三章 ハーピーの試練 二話
ヤマシロの西にある港から船に乗り、俺たちはアルドミラへと渡る船旅を開始した。
産まれてから何百、何千年と過ごし、見守って来たヤマシロを離れるという感覚は俺には想像が付かないが、白露はただ黙って船の後部デッキから小さくなっていくヤマシロの地を見えなくなるまで眺めていた。
何一つ見えなくなった水平線を見つめていた白露が振り返り、俺に笑顔を向ける。
「主殿、アルドミラという国について教えて欲しいのじゃ」
「構わないけど……もう、いいのか?」
「うむ。故郷との別れは済ませた。次は自分の未来について考える時じゃ」
「分かった。なら、この船の進む方向を見ながら話をしないか?」
「良い考えじゃな。さっそく移動するとしよう」
俺と白露、それと彼女の頭の上に乗っている八重菊の二人と一匹で前部デッキに移動すると、進路方向を見ながら座れるところを見付けて腰を下ろす。
「アルドミラの何から聞きたい?」
「そうじゃなあ……人々の暮らし、気候、作物などが気になるのじゃ」
気候と作物って農業でも始めるつもりか?
まあ、一応俺の職業も農家なので白露にも関係ある話だ。
「暮らしはそこまでヤマシロと変わらないぞ。東の方の町はヤマシロとの貿易の影響で食べ物まで似ている。たぶん米はヤマシロから輸入しているやつだろう」
「ではアルドミラでは稲作はしておらんのか?」
「たぶんな。少なくとも俺が暮らしているミルド村では稲は作っていない。ミルド村で作っているのは野菜とブドウだ。最近だとレフィーナが野菜の種類を増やしたり、森で果物を作ったりもしている」
「植物の繁殖は植物族であるレフィーナの得意とするところじゃろうからな。村にはレフィーナの子供たちもおるのじゃろ?」
「ああ。まだ子供で、村の人間たちに混じって学校に通ったり、遊んだりしているぞ」
最近はレフィーナがいないことがほとんどなので少し可哀そうだ。
「気候はどうなのじゃ? ミドリが言っておったが、ヤマシロよりも涼しいのじゃろ?」
「そうだな。夏もあそこまで暑くはない。あと、湿気もそこまでじゃないな」
「それは嬉しいような、寂しいような、微妙な気分じゃな」
夏は暮らしやすい反面、故郷の暑さが懐かしくなることもあるということだろうな。
俺もヤマシロの夏は辛かったが、同時に日本の夏を思い出して懐かしくなった。
「まあそこは気にしなくても大丈夫だろ。別れ際のオリヴィアやミドリを見る限り、夏になったら毎年のようにヤマシロに旅行に行きたがると思うし」
「それもそうじゃな。我としてはアルドミラの夏も体験してみたいから、あえて村に残る選択肢もある。そこは毎年の気分次第ということか」
白露の言うように、俺たちが居ない間ミルド村のみんながどんな暮らしをしていたのかは気になるところだ。
アルラウネやハチ人が移住したことで村は目に見えて変化した。ヤマシロでの夏は楽しかったが、ミルド村での夏も楽しそうだと思う。ミドリやオリヴィアには悪いが、俺がヤマシロに行くのは二年に一度くらいになりそうだ。
「そうそう、アルドミラは石の外壁がある大きな町もあるから、落ち着いたら国中を巡って見ると楽しいかもしれないぞ?」
「石の外壁? それは城ではないのか?」
「まあ、それに近い物ではあるな。もしかしてヤマシロも昔は石の外壁があったのか?」
「悪鬼や大鬼と争っておる頃は多くの城があったのじゃ。今は記念に残されているものが少しあるくらいで、実際に機能している城は存在しないのじゃ」
そこも日本と同じだな。
けど、ドレン要塞都市の外壁は国境壁から続いているだけあって日本の城よりも大きかったし、きっとシラツユも驚くと思う。
「国境にある壁が一番大きいんだよな。戦争中は軽い気持ちで見に行くことは出来ないけどさ」
「国境……ヤマシロは他国とは海で隔たれておるから思い付かなかったが、陸続きだと国境にも壁を作らねばならんのか。戦時中じゃとしかたないとも取れるが、何とも息苦しいのう」
「戦争相手のギドメリア方面だけじゃなくて、同盟国である西のハウランゲルとの間にも壁があるからそれが普通なんじゃないか?」
「そうなのかのう」
息苦しい、か。
確かに、全方向を壁に囲まれていると息苦しさを感じるかもしれない。
実際には国土が広すぎて壁なんて見えないけどな。それに村や町にも壁があるのは当たり前だし、魔獣や魔物がいる世界なら仕方のない話だ。元魔獣の白露だからこそ出てくる感想だと思う。
