一章 アルラウネの森 七話
「ど、どうぞ」
「うん。ありがとう」
レオさんはおっかなびっくりといった感じで、正面の席に座っているレフィーナにお茶を出す。どう見ても緊張しているな。
俺がレフィーナを連れて王都の職人通りに入った頃には、遠巻きに物珍しそうな目でこちらを見る人が増え出した。レフィーナが青の魔石が嵌められたペンダントを付けているので表立って文句を言ってくる人はいないが、明らかに警戒されていることが分かる。
その結果、俺たちの到着よりも先にアルラウネが王都に来ているという情報がレオさんのもとに入り、レオさんは数名の職人たちを連れて工房を飛び出してきた。そして俺とミドリとレフィーナの3人は恐怖と野心が混じったようなギラついた目をしたレオさんに連れられて工房の商談室に通されたというわけだ。
「レフィーナ、ちょっと待った。紅茶にはミルクを入れたほうがいいぞ」
「ん、どれ?」
「これだ、これ」
レフィーナにミルクの入った小さなカップを手渡すと、彼女は珍しそうに中を覗き込んだ。森に乳牛はいないからな。見るのは初めてなのだろう。
「レオさん、砂糖はありませんか? アルラウネは甘いものが好きなんですよ」
「そ、そうなのか?」
そばにいた俺と同い年くらいの青年が即座に砂糖が入っている容器を出してくれる。
俺は容器の蓋を開けて金属の小さなトングのようなもので中の角砂糖を一つ取り出すとレフィーナの紅茶に入れてやった。
「お前の好みが分からないからな、一口飲んで試してみろ」
「ママの蜜と同じ要領だね」
レフィーナはマドラーで砂糖とミルクを入れた紅茶を掻き混ぜては、一口飲んで砂糖を投入することを繰り返した。
結果として、レフィーナの好みは角砂糖三つだと分かる。甘党だな。
「アルラウネが甘いもの好きとは知らなかった。おい、大通りのケーキ屋で何か買ってこい」
レオさんが近くにいた青年に銀色の硬貨を渡す。判断が速いな。レフィーナのご機嫌取りをしてでも交渉を成功させるつもりだろう。
「アキトくん、ケーキって何?」
「甘い食べ物だ。そういやまだ試してなかったが、固形物も食べられる様になっているんだよな?」
「もちろんだよ。楽しみだな~」
レフィーナはご機嫌でミルクティーをすする。普通に行儀が悪いな。レオさんたちが微妙な顔をして見ているぞ。あれは「アルラウネの子供だししょうがないか」って顔だ。
「レフィーナ、音を立てて飲み物をすするのは行儀が悪いです」
「ん、そうなの?」
「ええ。基本的に食事は音を立てないようにするのがマナーです。そしてカップの持ち方はこうですよ」
「むう……」
ミドリにカップの持ち方を矯正されると、レフィーナは不満そうに口を尖らせた。
「いや、アルラウネの嬢ちゃんは森の外は初めてだろう? 俺たちは気にしないし、好きに飲んでくれて構わないぞ」
「いえ、それはよくありません。アルラウネだから行儀が悪くても仕方ないと思われるのはレフィーナにとっても我慢ならないことでしょう。ですよね、プリンセス?」
ミドリはあえてプリンセスと呼ぶことで、遠回しに王女として振舞うようにレフィーナを誘導する。
レフィーナはハッとしたように紅茶のカップを静かに置くと、姿勢を正した。プリンセス呼びの効果は抜群のようだ。
「プ、プリンセスだって?」
「ああ、まだ言ってなかったな。レオさん、こいつは――」
俺が紹介しようとすると、レフィーナの蔓によって口を塞がれる。
「アキトくん、自分で言うよ」
俺が頷くと口を塞いでいた蔓の力が緩められたので、手で掴んで引き剥がす。自分でやりたいというのなら仕方ない。しばらくは黙って見守ってやろう。
俺がレフィーナの蔓を手元でふにふにと弄んでいる間にもレフィーナとレオさんの会話は進んでいく。
「ぼくはレフィーナ。クイーンアルラウネの娘。プリンセスアルラウネだよ」
レオさんは返事をすることも出来ずにごくりと生唾を飲み込んだ。
「レオ様、次はあなたが名乗る番だと思われますが?」
「す、すまん。俺は…………私はレオといいます。この町で林業――木を植えて育てたり、伐って加工したりして販売する仕事をしています」
レオさんが態度を変えたのを見て、レフィーナは満足そうに口の端を吊り上げる。俺と出会った時とは大違いだ。やはり最上級種族だけあって、基本的に人間の事は見下しているのだろう。
「それで、今日は森の木の伐採に関しての話し合いに来て頂けたのだと考えてもいいのでしょうか?」
