一章 アルラウネの森 六話
森を出ると、レフィーナは嬉しそうに草地を駆け回った。
「すごい、すごい! 本当に外に出れた!」
花と一体化したことで、移動範囲の制限がなくなり、レフィーナは生まれて初めて森の外に出たことになる。その感動は計り知れない。
「そういや、レフィーナが花と一体化したのはどういう祝福なんだ?」
俺の疑問にレフィーナはニカっと笑う。
「聞きたい? ぼくが祝福で願ったのは、人間みたいに食べ物を美味しく食べて栄養を摂れる身体だよ!」
「……なるほど、考えましたね。その願いから来た祝福ということは、味覚だけでなく内臓まで全てが人間と同等の機能を持つものに作り替えられたことでしょう」
一人で勝手に納得しているミドリに俺はツッコミを入れる。
「いや、待て。どういうことか全然分からん。祝福は一つじゃないのか? 俺はてっきり花と一体化して人間のように歩き回れる祝福を得たのかと思っていたんだが」
アキトの記憶では、相手の身体的な特徴が得られるということだが、あれもこれも手に入るわけではない。現に俺は竜の鱗は出せるが尻尾は出せない。
「概ねその通りです。ですが、人間のように食事で栄養補給ができるということは、わざわざ根を張ったり、獣から時間をかけて養分を吸い上げたりする必要がなくなると思いませんか?」
「た、確かに」
それで花と人の部分が一体化したのか。祝福は意外と自由度が高いようだ。
「しかし、人間と同じように食事ができる身体か……」
俺はおもむろにリュックから水筒を取り出すと、レフィーナに手渡す。
「一口だけ飲んでみてくれ」
レフィーナは水筒の蓋を開けると、漂ってきた匂いで中身が何かを理解したようで、満面の笑みを浮かべる。
「こ、これママの蜜だよね!? いいの?」
「一口だけな」
「やったぁ! いただきます!」
レフィーナは水筒を傾けると、中の蜜を口の中に流し込む。
「うげっ!」
そして膝から崩れ落ち、喉を押さえて呻き出した。
俺は彼女の手からこぼれ落ちた水筒を素早くキャッチすると、中身が溢れないように蓋をする。
「……んな、何これ?」
レフィーナは涙目で俺を睨む。
「やっぱりか。ルナーリア様の蜜は人間には甘過ぎるんだ」
「そ、そんな……」
人間と同じように食事ができるということは、味覚も人間レベルになったに違いない。
レフィーナは大好物が食べられなくなったことにショックを受け、地面に両手をついて落ち込む。
「安心しろ、薄めれば大丈夫だ」
「薄める?」
「水の入った草袋ってまだ持ってるのか?」
「持ってるよ」
レフィーナは草の服の中から草袋を取り出す。
俺は草袋の口を縛っていた細い蔓を解いて、中にルナーリア様の蜜を少量流し込んだ。
「うわわ! もったいない!」
「もったいなくない。むしろお前の味覚が俺並みになったことで、蜜を節約できるくらいだ」
俺はレフィーナの髪の間から出ていた蔓を一本掴み取ると、マドラーの代わりにして蜜を溶かすように掻き混ぜる。
「レフィーナ、ちょっと舐めてみろ」
レフィーナにマドラー代わりに使った蔓を咥えさせる。
「ん、ほんのり甘い」
「なら、もう少しか」
更に少量だけ蜜を垂らして甘さを足し、再び掻き混ぜる。
「よし、こんなもんだろ。名付けて『ラウネ水』だ」
「微妙なネーミングセンスですね……」
「やかましい。こういうのは分かりやすいほうがいいんだよ」
俺はレフィーナに完成したラウネ水を飲むように促す。
レフィーナは慎重に口を付けた後、ラウネ水の味に驚いたように目を見開いてゴクゴクと飲み下していく。
「すごいよ、アキトくん! 甘すぎなくて飲みやすい!」
「気に入ったようでなによりだ。一口くれ」
「えっ……」
レフィーナは反射的に草袋を俺から遠ざけるようにして拒否の意思を示す。
「いいだろ、俺が作ったんだから」
「うう、わかったよ」
俺はレフィーナから受け取ったラウネ水を一口飲む。レフィーナが今にも泣きそうな顔をしていたので、本当に一口だけにしておいた。