「少し小耳に挟んだのじゃが、アルドミラは人間以外の人々には冷たいというのは本当なのか?」
「それは……本当だな。不本意ながら」
「なぜじゃ? アルドミラは眩耀が創った国なのじゃろう? そして、眩耀を勇者、碧羅を竜王として崇めている。それならば、全ての種族に優しい国になると思うのじゃが」
二人をよく知っている白露からしたら、今のアルドミラの人間たちの思考は理解しがたいものだろう。
きっと、ゲンヨウという人間とヘキラというドラゴンはとても優しい人たちだったに違いない。妖怪である白露や敵対していた鬼たちすら受け入れて悪鬼を倒し、ヤマシロをとても平和な国にした。
鬼たちが他種族から迫害されていないのが良い証拠だ。しっかりと共存できるように人々の考え方から教育されている国だと思う。
それに他国では化け物だと恐れられたオリヴィアを蛇竜の巫女として受け入れ、歓迎してくれるのだから、あの国は少数種族にとっての楽園だ。
それに比べるとアルドミラは酷い国だよな。オリヴィアが入国して早々に俺と契約したがった気持ちが分かるよ。
「歴史がちゃんと伝わっていないんだと思う。俺の知る限り、勇者は竜王を従えて魔王を倒したってことになっている。そして、人間だった勇者がその後で作ったのが、当時あの大陸では弱い立場だった人間のための国であるアルドミラなんだ」
「従えて? それは酷い改変じゃな。むしろ眩耀は碧羅に助けられて成長していった男じゃぞ。弟子や相棒といった表現が一番近い。間違っても眩耀の立場が碧羅より上だったことなどないはずじゃ」
「それを知っているのは世界中探してもお前くらいしか残っていないってことだな」
「ぬぅ……」
シラツユは悔しそうに眉間にしわを寄せる。
「もともと、西の大陸では力の弱い人間は他種族に虐げられてひっそりと暮らしていたらしいから、勇者のおかげで自分たちの国が出来て凄く舞い上がったと思うんだ」
「その結果、仕返しのように他の種族を差別するようになったということか」
「まあ……そうなるな。虐げているわけじゃないけど、怖がっているって印象が強い」
「契約をしておらん人間はとても弱いから、その気持ちは分からんでもないが……眩耀はともかく碧羅の事がしっかりと伝わっていないのは、あやつを愛しておった身として辛いところがあるのう」
「――え?」
愛していた?
白露は酒呑童子のやり方に付いて行けず、竜王ヘキラに協力して裏切ったと聞いていたが、ヘキラの事を愛していたのか?
「ん? 伝えたじゃろ? 我は碧羅に惹かれていたと」
「……確かにそう聞いたけど、それは竜王のカリスマ性に魅せられたとか、そういう感じかと」
「まあそれも間違いではないが、決め手は碧羅を女として愛していたからじゃな」
「そ、そうだったのか」
「妖怪になった際に生殖能力は無くなっていたから、あやつの子を望むことは出来なかったが、もしも我が竜族だったなら間違いなく夜這いするくらいには想っておったぞ」
「……なんか、あんまり聞きたくなかった」
「昔の話じゃし、あまり気にするな。今は主殿のおかげで人間と子を成せるようになったし、新しい恋に生きようと思っておる」
今のところ白露が狙っているのがいつか産まれるかもしれない俺の息子だというのが微妙な気分にさせる正体だよな。
まだ見ぬ息子が羨ましい様な可哀そうな様な、とにかく強く生きて欲しい。
「しかし、そうなるとギドメリアはどう思うんだ?」
「アルドミラの北にあるという戦争相手の国じゃよな? どうと言われてもアルドミラ以上に知らない国なのじゃ。我が封印される前は西の大陸の国といえばハウランゲルじゃったからのう」
「ギドメリアは竜王ヘキラを崇めている国だ。ドラゴン教っていう宗教まであるらしい。人間以外の種族が暮らしていて、人間を敵視している」
「なぜ碧羅を崇めておるのに人間を敵視しているのじゃ? 碧羅は人間ととても友好的な関係を築いておったぞ?」
そこなんだよな。
俺もギドメリアで生まれ育ったわけじゃないから詳しいことは分からない。
「――それは、自分たちをまとめ上げて国を創る手助けをしてくれた竜王ヘキラが人間の勇者に従えられていたという伝説が残っているせいですね」
俺と白露の会話に突然別の女性の声が入ってくる。
声の方を向くと、デッキの手すりから海を眺めているドラゴンメイドがいた。
「ミドリ、船酔いは大丈夫なのか?」
「薬を飲みましたし、日中は海を眺め続けていれば何とか大丈夫です」
