔をしかめる。これはめんどくさいっていう顔だな。
「そうだ、一緒にこっちも説明しておくか――」
俺はついでとばかりにトイレの使い方を説明した。今まで聞けずにいたが、やっぱりアルラウネも排泄はするらしい。食事量が人間と同じになったから排泄量も増えるだろうと言ったら、すごく嫌そうな顔をされたけど、こればっかりはしょうがない話だ。美味しい物が食べられる代償だと思ってくれと言って宥めておいた。
「で、どっちが先に使う?」
「う~ん、一通り教えてもらったけど、一人で上手く出来る気がしないや。アキトくん、一緒に使おうよ」
「は? いや、それはダメだろう」
本当にダメだ。色々な意味でまずい。
「どうして?」
「俺は男だぞ? レフィーナと一緒に風呂なんて入ったら自分を抑えられる気がしない。襲い掛かる未来しか見えないぞ」
レフィーナは子供だが、とても美しいプリンセスアルラウネだ。彼女の裸体を見てこの俺が正気を保てる訳がない。
「襲い掛かるって……ぼくに勝てると思ってるの?」
「えっ、いや、そういう意味じゃなくて、その……性的な方の話なんですが……」
なんでこんな説明をしなくてはならないのか。顔が少し熱い。
「ああ、そっちか。でもアキトくん、さっきも言ったけど、ぼくは女の子じゃないんだよ? 男の子でもないわけだけど、襲っても意味ないでしょ」
「いや、その見た目なら人間の俺から見れば十分女の子に見える。本当は違うとしても、俺の身体はレフィーナを女だと思って反応しちまうからダメなんだ」
「反応って?」
そこは掘り下げないでくれよ。
「その……分かりやすく言うとだな……」
「分かりやすく言うと?」
「…………発情」
「それは面倒くさそうだね」
面倒くさいって……。
「分かった。一人で出来るか不安だけど、頑張ってみるよ」
「おう……そうしてくれ」
俺が希望した通りになったはずなのに、何故か心が傷ついた気がした。
その後は、レフィーナの頭にシャンプーの流し残しを発見して入り直させたりしつつも、交代でシャワーを使い終え、仲良く就寝した。
新種の魔石はどんな効果があるか分からないので発見されると一度全て国に回収され、安全が確認されると市場に出回ります。
販売店、価格も国が決めます。砂糖魔石が高いのは魔力の味が分かる種族が買い占めないようにです。