「うん。というか、それ以外の理由でアキトくんと契約してまでこんなところに来ないよね」
「契約……レフィーナさんは彼と契約したのですか?」
「まあね。最初は森の外に出るために契約したんだけど、この身体気に入っちゃったよ。アキトくんさえよければずっと契約していたいくらい」
レフィーナが蔓を撫で続けている俺を横目で見てきたので笑顔で頷く。願ったり叶ったりだ。レフィーナとの契約で俺が貰った祝福は今後の旅で大いに役立つだろう。
「それで本題だけど、君たちはどうしてぼくたちの森の木を伐りにくるの? 木ならほかの場所にもあるでしょ? 知らないのかもしれないけど、ぼくたちの森の木はぼくたちみんなが世話して育ててきた木なんだ。人間に渡す気はないよ」
レフィーナに尋ねられ、レオさんはしばし考えるように顎髭に手を当てる。
「……まず前提として、人間の生活に木は必要不可欠です。家具や家を作る材料としても使われますが、何よりも魔石に吸収させる火を作り出すための燃料として用います」
火の魔石は炎の魔法を吸収させたものなのかと思っていたが、普通に木を燃やして火を生みだしていたのか。意外な新事実だな、アキトも知らなかったようだ。
「だが、木の成長というのはそれほど早くない。一つの森からばかり木を伐っていては、やがてその森は無くなってしまう。俺たちはそれを防ぐために木を植えて、自分たちで木を育てているんです」
俺の世界で言うところのガスの代わりに火の魔石を使っているのだから、冬場の薪の消費量は半端じゃなさそうだ。木の生産量を上げないとそのうち本当に需要に供給が追い付かなくなるだろう。
レオさんの説明にレフィーナが困惑するように首を傾げた。
「自分たちで木を育てているなら、どうしてぼく達の森の木まで欲しがるのさ?」
「それは……」
レオさんは言いにくそうに口籠った後、決意を秘めた目で理由を話した。
「あの森の木を燃やすと、普通の木よりもずっと長い間燃え続けてくれるからです」
レオの言葉を聞いた瞬間に、レフィーナは彼を睨みつけて蔓を伸ばす。
「レフィーナ、やめろ!」
「いけません、レフィーナ」
俺とミドリが同時にレフィーナの蔓を掴んで止めるが、彼女は気にした風もなくレオを睨み付けたまま質問する。
「どうしてぼくたちの森の木が長く燃えるなんて知っているの?」
「……一年くらい前に魔石屋に聞かれたんです。アルラウネの森の木は扱っていないのかと」
そこから先、レオさんは眼前に突き付けられたレフィーナの蔓に怯えながら全てを話してくれた。
ミドリがレオさんの周りに不可侵領域を張ってくれたので安全ではあったのだが、レオさんは生きた心地がしなかっただろう。
話をまとめると、こっそりとアルラウネの森の木を伐っては火の魔石用の薪として魔石屋に売りに来る人間がいた。
魔石屋はその木を燃やしてみてアルラウネの森の木が普通の木とは違うことに気付く。
魔石屋がアルラウネの森の木を高く買い取ると言うので、レオさんはアルラウネの森に交渉に行っていた。
「じゃあ、レオはぼくたちの森の木を勝手に伐った人間とは違うんだね?」
「も、もちろんです。私たちはそんなことはしない。だから危険を覚悟で交渉に行っていたんです。アルラウネと正規の契約が出来れば、魔石屋は私たちからのみ木を買うと約束してくれました」
「そっか」
レフィーナはあっさりと納得すると蔓をしまう。
「し、信じてくれるのですか?」
「うん。だって、もし勝手に木を伐っているのなら今の話をぼくに教えたりしないでしょ。木の育ち方が綺麗だからとか、もっと量が欲しいからとか適当な理由を言えばよかったはずなんだ」
信じる理由としては弱い気もするが、俺もレオさんがそんなことをするような人には見えない。ミドリも同じ気持ちなのか俺の目を見て頷いた。
「私もレオ様が嘘を言っているようには見えません。しかし、聞きたいことがあります、レオ様はアルラウネの森の木を燃やしているところを実際に見たことがあるのですか?」
「いや、ないな。魔石屋から話を聞いただけだ」
「ということは、長く燃えるという話自体、嘘の可能性もありませんか? そもそも魔石屋に秘密裏に売りに出された木は本当にアルラウネの森の木だったのでしょうか?」
なるほど、嘘だったということにしてこの交渉自体をやめさせる狙いか。考えたな、ミドリ。
「それはどうだろうね。ママの土地に植えた植物だから魔力を持っているだろうし、それを燃料にして長く燃えるっていうのはありそうな話だと思うな」
おい、レフィーナ!