こいつはこいつなりに長い船旅の中で船酔い対策を身に着けていたか。昔のようにゲロまみれになられても困るし、一安心だな。
「ちょうどいいのじゃ、ギドメリア出身のミドリなら詳しく知っておるのじゃろう? 色々教えて欲しいのじゃ」
「まあ、アキト様よりは詳しい程度ですが、私で良ければ」
一言多いんだよな。このツンデレドラゴン娘。
「その昔、東の国からやってきた悪しき竜によってハウランゲルは国土の半分を失いました。何とか西側は守り切っていましたが、東側は全て占領された形です」
「それって魔王のことか?」
「恐らくはそうですね。現魔王がこの悪しき竜だということは一般の国民たちには伏せられています」
まあそうか。イメージが悪いもんな。
「ああ、それとアキト様などアルドミラの人々は魔王と呼びますが、ギドメリアでは普通に王と呼ばれています。当たり前ですが、国民の事を魔族と呼ぶこともありません」
「どういうことじゃ? ギドメリアは魔族が多いのか?」
古くからの種族分類である魔族という呼び方を知っているだけに、今の会話は白露が余計な誤解をする結果になったようだ。
「悪い、それも説明しないとな。白露が教えてくれた魔族や人族という言葉は古い本の中くらいにしか出て来ないんだ。代わりに人間たちは魔力を多く持つ種族の事を魔族って呼ぶようになっている」
「補足すると、それから派生して今ではギドメリアの国民を差別する際に魔族という言葉が使われるようになっています」
俺たちの説明を聞いて、白露は頭を抱えた。
「ひ、酷いものじゃな。魔族が差別用語とは……それでは本当の魔族は肩身が狭かろう」
「というよりも、人間と獣人以外の種族はアルドミラでは肩身が狭いですね」
「なんじゃか、アルドミラに行くのが怖くなってきたのじゃ」
今の話だけ聞くとそうなるよな。
白露は大きなため息を吐いた後で、ミドリに続きを促した。
「話の腰を折ってすまなかったのじゃ、先ほどの歴史の続きを頼む」
「歴史ではなく、あくまでも伝説ですよ。悪しき竜が大陸の東側を占領してから数十年後に、再び東の国から海のように青い竜に乗った人間の若者が現れました。その人間は従えた竜と共に悪しき竜を打ち倒すと、大陸南東の森を開墾して人間の国を築きました」
「それがアルドミラということじゃな?」
「そうです。ですが、アルドミラの誕生によって、本来その近辺に暮らしていた人間以外の種族たちは居場所を失って北の大地へ移り住むことになりました。その種族たちを助け導いたのが勇者の支配から逃れた青き竜、竜王ヘキラです」
「な、なんじゃそれは、眩耀は居場所を失った種族たちを助けなかったのか?」
「実際には助けようと思ったのではないでしょうか? しかし、当時は人間が他種族からとても下に見られていたでしょうから、勇者は立場の弱い人間を庇い、代わりに居場所を失った種族をドラゴンである竜王に任せたとも考えられます」
「それほどに人間の立場は弱かったのか……ヤマシロとは違うものじゃのう」
話を聞く限り、勇者にはそのつもりはなくとも、居場所を失って北に移住した種族たちは勇者を恨み、自分たちを助けてくれた竜王に感謝したって感じか。
それぞれの国の人々が自分たちに都合のいいように勇者と竜王の話を伝承していった結果、事実が捻じ曲がって伝わってしまったのだろう。
「そして蘇った黒曜がギドメリアを支配したことで、再びアルドミラとの戦いが激化してしまったということか。眩耀と碧羅が知ったら無念じゃろうな。あやつらの望みは、全ての種族が分け隔てなく手を取り合って暮らすことの出来る世界じゃったからの」
「世界ですか。そのスケールでは無理ですが、アキト様はそれに近いことをアルドミラでしていますよ」
そんな大それた思想でやっているわけじゃないが、ミドリの言いたいことは分かる。
「ミルド村のことか?」
「それだけではありません、アルラウネの森の件もそうです」
「それもあったな」
俺はアルドミラとギドメリアの現状を聞かされて不安そうにしている白露の肩を叩く。
「今話したのは、俺とミドリが旅を始める前のアルドミラだから安心しろ」
「旅を始める前?」
「アキト様の恋人探しの旅ですね。アキト様は森の奥で暮らしていたアルラウネと人間との関係を改善し、友好的な交流が出来るところまで進展させました」
「その結果、女王のレフィーナをたらし込んだということか」
「その通りです」
「ちげえよ!」
嘘を教えるな!
