外伝 ヤマシロの夏祭り 四話
突然の襲撃と、お化けの正体が悪鬼の生み出した妖怪だと分かったことで、俺の中から恐怖という感情が吹き飛んだ。
実際は恐怖を感じていない訳ではないのだが、得体の知れない存在と暗がりに怯えるよりも、戦いの恐怖の方が俺にとってはずっとマシであり、恐怖心を意識しないで済んだ。
悪鬼が生み出した妖怪の生き残りはここ数週間で何匹か退治している。
流石にもういないだろうと思っていたのだが、こんなところに隠れ住んでいたとは盲点だった。
普段の見回りは神社の裏山とイズモ周辺の森だけだからな。
他国と戦争を一切していない国だけに、町を囲んでいる木壁もミルド村と同程度でしかないので侵入が比較的簡単なのは問題だと思う。石材よりも木材を多く使うところは日本的で好きなのだが、町の安全を確保しないといけない身として不安要素だ。
というようなことを考えながら身構えていると、俺の左腕にひんやりと冷たく硬いものと、温かく柔らかいものが同時に押し当てられた。
「ア、アキト君、大丈夫なんだよね?」
「お、おい。防御力に自信があるんじゃなかったのかよ?」
見ると、ヒナノが俺の左腕にがっしりとしがみ付いていた。
彼女の腕の鱗と柔らかい身体に包まれて思わず顔が緩みそうになったが、何とか堪えて平常心を装う。
「いきなりあんな魔法で攻撃してくるなんて思ってなかったんだもん! アキト君、早く何とかしてよ!」
「分かったから、離れろ!」
「それはやだぁ! 怖い怖い怖い怖い!」
ヒナノは涙目になりながら全力で俺の腕にしがみ付いているので、簡単には振りほどけそうにない。
こうなったら、盾代わりに使ってやろうかとも思ったが、さすがにそれは良心が痛む。
「『灼熱障壁』!」
白露が俺たちの真後ろに防御魔法を張ると、そこに敵の火炎魔法が直撃する。
「わ、悪い白露、俺はたいして動けそうにないけど、大丈夫か?」
「任せるのじゃ。あの程度の妖怪、我一人で片付けてやろう」
「頼んだぞ。『空間魔法・不可侵領域』!」
白露の防御魔法が消えたのを確認したので、代わりに不可侵領域を背後に展開して身構える。
これなら不意打ちはほとんど出来ないので、足手まといが居ても守り切れる。
「『火炎魔法・連式焔玉』!」
シラツユが両手を正面にかざすと、手のひらから十発の火球が放出された。
火球はそれぞれが独立して動き、俺たちの目には映っていない妖怪を追い詰めていく。
「す、凄い。アキト、あれってどうなってるの?」
「白露の得意な魔法だ。自由自在に動きをコントロール出来るらしい」
すると、動き回っていた火球たちが一斉に白露の方向へと戻ってくる。
俺はその動きで妖怪が何をしようとしているのか察した。
逃げ切れないなら、使い手に突撃すればいいという考えだろう。
しかし、相手が悪すぎる。
白露には妖怪の姿が見えているので、自分に向かって突っ込んでくるのも俺以上に理解しているはずだ。
それならカウンターを狙うのは容易い。
「『火炎魔法・炎王剣』」
白露が何もない空間で炎の剣を振ると、彼女の炎に照らされていた世界が揺らぎ、一筋の切れ目が産まれる。
そこから青い炎の様なものが噴き出し、獣の絶叫が聞こえてきた。
「ひっ!」
突然の事に驚いたヒナノが、ついには俺に抱き着いて来た。
昔の俺ならば心底喜んだ体験なのだが、今はただただ気まずい。突き放すのは可哀そうだが、抱きしめてやるのもおかしいのでされるがままだ。
何となく分かってきたのだが、肉体を捨てて青い炎の身体を得た妖怪は、集中すれば常人に見られることのない透明な姿になることが出来るのだ。
だが、今のように手傷を負わされたりすることで集中が途切れると、炎が燃え上がって居場所が分かってしまう。
こうなったら、もう俺でも簡単に始末することが出来る。
だが今回は白露が任せろと言ったので、俺は何か不測の事態が起きない限りは手を貸すつもりはない。
白露がすぐに止めを刺すだろうと思って見ていたのだが、白露はのたうっている妖怪を見つめて動こうとしない。
場に動きが無いことに気付いたヒナノは俺から離れると、白露と妖怪を確認して首を傾げた。
「ね、ねえ、アキト君。今が倒すチャンスじゃないの? 早くしないと逃げちゃうかもよ?」
「ああ、そのはずなんだが……白露、どうしたんだ?」
俺が尋ねると、白露はビクリとこちらを見てから、再び妖怪へと視線を戻した。
何かを躊躇するように、ゆっくりと妖怪に近付いていく。
途中、弱々しい火炎が白露に向かって放たれたが、九本の尻尾が前に出て彼女の身体を守った。
「白露!? 何やってんだ!」
「……こやつ、まだ繋がっておるのじゃ」
「はあ!?」
繋がっているって何のことだ?