どうしてお前が認めているんだ。空気を読め!
レフィーナが得意げに言うと、目を輝かせたレオさんが椅子から立ち上がって身を乗り出した。
「土地? やはり土に違いがあるのか!?」
「う、うん。あの辺りはママが根を張っているからね。土地自体がママの魔力に満たされている状態なんだ。そこで育つ植物は通常よりも力強く育つってママが言ってたよ。でも、やっぱりぼくたちの森の木はあげられないよ。人間にあげるために育てたわけじゃないからね」
「くっ……俺たちも育てるのを手伝うので、木を分けてもらうわけには」
「出来ないよ。そもそも手伝いとかいらないし」
レフィーナにきっぱりと断られたレオさんが悔しそうに席に着くと、ちょうど使いに出させていた若者がケーキの箱を抱えて帰ってきた。
「お待たせしました!」
俺とレフィーナの前に赤いラズベリーが乗ったケーキが出される。俺の後ろに立っているミドリの分も出されたのだが、ミドリは甘いものは苦手だと言って断った。
それにしても、ラズベリーはレフィーナ的に共食いにならないのだろうか?
植物系の種族にフルーツを使ったケーキを出すなよ、気が利かない奴だ。
「ケーキ! アキトくん、どうやって食べるの?」
「えっと、こうやってフォークで一口サイズに切ってから食べるんだ」
俺は分かりやすく説明しながら食べてみせる。
レフィーナは俺の食べ方を真似して遠慮なく大口を開けてケーキにかぶりついた。明らかに一口サイズに切れていない。マナー違反とまでは言わないが、上品ではないな。
「あ、あま~い! 美味しい!」
レフィーナは嬉しそうにケーキを食べ進めていく。上に乗っていたラズベリーも気にせず口に放り込んだところを見るに、共食い認定はされなかったようだ。
レフィーナが美味しそうにケーキを食べているのを見て、俺はあることを閃いた。上手くいけば、人間とアルラウネが友好的な関係を築いていけるかもしれない。
「なあレフィーナ、提案なんだが、アルラウネがレオさんたち職人の一員になるってのはどうだ?」
「んへ? どうして?」
完全に虚を突かれたようで、レフィーナは変な声をあげて返答する。
逆にレオさんは目を見開いて俺の提案に食いついてきた。
「その手があったか! 兄ちゃん、ナイスアイディアだ!」
「ど、どういうこと? 木を売ってお金をもらう仕事でしょ? ぼくたちは人間のお金なんていらないよ? 自分たちだけで生活できるもん」
「確かに生活は出来るだろうけど、お金ってのは生活必需品を買うためだけにあるわけじゃない。さっきレオさんがそこの彼にケーキを買いに行くように言ってお金を渡しただろう?」
俺はケーキを買ってきた若者を見て言う。
レフィーナはそれだけで俺の言いたいことが分かったらしい。
「ああ、なるほど! お金があればケーキが買えるんだね!」
「そうだ。それだけじゃない、人間が作り出す甘い食べ物はなんだって金で買えるんだ」
「な、なんでも!?」
「そう、なんでもだ。レオさん、何か他に甘いものってないですか? レフィーナ以外のアルラウネはレフィーナよりもずっと甘党なんだ。出来れば人間はそのままでは食えないような、甘さの塊みたいなやつがいいです」
「そんなに甘い物が好きなのか? ちょっと待て……甘い物……甘い物……」
レオさんは頭を抱えて必死に記憶の中にある甘い物を探っている。
周囲を見ると、他の職人たちも甘い物について考えているようだ。
「メープルシロップや蜂蜜はどうだ?」
「甘さ的にはありですけど、森で取れますからね。これくらいの甘さの物で他にないですか?」
俺は椅子の横に置いていたリュックからルナーリア様の蜜入りの水筒を取り出すとレオさんに渡す。
レオさんは蓋を開けて中身の匂いを嗅いだ後、皿に少し垂らしてから指で掬い取って口に含む。
「んん!? こ、こりゃあすげえ。何なんだこれ?」