「失礼しました。レフィーナは元々王女だったのです」
「では、主殿が嫁に貰ったと?」
「それも違う。友達になっただけだ。そうしたらあいつが俺の故郷で色々やらかしたあげく、勝手に子供を作って女王になっちまったんだ」
「やらかした……? それを主殿の村の人間たちはどう思っておるのじゃ?」
「最初こそ戸惑っていたけど、レフィーナは徹底的に人間に信頼してもらえるように努力したんだ。そうしたら、産まれてきた子供たちも人間の子供たちと友達になって、人間とアルラウネが共存する村が出来た」
異種族を恐れ、冷たい態度を取りがちになってしまうアルドミラの一般人たちとは違い、ミルド村の人々は異種族に対してとても友好的だ。
それは、アルラウネと共存することが出来たという結果があるからに他ならない。
「ミルド村はその件で有名になって、今じゃ観光客が来るほどだ」
「そうなのですか?」
「たまにだけどな。でも、ちょっとずつ増えて来てる。これってアルドミラの人間たちが異種族に対して偏見を持たなくなってきているってことだと思わないか?」
「可能性はありますね。良い傾向だと思います」
「主殿」
白露は真剣な表情で俺の手を握る。
「感謝するのじゃ」
「どうして俺にお礼を言うんだよ?」
「眩耀と碧羅が創った国が、二人の理想とかけ離れているというのは悲しいじゃろう? 主殿はそれを二人の理想の国に近付けてくれているのじゃから、お礼を言って当然じゃ」
「別に国に何かしたわけじゃないし、責任持てないぞ。俺はせいぜいミルド村を管理するくらいの能力しか持っていない」
それも、お爺さんやレフィーナ、ヘルガなどの力を借りてやっとだ。
みんなで協力して知恵を絞って来たからこそ、今のミルド村がある。俺たちにはそれで精一杯だ。アルドミラ全土をどうこうすることなんて出来やしない。
「いいんじゃよ、それで。その最初のきっかけを作るのが一番難しいのじゃ」
白露は先ほどまでの暗い表情が嘘のように笑顔になる。
「アルドミラは少々不安の残る国のようじゃが、ミルド村に行くのは楽しみになったぞ」
「そうか? それは良かったよ」
「私も、ミルド村に帰るのが楽しみ――です……ね」
ミドリも珍しく楽しみだという感情が表情に乗っていたのだが、突然動きが止まり、一歩よろめいた。
「ミドリ?」
「アキト様……やってしまいました」
「ど、どうしたんだよ?」
ミドリの表情がみるみる青白くなっていく。
「船の進行方向と逆向きで二人の顔を見て話すというのは……わ、私にはまだ早かっ――うっ」
ミドリはその場で口元を押さえて固まる。
「ま、待て、ミドリ! ここでやるなよ? 海の方を向け!」
今ぶちまけられたら大惨事だ。
ミドリは小さく頷くと、ゆっくりと身体を反転させて船の側面側へと移動する。
「ど、どうしたというのじゃ?」
「船酔いだ」
「なんじゃそれは?」
そうか、白露は体験したことなんてないよな。
「……アキト様たちは離れてください。こんな姿見られたく――」
直後にミドリは手すりから乗り出すようにして、胃の中の物を海へとぶちまける。
なんか今のやり取り、昔もした気がする。
俺は懐かしさを覚えながら、嘔吐する美少女ドラゴンの背中をさすってやった。