思った通り甘くて飲みやすい。柑橘類の果汁と一緒にお湯で溶けばもっと美味しくなりそうだ。
「なかなかうまいな」
「も、もういいでしょ? 帰して」
レフィーナは俺から草袋を取り上げると、大切そうに眺めた後、おいしそうに飲み干した。
そして空になった草袋を数秒眺めてから、服の中からもう一つ水の入った草袋を取り出し、甘えるような上目遣いで俺を見てくる。何を言いたいのかは聞かなくても分かった。
「もうやらないぞ」
「うっ……ケチ」
「ケチじゃない。こういうものは時間をかけて少しずつ大切に飲むもんだ」
クイーンアルラウネの蜜だぞ? 場合によってはもう二度と手に入らないかもしれない激レアアイテムだ。そう簡単に手放せるか。
緊急時の栄養としても有用だが、何かしらの交渉材料としても使えるはずだ。
「分かったよ。でも、また頂戴ね?」
「それはお前の働き次第だ」
俺は腕にすがりついて甘えるレフィーナをやんわりと引き剥がすと、リュックに水筒をしまって背負い直す。
「んじゃ、さっさと王都へ戻ろうぜ。出来れば今日中にレオさんと話をしておきたい」
「はい。ですが、レフィーナをどうやって王都の中へ入れましょうか? 赤の魔石はおろか、青の魔石も持っていませんし」
しまった。それがあったか。
アルラウネは人間に敵対的な種族だと認識されていたし、魔石がなければ門番に止められて追い返されるだろう。
「ぼくはアキトくんの契約者なんだから、契約している間は大丈夫じゃないの?」
レフィーナの言葉に俺とミドリは顔を見合わせる。
確かに俺と契約しているということは、少なくとも俺に対しては友好的な種族ということだ。
この国の人たちもそれで納得してくれるだろうか?
「……可能性がなくはないですね。もしもダメなら門の前で待機して、レオ様を呼びつけて話し合いをするしかないでしょう」
「むう、人間の信頼を得るのって難しいんだね」
レフィーナは契約してもなお信じてもらえない立場にショックを受けたのか、いじける様に俯いた。
「まだダメと決まったわけじゃない。ともかく行ってみようぜ」
俺はレフィーナの手を取って王都に向かって歩き出した。
王都の門まで移動すると、ここを出た時に心配してくれた軍人がホッとしたように声を掛けてきた。
「良かった。無事に帰って来られたようだね。アルラウネには襲われなかったのかい?」
微妙に回答に困る質問だな。
「襲われなかったわけじゃないですけど、和解しました」
「和解?」
俺の後ろに隠れる様にして立っていたレフィーナが顔を覗かせる。
「アルラウネ!?」
軍人はほとんど反射的に剣を抜くと、レフィーナに向けた。同時に近くで寝ていた彼の契約獣と思われる軍犬が立ち上がる。
それに対してレフィーナも蔓を伸ばして迎撃しようとしたので、俺は慌てて彼女を庇う様に前に割り込んだ。
「ま、待ってください。こいつは普通のアルラウネじゃないんです!」
「普通のアルラウネじゃない?」
軍人は最大限に警戒しながらも俺の後ろに隠れているレフィーナを確認する。
「……確かに。アルラウネの様な見た目をしているが、草や花が生えているだけで、人の足があるな」
「言ったでしょ? 和解したんですって。彼女は僕と契約してくれたアルラウネのレフィーナです」
「アルラウネと契約だって!?」
軍人は仰天して俺とレフィーナを交互に見る。
「アキト様が仰っていることは真実です。レフィーナを王都内へ入れる許可を頂けないでしょうか」
「そんなこと許可できるわけがない。第一、本当にアルラウネと契約しているのか?」
「証拠を見せましょう。アキト様、脱いでください」
「いや言い方!」
「いちいち細かいですよ。早くしてください」
俺はミドリに文句を言いながらも、シャツを脱ぐ。
軍人は俺の契約紋を見て目を見開いた。
「な、何だ、この契約紋は!? 刺青じゃないよな?」