「クイーンアルラウネが作りだす花の蜜です。アルラウネたちにとってこれは喉から手が出るほどの貴重品で、一舐めさせれば面白いくらい言うことを聞いてくれると言っていました」
「アルラウネの女王の蜜か。喉にくる甘さだな」
レオさんから返された水筒をリュックにしまう。レフィーナが物欲しそうに見ていたので、ここに来る前に約束していたラウネ水を作って渡してやった。
ごくごくと美味しそうに飲む姿がとてもかわいい。
「これに釣り合う甘さの森で取れない物っていうと、もう砂糖魔石くらいなんじゃないか?」
「砂糖魔石?」
いきなりファンタジーアイテムの名前が出てきたので、俺は即座に聞き返した。
「知らないか? 糖分が凝縮された魔石の事なんだが」
俺は前のアキトの記憶を探ってみるが、何も思い出せない。どうやら彼も知らない物のようだ。振り返ってミドリを見ると、彼女も首を横に振った。
「見つかったのはここ数年だから王都の人間じゃなきゃ知らないのかもな。アルラウネの森を迂回して西に進んだ先にある魔石鉱から取れる魔石の一種で、恐ろしく甘いんだ。幸いそれほど固くなく、熱を加えると液体になるんで小さく削って砂糖の代わりとして使ったりしているって聞くぞ。まあ、魔石だから結構値は張るな。人間は魔力の味なんて分らんが、友好種族の奴らには人気だ」
魔石にも色々あるんだな。高級和三盆みたいな位置付けの砂糖ってことで覚えておこう。
「温めると液体になるならアルラウネでも飲めそうですね。それはここにはないんですか?」
「さすがにねえよ、20センチの魔石で10万メリンもするんだぞ」
「10万メリン?」
メリンとは金の単位のことだ。
前のアキトの記憶で知ってはいるんだが、まだ慣れなくて戸惑ってしまう。今朝、カフェで食事をした時に物価を確認したが、コーヒー一杯で300メリンだったので円とそんなに変わらないのだと思う。
この世界には紙幣は無く、金銀銅の硬貨で取引がされている。10万メリンは中銀貨十枚だ。
俺は中銀貨以上の硬貨を見たことがないのだが、中銀貨は価値的に一万円札みたいなものなので、五万メリンの大銀貨やそれ以上の価値がある金貨などは流通しているのか疑いたくなるほどだ。前のアキトの記憶にも出てこない。
「もしもアルラウネを雇うとしたら給料はいくらにしますか?」
「木を育てることに関してはすでに俺たち以上なわけだが、さっきの会話から察するにアルラウネは契約しないと森から出られないんだろ?」
「そうですね。普通は森から出ると枯れてしまうそうです」
「なら木を育てる以外の仕事は出来ないってことになる。それだと給料の計算が難しいな……レフィーナさん、そもそもアルラウネからは何人ほど人員を出せるんですか?」
レオさんが尋ねると、レフィーナは不機嫌そうに返した。
「いや、勝手に話を進めないでよ。ぼくはやるなんて一言も言ってない。そもそも急に何万メリンとか言われても分からないよ。ケーキはぼく以外食べられないし、砂糖魔石もここにはないんでしょ?」
「確かにそうか。レオさん、先行投資だと思って砂糖魔石を買ってきてもらえませんか?」
「おいおい、買ってきてレフィーナさんが首を縦に振らなかったらどうするんだ? 兄ちゃん10万メリンの価値分かってるのか?」
「それは……」
さすがに確証がないのに10万も出してはくれないか。
「ねえ、木を売ったらお金になるんだよね。だったら、ぼくが今から木を出すからそれを売ってお金にしてよ。その砂糖魔石ってやつ食べてみたいんだ」
「「はあ?」」
俺とレオさんは同時に声をあげた。
お金の設定はしっかり作ってあるのですが、正直面倒くさいです。自分で作った硬貨の一覧とにらめっこしながら書いています。
とりあえず、中くらいの大きさ(百円玉サイズ)の銀貨が一万円の価値だと分かってもらえれば大丈夫です。