「身体から魔力がどこかへと続いている。かなり弱々しいが、こやつの肉体はまだ生きておるのかもしれんのじゃ」
「えっ?」
「…………もしかして、シラツユはその妖怪を助けたいの?」
何だって?
俺たちを問答無用で攻撃してきた妖怪だぞ?
それを助けようって言うのか?
「う、うむ……こやつ、狐の妖怪じゃ。何となく、昔の我を見ているようで止めを刺すのは気が引けるのじゃ」
「だからって、助けたところでお前みたいに良い妖怪になるとは限らないんだぞ?」
それどころか、元気になって暴れまわる方の可能性が高いくらいだ。
「そうなのじゃが……試すだけ試させてはくれぬか?」
「白露……」
白露が生身で魔法を防ぎ、尚且つ攻撃してこなくなったからなのか、抵抗する力も無くなったからなのかは分からないが、妖怪は薄い青色の炎で出来た身体で弱々しく立ち上がりながらも、黙って白露を見つめている。
「ねえ、アキト君。やってみようよ。私手伝えるよ」
「そりゃ、お前の光明魔法なら怪我はすぐに感知できるかもしれないけど……」
「良く分からないけど、ダメだった時はシラツユが何とかしてくれるんでしょ?」
「うむ。その時は我が責任を持ってこやつを灰にする」
「なら安心だね。アキト君、殺さなくていいならその方が良いよ」
「そう……だな。よし、白露、その繋がっている魔力の先に向かおう」
俺がそう決断すると、白露は頷いて妖怪を抱きかかえ、霊園の奥へと走り出した。
俺は暗闇の中で白露を見失わないように注意深く目を凝らしながら後を追った。
「いた。あれじゃ!」
白露が声を上げ、速度を上げて何かに駆け寄る。
場所は霊園の一番奥。大きな木の根元に横たわっている魔獣がいた。
「これは……外傷はないが、かなり弱っておるな」
ヒナノが倒れている狐の隣に膝を付くと、状態を確認する。
「外傷が無い? もしかして、餓死寸前とか? それだと私の魔法で回復させるのは難しいよ」
「何か食べ物を出そうか?」
俺が尋ねると、白露は首を横に振った。
「いや、これは悪鬼の闇の魔力に身体が耐えられなかったのじゃ。酒呑童子の奴、久しぶり過ぎて加減を間違えたようじゃ。魔力が身体の中に抑えられなくなって外に飛び出した感じじゃな」
「それって、どうしたらいいんだ?」
「我の身体を治した時と同じで、闇の魔力を浄化してくれれば助かるはずじゃ」
「頼めるか、ヒナノ」
「うん」
ヒナノは両手で狐の身体に優しく触れると、魔法名を口にする。
「『光明魔法・破邪の光』」
ヒナノはお金に目が眩むことがある以外は、実は初期の頃のアキトの理想にかなり近い女性です。
オリヴィアやサラ、ヘルガの時もそうでしたが、出会う順番が違えばまた別の未来もあったかもしれません。