「本物ですよ。見ればわかるでしょ?」
ミドリとレフィーナに使用した契約紋は薄っすらと光を帯びているので、これを刺青と見間違えることはない。俺の契約紋はどこからどう見ても本物だ。
「た、確かに本物に見える……」
軍人はミドリに視線を向けてから、恐る恐る尋ねてくる。
「そっちの竜人の子とも契約しているのか?」
「えっ? ああ、そうですね。はい」
やっぱりそこに気付くよな。
俺の契約紋にはど真ん中にでかでかと輝く虹色の玉がある。そして隣には最上級種族のドラゴンメイド。答えは明白だ。
「君はもしかして、ミルド村のアキトか?」
「えっ、何で知っているんですか?」
「何年か前にミルド村のアキトって奴がドラゴンメイドと契約したって騒ぎになったんだよ。ま、どんなに勧誘しても入隊を拒否されているって聞いていたけど、君がそうだったのか」
やっぱり最上級種族と契約しただけでもかなりの大ごとらしい。おそらく下っ端であろう門番の軍人にまで俺の名前が知られているとは思わなかった。
ミドリが言った通り、彼女の正体が特級種族のドラゴンだとバレないように気を付けないといけない。
「しかもまさかアルラウネとも契約してしまうとは。どうだ、今度こそ軍に入隊する気はないか? 相当の待遇で迎えられると思うぞ」
「俺には戦いなんて向いていませんから。それに彼女たちを人間の都合で戦わせるのも嫌なんです」
俺はとっさに前のアキトがよく使っていた言葉を記憶から掘り起こして勧誘を断る。
「そ、そうか」
「それよりも、レフィーナも一緒に王都内に入っても大丈夫ですか?」
「ん? あ~、そうだな……確かに契約者なら敵対種族とは言えない。ちょっと待ってくれ」
軍人はすぐ後ろの詰所に入っていく。
上層部にお伺いでも立てているのだろうか?
俺が服装を整えて、体感で5分ほど待っていると、先ほどの軍人が上官らしき筋骨隆々の大男を連れて詰所から出てきた。
「中尉、彼がミルド村のアキト、そして契約者のレフィーナです」
「ふむ。君が噂の……私はライムント。王都西門の警備隊長をしている者だ」
「俺たちはミルド村のアキトとミ――エメラルド、それに西の森で意気投合したアルラウネのレフィーナです」
ライムントさんはレフィーナに近付くと腰を落とし、彼女と目線を合わせる。背が高いので片膝を地面に着く形になった。
「初めまして。ぼくはアルラウネのレフィーナ。アキトくんの友達だよ」
レフィーナは人間に友好的だということを示すためか、全身の蔓を引っ込めてにこりと笑ってみせる。
「これは驚いた。アルラウネに笑顔を向けられたのは初めてだよ」
ライムントさんは目を見開いて驚いた後、顎に手を当ててレフィーナを観察する。
「君の両足は祝福によるものだね?」
「あっ……うん。森の外で人間みたいに自由に歩き回りたいってお願いしたらこうなったんだ」
レフィーナは口から出まかせを言いつつ、片足を前に出してプラプラと動かしてみせる。
さすがはプリンセスアルラウネ。子供とはいえ頭の回転が速い。ライムントさんが勘違いしているとみるや、すぐさま話を合わせて自分が最上級種族のプリンセスアルラウネであることを悟られないようにした。
ライムントさんは満足したように立ち上がると、今度は俺と視線を合わせる。
「では、今度は君が彼女と契約して得た祝福を見せてくれないか?」
「分かりました。レフィーナ、大地魔法のやり方を教えてくれ」
「いや、それだとアルラウネと契約しているという証拠にはならない。上級種族との契約ならばもう一つの祝福があるだろう?」
なるほど確かにそうだ。地属性の魔獣と契約していれば大地魔法は使えるからな。少々疑り深い気もするが、本来は敵対しているはずのアルラウネを王都に入れようというのだ、そのくらいの警戒は然るべきなのかもしれない。
「そういえば、私もまだ見ていませんでしたね。アキト様はどのような祝福を得たのですか?」
「分かりきった事を聞くなよ」
俺は誰もいない方向に右腕をかざすと、竜の鱗を出すときと同じ要領でアルラウネの特徴をイメージする。
「『アルラウネの蔓』!」
俺がそう口にすると、ルナ―リア様がやっていたように、俺の手のひらから数本の蔓植物が飛び出した。
「よし、出来た!」
アルラウネの蔓は俺の思い通りに動いてくれる。まるで自分の指のようだ。
俺は自分の右手から出た蔓を左手で掴みながらライムントさんの方を向く。
「どうですか? これで信じてもらえましたよね?」
「あ、ああ」
「ライムントさん?」
「――すまない、大丈夫だ。確かに君が契約者で間違いないようだな」
ライムントさんはまるでお化けでも見たように引きつった顔で俺から一歩遠ざかった。俺が首を傾げたのを見て我に返ったようだが、その視線は俺の蔓に注がれている。
ルナーリア様がアルラウネの蔓は不気味で気持ち悪がられていると言っていたが、本当のようだ。
しかし、気持ちが悪いと感じてしまう事を責める気にはならない。それは本能的なものであって、抑えることなど出来はしないのだから。
もちろんその感情を他人に強要したり、相手に直接伝えて傷付けたりするのは良くないと思うが、ライムントさんにはそういった素振りは見られなかった。
俺はアルラウネの蔓を消してからライムントさんに尋ねる。
「じゃあ、レフィーナを王都に入れる許可をもらえますか?」
「そうだな。とりあえずは旅行者用の青の魔石を渡しておこう」
ライムントさんは部下が詰所から持ってきた青い魔石と銀色のペンダントを受け取ると、魔石を二つに割った。元々二つに割れる構造になっていたのか、断面がとても綺麗だ。
そして魔石の片方をペンダントトップに嵌め込むと、レフィーナに差し出す。
「この魔石に君の魔力を登録してほしい」
「どうやるの?」
「ゆっくりと魔力を流し込んでくれれば大丈夫だ」
レフィーナはライムントからペンダントを受け取ると、青い魔石に手を当てる。
すると一瞬だけ魔石が強く輝き、ライムント持っていた片割れの魔石も呼応するように輝いた。
「うむ。登録完了だ。そのペンダントをいつでも身に着けておいてくれ。無くしたり、破壊したりした場合は我々が現場に急行して君を拘束しなければならなくなるからね」
「分かった。ありがとう、ライムント」
レフィーナがにっこりと笑ってみせると、ライムントさんは顔をほころばせて彼女の頭を撫でた。厳格そうな見た目のわりに子供好きなのかもしれない。
こうしてレフィーナは無事に青の魔石を手に入れて、旅行者として王都内へと入ることが許されたのだった。
ライムントさんの話では、王都の中央にある役所でもう一度審査を受ければ時間はかかるが赤の魔石を作ってもらえるらしい。まあそれは後回しでもいいだろう。
今はまず、レオさんの店に行って話し合いをするのが先だ。
「……ねえアキトくん、ぼく頑張って我慢したよ」
王都に入って門が見えなくなるまで歩いたところで、レフィーナが自分の頭を手で払う仕草をした。
「我慢?」
「ただの人間如きに子ども扱いされて、頭まで撫でられたのに笑顔で対応したでしょ? 褒めてくれてもいいんだよ?」
やばい。怖いよこの子。めちゃくちゃ怒っている。髪の毛の間から何本もの蔓が飛び出してユラユラと蠢きだしている。
「が、頑張ったな! そうだ、ご褒美に後でまたラウネ水を作ってやるよ!」
「ホント? やったぁ!」
レフィーナは先ほどの怒りなど無かったかのように飛び跳ねて喜んだ。
やっぱりアルラウネって敵対種族なんだなぁ。この調子で話し合いなんて上手くいくのだろうか……。
レフィーナは人間に敵対的というよりも、最上級種族である自分よりも下の種族に子供扱いされて頭を撫でられたのを怒っています。
つまり、人間でなくても上級以下の種族に頭を撫でられたら怒るわけです。
ちなみにアキトの事は自分と同じ最上級種族として扱っています。




